2年目2月「結論」
翌日の昼休み、俺は木塚を廊下に呼び出した。
バレンタインまでとなると時間的にはまだまだ余裕があったが、心が決まったからにはこれ以上返事を延ばす理由はない。
「……そっか」
「悪い」
期待していないとは言っていたものの、木塚の表情はそれなりに残念そうだった。
そんな顔を見るのはもちろん気分のいいものじゃなかったが、ここで変に言いわけじみたことを言っても仕方がないし、聞かれない限りはあれこれ理由を付け加えるつもりもなかった。
「ひとつだけ、いいかな?」
木塚が伏せた目で尋ねてくる。
「私と付き合えない理由って、もしかして水月さんと関係があったりする?」
「いや。あいつはぜんぜん関係ない」
「そっか」
そんな俺の答えに、木塚は少し申し訳なさそうな顔をする。
「ごめんね。私ちょっとだけ嫌な想像した。水月さんに謝っておいてくれるかな」
「ああ。昨日のことなら気にすることないぞ。あいつも、余計なこと言ったかもしれないって後で反省してたしな」
「そっか」
それで木塚はすっきりしたようだ。
「ありがとね。わざわざ来てもらっちゃって」
最後に少しだけ笑って教室の中へと戻っていく。
あっさりしたもんだが、まあ現実はこんなものだろう。
(俺が普通の人間だったら、どうだったのかな……)
木塚の後ろ姿を見送りながらそんなことを考える。
案外ふたつ返事で快諾していたかもしれないが、実際のところは俺自身にもよくわからなかった。
その日の放課後。
腕時計を見ながらやや早足に駅前通りを歩く。
(……やっべ。雪のヤツに怒られんな、こりゃ)
学校が終わってそのまま直斗や将太と一緒に遊びに行き、18時を過ぎて直斗だけが帰った後、俺は将太とふたりで駅前のゲーセンへ。
対戦ゲームに熱くなってしまい、ふと気づいたときには20時を大きく回っていた。
我が家ではとっくに夕食が終わっている時間である。
遅くなるときは連絡するようにといつも言われているのだが、今日はついつい忘れてしまったのだ。
(……ま、ここまで遅くなったら急いでもあんま変わらんけど)
そんなことを考えながらも家路を急いでいた途中。
(あれ? あんなとこにコンビニあったっけ)
駅前通りから住宅地へ入るところの角に、俺は見慣れないコンビニを発見した。
普段あまり通らない道なので気づかなかったが、どうやら新しくできた店のようだ。
少し考える。
(……なにか買ってくか)
この時間だと、雪や瑞希の機嫌次第ではすでに夕食が片づけられている可能性がある。
我が家は基本的にインスタント食品の買い置きがないので、保険としてカップラーメンでも買っていったほうがよさそうだ。
そうしていったん止めた足をコンビニへと向ける。
「いらっしゃいませー」
自動ドアをくぐって店内へ。
客は俺ひとりだった。
カップラーメンのコーナーへ向かい、適当に目についたやつを手にとってレジへ。
「いらっしゃいませ」
ピッとバーコードをスキャンする音がして金額が表示される。
財布から小銭を取り出して。
そこで気づく。
「ん? ……お?」
店員が俺の顔をじっと見ていたのだ。
よく見ると顔見知りだった。
「こんばんは、不知火くん」
「……よう」
カップラーメンを袋に詰めながら俺を見て笑っていたのは木塚だった。
昼間にあんなことがあったばかりで、なんともタイミングの悪いご対面である。
ただ、向こうはそれほど気にしていない様子で、
「制服のままどこ行ってたの? 駅前で遊んでた?」
「まーな。お前こそバイトなんかしてたのか」
差し出された袋を受け取る。
「うん、つい最近だけど。まだ覚えることもたくさんあるし。……これ、もしかして晩ご飯? 不健康な生活してるんだ?」
「いや、そうと決まったわけじゃねーけど。まぁ台所番の機嫌次第というか」
「なにそれ」
木塚はおかしそうに笑った。
俺は財布から出した小銭をカウンターに乗せると、
「ま、そんじゃな。バイト頑張れよ」
「ありがと。またお越しくださいませー」
木塚の明るい声に送られて俺はコンビニを出た。
店を出て、ホッとひと息。
(案外、普通だったな)
少し心が軽くなった気がする。
ガラにもないことだが、自分で思う以上に俺は彼女を振ったことを気にしていたらしい。
しかしこれで完全に吹っ切れた。
そのまま歩き出し、コンビニの脇にある細い路地に入る。
いつもは通らない道だが、自宅まで1~2分短縮できる近道だった。
(いまさら急いでも仕方ねーんだけど……)
路地の中は街灯が少なく薄暗い。
この時間、女性なんかはひとり歩きを避けたほうがよさそうな道だった。
……と。
その道に踏み込んで10メートルほど進んだ辺りだろうか。
「……ん?」
突然、薄い霧の膜を通過したような奇妙な感触があった。
そして空気が若干重くなる。
(……これは)
すぐに気づく。
結界だ。
おそらくは悪魔狩りがよく使う、音と光を遮断する結界だろう。
どうやら俺はその中に足を踏み入れてしまったようだった。
(悪魔狩りが仕事してんのか? それとも……)
胸の奥で警戒音が鳴る。
この結界、俺も神村さんからもらったアイテムで何度か使用したことがあるが、どうやら"そっちの世界"ではかなり広く使用されているものらしい。
つまり悪魔狩りに限らず、誰かが"人に見られたくないなんらかの行動"を起こすときに使われるのだ。
つまり――
俺は正面に目を向ける。
そこに、ゆっくりと歩み寄ってくる人影があった。
敵。
すぐにそう察し、気持ちのスイッチを入れ替える。
路地は1本道で幅は5メートルほどだろうか。
塀の向こうには民家があるが、相手が何者かもわからないのにそちらに逃げる選択肢はない。
逃げるとすれば後ろ、だが。
(……誰か来てるな)
背後にも複数の人の気配があった。
小走りにこちらに近づいてきている。
(挟み撃ちか……)
最初から俺を狙い、ひと気のない道に入るタイミングを見計らっていたのかもしれない。
いずれにしても逃げ場はないし戦うしかなさそうだ。
手の平に軽く力を込める。
……と。
思わぬ声が聞こえてきたのはその直後だった。
「不知火くん?」
「!?」
背後から近づいてきた影が予想外の声を発する。
「木塚?」
一瞬、頭が混乱した。
「……ちっ」
舌打ちの音。
俺ではない。
正面から近づいていた男のものだ。
「追いついてよかった。ごめんね、不知火くん」
この場の緊迫した状況にはまるで気づいた様子もなく、コンビニの制服のままで駆け寄ってきた木塚は、俺に向かって割り箸を差し出した。
「これ、入れ忘れちゃったから。話すことに夢中になっちゃったのかな」
と、照れ笑いの木塚。
俺はそんな彼女の背後に、さらにもうひとり近づいてくる男の姿を確認していた。
(……まじぃな)
敵はふたりだ。
狙われていたのは俺。それは間違いない。
そして先ほど舌打ちした男の反応から、木塚の乱入は彼らにとっても予想外のことだったのだろう。
彼女は本当に、忘れた割り箸を届けに追いかけてきただけなのだ。
(……けど引き下がらない、か)
予想外の事態に諦めてくれないかと一瞬期待したのだが、甘い考えだったようだ。
前方の男が動く。
どうやら木塚を巻き込んででも戦いを始めようというつもりらしい。
「……木塚!」
「え? ……きゃぁ!」
前方の男の目が赤く輝いたのを見て、俺はとっさに木塚を抱きかかえて横に飛んだ。
衝撃波が俺たちの立っていた場所を貫いていく。
相手は夜魔だ。
「避けた……?」
男が意外そうにつぶやく。
「厄介な。こいつ、もう目覚めているぞ」
と、木塚の背後から近づいていた別の男が警戒したような声を出した。
(……目覚めている? なんだ、こいつら。俺のことを知ってて襲ってきたんじゃないか?)
俺は少し混乱した。
ただ、今は悠長に考えていられる余裕はない。
相手の事情を考えるのは、こいつらを叩きのめしてからだ。
俺は木塚を後ろにかばいながら、状況把握に努めた。
(どっちも夜魔。それほど強い力は感じないが……)
「し、不知火くん……?」
そこで木塚も、ようやくふたりの男の不審さに気づいたようだ。
「この人たち、不知火くんのお友だち……?」
「んなわけあるかぃ」
突然のできごとに混乱しているだろうとはいえ、一緒にしてはもらいたくないものである。
ふたりの夜魔はすでに悪魔の証である大きな耳を隠そうともしていなかった。
ただ、木塚の目には、耳に変なオプションをつけて鮮やかな赤いカラーコンタクトを入れた変わった連中……とでも映っているのだろう。
神村さんも言っていたように、普通の人間ってのは、そこまで簡単に非日常の現実を受け入れられはしないのだ。
(……さて、と)
どうやってこの場を切り抜けるか。
先ほどの衝撃波の威力を見る限り、相手はどちらも下級夜魔だろう。
対する俺の調子はどうやら3割程度。
手こずる相手じゃない。
ただ、問題は背後で不安そうにしている木塚だ。
こいつを先に逃がしてからじゃないと、俺も全力で戦うことができない。
そこで俺は、とりあえず交渉を試みることにした。
「お前ら、俺に用があるんだよな?」
片手で木塚をかばうようにし、ふたりの男の動きを目で牽制しながら声をあげる。
「だったらこいつは無関係だろ? 話はこいつを帰してやってからにしてくんねーかな?」
「そういうわけにはいかない」
即答だった。
「むしろ、その娘にケガをさせたくなければ、素直に我々に従ってもらおう」
「……ちっ」
当然の展開だった。
結界を張ったことからもわかるように、こいつらも一般人を巻き込むのはおそらく本意ではない。
ただ、それでも木塚ひとり程度なら巻き込んでも構わないだろうという判断が透けて見えていた。
「不知火くん……」
ぎゅっと服のすそをつかむ木塚の手に力が入る。
どうやら、ただのケンカとかそういうレベルではないことを感じたようだ。
「……心配すんな」
震える木塚の手にそっと触れる。
「お前には絶対にケガさせない。信じろ」
偶発的とはいえ、敵の狙いが俺である以上は責任がある。
この場はなにがあってもこいつを守ってやらなきゃならない。
(……とは言ったものの)
姿を変えない。
力を使わない。
それで、まずは木塚が逃げられるほどの隙を作る。
できるだろうか。
見た目を変えずに身体能力を上げることはできる。
ただ、相手は容赦なく悪魔の力を使ってくるし、なにより相手はふたりで、こっちには木塚を守りながらというハンデがあった。
難しい。
先ほども言ったように敵はもう木塚を巻き込むつもりでいるし、おそらくは俺がこいつを守ろうとしていることもわかっている。
となると、片方を相手にしているうちに木塚を人質にでも取られてしまえばそれで終わりだ。
取るに足らない相手とはいえ、体術だけではさすがにきつい。
(……なら、仕方ないか)
下手をすれば命にかかわる問題だ。
出し惜しみして後悔しても遅い。
やるしかない。
……ただ、せめて。
俺は言った。
「木塚。……しばらく目、つむっててくれないか?」
「……え?」
怪訝そうな声色。
だが、素直に従ってくれるかどうかを確認する気はなかった。
迷いを払い、力を開放する。
体から魔力が放たれ、髪が真紅に染まっていった。
「……こいつ、手強いぞ」
そんな俺の気配を感じたのか、ふたりの夜魔の間に緊張が走る。
そして、
「……!」
背後では、木塚が息を呑む音。
……当然だ。こんな状況で目を閉じているなんてできるはずがない。
しょせんはただの気休めだった。
それでもためらうことなく力を加速させる。
全身が一気に加熱し、耳の奥で炎の爆ぜる音が反響した。
夜魔たちが明らかにひるんだ顔をする。
「無駄な抵抗を……こっちはふたりだぞっ!」
わかりきった虚勢。
そして夜魔たちが同時に衝撃波を放つ。
……いらっとした。
「目的がなんなのかは知らねーけどよ……」
この程度、避ける必要もない。
足もとから吹き上がる熱波が衝撃波を相殺した。
「……こいつッ!?」
夜魔のひとりが驚愕の声を発する。
「上級悪魔か……ッ!?」
「正直タイミング悪すぎんぜ、てめぇらッ!」
木塚の前で正体をさらしてしまったというやりきれない怒りが、そのまま目の前の敵へと向かう。
対するふたりの夜魔の反応は対照的だった。
「くッ……」
ひとりの夜魔は瞬時に戦力差を察して背を向ける。
もうひとりは驚きで固まったまま。
両極端な反応。
が、しかし。
「……どっちも逃がさねぇぇぇ――ッ!」
怒りの叫びとともに、俺は両腕にまとった螺旋状の炎をそれぞれの夜魔に放った。
「う……うわぁぁぁぁぁ――ッ!」
ふたりの悲鳴が同時に聞こえて。
夜の暗闇をダークオレンジに染めた炎は、あっという間に夜魔たちを呑み込んでいったのだった。