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双子兄妹の悪魔学園記  作者: 黒雨みつき
 第3章 俺たちの恋愛事情
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1年目6月「後輩」


 ――人はなぜ部活なんてものをするのだろうか。


 俺は帰り道で部活動に励む生徒を横目に眺めながらそんなことを考えていた。


 といっても別に哲学的な話ではない。

 ただでさえ朝から夕方近くまでを学校の授業で潰されてしまうというのに、さらに自由な時間を少なくすることに意味があるのだろうかという、ごくごく単純かつ個人的な疑問なのである。


 確かにサッカーとかテニスとか、いわゆるゲーム性のある球技なんかはやっていて楽しいと思うことはある。

 が、遊びの範囲を越え、そのたったひとつのことのために時間を大幅に削るという行為が俺には理解できなかったのである。


 もちろん俺とてスポーツに興味がなかったわけではない。

 ただ、実にさまざまな問題が、ひとつのスポーツに熱中するという選択肢を俺から奪っていったのである。


 中学のときはちょっとだけバスケ部に入ろうと考えたこともある。

 が、なんとバスケットボールはひとりではできないスポーツだと判明し、断念。

 どうせやるなら、ひとりで世界を取れるスポーツがよかった。


 次に考えたのは水泳部だ。

 しかし俺のこの長髪は水泳には向いていなかったらしく、これも断念。


 さらには髪が長くても支障がなさそうな卓球部に入ろうかと思ったが、なんとウチの学校には卓球部がなかったのである。


 そんなこんなで中学の3年間、俺は部活に入らずじまいだったのだ。


「で、結局高校でもやらないんだよね」


 そう言ったのは俺と一緒に下校の途についている直斗だった。


「勿体ないよね。優希って結構運動神経いいのに。昔は野球とかも好きじゃなかった?」

「野球部に入ったらサッカーできないからなぁ」


 ああ、そうだ。

 結局のところ、部活ってのは俺のこの飽きっぽい性格と絶望的に相性が悪いのだ。


「お前こそ、もうバスケはやらんのか?」


 俺は直斗にそう聞き返す。

 直斗は俺と違い、中等部時代の3年間をフルでバスケ部に所属していたのである。


 細身の体格と大人しそうな外見に似合わず、小1から中3まで続けていた空手で培われた基礎体力に、元来の頭と勘のよさを生かした頭脳プレーで、中等部では1年の後半からすでにエース的な存在として扱われていた(らしい)。


 そんな直斗かつ中等部からの繰り上がり組が多いこの学校のこと。

 高等部の先輩たちから入部の誘いがないはずはなかった。


 にもかかわらず、直斗は現状、俺と同じく帰宅部に属しているのである。


「うん。あまり時間もなくてね」

「時間? 中等部のときとたいして変わらんだろ?」


 言ってから、俺はああ、と呟いて、


「これからは夜の街に出没してナンパの道に生きるのか。高校デビューってやつだな」

「優希ってさ」


 直斗は笑いもせずに突っ込んできた。


「相変わらず突拍子もないところから発想が飛び出してくるよね。しかもあんま面白くないし」

「……お前こそ相変わらずの毒舌で安心したよ」


 結局バスケ部に入らなかった理由については、適当にはぐらかされてしまった。

 まあ俺もそこまで追及するつもりはない。


(家の事情なのかね……)


 直斗の家は母ひとり子ひとりの母子家庭である。


 俺たちが出会った小1の頃、すでに直斗の父親はいなかったようだ。

 離婚したのか死別したのかはわからない。

 直斗の家で仏壇らしきものを見た記憶がないから前者の可能性が高いと思うが、そこまで立ち入った事情を聞いたことはなかったし、聞くつもりもなかった。


 さて、それはさておき。


 6月は早くも中盤に差し掛かっている。

 遅咲きの桜もすっかりと姿を隠し、町並みは緑色に染まり始めていた。

 太陽は春とは明らかに違う力強さで輝きを放ち、歩いているだけでも額にはうっすらと汗が滲む。


 夏が近づいていた。


 夏と冬のどちらが好きかというのは比較的選択されやすい世間話のお題だと思うが、この辺りの住人にはおそらく"夏"と答える人間が圧倒的に多いだろう。

 雪がたくさん降る地方であればスキーやスノボなどのウィンタースポーツを楽しめたりするが、この辺りは一応雪は降るもののそれほど積もることはない。


 一方、夏は海がそれなりに近くて泳ぎに行けるし、少し足を伸ばせばキャンプ場もパラパラとあって楽しめる。

 要するに、ここは夏のほうが遊びの選択肢が多い土地柄なのである。


「でも、優希は冬のほうが好きだよね」

「まーな」


 俺はそれでも冬のほうが好きだ。


 理由は簡単。

 冬ならいくら寒い寒いといっても厚着をすればそれでやわらぐし、家の中に入れば暖かいからだ。


 一方の夏の暑さはそうもいかない。

 家の中はクーラーがあるからそこそこ快適に過ごせるが、外を裸で歩くわけにもいかないし、やったとしても真夏の殺人的な暑さの前には到底無力である。

 少なくとも逮捕されるリスクを犯してまで実行する価値があるとは思えない。


 だから冬のほうがマシ、ということだ。


「結局は春か秋が過ごしやすいけどなー」


 そして最終的にたどりつくのは、いつも身も蓋もない結論である。


 ……と。

 それは直斗とそんな世間話をしながら校門を出ようとしたときのことだった。


「せんぱーい!」


 そんな俺たちに駆け寄ってくる女生徒がいた。


「あれ? 明日香ちゃん?」

「こんにちは、直斗先輩!」


 そばまでやってきて立ち止まった少女が弾んだ声を上げる。

 俺も知っている子だった。


「よぅ、明日香じゃん。久しぶりだな」

「げっ! 優希先輩!」


 俺の顔を見るなりそんな失礼な声を発したのは、今井いまい明日香あすかという風見学園中等部2年の女生徒である。

 つまりは俺たちの2つ下の後輩にあたる少女だ。


「優希先輩もいたんですかぁ……」


 明日香はあからさまに残念そうなため息を吐いた。


 そんな明日香の身長は150センチにもおそらく届いていないだろう。

 小柄な体に藍原と同じぐらいショートカット。

 制服を着ていなければ小学生のクソガキに間違われてもおかしくない。


「ちょっ……誰が小学生のクソガキですか!」

「おっと、すまん。つい本音が口をついてしまった」


 とぼけてそう言うと、明日香はさらに不機嫌そうな顔になった。


「こ、この……!」

「まあまあ」


 直斗が苦笑しながら間に入る。

 明日香はハッとして、


「あ、えっと……直斗先輩はこれから帰りですか?」


 手の平を返したように口調と表情が変わった。

 わかりやすいヤツである。


「うん。明日香ちゃん、部活は?」

「今日はお休みです。うちのバレー部が他の学校と練習試合をしてて。あ、他の学校のバレー部との練習試合です」

「当たり前だろ。他の学校の将棋部と練習試合してたら怖いぞ」


 俺の言葉に明日香の眉がピクッと動いた。

 が、どうやら彼女は俺を無視することに決めたらしい。


「直斗先輩が高等部に行っちゃってからは練習にもあんま身が入らないです。先輩に見てもらいながら練習するのが楽しかったのに」


 直斗は笑って、


「僕をおだてても何も出ないよ」

「嘘じゃないです! 友だちもみんな言ってます!」

「そっか。ありがとう」


 社交辞令的にさらっと流した直斗を見て、俺は目頭の熱くなる思いがした。


(明日香よ、なんと哀れな……)


 初見でもおそらくはわかるだろう。

 この明日香という後輩の少女は、中等部時代からの直斗の追っかけなのである。


 中等部に入って早々、その頃男子バスケ部のキャプテンとして活躍していた直斗に一目ぼれし、その追っかけとして女子バスケ部に入部。

 後に男子バスケ部のマネージャーになればよかったと気づき血の涙を流した(らしい)が、直斗はすでにバスケ部を引退した後だった。


 明日香にとって幸いだったのは、直斗が引退した後も不思議と縁が切れなかったことだろうが、こうしてたびたび間接的なアプローチを続けても当の直斗はまったく気付く気配がない。


 それどころか、『妹ができたみたいで嬉しいよ』などと屈託のない笑顔でのたまう始末。


 そうこうしているうちに直斗は高等部に上がってしまったのだが、それからもこうしてたまに姿を見かけるとすぐに駆け寄ってくるという忠犬ぶりだ。


 まったく哀れで可愛いやつである。


「明日香ちゃんの家って途中まで一緒だったっけ? じゃあそこまで一緒に行くかい?」

「はい!」


 そうこうしつつ、明日香はちゃっかりと直斗の隣をキープして歩き始めた。


(……さて、俺はどうしたもんかな)


 そんなふたりの後ろを歩きながら、俺は考えていた。


 本当なら気を遣って退散すべき場面なのかもしれない。

 が、残念なことに、俺は明日香以上に直斗と帰り道が一緒である。


 別に純情な彼女をからかって遊ぼうなんて不埒な考えは毛ほどもないのだが、帰り道が一緒なのだから仕方ないだろう。

 ああ、残念だ。


 そうして俺がチャンスをうかがう――もとい、ふたりのやり取りを温かく見守っていると、明日香が前方を見つめて、


「あ……」


 と、小さく声をもらした。

 俺はその反応を目ざとく見つけ、彼女の視線の先に目を移して、


(……ああ)


 その人物の正体を知って納得した。


「おお、あそこに見えるは、明日香の恋敵の――」

「! ちょっ……優希先輩!?」


 明日香が過剰に反応する。


「どうしたの?」


 直斗は不思議そうに前方を見て、


「あれ? 由香じゃない?」


 小さな歩幅でやや下向きに歩くポニーテイルの制服姿。

 幼なじみの俺たちが見間違えるはずはない。それは紛れもなく由香の後ろ姿だった。


「そうだな。あれが明日香の恋敵の――もごっ」

「優希先輩! ちょっと、こっち!」


 俺は明日香に口を塞がれ、そのまま力任せに近くの路地に連れ込まれた。


「?」


 直斗は怪訝そうな顔をしていたが、明日香はぎこちない笑顔でそれに応え、ズルズルと俺を路地の奥まで引っ張っていく。


「……コホン」


 そこでようやく口を開放された俺はちょっと咳払いして、


「おい、明日香。いくらこんな薄暗いところに引っ張り込んで誘惑しようと、ほぼ小学生のお前にはさすがに欲情せんぞ」

「ほぼ小学生ってなんですか! つか、死んでもそんなことしませんし!」


 死んでも、とは、なかなかひどい言われようである。


「ということは、かつあげか? 金なら無いぞ。月半ばにも関わらず俺の財布は早くも開店休業状態だ」

「違いますし、そんなどうでもいいこと聞いてません!」

「ふむ」


 俺の推理によると、明日香はどうやら怒っているようだ。

 しかしその理由まではまだはっきりしていない。


「一目瞭然ですし!」


 しまった。

 どうやらまた考えが声に出ていたらしい。


 明日香は本当に噛み付きそうな勢いで迫ってくると、


「優希先輩! 何度も言ってますけど、直斗先輩の前で余計なことは言わないでくださいよね!」


 ものすごい剣幕だった。

 直斗に聞こえているんじゃないかと心配になってしまう。


「余計なことを言ったつもりはないのだが……ただ、お前が日ごろから由香のヤツをライバル視しているみたいだったから、それを直斗に教えてやろうと――」

「それが余計なことだって言ってんの!」


 ついに敬語ですらなくなってしまった。

 しかし、まぁ。


「どうでもいいがな、明日香」

「え?」


 少し真面目な声を出すと、明日香は戸惑ったような顔をした。


「マジな話、由香のヤツに勝ちたいんだったら、フランス料理のフルコースぐらい作れるようにならないと無理だぞ?」

「え? な、なんですか、それ?」


 きょとんとしている。

 俺は言った。


「直斗のヤツは確かに今フリーだが、家庭的なスキルを持つ女の子を好む傾向がある。その点、由香のヤツは料理はほぼ完璧だし、家事も普段から母親以上にこなしている。それを基準に考えると、こう言っちゃなんだが、お前が由香に勝ってるところが現時点ではひとつもないんだ」

「うっ……」


 反論できずに、明日香がたじろぐ。


 まあ、由香のヤツを恋敵だと思い込んでいることがそもそも間違っている気もするが、もちろんそれは口にしない。

 100パーセントないと言い切れるわけじゃないし、なにより言わないほうがおもしろそうだ。


「で、でも私はまだこれからなんです! 料理どころか家事みたいなことだって、きっと2年後には全然できるようになってたりするんだから!」

「日本語が怪しいぞ? 大丈夫か?」

「いいの!」


 顔を真っ赤にして反論してくる明日香に対し、俺は極めて冷静に言った。


「日本語はいいとしても、2年後もお前はお前のままだと思うぞ、俺は」

「むっか~! いいわよ! 見てなさいよ!」


 とうとう明日香はぶち切れてしまったらしい。

 頭から湯気を発しながら身を翻して路地を飛び出していく。


(まどろっこしいヤツだなぁ……)


 成功するかどうかはともかく、直斗みたいなヤツにはもっとストレートに攻めなきゃならないのだ。

 しかしそこはまあ、単純そうに見えてもやはり恋する乙女ということなのだろうか。


「あ、出てきた」


 明日香の後を追って路地を出ると、そこには直斗と、おそらく直斗が呼び止めたのであろう由香の姿もあった。


「こんにちは、明日香ちゃん。久しぶりだね」


 屈託のない笑顔で声をかける由香。

 だが、明日香はなにも言わずにズンズンとふたりに歩み寄っていった。


「?」


 不思議そうに顔を見合わせる直斗と由香。


(ここで明日香のヤツがかみ付いたりすると面白いが――)


 と思ったが、さすがにそれはなかった。

 その代わり、


「直斗先輩! 私、明日からお弁当を作ってきますから!」

「え?」


 これにはさすがの直斗も呆気に取られたようだ。

 ここまでの流れを知らない由香も同様にポカンとしている。


「明日のお昼は教室で待っててくださいね! 絶対ですよ!」


 明日香はそう言いながら俺に挑戦的な視線を向け、直斗に軽く頭を下げて、軽快な足音とともに走り去ってしまった。


(……面白いヤツだ)


 本当に単純というかなんというか。

 しかしまあ、これはこれで進展の見込みが出てきたのではないだろうか。


「……優希。明日香ちゃんになにを言った?」


 直斗が疑いのまなざしを向けてくる。


「お弁当って言ってたけど、料理ができなきゃダメとかなんとか言ったんじゃない?」

「まあ、言ったような、言わなかったような」


 俺は言葉を濁したが、肯定したも同然で。


「はぁ……」


 直斗が呆れたようなため息をついて。

 由香は最後の最後までわけがわからずに、ただきょとんとしていたのであった。






 家に戻った俺は椅子に腰かけてゆっくりと息を吐いた。


 開けっ放しの窓からはそよ風が流れ込んできてカーテンを揺らしている。

 かすかに涼やかさを残したその風は、外から帰ってきたばかりで火照った体に心地よかった。


 考え事をするには最適の環境だ。


 ――先月の事件から半月が経った。


 その間、それに関連したできごとはなにひとつ起きていない。

 悪魔狩りからの接触もなかったし、あいつがなにかあったときに相談しろと言っていた神村さんも、学校の廊下で会っても視線も合わせずにすれ違うだけだ。


 あえてヤブをつつくべきか。

 それとも知らんぷりを貫き通すべきか。


 正直迷っている。


 以前と同じように暴走悪魔たちの退治を続けるのであれば、こちらから動いて悪魔狩りのことを調べるべきだろう。

 なにもわからないままでは、また同じことが起きないとも限らない。


 が、同時にそれがヤブ蛇になってしまわないかという不安もある。


(……神村さん、か。一度接触しておくべきかな)


 神村沙夜。

 中3のときに同じクラスだったらしいが、これまで俺との接点はほとんどなく、先日直斗と一緒にいたときも結局まともに話をしていない。


 楓と連絡を取る方法がない以上、悪魔狩りの情報を得るには彼女と接触してみるのが一番だろう。


「さて、どうしたもんか……」

「……ねえ。考え事をしている最中申し訳ないんだけど」


 と、せっかく真面目なことを考えていた俺を現実世界へと引き戻す声があった。


「ん?」


 顔をあげると目の前には瑞希が立っていた。

 制服姿のままであるところを見ると、どうやら帰宅したばかりらしい。


「よう。おかえり、瑞希」

「……」


 瑞希はなにやら呆れた顔をしている。


「おいおい、どうした? 俺は今とても真面目なことを考えているんだ。用がないのなら邪魔をしないでくれ」


 そう言うと、瑞希は眉間に皺を寄せ、腰に手を当てて言った。


「考え事をするのは別に構わないわ。でも、場所を考えてやってくれる?」

「場所?」


 俺は椅子に座ったまま部屋の中を見回す。


 まず気が付いたのは、そこが非常に狭い場所だということだった。

 俺の部屋は8畳ほどの広さがあるのだが、そこは1畳ぐらいの個室で、両手を広げれば対面の壁を同時に触れるほどの狭さだ。


 壁には貼った記憶のないカレンダーが飾ってある。


 さらに観察を続けてみた。

 カーテンの揺れている窓は子猫がやっと通れるぐらいの隙間しかないし、俺の座っている椅子の背後には水のタンクのようなものが設置されている。


 決定的だったのは右手の壁に設置してある、柔らかい紙をぐるぐるに巻いた物体。

 誰がどう見てもトイレットペーパーだ。


 そして目の前のドアは大きく開かれていて、そこに瑞希が仁王立ちしているのだった。


 俺はハッとして、


「み、瑞希! お前、まさか俺のトイレを覗きに!?」

「っ……んなわけないでしょ!」


 不意打ちが見事に決まったらしく、瑞希は珍しく顔を真っ赤にした。


「トイレのドアが開きっぱなしだったから様子を見に来たのよ! だいたいあんたズボン履きっぱなしじゃないの!」

「言い訳するな。俺がズボンを履いていたのは結果論にすぎないじゃないか。すっぽんぽんになっていたらどうするつもりだったんだ?」

「くっ……じゃあなに? あんたはドアを開けたままトイレで用を足すっていうの?」

「俺だって人間だ。忘れることはある」

「この……」


 瑞希が動揺している。

 なんだかちょっと楽しくなってきてしまった。


 実際のところ、俺の言うとおりだったとしても瑞希のほうにはなんの非もないだろう。

 というか、社会的にはむしろ俺がわいせつ物なんちゃら罪で責められることになりそうだが、ある程度の治外法権が発生する家庭という場においては、勢いで押してしまったほうが勝ちである。


「エッチなやつだなぁ、瑞希は。俺もまさか自宅の便所を同居人にのぞかれることになろうとは夢にも思わなかったぞ」


 俺は調子に乗って続けた。


「これはあれだな。俺の貞操を守るための家族会議を開催する必要があるな。こんなエロ女が近くにいたんじゃおちおち用を足すことも――ん?」


 ゆらり、と、瑞希の影が不気味に揺れた。

 本当はこの直前あたりでやめておけばよかったのである。


「いい加減に、しろォォォッ!」

「ぐはっ!」


 ゴリィッ! という、なんとも無惨な音が俺のあごの辺りで高らかに響いた。

 プロの格闘家も真っ青の鋭い飛び膝が直撃したのである。


 ガンッ!


「いてぇっ!!」


 ついでに背後の水タンクに後頭部をぶつけてのダブルパンチだ。


「……ぎぎぎぎぎ」


 俺は後頭部を押さえながらうずくまり、そのまま瑞希をにらみ上げると、


「おま……手加減ってもんを知らんのか! 死んじまうだろっ!」

「そのまま死ねッ!」


 瑞希は俺以上の剣幕で怒鳴り返してくると、肩を怒らせながらリビングのほうへと消えていく。

 どうもやりすぎてしまったようだ。


(……瑞希さんは基本的に下ネタNGらしい……マル、っと)


 そして俺は痛みをこらえながら、心のメモ帳にその事実を書き記しておくことにしたのだった。


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