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双子兄妹の悪魔学園記  作者: 黒雨みつき
 第1章 復讐
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2年目1月「三毛猫」


 冬休みもわずか数日を残すところとなった、とある日の昼下がり。


 カランカラン。

 年季のせいか少しだけ濁った鈴の音を鳴らしながらドアを開けると、まったりとしたコーヒーの香りが鼻の奥を刺激した。


「いらっしゃいませ。……あ」


 客にコーヒーらしきものを運んでいたウェイトレスが、俺の姿を見て少し驚いた顔をする。

 俺はそのウェイトレスに向かって片手をあげて、


「よぅ、がんばってるか?」

「いらっしゃい、ユウちゃん」


 ウェイトレス姿の雪がニッコリと微笑んだ。


 ここは喫茶店"三毛猫"。

 去年の暮れあたりから雪がちょこちょことバイトに出ている喫茶店である。


「おや、いらっしゃい」


 カウンターの中では店主がイスに座って本を読んでいた。

 小さいころから見知っている70歳近いバアさんだ。


「ども。元気そーですね」


 客の数はそれほどでもなかったが、ひとりでテーブル席を占領するのも気が引けたので、バアさんのいるカウンター席に座ることにした。


「ご注文はどうなさいますか?」


 カウンターに座った客にはバアさんが注文を取るのが普通なのだが、今は空いているということもあってか雪が注文を取りにきた。


 言葉遣いは他の客に接するものと同じだが、顔はちょっと笑っている。

 営業スマイルではなく、おかしさをこらえているといった様子だ。


「あー、いや、暇だったから様子を見に来ただけなんだが。……なんか適当に」


 1杯ぐらいは注文していけというバアさんの無言の圧力を感じ、仕方なく紅茶を注文することにした。


「かしこまりました」


 そんな俺とバアさんの無言のやり取りに気づいたのか、雪がやはりおかしそうに笑いながら奥のほうに引っ込んでいく。


 雪の背中を見送りながら、俺は小声でバアさんに尋ねた。


「あいつ、ちゃんとやれてます?」


 バアさんが本から顔を上げて、チラと俺を見る。


「助かってるよ。真面目な子だからね。あんたと違ってさ」

「あー、はいはい。周りの大人はみんな似たようなこと言うんすよ。見る目がないったらありゃしない」

「あんたの自覚がなさすぎるんだ」


 と、バアさんは銀歯を見せて笑った。


「まあ、でもそうさね。あの子が来てちょっと困ったこともある」

「どうしたんです?」

「飲み物1杯で長居する若い子が爆発的に増えちまった」

「……そーっすか」


 兄としてはそう言って笑うしかない。


 まあ予測できたことだ。

 別の高校に行った中等部時代の知り合いなんか未だに会うたびに雪の近況を尋ねてくるし、今の高等部にもファンだったやつは何人もいる。


 だからここでバイトする話が出たときに、多少はそういう連中も来るかなとは思っていた。


 ただ、幸いにしてバアさんはそれほど迷惑に感じていないようだ。


「なんにしてもひとりで続けるにはちょっときつくなっていたからね。あたしにとってはありがたい話だったよ」

「足、あんまよくないんですか」


 こうして見ている分には元気なのだが、どうやらバアさんは足腰がかなり弱くなっているらしい。

 性格は昔から少しも変わらず元気すぎる人なのだが、やはり歳には勝てないようだ。


「まぁね。この店も本当は近々たたもうかと思っててさ。息子夫婦も『そろそろこっちに来ないか』ってうるさくてね。でも」


 と、バアさんは店の奥に視線を送った。


「せっかく身近に有望な後継者がいたんだ。閉める前に色々教えてやろうかと思ってさ」

「後継者、ねぇ」


 将来は喫茶店を経営したいという夢を、雪はすでにバアさんに話したらしい。

 そうでなければ近々閉めようとしている店でわざわざバイトとして雇ったりはしないだろう。


「あの子は要領がよすぎて逆に教えがいがないけどね。あんたみたいにデキが悪いぐらいのがちょうどいいのかもしんないな」

「……平然と客の悪口を言うクセだけはあいつに教えないでくださいよ」


 憮然としてそう言うと、バアさんはまた銀歯を見せながら笑った。


「どうしたの?」


 そこへ雪が不思議そうな顔をしながら戻ってくる。

 手にはケーキの乗った皿を持っていた。


「はい、ユウちゃん」

「なんだ? 注文してないぞ?」

「試作品だから、私のおごり」


 差し出されたケーキは四角いショートケーキだった。

 イチゴがたくさん挟まったスポンジケーキの上に白いクリームと鮮やかな赤のイチゴジャムっぽいものが乗っており、さらに宝石のような光沢を放つイチゴが添えられている。


「イチゴだらけだな」

「うん。春をイメージしてみたの。そのころに季節のメニューとして出せればいいなと思って」

「イチゴって春の果物だっけ」


 適当に相づちを打ちながらフォークを手に取る。

 残念ながら、俺みたいな季節感のない人間にはまったく伝わらないイメージだった。


「俳句だと初夏の季語なんだけど、お店のイチゴフェアとかは年明けから春ぐらいによく見かけるかな。今じゃあまり季節感のない果物になっちゃってるのかも」

「ふーん。年明けって、まさかクリスマスケーキ用の余ったイチゴを使ってるんじゃないだろうな」

「どうかな?」


 雪が笑いながらバアさんを見る。


「ウチはそもそもクリスマスケーキなんて作らないからね。余りもんは使ってないよ」

「いや、わかってますって。ここのことじゃなくてもっと一般的な話っす」


 バアさんと一緒に作ったのだろうか。

 ケーキはいつもよりさらにおいしい感じた。


 ……カランカラン。


 鈴が鳴って客が入ってくる。


「いらっしゃいませー」


 雪が俺のそばを離れ、水を持って注文を取りに行った。


 これからちょうど午後のおやつタイムだ。

 そろそろ客が増えてくるころだろう。


(けど……飲み物一杯で長居する客が増えた、か)


 爆発的に増えたというのはバアさんの誇張が入っているとしても。

 少なくとも何人かは、本当にあいつ目当ての客がいるのだろう。


 何事もなければいいが、と、少し心配になったのは、中等部時代に実際そういう類のトラブルがいくつかあったからだ。


 だいたいは俺が秘密裏に処理してきたので雪本人に自覚はないはずだし、そもそもあいつが悪いわけでもないのだが、まだ未熟な学生ということもあって中には信じられないような行動に走るやつもいた。


 普通に好きになったとか告白するだとかは好きにやればいいと思う。

 ただ、その範囲を超えてくる連中がたまにいるのが困りものなのだ。


 最近は女子校に行ったおかげかそういう類のトラブルは影を潜めていたが、こうやってバイトなんかをするようになって、またなにか起きたりするんじゃないか、と、そう思ったわけである。


(……って、こんなこと考えてるから過保護だのシスコンだのって言われるんだよな)


 からかう藍原の声が聞こえたような気がして、俺は小さく首を振った。


 高校生といえばもう半分大人である。今は俺が守ってやらなくても、大抵のことはあいつ自身の力で解決できるはずだ。

 いや、言ってみれば中等部のころだって、案外余計なおせっかいだったのかもしれない。


 バアさんが言うように普段からしっかり者であるあいつが、俺に対してだけはいまだに昔のように甘えてくるのは、そういうところにも原因があるのだろう。


(……いい加減、直していかないとなぁ)


 と。

 そんなことを考えながら半分ぐらい残った紅茶をかき混ぜていて、ふと気づく。


「……なぁ、バアさん。あれ」

「ん? ……ああ」


 バアさんもすぐに俺の言いたいことを察したらしい。


「よく見る顔だよ。ここ最近」

「ふぅん。あれがねぇ」


 注文を取りに行った雪がいつまで経っても戻ってこないと思ったら、つい先ほど入ってきた客のテーブルで小さく首をかしげていた。


 見ると、客はちょうど俺たちと同い年ぐらい。おそらくは高校生だろう。

 注文とは関係のないことをしきりに話しかけているらしく、雪はなかなか切り上げてこられないようだ。


 つまり、あれがバアさんの話にあった、雪に会いに通っている男のひとりということだろう。


 とはいえ、まあ。

 今のところはトラブルという雰囲気でもないし、あえて口を出すほどでもなさそうだ。

 男は機嫌よさそうにしゃべっているし、多少の世間話に付き合う程度なら仕事のうちだろう。


 俺はぬるくなった紅茶を一気に飲み干し、カウンターに代金を置いて立ち上がった。


「ごちそうさま。雪のこと、よろしく頼みます」

「ああ。またおいで」

「……あ」


 店を出ようとしたところで雪がこちらの動きに気づき、まだしゃべり続けていた男に断ってこちらに駆け寄ってきた。


「ありがとうございました。またお越しくださいね」


 やはりちょっと冗談めいた口調で言う。


「気が向いたらな」


 そんな雪に苦笑を返し、俺は軽く手を上げて喫茶店を出たのだった。






「休みは休みでヒマなもんだなー」


 喫茶店を出て、約2時間後。

 ゲーセン、CDショップと渡り歩いて、外は赤い夕日の景色になっていた。


 今日は直斗も将太も都合が悪く、本来なら俺も家の中でゴロゴロしながら歩をからかって遊ぶ予定だったのだが、瑞希の部活の連中が家に遊びに来ていたので居たたまれなくなり、こうして目的もなくあブラブラしてどうにか時間を潰していたというわけである。


「……お、ジャストタイミングか」


 そうして家路をたどる途中、なにげなく"三毛猫"のそばを通ってみると、ちょうど雪が私服に着替えて店から出てくるところだった。


「よぅ、ご苦労さん」

「あれ? どうしたの?」


 振り返って不思議そうな顔をする雪。


「迎えに来てやったぞ」

「ん、と……」


 小首をかしげている。

 今までバイト帰りにわざわざ迎えに来たことなんてなかったし、この反応も当然だろう。


「……うん。ありがと」


 少し考えた末、雪はそう言って微笑んだ。

 おそらくは遊んだ帰りについでに寄っただけと察したのだろうが、それでも一応は嬉しそうだった。


 もちろん、そういう反応は俺としても悪い気はしないわけで。

 こいつのこういうところが、俺に必要以上の世話を焼かせる要因のひとつなのかもしれない……と、ひとまず言い訳しておこう。


「じゃあ帰ろっか?」


 そう言って雪はそっと俺のそでをつかんだ。


「……お前さ。そういうのそろそろやめねーか?」

「そういうのって? ……あ、これ?」


 と、雪はつかんだ俺のそでを小さく揺らしてみせる。


「思い切って手を握っちゃったほうがいい、って意味かな?」

「……んなわけねーだろ」


 誤解のないように言っておくが、手を握って歩いていたのは幼稚園ぐらいまでである。

 小学校に上がると俺のほうがそれを恥ずかしいと思うようになり、やめさせようとしたらこいつがグズったので、代わりにこうしてそでをつかませるようになったのだ。


「じゃあ腕を組む?」

「だから勝手にランクアップすんなって」

「だって私たち、付き合い始めてもう17年」

「やめい!」


 間違ってはいないが、100人中100人に誤解を生む言い回しだ。

 もちろん本人はわかっててやっているのだ。


「だからだな。要するに、こういう子どもっぽいことから卒業したらどうかっていう、ひとつの提案だ」


 少し真面目にそう言うと、雪は小さくうなずいて、


「ユウちゃんが迷惑だったらいつでもやめるよ」

「いや、迷惑とかじゃなくな」


 ……ああ、だめだ。

 ここで否定するから過保護だのなんだのと言われてしまうのだ。


「迷惑じゃないならいいよね?」

「あー、いや、待て待て。今のナシ」


 俺は心を鬼にすることにした。


「だいたいアレだぞ。俺だっていつまでもお前のそばにいられるわけじゃないんだ。そろそろ兄離れっつーか、なんというか。いや、家のことを任せっぱなしの俺が言うのも説得力ないんだけどさ」

「どこか遠くに行く予定でもあるの?」


 雪がきょとんとした顔をする。


「いや、すぐにどうこうじゃねーけど、ずっと一緒ってわけじゃないだろ」

「私はそれでもいいんだけどな」

「ほら、そういうとこだって」


 冗談か本気かわからないが、ここはある程度本気だと考えて答えることにした。


「そうじゃなくても、たとえば俺が事故で死んじまったりしたらどうすんだ? 人生なにがあるかわからんぞ?」

「大丈夫。そうなったら一晩泣いてちゃんと寝るよ」

「寝る?」


 怪訝な顔をすると、うん、と、雪は真面目な顔でうなずいて、


「ゆっくり寝て、起きてね。それで、ああ、夢じゃなかったんだって確認したら、一番楽に後を追える方法を探すの」

「……やめてください、雪さん。割とガチで怖いです」


 もちろん冗談なのはわかっている。

 ただ、そういう冗談を平気で口にしてしまえることがそもそも問題なのだ。


 雪はおかしそうに笑って、


「じゃあ事故に遭わないように気をつけてね」

「いや、事故じゃなくて病気ってことだってあるだろ」

「それならきっと大丈夫。私のほうが体弱いから」

「……あーっと」


 論点が完全に迷子になっていた。


 やれやれ、と、あきらめて肩を落とす。

 そでは今もつかまれたまま。


 結局はぐらかされたというオチだ。


 とはいえ、とりあえず俺の言いたいことは雪に伝わっただろう。

 それを理解してもなお今のままがいいというのなら、さしあたってそれを拒む強い理由はなかった。


 そうしていつもどおりに並んで歩き出す。


「そういえばユウちゃん聞いた? 瑞希ちゃん、そろそろ部活の大会があるんだって」

「ああ……それで珍しく部活の連中を家に呼んでたのか。……ん?」

「どうしたの?」


 立ち止まって後ろを振り返った俺に合わせ、雪も少し遅れて足を止めた。


「……今、誰かこっちを見てなかったか?」

「え? ううん、気づかなかったけど」


 不思議そうに俺の視線を追った雪は少し考えて、


「ユウちゃんのことが好きな可愛い女の子とか?」

「甘いぞ、雪。そんな都合のいい女は俺の妄想の世界にしか存在しない」

「……なにそれ」


 雪はおかしそうに笑った。

 俺も笑い返しながら、もう一度だけ背後を見る。


 誰もいない、が――。


 正面に向きなおって、歩き出す。


(……気のせい、だといいんだけどな)


 一瞬だけ背中に感じた気配。

 それは、まるでこちらをじっと監視しているようなそんな嫌な気配だったのである。


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