2年目12月「決着」
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轟音と衝撃。
それは周囲の森に住むすべての生き物たちを震え上がらせるほど強大な力のぶつかり合いだった。
わずかに消耗しているとはいえアイラはまだ充分に余力を残しており、いくらユミナの力を借りているとはいえ、単純な力比べでは唯依に勝ち目はないだろう。
……と、考えていた。
が、しかし。
(……え?)
その手応えに唯依は戸惑っていた。
右手に感じた気配はあまりにもろく。
唯依が放った"狂焔"は、いともたやすくアイラの雷撃を押し返していたのだ。
「アイラさん……?」
楓との戦いでそれほどに消耗していたのか。
あるいはすでに戦意を喪失していたのか。
真相は、わからない。
ただ。
「ッ……」
また前触れもなく目の奥が熱くなって、唯依の視界が歪んだ。
(……力が消える。母さんの力が……)
雷撃を押し返した"狂焔"はアイラの体を一瞬だけ包み込むと、唯依の意志とは関係なく消滅した。
しかし、焦る必要はなかった。
涙で歪んだ視界の中、アイラはゆっくりと地面に膝をついていたのだ。
「アイラッ!」
叫んだのはクロウだ。
その盲目の瞳にも彼女の敗北する姿がしっかりと映っていたのだろうか。
唯依は崩れ落ちるアイラに駆け寄ってその体を抱きとめると、
「……亜矢は返してもらいます」
クロウを牽制しながら唯依はそう宣言した。
盲目であるクロウに戦える力があるとは思えなかったが、それでも気をゆるめることなく。
そんな唯依に、楓がゆっくりと歩み寄っていく。
「その男のことは気にするな。貴様はさっさとその女を元に戻せ。邪魔はさせない」
「はい」
唯依は安心して腕の中のアイラへ視線を落とした。
完全に意識を失っているのか、目を開けることも抵抗することもない。
そんなアイラの額に手を当てて、唯依は集中した。
(……アイラさん)
彼女の存在を消してしまうことにためらいがないわけではない。
しかし、唯依はすぐにその未練を振り切った。メリエルやミレーユのときと同じく、彼女たちを止めるにはもう、それ以外にないのだ。
(さよなら……アイラさん)
心の中でそっとつぶやき、唯依は手の平から力を流し込んでいく。
――集中し始めた唯依を横目で見つめながら。
「あと一歩というところだったな」
楓はそう言ってゆっくりとクロウに歩み寄っていく。
「……」
クロウはなにも答えず、ただ黙って盲目の瞳を唯依に向けているだけだった。
抵抗する様子はない。
と、そこへ。
「……おっと。もう終わっていたか」
タイミングがいいのか悪いのか。
場にそぐわない軽い口調の男が近くの茂みから姿を現す。
「青刃。貴様か」
「間に合ってくれたみたいだな、楓」
青刃はぐるっと辺りを見回して状況を確認し、最後に唯依とその腕の中で意識を失っているアイラに視線を止めると、
「やれやれ。ホントならピンチにさっそうと登場したかったんだがな。どこから紛れたのか敵の集団と遭遇して手こずっちまった」
「ふん。お前みたいな間抜けの力など最初からアテにしていない」
楓は鼻を鳴らして冷たく言い放つと、親指で本殿のほうを指し示した。
「沙夜はあっちに避難してる。ダメージもそこそこ深い。せめて最後ぐらいは護衛役の仕事を果たしてきたらどうだ?」
「おい、それじゃ俺が今まで遊んでいたみたいじゃないか。……見てくれよ、この格好。これでも結構ギリギリのラインをさまよってきたんだぞ?」
「知らん」
本当に興味がなさそうな楓の返答に、青刃は肩をすくめて苦笑する。
そして動けずにいるクロウを一瞥すると、沙夜のいる本殿のほうへと足を向けた。
さらに数分後。
「楓ッ!」
もうひとつ、足音が近づいてくる。
「今度は貴様か」
やってきたのは緑刃だった。
その戦闘装束は泥にまみれ、体のあちこちには青刃以上の負傷の跡があったが、青刃と違ってそれをアピールするようなことはなく、まずはクロウと唯依の腕に抱かれているアイラに視線を送り、それからホッと息を吐いた。
「どうやらうまくいったらしいな」
そう言った緑刃の腕が流れるように躍る。
空気がうねり、見えない糸がクロウの全身を拘束した。
クロウは糸に捕らわれる瞬間だけピクッと反応したが、それ以上は抵抗せずにされるがままだ。
「楓。こっちはもういいぞ」
その緑刃の言葉に、楓はクロウに向けていた腕をゆっくりと下ろす。
「光刃様はどうした?」
「本殿にいる。もう青刃のやつが行った。派手にやられていたが、ま、あの程度で死ぬようなら悪魔狩りなんてやめちまったほうがいいな」
「そうか。ならよかった」
突き放すような楓の言い方から逆に大丈夫だと判断したのか、緑刃は安堵の表情を浮かべると、今度は唯依に歩み寄っていく。
ちょうど唯依が集中を終え、深い息を吐いて顔をあげたところだった。
「唯依くん、君も本当にご苦労だった。今回の状況を乗り切れたのは君のおかげだ」
「……あ、いえ。僕はただ、亜矢たちを助けたかっただけですから」
そんな唯依を見て、緑刃は少し怪訝そうな顔をする。
「どうした? どこか痛むのか?」
「え? あ。ああ……」
唯依はハッとして目尻にたまっていた涙を拭う。
「なんでもないです。ホッとしたら涙が出てきちゃって」
「……そうか」
納得した様子ではなかったが、緑刃はそれ以上の詮索をしなかった。
そこへ楓が声をかける。
「おい、緑刃。優希たちはどうした?」
「心配ない。優希くんのダメージが大きかったのでその場で少し休んでもらっている」
「そうか。……だったら俺はもう用はない。そろそろ帰らせてもらうぞ」
「行くのか? 光刃様には?」
「俺は医者でも看護師でもねぇからな。怪我人にわざわざ会いに行く理由があるか?」
「……いや」
緑刃は苦笑した。
「いつもすまんな。助かっているよ、楓」
「……ふん」
楓が背を向ける。
少しだけ和やかな空気が流れた。
厳しい戦いを無事に切り抜けたのだという安堵感。
唯依が思い出したように、
「そうだ、緑刃さん。亜矢を寝かせる場所をお借りできませんか。それに舞以と真柚も迎えに行かないと……」
「そうだな。優希くんたちにも作戦の成功を知らせよう。少し待ってくれ」
緑刃が小さくうなずいて本殿のほうへ足を向けた。
楓がそれとは逆の方向へ歩き出す。
唯依はあごを上げ、深い息を吐いて雲のない綺麗な星空を見上げた。
そして。
……一閃の光が、そのわずかにゆるんだ空気を引き裂いた。
「なんだ……ッ!?」
唯依が空から視線を下ろす。
楓が足を止めて振り返る。
緑刃は正面の空を、見上げた。
突如、ほとばしった強烈な光。
その場にいた全員が瞬時に緊張をみなぎらせる。
「これは……」
真っ先にそうつぶやいたのは緑刃だった。
光がほとばしったのは沙夜と青刃がいる本殿の方向。
そして緑刃はその光に覚えがあった。
「まさか……バカなッ!」
緑刃が駆け出す。
「光刃様ッ! 青刃ッ!」
「え……えっ?」
唯依は状況を理解できず困惑するだけだった。
ただ、それがかなりの非常事態だったということは、緑刃がクロウのいましめを気にすることなくその場を離れてしまったことからたやすく想像できた。
「……」
一瞬動きを止めていた楓も、険しい表情で緑刃の後を追う。
結局その場から動かなかったのは亜矢を抱きかかえたままの唯依と、持ち主をなくした糸に全身を拘束されたクロウだけだった。
「……なるほど、な」
そのクロウがポツリとつぶやく。
唯依はそんな彼に怪訝な視線を向けた。
クロウは少しだけ複雑そうに。
しかし口もとにはかすかな笑みを浮かべて言った。
「結局はしてやられたというわけだ。我々も、悪魔狩りも」
「してやられた? それって、どういう――」
その唯依の問いかけにクロウが答えるよりも先に。
「ッ!」
さらにほとばしる、光。
まばゆい光。
「いったいなにが……」
つぶやきながら唯依が視線を上げると、そこには。
「……なんだ、あれ……」
新たな異変を告げる巨大な光の柱が、本殿から星のまたたく夜空に上っていくのが見えた。