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双子兄妹の悪魔学園記  作者: 黒雨みつき
 第2章 妹と悪魔狩り
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1年目5月「神だのみ」

「不知火優希。君に対してはなんの命令も受けていない。だから邪魔をせずに黙っていたまえ」


 黒装束の男は抑揚のない声でそう言った。


 悪魔狩り……人間に危害を加える悪魔を退治するという組織の人間。

 俺たちには関係のない話だと、ずっとそう思っていた。

 けど、今は――いや。


 俺はすぐに反論した。


「待てよ! 雪は人に危害なんか加えたりしねぇ!」

「……」


 リーダー格らしい男は無言で俺たちの背後に視線を送った。

 振り返ると、あの路地からもう一人同じ格好をした男が出てきて言った。


「男性の死亡を確認。氷魔による攻撃の跡があります」

「そうか」


 その言葉にうなずいて、リーダー格の男は言った。


「なにか言いたいことはあるか?」


 その言葉は俺ではなく、雪に向けられたものだった。

 そこに至って、俺とは違い悪魔狩りの存在自体を知らなかったはずの雪も、どうやらおおよその事情を察したようだ。


「……私、は」


 なにか言おうとしたが、語尾は小さくなって静寂の中に消えてしまう。


「答えられないのは、異論なしと受け取っていいな?」

「くっ……」


 今の雪には自分の正当性を主張できるほどの余裕はない。

 俺が代わりに何か反論しないと。


(しかしどう言えばいい……?)


 この男たちが悪魔狩りだとすると、雪のことを黙って見逃せないことは俺にも理解できる。


 ただ、そもそもあれは仕方のないことではなかったのか?


 先に悪意を向けたのは死んだ男のほうだった。

 雪は自分の身を守ろうとして、ただ力を制御しきれなかっただけだ。

 もちろん殺す気なんてなかっただろう。


 確かに死という重大な結果を見れば、防衛行動としてやりすぎだったのは認めざるを得ない。

 ただ、それは雪が一方的に悪いわけでもないだろう。


「待ってくれ! それは事故だ! こいつがこんなことを望んだわけじゃない!」


 だから俺は雪の代わりに口を開いた。

 話し合いでどうにか解決できないだろうかと、そんな期待を抱いて。


 だが。


「フン」


 それは、路地から出てきた男の冷たい一言で呆気なく崩れ去ることになった。


「力を制御できないのならこの世界に住む資格はないんだよ。お前たちのような化け物はな」

「っ……なんだと、てめぇ……!」


 嫌悪感にまみれた男の言葉は、俺の頭に血を昇らせるには充分だった。


「ふざけるなっ!」

「ユウちゃん!」


 雪の制止にも止まることはできず、拳を握り締めてその男に飛び掛る。


「……フン」


 だが、男は驚いた様子もなく右足を小さく後ろに下げると、


 ――ひゅっ!


 男の体が回転した。


「!?」


 本能的に危険を感じ、左腕で側頭部をガードする。


 風を切る音。

 直後、ガードした俺の左腕はたやすく弾かれ、そのまま側頭部に衝撃が走った。


「ぐは……っ!」


 目の前が一瞬真っ暗になる。

 体が地面を離れるのがわかった。


「ユウちゃんっ!」


 雪の悲鳴が薄暗い静寂の中に鳴り響いて。

 視界がぐるっとまわった後、俺の体は地面に打ち付けられアスファルトの上をぶざまに転がった。


 全身が鈍い痛みに包まれる。


「……おかしいな。こいつも悪魔の血を持っているはずだが、まるで普通の子供だな」

「ユウちゃん!」


 雪が駆け寄ってきた。


「っ、うっ……!」


 ゆっくりと身を起こす。

 そこで俺はようやく、自分が男の蹴りを食らったのだと理解した。


(なんて蹴りだ、こいつ……!)


 中学生のころ、空手部の先輩の蹴りを食らったことがあるが、それとは速さも強さも格段に違う。

 意識を失わずに済んだのは、とっさにガードして威力を止めた左腕のおかげだろう。


 地面に打ち付けられた右半身がひどく痛んだ。

 左のこめかみあたりもズキズキと痛む。

 地面を擦った右腕はシャツの肩口辺りから破け、そこから下、手首の辺りまでがにじんだ血で真っ赤になっていた。唇も切れたらしく、口の中は血の味でいっぱいだ。


「……そこまでにしておけ」


 リーダー格の男が、さらに俺に迫ろうとした男に制止の言葉を発した。


「彼の方は普通の人間かもしれん。忘れるな。我々の敵はあくまで、人々に危害を加える悪魔のみだ」


 そう言って雪を見る。


(……くそっ)


 男たちの話を耳の端に引っ掛けながら、俺はフラフラする頭を押さえ、雪の助けを借りながらなんとか立ち上がった。


「不知火優希」


 リーダー格の男が続けて言う。


「君はこのまま立ち去りなさい。君がいたところで我々の邪魔はできない。ただ怪我をするだけだ」

「……」


 俺は黙って男を睨みつけた。


 辺りが薄暗いせいで3人の男たちの顔はほとんど区別できなかったが、口調でなんとなく特徴が判断できるようにはなっていた。


 この比較的丁寧な口調の、リーダー格の男。

 俺に強烈な蹴りをくれた攻撃的な口調の男。

 それと、先ほどからほとんど口を挟まない無口な男。


 辺りの気配は……他にはいないように思える。


「冗談じゃねえ。ここでひとり逃げ帰るなんてできるかよ」


 状況を確認した後、俺は唇から流れてきた血を左手で拭い、口の中に溜まった血をプッと地面に吐き出した。


「……怪我をすることになるぞ」


 リーダー格の男が脅すように言う。

 俺は引かずに答えた。


「あんたらこそ、俺を怒らすと怪我をするぞ」


 全身に力を込める。

 もう悩んでいる場合じゃない。こいつらは本気で雪を殺すつもりだ。


 なら――


 腹の辺りから熱が広がっていく。


 ――戦うしかない。


 熱が全身に広がっていった。


「!」


 男たちの警戒が高まるのがわかった。

 もう後戻りはできない。


 俺の外見が変化する。

 髪は真紅に。

 右手には炎。


 "人"から"悪魔"へと。


「不知火優希……」


 リーダー格の男の声はさらに低く、警告するような声色に変わっていた。


「君がもしこの場でその力を振るうならば、我々は……」


 男がそこでいったん言葉を切ったので、俺はふん、と鼻を鳴らして割り込んだ。


「俺も抹殺対象になるってか?」

「その通りだ」

「……上等だッ!!」


 俺はそう言い捨てて、再び口の中に溜まっていた血を吐き出す。


「てめえの命が危険だからって、大事な妹を黙って差し出すような真似ができっかよッ! なめんじゃねぇ!」


 右手を前に出して手のひらを上に向ける。

 集中すると、その中心部に次第に熱いものが集まってきた。


 標的は――


(こいつだ……!)


 俺に蹴りを浴びせた、武闘派らしき男。

 こいつを制圧して、うまく逃げ出せれば。


(いけ……っ!)


 手のひらが熱くなり、生まれた炎の塊が男に向かって飛んでいった。


「!?」


 瞬時に反応し、後ろに飛んだ男の足元で炎が炸裂する。


 避けられたことは想定の範囲内。

 その間に俺は距離を詰めていた。


「っ……こいつ……」


 男が驚いた顔をする。


 俺の身体能力は人間の姿のときより格段に上がっていた。

 この状態ならさっきのようなことはない。


 炎を避けて体勢を崩していた男の懐に飛び込み、こぶしを握り締める。


 ――さすがに殺すのはまずい。


 わずかに力を抜いた。

 が、しかし。


「……!?」


 がしっ、と、俺の拳は途中で止められていた。


 動かなくなった腕。

 男は慌てた様子もなく、冷静に俺の手首をがっしりとつかんでいたのだ。


(今の動きについてくるなんて……こいつ本当に人間か……!)


 さらに背後からふたりがかりで押さえつけられる。


「っ……! てめぇら……!」


 全力で振り払おうとしたが、まるで万力で固定でもされたかのように動かない。

 とんでもないバカ力だ。


 なら、と、炎の力を集めようとしたが、


「ふ……っ!!」


 眼前の男のパンチが、俺のみぞおちに吸い込まれた。


「っ……! ぐふっ!!」


 鈍い痛みとともに胃液が逆流する。

 目の前が真っ暗になった。ひざに力が入らなくなって崩れ落ちる。


「……こいつは俺が抑えている。向こうをやれ」


 そう言ったのはリーダー格の男だろうか。

 意識が混濁して判別がつかない。


 雪がなにか叫ぶ声も聞こえた。

 おそらく俺の名前を呼んだのだろう。


 ……思い違いをしていた。


 普通の人間だから、と。殺したらまずい、と。

 そんな悠長なことを言っていられる相手ではなかったのだ。


 相手は悪魔狩り。

 俺たちがこれまで相手にしてきた暴走悪魔よりも、格上の相手だ。


 つまり――


 殺さなきゃ、殺される。


「大人しくしろ」


 力を込めようとすると、腕の関節に激痛が走った。


「悪魔とはいえ無用な殺生はしたくない。君の場合は大人しくしていれば、まだ……しばらく監視の目はつくだろうが、命まで奪われることはない」

「っ……」


 つかまれた手首が軋んだ。


(くそっ……どうすりゃいい……!)


 こんな日に限って俺の調子はどうやら最悪だ。

 おそらく力は1割も出ていないだろう。

 たとえ殺す気でやったとしても、この3人を相手にするのは不可能だ。


 となると、この場を切り抜ける方法はただひとつ。


「……雪!」


 俺は叫んだ。


「戦え! そいつらは本気でお前を殺すつもりだ! お前が本気でやりゃあ負けやしない!」

「なにを……!」


 背後の男の手に力が入り、口を塞ごうと俺の顔を地面に押し付けようとする。

 だが、俺は続けた。


「戦え! 雪!」


 雪は力の制御こそ未熟だが、力そのものが不安定な俺と違って常時大きな力を操ることができる。

 その強さは、俺が比較的調子のいいときでさえ半分にも及ばないほどのものだ。 


 相手の力はまだ未知数。

 それでもあいつがその気になれば、この場を切り抜けられる。

 その確信があった。


「雪! やれッ!」

「っ! いい加減にしろ! でないと君もこの場で……!」


 男が押さえつける腕にさらに力を込める。

 だが、俺は怯まなかった。


「へっ! 上等だっつってんだろうが、このタコ!」


 むしろ俺は抵抗の力を強めた。

 間接がさらに軋む。


「くっ……!」


 男がさらに力を入れる。


 外れなくてもいい。

 こうして抵抗し続けていれば、雪に向かう戦力を確実にひとり減らすことができる。

 自分の力でどうにかできないのはシャクだが、今はとにかくこの場を切り抜けることが最優先だ。


「雪! さあやれッ!」


 ……だが。


「……雪?」


 顔を上げた視線の先。

 それが雪の視線と重なって。


 雪は悲しそうな表情で俺を見ていた。


 ……嫌な予感。


「雪、お前……!」

「ユウちゃん……」


 俺の言葉を遮るようにして雪は言った。


「……無茶しないで」


 雪はまったく戦う素振りを見せなかった。

 ただ棒立ちになったまま。


 予感が確信に変わる。


「ユウちゃんまで巻き添えになることない。私は罪もない人を殺しちゃったんだから……この人たちは、なにも間違ったこと言ってないよ」

「ばっ……!」


 最悪だ。

 本当に最悪の展開だった。


「バカなこと言うなッ!!」


 あいつの性格と先ほどまでの取り乱しようを思えば、そういう結論に達するのは当然だった。

 俺だってその可能性に気づかなかったわけではない。

 いや、むしろその可能性が高かったからこそ、あえて考えないようにしていただけだ。


「……いい心がけだ」


 俺の腕を捕らえたまま、リーダー格の男は少しだけ口調を和らげた。

 雪がこっちを見たままで言う。


「お願い。ユウちゃんにはひどいことしないで」

「約束しよう。ただ……」

「っ!」


 会話の隙を突いて抜け出そうとしたが、まるで見透かされていたかのように再び地面に組み伏せられてしまう。


「我々が任務を終えるまでの間、こうして拘束しておくことは認めてもらいたい。でなければ、我々は君たちを両方とも退治してしまわなければならなくなる」

「……」


 雪は男を見て、静かに俺のほうを見る。

 そして、小さくうなずいた。


「っ……雪ッ!」


 頭の中が一瞬にして熱くなる。


「やめろ! ふざけるな、てめぇらッ!!」

「暴れるな!」


 さらに強い力でねじ伏せられる。

 動かない。

 強化された力をもってしても。


 まったく動けない。


「急げ。……なるべく苦しまないようにな」


 リーダー格の男が指示すると、他のふたりの男が小太刀に手を伸ばした。


「くっ……! 雪……雪ッ!!」


 駄目だ。


 雪は動かない。

 俺も動けない。


 ダメだ、ダメだ――。


 闇色に染まった景色の中、雪は小さく震えている。

 微笑もうとした目にはうっすらと涙の跡。


 ……ふざけるな。


 こんな理不尽なことがあってたまるか。


 いや。

 不運を恨むのは最後でいい。


(こうなったら、残された可能性は……)


 今は、ただ。


 視界の端。

 日が沈んでいく。


(……頼む)


 雪が戦う意思を持てない以上、残された希望はひとつしかない。


(頼む! 頼む……!!)


 地平線へと沈んでいく、わずかに残った太陽の光。


 ただの神頼み。


 "そのとき"まではおそらくあと数秒。

 男たちが雪の命を奪うまで、どれほどの余裕があるだろうか。


 その数秒が、とてつもなく長く感じた。

 神経を研ぎ澄ませる。


 "そのとき"にコンマ1秒でも早く、動き出せるように。


 日が沈んでいく。

 最後の残光に、男たちの小太刀が一瞬きらめいて――


 そして――


 ……俺はたぶん生まれて初めて、神様とやらに感謝することになった。


「なに……ッ!?」


 驚きの声を発したのは、飛びのいて俺から離れたリーダー格の男。


 いや、正確に言うと、男の体は飛びのくと同時に数メートル後方へと吹き飛んでいた。

 それでもすぐに体勢を立て直したのはさすがというべきか。


「……ありがとよ、神様」


 爆音と熱風。

 天高く立ち上ったのは、螺旋を描いた灼熱の炎柱。


 周囲への影響とか。

 今後のこととか。

 そんなことを考える余裕はすでにない。


「でも神様。ついでにさ……」


 頭の中は、体を包む業火と同じように熱くなっていた。


 ――俺の体内の"日付"が変わったのだ。


「これから俺が犯す罪も、できれば見逃してくんねーかなあ……」

「……」


 男たちが警戒の色を表情に浮かべてわずかに後ずさる。


 そう。

 日付が変わり生まれ変わった"今日の"俺の力は、悪魔狩りの男たちを完全に圧倒していたのである。


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