2年目12月「見えない糸」
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午後7時23分。
ついに始まった女皇たちの奇襲に対し、悪魔狩りの対応は冷静だった。
奇襲とはいえ、実際のところ悪魔狩りたちは今夜の襲撃を事前に予見していたし、直前には充分な警戒体勢も取られていたからだ。
そんな悪魔狩りの構成員たちに対し、青刃や緑刃から伝えられていた指令はただひとつ。
『敵をよく見て、適切に判断せよ』
である。
この"御門"では、よほどの事情がない限り、敵わない相手には無理に立ち向かうなと教えている。
上級クラスの悪魔ともなれば、一部の特殊な悪魔狩りたちを除き、その実力差は決して運や気合で埋められるものではないからだ。
アイラ、ミレーユ、メリエルら3人の女皇たちはもちろんのこと、それと行動をともにしているクロウ、ブラスト、ルカに対しても、悪魔狩りの守備はほぼ形だけで牽制の範囲を超えることはなく、彼らがすんなりと前線を突破したのは当然のことであった。
が、しかし。
「来たな」
神社の境内付近に、彼らにとっての最初の障害である"一部の特殊な悪魔狩り"たちが待ち受けていた。
「ここから先は通さん」
目の前に現れたふたつの人影に、一番先頭を走っていたミレーユの足が止まる。
続いて後ろの5人も同様に足を止めた。
これが普通の相手なら、女皇たちが先に進むのをためらうことなどなかっただろう。
しかし彼らは、目の前に現れたふたりの強さを瞬時に感じ取り、そして警戒したのだった。
片方は長身の女性。出で立ちは一見巫女装束のようだが、本物のそれよりは格段に動きやすいデザインになっていて、配色も赤ではなく黒がベースになっている。武器らしきものは手にしていない。
そしてもう片方はやはり長身の、こちらは男性だった。まるで忍者のように口もとまでを隠した黒ずくめの格好で、鞘に納まったままの刀を左手に持ち、構えるでもなく自然体で立っている。
「……青刃と緑刃だな」
真っ先にそうつぶやいたのはクロウだった。
盲目ながらその目は、まるで見えているかのように眼前のふたりを捉えている。
「青刃と緑刃? なるほど、これが今の時代の。ふふ、まだ若いじゃないか」
ふたりをそう評したのは6人の悪魔の中でもっとも長身、大柄なブラストよりもさらに大きく、しかし彼とは対照的に細身の銀髪の男だった。
その髪色は彼が氷魔族であることを示している。
「ルカ。油断してはいけませんよ」
「わかってるさ、メリエル」
緊張感のない軽い返事のルカ。
粗野な口調のブラストがそれに続けた。
「緑刃と青刃ってのは敵の大将の側近だろ? ずっとベッタリくっついているもんだと思ってたが、こんな前線に出てくるたぁ、いったいどうなってんだ?」
その疑問にクロウが警戒心たっぷりに答える。
「油断するなよ。なにか企みがあるのかもしれん」
「ふん……そんなこと気にする必要ないわ」
足を前に踏み出したのは"雷皇"アイラだった。
バチバチと音を立て、両手が白く発光する。
「邪魔なものはすべて壊していけばいいのよ。人だろうとモノだろうとね」
「……」
青刃と緑刃が同時に身構えた。
アイラの手に備わったその力は、直撃を受ければ彼らとて一撃で命を落としてしまう威力を秘めているのだ。
「……待て、アイラ」
しかし、クロウがそれを制止した。
「我々の前にふたりだけで出てくるのはいくらなんでも不自然だ。光刃を逃がすための時間稼ぎかもしれん」
「なら、こうすればいいじゃないか」
と、ルカが提案する。
「ここは僕とメリエルのふたりで引き受けよう。クロウたちはその隙に先に行って光刃の命を取ってくればいい」
そう言って親しげにメリエルの肩に手を置いた。
「大丈夫? あのふたり、そう簡単な相手でもないと思うけど」
そう言ったのはお団子頭の少女、"支配者"ミレーユだ。
「……まあ、よいのではないですか、それで」
メリエルは肩に乗ったままのルカの手を不快そうに一瞥すると、無表情にそう答えた。
そしてその視線を正面の敵へ向ける。
「思ったほど混乱はしていないようですが、この戦力の薄さを見るとやはり彼らは私たちの襲撃を予見できていなかったのでしょう。であれば、今はとにかく光刃を逃がす算段をしているものと考えます。今の私たちにとっては、光刃を取り逃がすことが一番の問題ですから」
「と、いうことだ。君たちは先に行ってくれ」
提案が受け入れられたのが嬉しかったのか、ルカは少し熱っぽい口調でそう言った。
それで彼らの方針が定まる。
「……目の前で作戦会議とは、舐められたものだな」
そんな悪魔たちに対し、緑刃がそう吐き捨てた。
「私たちを倒さないまま先に行くだと? やれるものなら、やってみるがいい」
緑刃はそう言って手を大きく広げた。
その腕が、まるで踊り子のように残像をひきながら左右に動く。
それに気づいたクロウが声を張り上げた。
「油断するな! ヤツは"糸術師"だ!」
「遅いッ!」
緑刃の腕が急に速度を増して円を描く。
と同時に、見えないなにかが空間を裂き、大きなうねりとともに6人の悪魔たちに押し寄せた。
「ッ……」
叫んだクロウ自身と女皇たち、それにルカの5人はとっさに後ろに飛びのいてそれを回避したが、ブラストだけ反応が遅れた。
後ろに下がろうとした足に透明な糸が絡みつき、続いて全身に巻きついてその巨体を一瞬のうちに拘束する。
「なんだ、この糸! 切れねぇ……ッ!」
「それは肉体の力や半端な魔力では決して切れない特別製だ」
そう言って、緑刃はピンと張るように右手を大きく後ろに引く。
「このまま体を切り裂いてやる」
その言葉とともに、ブラストの全身に幾筋もの赤い線が走った。
「ちッ……!」
糸を切ることを断念したブラストが、唯一自由を奪われていなかった左手から炎の弾を打ち出す。
「苦し紛れの攻撃など……」
身軽に攻撃を避ける緑刃。
彼女が動いてもブラストの拘束が解けることはない。まるで糸自身が意志を持っているかのように強力に巻きついたままだった。
が、その直後。
雷鳴が、とどろいた。
「ッ!?」
緑刃がとっさに飛びのく。
その雷は彼女の体を狙ったものではなかったが、それでも反応せずにはいられないほどに強大だった。
「無様なことね、ブラスト」
冷笑したのはアイラだった。
その手には細かく発光する電流の帯が巻きついていて、その手から放たれた雷は、ブラストの体を拘束していた緑刃の糸をいとも簡単に破壊していたのである。
「……」
緑刃のこめかみから、ひと筋の冷や汗が流れる。
その目は驚きの色を帯びて切断された糸を眺めていた。
先ほど彼女自身が言ったように、その糸はたとえ上級悪魔の魔力であってもそう簡単に切断できるものではない。
にもかかわらず、アイラは事もなしにそれを一瞬で破壊してみせたのだ。
"雷皇"と呼ばれた力が、そのうわさに違わぬものであることの証明だった。
そんな一連のやり取りを見て、ルカが言う。
「ほらほら。一筋縄じゃいかない相手だってわかっただろう? ここは僕らに任せてとっとと先に行きたまえ」
メリエルがそれに続けた。
「クロウ、ここは私とルカで引き受けます。情報が確かなら、ここの戦力はもうそれほど残っていないはず。急いで結界を破壊し、魔界への通路の確保を」
「そうだな」
クロウがうなずく。
「アイラ、ミレーユ。ここはふたりに任せるとしよう」
「ふん……ま、私はどっちでもいいけれど」
「メリエル。気をつけてね」
アイラとミレーユがそれぞれの反応を見せる。
そんなふたりの言葉にメリエルは一瞬だけ複雑そうな表情を浮かべたが、辺りが薄暗いこともあって、そんな彼女の葛藤は誰にも悟られることはなかった。
「あなたたちも気をつけて。……クロウ。あなたの悲願が達成されることを心から願っています」
メリエルの言葉にうなずいて、4人が駆け出す。
「待て! ここから先へは……!」
その進路を塞ごうとした緑刃の眼前に、白い稲妻が落ちた。
思わず緑刃の足が止まる。
「緑刃! 後ろだ!」
青刃の声が飛ぶ。
「!」
振り向いた緑刃の眼前にルカの長身が迫っていた。
その右手には鋭い氷の刃が光っている。
「僕らを無視する余裕があるのかいッ!?」
「くッ……!」
緑刃が舌打ちしながら飛びのきつつ両腕を振るう。
宙に浮かぶ無数の糸がルカに襲い掛かった。
が、しかし。
「!?」
ルカの周囲に展開しようとしていた糸が急にすべての動きを止め、緑刃の意志に応えなくなった。
「これは……」
一瞬戸惑ったが、緑刃はすぐにその原因に気づいた。
ルカの背後に控えるメリエルが"凝視"していたのだ。
「"氷眼"か……!」
糸はすべて空中で凍り付いていた。
「さらばだ、緑刃ッ!」
ルカの氷剣が緑刃に迫る。
が、それが彼女の体に到達する直前。
甲高い金属音とともに割り込むひとつの影があった。
「俺のこと忘れてもらっちゃ困るぜ。キザなお兄さん」
青刃の刀が、ルカの氷剣を止めていた。
「……ちっ」
ルカが舌打ちする。
青刃が渾身の力で氷剣を押し返すと、ルカはそれに逆らわず後ろに飛んで間合いを取った。
「……直前まで気配を感じさせないとは。なかなかの使い手らしいね」
「さすがは光刃の護衛役ふたり、といったところでしょう」
と、メリエルがルカの後ろに近づく。
「とりあえず後のことはクロウたちに任せましょう。ルカ。ここは無理をせず慎重にいきます」
「わかっているよ、メリエル」
ルカはそう言って、心底楽しそうな笑顔を浮かべた。
「君のその体を守るのは、父親としての僕の義務だからね」
「……」
メリエルは先ほどと同じように、少しだけ不快そうな表情をした。
「上級氷魔がふたり、か」
青刃が刀を立てて挑発するように八双の構えを取り、少し声を張り上げる。
「不足はない。光刃の懐刀、緑刃と青刃が相手しよう。全力でかかってこい」
その言葉に応えるように、つややかな刀身が月明かりをまとった。
……それは青刃と緑刃のふたりにとって、まさに理想どおりの展開。
彼らの作戦の第一段階はこうして成功に終わったのである。