2年目12月「それぞれの誓い」
明けて12月25日、午後3時半。
「じゃあ行ってくるわね」
我が家の玄関には身支度を整えた瑞希と歩の姿がある。
前にも言ったように、ふたりは今日の午後4時過ぎの電車に乗って伯父さんのもとへ行くことになっていた。
ここに帰ってくるのは年明けである。
表向きは久々の帰省と、歩と伯母さんの初顔合わせ。だが実際には、これからの戦いに向けての最後の準備という意味があった。
「伯母さんによろしくな」
「気をつけてね」
俺の言葉に雪がそう続ける。
実家に戻るはずの相手なのに送り出すみたいな雰囲気になってしまうのは、やはり2年近くこの家で暮らし、それにすっかりなじんでしまったせいだろうか。
そしてふと、気づく。
「どうした、歩?」
瑞希の後ろで、歩が元気のない顔をしていた。
「あ。う、うん、なんでもないよー」
ハッとして顔を上げ、笑ってごまかそうとする歩。
その表情の理由はわかっていた。
瑞希と違い、こいつは俺たちがこれからなにをしようとしているのかすべて知っている。だから俺たちのことが心配で仕方がないのだろう。
あるいは、やっぱりここに残って手伝いたいなんてことを考えているのかもしれない。
もちろんそんなことを許すつもりはなかったが。
俺は冗談めかして言う。
「瑞希の実家に行くのがそんなに嫌か? 伯母さんはあの伯父さんと違って優しいぞ」
「ち、違うよ、そういうんじゃ……」
慌てて否定する歩だったが、もちろん俺の言葉が本気じゃないことには気づいているだろう。
視線が俺と雪の間を行き来すると、再び俺の顔の上で止まった。
「……ちょっとだけ、いい?」
そう言って手を差し出してくる歩。
俺はすぐに意図を察し、その手をにぎり返してやった。
手と手が触れ合った瞬間、言葉のイメージのようなものが頭の中に流れ込んでくる。
灰色。
不安の色だ。
そんな歩に、俺は強いイメージを返してやる。
心配するな、必ず無事に帰ってくる――、と。
「……うん」
手が離れる。
歩はようやく、少しだけ安心した顔になっていた。
「じゃあ……行ってきますー」
打って変わって明るい声を出す歩。
多少強がっているのだとしても、元気になったのならそれでいい。
「おぅ、行って来い」
次に会うのは新しい年が訪れた後。
そのころにはきっと、今と変わらない笑顔でまた会えるに違いないのだから。
家の中に戻ると、リビングは夕日で真っ赤に染まっていた。
しんと静まり返って、がらんとした部屋。ここ最近では感じたことのない空気。
昨日の騒がしいクリスマスパーティの名残もあって、余計にもの寂しく思えてしまった。
「じゃあ……ユウちゃん」
そう言いながら雪が持ってきたのは少し古ぼけたカメラ。
「今年も記念写真」
「……ああ」
すっかり忘れていたが今日はクリスマスで、俺と雪の17歳の誕生日である。
こうして雪とふたりだけの写真を撮るのが決まりになっていた。
「これで11枚目。最初は小1のときだったよね」
「よく覚えてんな、お前」
もちろんだよ、と、雪はカメラをテレビの上に置いた。
三脚も物置に眠っているのだが、高さ、角度ともにこのテレビの上がちょうどいいあんばいなのである。
タイマーをセット。
「10秒だよ。笑顔で、ね」
定位置に立った俺のそばに雪が戻ってきて隣にピッタリとくっついた。
昔はほとんど変わらなかった身長も、今では20センチの差ができている。
俺の肩と雪の目線が同じぐらいの高さで。
シャッター音。
「現像するのはきっと来年かな」
「だろうな」
今日これからでは時間がないし、すべて落ち着いてからだと店はだいたい年末の休みに入っているころだろう。
「そのカメラもそろそろ古いよな。今度デジカメでも買いにいかないか?」
俺がそう言うと、雪は静かに首を横に振った。
「壊れるまではこれでいいよ。私、このカメラが撮ってくれる写真が好きだから」
「ふーん。そんなもんか」
「これはテーブルの上に置いておくね」
コト、と、リビングのど真ん中にあるガラステーブルの上にカメラを置く。
……わざわざそこに置く意味はなんとなく理解できた。
表には決して出さないが、こいつもきっと万が一のことを考えている。
そうなったときのために、先ほど出て行ったふたりになにか残していこう、と。
はっきり意識したかどうかはわからないが、そんなようなことを考えたに違いない。
「大丈夫だよ」
俺がなにも言わないのに、雪はそう言って静かに微笑んだ。
「ユウちゃんは私が守るから」
「逆だろ、ふつー」
俺が抗議の声をあげると、雪はちょっと考えるような表情をしてすぐに返した。
「気持ちは嬉しいけど、それはダメだよ」
「はぁ?」
「ユウちゃんには他にもいろいろあるから。私を守ろうなんて考えたらダメ」
「なんだそりゃ」
勝手なやつだ。
抗議しようとしたが、家のチャイムにさえぎられてしまった。
どうやらここで、日常パート終了のようだ。
「……行くか」
「うん」
お互いにうなずきあい、俺たちは無人の家を後にした。
心の中で密かに、必ず戻ってくることを誓い合いながら。
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神社の奥、入り組んだ森を抜けるとその先に悪魔狩り"御門"の本部がある。
その屋敷の一室には、白い作務衣のようなものに身を包んだ香月唯依の姿があった。
「感覚はつかめましたか?」
部屋を訪れたのはお下げの少女。
この"御門"の当主であり、唯依にとって学校の先輩でもある沙夜だった。
「あ、神村先輩。……はい。自信はないですけど、一応」
彼女をどう呼ぶべきか2~3日迷っていた唯依だったが、結局は学校の先輩であるということを一番重要視して"先輩"と呼ぶことにした。
その呼び方はこの本部内では明らかに浮いていて少々後悔したりもしたのだが、なんだかんだでそのまま使っている。
「そうですか」
沙夜は音も立てずにゆっくりと唯依の正面に腰を下ろした。
「幻魔の力は神崎さんの精神感応と違って、相手の心が読めるようになるわけではありません。あくまで自身の力を一方的に送り込み、それによってなんらかの影響を与えるものです」
「はい」
それはこの数日間に受けた訓練で理解していた。
怒りを増幅させたいときはその色の波動を。
悲しみを抑えたいときにはやはりその色の波動を。
ただ送るだけなのだ。
あいまいで、いまいちつかみどころがない。
感覚をつかんだといっても、はっきりとした確信を唯依が持てないのはその性質のせいである。
「香月さんの力は上級幻魔としてはまだ完成されていません。ですが今回の目的はひとつですし、今のところはこれでも充分でしょう。あとは香月さんがどれだけ強い波動を送り込めるかにかかっています」
「亜矢や真柚、舞以のそれぞれの元の人格のイメージを送り込む……ですよね?」
「はい。それによって女皇の中に眠る彼女たちの意志を補強し、肉体の支配権を取り戻させるのです」
「……理屈はわかります」
それもあくまでイメージ。
しかも実戦は一発勝負だ。事前に練習できるわけではない。
「自信を持ってください」
沙夜は淡々としながらも、やや力強い言葉でそう言った。
「香月さんの不安は力にも悪影響を及ぼします。強い意志こそが、彼女たちをこちら側に引き戻すカギとなるのです。その機会は私たちが必ず作ります。最低でも10秒。香月さんが女皇の体に触れ続けられる状況を」
10秒。
簡単なようにも思えるし、とてつもなく困難なようにも感じられた。
「女皇といっても女性です。一度押さえつけてしまえば、腕力では香月さんには敵わないでしょう」
「そ、それはどうかな……」
美術部の亜矢はともかく、運動神経のいい真柚と舞以に対しては、素の状態でも勝てるかどうか自信がなかった。
ただ、沙夜はそのことはそれほど重要視していないようで、
「もしかすると、その過程で一時的に彼女たちを傷つけてしまうこともあるかもしれませんが、決してためらわないでください。そのためらいが、唯一の機会を永遠に失ってしまうことにもなりかねませんから」
「わかりました」
それはこれまでにも何度も言い聞かせられていたし、心の準備もすでにできていた。
そのために少しでも力になるようにと炎の力を引き出す訓練も受けていて、以前よりいくらかは母親の力もコントロールできるようになっている。
そんな唯依の回答に、沙夜は満足そうにうなずいて、
「今回の戦いは香月さんの働き次第で大きく変わります。私たちも協力は惜しみません。どうかよろしくお願いします」
「……はい」
身が引き締まる思いだった。
今回の戦い、敵の主力は紛れもなく亜矢――女皇たち3人だ。
その他に唯依が目撃した上級炎魔の存在も確認できているが、それでも実力的に女皇たちがメインであることに変わりはない。
そんな彼女らを、撃破するよりはるかにたやすく無力化できる可能性。
その力を秘めた唯依は、沙夜にとってまさに切り札に近い存在だったのだ。
「そろそろ不知火さんたちが到着するころです。その後、すぐに本殿で作戦の説明をしますので準備をしておいてください」
うなずく唯依。
沙夜が部屋を出て行く。
(いよいよ、か……)
唯依はかすかにその身を震わせた。
不安はもちろんある。
が、今の彼の心はそれよりも強い使命感に満ちあふれていた。
(……待っててくれよ、みんな)
不安などという非生産的な感情にかかずらっているひまはない。
ただ全力を尽くし、そして彼女たちを元に戻すのだ。
(頼りない末っ子だったけど、こんなときぐらいはみんなの役に立ってみせるから……)
そう決意した唯依の胸中に、もう迷いはなかった。




