2年目12月「本当の力」
神村さんが突然我が家を訪れたのは、晴夏先輩と保健室で話をしたその日の夜のことだ。
「幹部の方々にはおおむね納得してもらいました」
俺の部屋のベッドの上に、唯依と神村さんが50センチほど離れて座っている。
神村さんはベッドのほぼ真ん中付近に座っているのだが、唯依は彼女となるべくくっつかないようにと端っこでちょこんと肩身が狭そうにしていた。
この部屋は、俺が座っている学習机の椅子(といっても本来の用途に使われることはほとんどない)以外にまともに座れる場所がなく、仕方なくふたりともベッドの上に座ってもらったのである。
俺の部屋はもともと客を招いてくつろぐことを想定していないのだ。
ちなみに神村さんはベッドの上でも正座だった。
最初はそのまま床に座ろうとしたのだが、前述のように俺の部屋には座布団すら用意がないので、どうにか説得してベッドの上に座ってもらうことにしたのである。
……とまあ、それはともかく。
「納得してもらった? ホントにか?」
「はい」
と、うなずく神村さん。
さすがに彼女が嘘をついているとは思わないが、あのときの幹部連中の反応を思い返すと、本当に納得したのだろうかとちょっと不安になった。
ただ、すぐに思いなおす。
(……いや。最悪それでもいいのか)
悪魔を嫌悪しているような連中を不満なしに納得させること自体そもそも不可能だろう。
とすれば、表向きでも納得した形になっているのなら、それが現状で望めるベストなのかもしれない。
「けど、相当な無茶をしたんじゃないのか?」
と、俺は聞いてみた。
神村さんの組織内での立場がどの程度のものなのか詳しいところまでわかるわけではない。
ただ、少なくとも組織のトップであるというほどの権限を握っているわけじゃないのはわかっていた。
「いえ。普通に説明して納得していただいただけです」
嘘か本当か、神村さんはこともなげにそう言うとすぐに続けた。
「それよりも"ゲート"の周期が判明しました。26日の夜です。不知火さんたちには前日の25日から"御門"の本部内で待機していただこうと思っています」
「やっぱその辺りか……」
思わず苦笑してしまった。
25日といえば、俺と雪の17歳の誕生日である。
誕生日から準備に入って、翌日には命をかけた大決戦というわけだ。
あるいは誕生日の翌日が命日になるかもしれないな、なんて不吉な冗談も頭を過ぎったが、さすがに不謹慎なので口にするのはやめておいた。
そんな俺の苦笑をどういう意味に受け取ったかはわからないが、神村さんは少し神妙な顔で俺の顔色をうかがった後、歩が先ほど持ってきた番茶の湯飲みを両手で包み込むようにしながら、
「25日の夕方ごろ、こちらから迎えの者を送ります。私は来られないと思いますが、準備をしておいてください」
「了解」
まあ、毎年恒例のクリスマスパーティは前日の24日だし、誕生日のイベントは昼ぐらいまで済ませておけばちょうどいいだろう。
俺と雪だけ出かけてその日は泊まることになるから、瑞希のやつをごまかすのにはちょっと骨が折れるかもしれないが、そのへんは歩のやつに丸投げする予定だ。
「瑞希さんのことは心配ありません」
と、今度はそんな俺の心をのぞき見したかのように神村さんが言った。
「瑞希さんは25日の午後4時12分の列車で、叔父様のところへ行ってもらうことになっています」
「……聞いてねーぞ?」
「そうでしたか。叔父様がおっしゃっていたことですので私にはわかりませんが」
「あいつ、また勝手に色々動いてやがんのか」
もしかしたら、まだ瑞希本人にも伝わっていないことなのかもしれない。
ただ、伯父さんならきっと適当な理由をつけて上手くやるだろう。
都合のいいことに、瑞希はしばらく伯父さんたちのところに帰っていない。年末ぐらい帰って来いと言われればそう不審に思うこともないだろう。
「それと、そのときに神崎さんも一緒にとのことでした」
「ああ、なるほどな。そりゃ助かる」
そうなると、帰省の理由は"宮乃伯母さんと歩の初顔合わせ"ってところか。
俺と雪はこっちでやることがあるから行けないと言えば、自然と瑞希のやつが歩を連れて帰ることになるだろう。
「あの」
そこへ、それまでずっと黙っていた唯依が初めて口を開いた。
神村さんに慣れていないためか相変わらず緊張気味だったが、それでも気合を入れるようにきゅっと唇を堅く結んで切り出す。
「それで……その、亜矢たちを元に戻す方法は、なにかわかったんでしょうか?」
その問いかけに、神村さんはすぐにうなずいた。
「それについてもこれからお話しするつもりでした。ただ、あくまでも可能性、ということになります」
「可能性、ですか」
唯依は少し複雑な表情をした。
……気持ちはわかる。
亜矢たちを元に戻すチャンスはおそらく一度きり。うまくいかなければそのまま殺し合うハメになるのだから、確実な情報を欲しがるのは当然のことだろう。
そんな唯依に対し、神村さんはいつもの淡々とした、大きくはないが聞き取りやすい言葉で続けた。
「彼女たちに施された"転生の術"はそれ自体が非常に希少なもので、参考となる資料もほとんどありませんから、頼みとなるのは香月さんが持っていた情報です。ですが、香月さんがメリエルから聞かされた言葉が真実だとすれば、おそらくもっとも可能性の高い推測となるでしょう」
よどみのない口調には、遠慮もごまかしも混じっていない。
それを聞いて、唯依も納得したような顔になった。
「……わかりました。聞かせてください」
結局のところ俺も唯依も、今は神村さんや悪魔狩りの知識に頼るしか方法がないのである。
「では、香月さん。あなたたち4人の中で、香月さんだけが母親の記憶にほとんど影響されることなく、今もこうして自我を保っていられるのはどうしてだと思いますか?」
「え? それは確か、性別が違うからって……」
ちょっと意表を突かれたような顔の唯依。
俺としても、いまさら? と疑問を持つ問いかけだった。
亜矢、真柚、舞以の3人と違って母親と性別が違う。つまりは男だったからという理由で、唯依はその術による影響をほとんど受けなかった。
確かそういう話だったはずだ。
神村さんも小さくうなずいて、
「そうです。ただ、色々と情報を整理してみたところ、どうやら原因はそれだけではなかったようです」
「ほかになにか……? 僕だけ違っている部分があるってことですか?」
「はい」
神村さんは一拍だけ空白を置いた。
「香月さんたちが産まれる直前、私たち"御門"と、アイラやミレーユたち"4人の女皇"が属する組織は戦いの佳境にありました。私たちは全国にいる他の悪魔狩りの協力を得ることで徐々に優勢となり、悪魔たちはすでに壊滅に近い状況に追い込まれていたのです」
語りだした神村さんの言葉に耳を傾けながら、俺は横目で唯依の表情をうかがった。
これからの話は、おそらくこいつの両親の死にぎわの話。
唯依にとっては記憶の片隅にも残っていない、見知らぬ両親。
その境遇は俺にも近いものがあって、唯依がどういう反応をするのか少し気になったのだ。
神村さんは続けた。
「そのころ、私たちは悪魔たちの奇妙な動きに気づいていました。4人の女皇のひとりである"狂焔のユミナ"が、半年以上戦いの場に姿を現していなかったのです」
「ユミナ? 聞いたことのない名前だな」
疑問を挟むと、神村さんはチラッと俺を見て、
「4人の女皇というのは、"雷皇アイラ"、"支配者ミレーユ"、"氷眼のメリエル"、そして"狂焔のユミナ"の4人のことを指します」
アイラが亜矢、ミレーユが真柚、メリエルが舞以の母親だ。
ということはつまり、ユミナというのは唯依の母親なのだろう。
"狂焔"という通り名も炎魔を想像させるし、唯依が操る力との整合性も取れている。
それに気づいているかどうかはわからないが、唯依が神村さんに質問した。
「どうして姿を見せなかったか、理由がわかっているんですか?」
「そりゃ……女皇たちがみんな妊娠していたからじゃないのか?」
俺が代わりにそう答える。
唯依たちが産まれる直前ということであれば当然だろう、と、特に疑問を感じることなくそう言ったのだが、意外にも神村さんは首を横に振った。
「いいえ、違います。そのころ姿が見えなかったのはユミナだけでした。アイラやミレーユ、メリエルの3人はそれまでと変わることなく私たちと戦い続けていたのです。途切れることなく、最後の最期まで」
「どういうことだ?」
今度は俺が質問する番だった。
いくら悪魔といったって子供が産まれるまでの過程は人間と変わらない。
いや、実際にそれを目の当たりにしたことがあるわけじゃないが、まさか卵を産むわけではないだろう。
神村さんが答える。
「人間の中には、悪魔たちの超常的な力や圧倒的な肉体の力に興味を持ち、彼らに協力することでその研究を進めようとする人々がいます。そういう技術者の中には非常に高度な医療技術を持つ者も多く、たとえば体外受精して代理出産ということもそう難しいことではなかったのでしょう」
「代理出産……?」
あまり聞きなれない言葉ではあったが意味はわかる。
確かに、それだけ長いこと戦っていたにもかかわらず、その主力である女皇たちがまったく同じタイミングで妊娠、出産なんてのは現実的なことではない。
「けど、だったらそもそも子どもなんて作らなくても……」
俺はついついそうつぶやいてしまったが、現状を思い出してすぐに考え直すことになった。
唯依たち4人がほぼ同時期に産まれていること。
そのうちの3人が現在、母親に意識を乗っ取られているということ。
そう考えれば、おのずと答えは出る。
「ってことは……」
唯依の存在を意識して俺は途中で言葉を止めたが、神村さんがその先を続けた。
「おそらくは"それ"が目的だったのでしょう。劣勢だった悪魔たちが将来の逆襲を考え、転生の術を施すために体外受精で造り出した子供。彼女たちはもともと、女皇たちの"容れ物"として産まれたのです」
「……容れ物」
ポツリ、と、唯依がほうけたようにつぶやいた。
どのようにして産まれたかなんて、今の唯依たちにはなんの関係もないことだ。
ただ、本人にとっては少なからずショッキングな事実だったのだろう。
「……けど、だったら神村さん」
あまり唯依に考え込ませるのもよくないと思い、俺はあえて話を先に進めることにした。
「さっきの話はどういうことなんだ? ユミナだけ姿が見えなかったってのは、今の話と関係があるんだろ?」
「はい。それが本題です。つまり、香月さんに関してだけは違っていたという推測。ユミナが自然に子どもを身ごもり、自ら望んで産んだのではないかという可能性のお話です。……最初に尋ねた、なぜ香月さんだけ影響を受けていないのか、他の3人と性別の他になにが違っているのかということの答えでもあります」
「……種族、か?」
「はい」
俺の言葉に神村さんはうなずいた。
「この転生の術の成功には様々な条件があります。親子であるということは血が近いということで、それはつまり種族としても近いことが必要であると考えられます。転生が目的だったとすれば、体外受精で産まれた3人には同種族の父親がいたのでしょう。ですが、香月さんの場合はそうとは言い切れません。なぜなら香月さんだけは自然に産まれた子どもであるという可能性があるからです」
「……じゃあ。僕の父親というのは?」
「ここから先は本当に可能性の域を出ませんが」
神村さんは推測であることを強調した後、まっすぐに唯依を見つめて言った。
「香月さんの父親はおそらく、転生の術を施した張本人。女皇たちを率いていた組織のリーダーでしょう。上級幻魔族でクレインという名前だったと聞いています」
「組織のリーダー……?」
ほうけたように繰り返した唯依は、その直後、ハッと思い出したような顔をして、
「そ、そういえばメリエルさんが言ってました! 僕には"あの人"の血が流れている……"あの人"にそっくりだ、って!」
「そうですか」
その言葉で確信を得たのか、神村さんは大きくうなずいた。
「リーダーであるクレイン、その実弟で参謀役のクロウ、そしてメリエルたち4人の女皇は、魔界にいた幼いころからの昔なじみで、家族のように親しかったと聞いています。メリエルのその言い方は、唯依さんに力があるという話とあわせて考えると、私たちの推測が正しいことを裏付けているように思えます」
ここまで来て、俺にもようやく理解できた。
唯依が持つ、"亜矢たちを元に戻すことができる力"の正体。
「つまりこいつは、そのクレインとかいうリーダー、つまりは上級幻魔族の血をひいている。その力が使えるなら、あの3人を元に戻せるかもしれないってことだな」
「……それってつまり、その転生の術を作った人の力が僕にもあるってことですか?」
神村さんはうなずいて、
「その力の一部が受け継がれている可能性がある、ということです」
「それがメリエルの言った、戻せる"かもしれない"の根拠だな」
つまり、メリエル自身にもわからなかったのだろう。
唯依が父親からどの程度の力を受け継ぎ、そしてそれが、亜矢たちを呪縛から解き放てるだけのものかどうか。
「……けど、待てよ?」
俺はそこでひとつ疑問を覚えた。
「確か前に伯父さんに聞いたことがあるんだが、異種族間で産まれた悪魔ってのは、どちらか片方の力しか使えないんじゃなかったか?」
仮にごちゃごちゃの混血だったとしても、近い先祖のいずれかの力しか操れない。
黒髪と金髪の子供が、半分黒髪で半分金髪だったりしないのと同じようなものだ、と、そんな風に伯父さんから聞かされた記憶がある。
優勢だとか劣勢だとか、遺伝の話はよくわからないが、とにかくふたつの力がひとりの悪魔に発現することはないはずだ。
俺のような突然変異種を除いては。
「不知火さんのおっしゃるとおりです。ですから、問題は香月さんに発現しているのが炎の力なのか、それとも幻の力なのかということです」
その言葉に、唯依はちょっと困った顔をした。
「炎の力です。僕は――」
「その力は……不知火さん」
唯依の言葉をさえぎって、神村さんが俺を見る。
「上級炎魔にふさわしい力でしたか?」
「ふさわしいってのがどの程度かわからんが……」
俺は夏休みのできごとを思い出しながら答える。
「正直な感想を言わせてもらえばかなりしょぼかった記憶があるな。中級どころか下級でも下のほうかって感じだった」
本人を目の前にして言うのも気が引けたが、まあ今はそれどころじゃない。
そんな俺の回答に、神村さんは満足そうにうなずいた。
「上級炎魔、それも女皇と呼ばれたユミナの力を引く悪魔がその程度というのは考えにくいです。たとえ力を扱いなれていないのだとしても」
「けど、こいつが炎を使うのは確かだぜ?」
「それは不思議ではないのです」
神村さんはすぐにそう答えた。
「なぜなら、香月さんには本来の力とは別に、転生の術によって母親であるユミナの力も宿っているのですから。……つまりこう考えるのです。香月さんの本来の力はまだ目覚めていない。でもなにかの拍子に、自分の体に宿る母親の力を多少なりとも引き出して使う方法を見つけた」
「……それが、唯依がこれまで使っていた炎の力、ってことか?」
ありうるのだろうか。
いや、可能性はあるのだろう。神村さんが言う以上は。
それに一応の筋は通っている。
唯依の力についてはずっと、混血ならあんなもんだろうと思っていたが、純血の悪魔でしかも上級炎魔の血族としては確かにあまりにも弱すぎた。
俺は唯依と顔を見合わせる。
さっきまで沈んでいた唯依の表情には、若干の希望らしきものが生まれていた。
そんな俺たちに釘を刺すように神村さんは言う。
「すべては推測です。すぐにでも確認し、それが事実だったとすれば、今度はその力を解放させなければなりません。できるだけ早急に」
「確認って、それは神村さんのほうでできるのか?」
「私にはできません。……ただ」
神村さんはゆっくりと視線を動かす。
ベッドの上から隣の唯依を素通りして正面に座る俺へ。その視線はさらに俺の上を通り過ぎ、最終的に部屋のドアの前で止まった。
そして、
「神崎さん。入ってきてください」
「……えッ!?」
声を発したのは俺でも唯依でもなく。
「……」
言われて初めて気づいた。
部屋の外にあった小さな気配。
一瞬の沈黙の後、観念したようにドアが開いて。
「……歩、お前」
「えへへ、ごめんなさい……」
濡れた髪に、下はパジャマで上はティーシャツ。
どこからどう見ても風呂上がりな格好の"他称"天才少女がそこに立っていたのだった。