2年目12月「犠牲者」
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「なるほどな。あのふたりを巻き込んだか」
師走の寒風が吹き抜ける早朝の境内。
そこには、ここ2~3年の間でよく見かけるようになった光景がある。
「賢明だが意外だな。お前はあのふたりをなるべく巻き込みたくないのかと思っていたぜ」
賽銭箱の前の階段に腰を下ろした楓。
そこから3メートルほど前方に、竹ぼうきを手にした沙夜が立っていた。
「私の使命を果たすために必要なことでした」
「使命、か」
楓はつまらなさそうにつぶやいて空を見上げた。
最近にしては珍しく、今日は雲の隙間から太陽が顔をのぞかせている。
ただ風は冷たく、いつもラフな服装の楓も今日は厚めの上着をまとっていた。
一方の沙夜は夏も冬も変わらない巫女服である。
もしかすると季節ごとに生地の厚さが違うのかもしれないが、それは見た目にはわからなかった。
「手伝っていただけますか、楓さん」
「冗談じゃない……と言いたいところだが、そうもいかねぇよな」
と、楓は横を向く。
「あのふたりにゃ直斗がよく世話になっている。手助けせざるを得ないだろうさ」
仕方なさそうな楓の言葉に、沙夜はほうきを動かす手をピタッと止めた。
「不本意、ということですか?」
「まあな。ただ、俺も少しは興味がある」
「なにがです?」
「"雷皇"と呼ばれた悪魔の力に、さ。当時の悪魔狩りの実力者を次々に葬っていった雷魔がどれほどのものか、単純に試してみたい気持ちはある」
沙夜はやや戸惑った視線を楓に向けた。
すると楓はすぐにその視線の意味を悟って、
「油断するなってのか?」
「はい」
沙夜がうなずくと、楓はやや不服そうに鼻を鳴らした。
「それほどの相手ならいいが、正直負ける気はしない」
「それでも油断は禁物です」
そして、沙夜はつぶやくように言った。
「次の周期は26日の夜になりそうです。……どうかよろしくお願いします」
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朝っぱらから騒がしい声が我が家に響いている。
「ゆ、優希さん! 早く早くー!」
「まあ落ち着け、歩」
冬の朝。
冷えた制服のそでに腕を通しながら、俺は玄関で待つ歩のもとへ向かってゆっくりと階段を下りていた。
つい先ほどまで顔をのぞかせていた太陽も、今は雲の中に隠れてしまって急に冷え込んでいる。
外の景色も朝にしては薄暗く、雨は降っていないが、今日は降るとしたらもしかすると雪になるかもしれない。
そう思わせるほどの寒さだった。
すると当然、いわゆる"朝の布団の魔力"もその威力を倍増させるわけで。
「落ち着いている場合じゃないよー! 遅刻! 遅刻しちゃう!」
まあ、そういうことなのである。
「そろそろレッドゾーンかな」
バタバタと騒いでいる歩をよそに、玄関では直斗がいつもどおりの冷静な口調で腕時計を見つめていた。
ちなみに学校までは歩いて20分ほど。
現在の残り時間は10分。
「約2キロ弱の道のりだから、平均時速20キロで走れば6分で到着するな」
サンドイッチをくわえながら靴を履き、つま先でトントンと床を蹴る。
そんな俺の言葉に歩がすぐに反応した。
「じ、時速20キロ!? そんなの絶対無理ー!」
「泣き言は聞かんぞ、歩。無理だと思うから無理なんだ」
「いやいや! 私にとっては空を飛べっていうのと同じレベルの無理なんですがッ!」
「謙遜するな。お前ならその気になればきっと空だって飛べるさ。さあ行くぞ」
「いい話みたいだけど、むちゃくちゃだよーッ!」
ちなみに、直斗と一緒に来ていた由香は、俺たちが間に合いそうにないのを察した直斗が先に行かせたらしい。
好判断だ。
確かにあいつがいるとダッシュするのに色々と足手まといになる。
……ここで疑問に思う人もいるだろう。
だったらどうして、もっと足手まといになりそうな歩がまだ残っているのか、と。
その理由は簡単。
「うう、夜更かししすぎたよぉ……」
そう。
今日こうして遅刻ギリギリになっている原因が、他ならぬこいつだからである。
「ったく。ひどいころの俺だってこんなに寝坊することは滅多になかったぞ」
「うっ、返す言葉もございませぬ……」
「それ、偉そうに言うことじゃないよ、優希。まあ、ほら。女の子は支度に時間もかかるからしょうがないって」
直斗が苦笑しながらフォローを入れる。
その言葉どおり、歩のロングヘアは寝ぐせがなかなか取れないらしく、頭にはまだ濡れタオルを当てている状態だった。
なお、この状況で一番被害をこうむっているのは、この寒い玄関で10分以上も待たされた直斗だと思う画、それでもこの気づかいである。
人間としてのできが違うとしか言いようがない。
「ほんじゃ、行ってきます」
出かけ際、家の中に声をかける。
誰もいない家――ではなく、玄関脇の和室では唯依が静かに聞き耳を立てているはずだった。
家庭の事情ということで学校に休暇届を出した唯依は今日もひとり留守番である。
直斗や由香には事情を話しておらず、朝は俺たちが出て行くまで部屋の中にいるように言い聞かせてあったのだ。
「さて、と」
家に鍵をかけ、俺は外で待つふたりのもとへ駆け寄った。
「実際問題、どうする?」
そう言ってアゴで指したのはもちろん半べそをかいている歩のことだ。
この残り時間、俺と直斗だけならまだどうにかなる。
直斗は本気で走ると1500メートルを4分で走る男だし、俺だってそこまでいかなくとも2キロを6~7分なら充分可能だ。
「ど、どうか私にはお構いなくー……」
本人はすでに殉職を覚悟しているようだ。
まあ普通に考えれば、こいつを置いていくか、あるいは全員揃って遅刻するかの2択だろう。
遅刻するのは簡単だし、それにとてつもないペナルティがあるわけでもない。
が、しかし。
しかしだ。
果たして、そんなわかりきった運命の言いなりになってしまってよいものだろうか。
断じて否。
否である。
「しゃーない。やるか」
考えた末に俺がそうつぶやくと、直斗は心得たとばかりにうなずいた。
「じゃあ僕がカバンでいい?」
「……げ、俺がこっちかよ」
「だって彼女の保護者は君でしょ? はい、神崎さん。カバン貸して」
そう言って直斗はさっさと俺と歩のカバンを奪い取ってしまった。
「え?」
わけがわからないという顔をする歩。
「ほら、歩」
俺が背中を向けてしゃがみこむと、ようやくその意味に気づいたらしく、歩は微妙に引きつった笑みを浮かべた。
「ゆ、優希さん、まさかー……」
「公園をショートカットするから振り落とされんなよ。あと枝とか危ないから顔面だけは自分で守っとけ」
そんな俺の言葉に、直斗が笑顔で続ける。
「大丈夫だよ、神崎さん。由香はまだ一度も振り落とされたことないから」
「い……いえ、そういう心配ではなく! 私の世間体みたいなものが大惨事になる恐れがー!」
「なんだそりゃ」
生意気にも恥ずかしがっているらしい。
「つか、なにをいまさら。前にもおぶって帰ったことあんだろ」
「し、しかしあれから2年以上経ちまして、私も日進月歩、女子として進化しているというか、なんというか……」
歩はしどろもどろにそんなことを言った。
言いたいことはなんとなく理解できるが、家の中じゃ今でも自分からベタベタくっついてくるほうなので、単純に周りの目が気になるということなのだろう。
「安心しろ。由香が何度もやってるが、今のところ特に問題は起きていない」
「うぅ……」
歩はそれでも少し渋っていたが、この状況が自分の責任だという自覚があったためだろう。
最終的には観念して俺の背中に乗ることになった。
……ちなみに由香をここから背負って走ったのは小学生のときが最後だが、言わないでおくことにした。
「目標は公園まで4分。学校まで8分」
直斗が腕時計を見ながら本日のミッションを告知した。
「了解」
歩の太ももの裏にしっかりと両手をかけ、振り落とさないよう背負い直す。
以前背負ったときよりも若干ながら重量感があって、確かに本人の言うように少しずつ成長しているようだ。
「じゃ、行くよ」
直斗の足が地面を蹴って、俺もその後に続いた。
急加速。
「えっ……うわっ、わわわッ!」
「しっかりつかまってろよ!」
「~~~~~~!!」
声にならない悲鳴を背中に聞きながら。
俺たちはいつもどおりに登校したのである。
「急患~」
4時間目の数学の時間。
例によって俺は突然の頭痛に襲われたらしく、保健室を訪れていた。
すると、そこには先客。
「……あら」
ボロボロのソファに腰をおろし、縁無しのメガネをかけて文庫本を読んでいたのは顔見知りの先輩だった。
「おっと。晴夏先輩か」
「こんにちは、優希くん」
俺は後ろ手に保健室のドアを閉め、中へと足を踏み入れる。
部屋の中を見回しても養護教諭である山咲先生の姿はなく、他の生徒もいないようだ。
俺はそんなことを確認しつつ、晴夏先輩へ歩み寄っていった。
「なんだ、先輩。メガネなんてかけてたのか」
そう尋ねると、晴夏先輩はパタンと文庫本を閉じてこちらに向き直る。
「たまにね。普段の生活に支障があるほど悪いわけじゃないけど」
「つまり老眼鏡ってことか」
「そんなわけないでしょ。ただの遠視よ」
「ああ、なるほど。遠視は小児に多いと聞くが、確かに先輩は小さいな、いろいろと」
「……あなた、ケンカ売ってるの?」
とまあ、そんな感じで軽くコミュニケーションしつつ(晴夏先輩はかなり険しい目をしていたが)、俺は山咲先生が不在であるのをいいことに、いつも先生が使っている椅子に腰を下ろした。
古臭いストーブの上に置かれたヤカンがしきりに蒸気を発している。
少し風が強くなってきたのか、窓がガタガタと音を鳴らしていた。
「で、先輩。山咲先生は?」
「私に留守番任せてどこかに行ったわ」
「またかい」
別に珍しいことではない。
というか、俺も晴夏先輩もここの常連なので、山咲先生に留守番を頼まれることはしょっちゅうだ。
会話がいったん途切れた後。
今度は晴夏先輩のほうから口を開いた。
「ひとまず生還おめでとう……とでも言わせてもらおうかしら」
「そりゃどーも」
晴夏先輩と顔を合わせるのはあの雨の日、アイラが覚醒した夜以来のことだった。
「で、どうだった? あなたも感じたでしょ? 彼女の力がどんなものか」
「ま、それなりにな」
「余裕ね。あなたは確か、私の忠告を無視して悪魔狩りと一緒に戦うことにしたって聞いたけど」
「……」
なんで知ってる、と聞こうとしたが、聞いてもまともな答えが返ってくるはずがないのでやめておいた。
(……にしても、ずいぶん早いな。これは敵に知られると都合が悪い話のはずだが)
今回の作戦は、悪魔狩り以外の協力者を密かに本部に集め、そこに敵を誘い出して一気に倒すというものである。その話し合いは限定的な人間の間で行われたものだし、決して外に漏らさないようにかん口令が敷かれているはずだ。
それに、そもそも俺たちが協力者として受け入れられるかどうかさえまだ決まっていない。
にもかかわらず、その情報がすでに漏れているとなると。
あるいは悪魔狩りの中に先輩たちの協力者がいるのかもしれない。
そんな俺の思考を見透かしたかのように、晴夏先輩は言った。
「心配ないわ。それを知ってるのは私たちだけ。例の連中にその情報が漏れることはない」
「……あんたたち、いったいなにが目的なんだ?」
俺は以前と同じ質問を繰り返した。
「悪魔狩りを敵対視するようなことを言ったかと思えば、今みたいに不利になる情報は漏らさないなんてことも言いやがる。……俺からすると、そういうどっちつかずなやつらが一番気に入らないし信用もできねーんだが」
「ひどい言われようね」
と、晴夏先輩は苦笑する。
「でも、私たちの目的は前に言ったとおり。悪魔が人間と共存できる場所を作ることよ。そのために、人間を完全に敵対視している女皇たちのグループは最終的には邪魔な存在。これは確かなことだわ」
「最終的には、ね。ってことは、悪魔狩りも最終的には邪魔者になるってことか」
「……それはあっちの態度次第でもあるわね」
返答までに少し間があった。
迷いがあるのか、あるいは彼女の個人的な思いと、属する集団の方針にズレでもあるのか。
以前、晴夏先輩が吐き捨てた悪魔狩りへの憎悪の言葉は並々ならぬものだった。
それは、彼女たちと悪魔狩りとの間に決定的な溝が存在することの証明だったようにしか思えないのだが――
「……今回のこと」
気を取り直したように晴夏先輩は言った。
「あなたがどうして悪魔狩りを頼ることにしたのかよくわかったわ。雷皇が覚醒したとき、あそこで引き下がった私たちをアテにできないと思ったのも、それは仕方のないことだと思う。でも、悪魔狩りはもっと信用ならない連中よ。あなたと私たちはいつかきっと協力できるはず。……だって」
と、ソファからゆっくり立ち上がる。
「あなただって……私たちと同じ犠牲者なんだから」
「犠牲者?」
聞き返した俺の言葉に返答はなく。
晴夏先輩が背中を向けるのと、保健室のドアが外から開かれたのはほぼ同時だった。
「……おや。不知火くんも来てましたか。綾小路くん。もういいのですか?」
「ええ。お世話になりました」
晴夏先輩が保健室を出て行って、入れ違いに山咲先生が入ってきた。
先生に椅子を返し、俺はさっきまで晴夏先輩が座っていたソファに腰を下ろす。
(……犠牲者、か)
晴夏先輩の言葉。
神村さんの言葉。
想像できることはいくつかあったし、それらはいずれ明らかにしなければならないことだろう。
ただ、今は余計なことは考えないことにした。
唯依のために。
そして神村さんの信頼に応えるために、俺にできることをやる。
今はそれだけに集中すべきだろう。