2年目12月「2択」
「なるほどな」
一夜明け、俺は唯依の口から事のてんまつを聞いている。
昨晩メリエルと対峙した後、俺はそのまま唯依たちの暮らすアパートへ足を向け、そこでちょうど俺の家に電話していたらしい唯依に会うことができた。
唯依はなにか決意したような目で前のめりに事情を説明しようとしたが、ずぶ濡れの姿と憔悴しきった顔を見て休ませるのが先と判断し、その場ではメリエルの言葉が真実だったということだけを確認して、まずは唯依を家に連れ帰った。
そしてその翌日、つまり今日。
平日ではあったものの、俺と唯依はいずれも病気ということにして学校を休み、こうして昨日起きたできごとの確認と、今後のことについて話し合いをしていたわけである。
「それで亜矢たちを元に戻すのに、優希先輩の力を貸して欲しいんです」
「そりゃもちろんそのつもりだが」
改めて確認しても、死んだ母親が娘たちの体を乗っ取ったなんてのはにわかには信じがたい話だ。
ただ、ここまで来てただのドッキリでしたってオチはいくらなんでもないだろう。
つまり亜矢、真柚、舞以の3人を助け出すには、その体を乗っ取っている"母親の幽霊"をどうにかしなければならないということになる。
「お前、その幽霊を追い出す方法は検討がつくのか?」
そう聞くと、唯依は申し訳なさそうに目を伏せた。
「……いえ。ただ、僕が元々持っている力があれば可能かもしれないと言っていました」
「舞以――じゃなかった。メリエルが、だよな?」
敵の言葉だし、真っ赤な嘘という可能性もある。
ただ、そんな嘘をついて向こうにメリットはあるだろうか。
すぐに判断できることではなかったが、少なくとも唯依はそれが本当だと信じているようだし、現状ではそれ以外の手がかりがまったくないのも確かだった。
「唯依。お前って炎魔の血族だったよな?」
「たぶん、ですけど……」
自信なさそうに唯依はそう答えたが、こいつが炎の力を使うのは俺も見ている。間違いはないはずだ。
とすれば、メリエルが言う"元々の力"というのはなんのことを言っているのだろうか。
唯依が持っているのは俺と同じ炎の力だ。だが、それではどうやっても体の中に巣食った別人格を追い出すなんて芸当はできない。
あるいは力で強引にねじ伏せれば勝手に出て行くとかそういう単純なことなのかもしれないが、それなら唯依でなくともできる可能性はあるし、そもそも唯依が、メリエルやアイラといったあの規格外れの連中をまとめてねじ伏せるほどの力を隠し持っているとは思えない。
「情報が少なすぎるな……」
残念ながら俺の知識も、唯依が知っていることに毛が生えた程度のものだ。
それに今回の敵は、俺と唯依だけで対抗するには少し規模が大きすぎる。3人の女皇に加え、唯依の話によれば炎魔らしき大柄な悪魔がいたというし、他にもクロウとかいう正体不明の敵がいるようだ。
知識だけではなく、全面的に誰かの助けを借りる必要がある。
とすると――
神村さんたち、悪魔狩り"御門"か。
あるいは晴夏先輩のグループか。
悪魔狩り"御門"については、伯父さんや神村さんはもちろん信用できる相手だが、組織の実権を握っている悪魔排除派の紫喉という男が唯依たちの存在を知れば、どう出るかわかったものではない。
女皇というのはかつて"御門"と戦い、それを滅ぼしかけた連中だというし、手を貸してくれるどころかまとめて排除しようとする可能性もあるだろう。
一方の晴夏先輩たちは、ここまでの流れを見てもひとまずは手を貸してくれそうな気がする。
ただ、昨晩あの状況であっさり引き下がってしまったことを思うと、敵となった亜矢たちを助け、そして元に戻すなどという素人目にも難しそうなことに、どこまで突っ込んで協力してくれるかわからない。
難しい判断だった。
ちらっと唯依の顔を見る。
こいつに委ねることを一瞬考えたが、直接会ったこともない連中についての判断を求めるのはいくらなんでも無責任だろう。
やはりここは俺が責任を持って決めるしかない。
深く息を吐く。
時計を見ると、いつの間にか昼近くなっていた。
しばしの思考。
「……唯依。ちょっと留守番頼む」
そう言って俺は立ち上がった。
「っていうかお前、事件が解決するまではここに泊まってけ。それと学校のほうは適当な理由つけて長期欠席届でも出しとけよ。亜矢たちの分もな」
「え、泊まるって、ここにですか?」
「他にどこがあるんだよ」
俺は当然のようにそう言ったが、唯依はなぜか少しうろたえた。
「でも……ここって雪さんや牧原さんも住んでいるんですよね?」
「歩もな。そういや瑞希のやつにはまだなにも説明してなかったな」
昨日帰ったときはかなり夜も更けており、瑞希はもう自室に戻っていた。
今朝も唯依が起きてきたのは少し遅い時間だったので、まだ顔を合わせていないはずである。
「それ、僕が泊まることになって大丈夫ですか?」
「別にいいんじゃねーの? 雪と歩は事情知ってるし、瑞希のやつはまぁ、適当な理由つけて誤魔化しときゃ大丈夫だ。……ああ」
唯依の表情を見て気づく。
「お前、気ぃ遣いそうだもんな。けど、心配ないぞ。かぼちゃときゅうりが一緒に住んでると思えばいい」
「む、無茶言わないでくださいよ……」
「よほどのことがない限り、追い出されることはねーからよ。お前だってあのねーちゃんたちと暮らしてたんだから、注意しなきゃならんことはわかるだろ」
「まあ、それはだいたい……」
唯依はちょっと情けない顔をしていたが、それ以上はなにも言わなかった。
納得したというよりは、そんなことを気にしている場合ではないと気づいたのだろう。
「じゃあ、そういうことで留守番頼むな」
俺はもう一度唯依にそう言い残し、家を出た。
風見学園の近くにある本屋で少し時間をつぶした俺は、目的の人物がその店の前を通り過ぎるのを発見してすぐに後ろを追いかけ声をかけた。
「……不知火さん? なにか御用ですか?」
振り返ったのは表情の乏しい三つ編みの少女。
神村さんである。
「ああ、ちょっとな。これから時間、いいか?」
「構いません」
唐突な申し出にも神村さんは即座にうなずいてくれた。
以前は用件を切り出す前に拒否されてた気がするので、これは多少なりとも距離が縮まっていると考えていいかもしれない。
歩道の真ん中で話しこむのもアレなので、俺たちは喫茶店『三毛猫』へ移動することにした。
雪が最近たまにバイトに来ている喫茶店である。
「おや、いらっしゃい」
店主である顔見知りの婆さんがカウンターに立っていた。
今日は少し時間が早いのか、客はまだひとりもいない。
好都合だった。
一番外から目立たない奥のテーブルに神村さんと向かい合わせで腰を下ろし、俺はホットココア、神村さんはオレンジジュースを注文する。
飲み物が出てきてから俺は用件を切り出した。
「……たとえばの話だ。ここに今、ひとりの悪魔がいるとしよう」
「はい」
「俺のことじゃないぞ?」
「わかってます」
余計な心配だったらしい。
俺は先を続ける。
「そいつは結構強い力を持っている。神村さんたちの組織はそいつを危険だと思っていて、見つけ次第捕まえようとしている、としよう」
「はい」
「けど、実はそいつは別に危険でもなんでもなく、人畜無害どころか世のため人のために働く善人だったとする。実際に悪いこともなにもしていない」
神村さんが無言でうなずく。
「もしも今、神村さんの目の前にその悪魔が現れたとして――」
と、そこで神村さんが口を挟んだ。
「私個人は、その悪魔が無害であることを知っているという前提ですか?」
「ん……ああ、そうだな。確信はないけどどうやら無害らしいと思っているぐらいで。……そうなったら、神村さんはどうする?」
期待を込めた俺の問いかけに、神村さんはいつものごとく表情をピクリとも動かさず、それでもはっきりとした口調で答えた。
「組織の方針に従い、その悪魔を捕らえます」
「……そうか」
そんな彼女の回答に、思わず声のトーンが落ちてしまった。
半分は予想通りだったとはいえ。
それでも神村さんに会いにきたのは、もしかしたらという思いがあったからだ。
(……となると、いよいよ晴夏先輩を頼るしかないか)
悪魔狩りに助けを求めるなら、最低でも神村さんと伯父さんの全面的な協力が必要不可欠だ。
そのぐらいでなければ唯依の身を危険にさらすような賭けはできない。
もちろんきちんと事情を説明すれば神村さんが協力してくれる可能性も残っているが、まるで面識のない唯依を、神村さんがいきなり全面的に信用してくれるという可能性は低いだろう。
「お話はそれだけですか?」
神村さんはいつの間にか空になったグラスをテーブルに置いて、そう尋ねてきた。
……今の質問について深く追求されないのは不幸中の幸いか。
「ああ。……いきなり変な話をして悪かったな。ここは俺が払うから」
「それでは帰ります」
遠慮することもなく、神村さんはいつもの調子でそう言うと席を立った。
そして落胆した俺を残し、歩み去っていく。
……いや。
「……どうした?」
急にピタリと立ち止まった神村さんに、俺が怪訝な声を投げると、
「余計なことかもしれませんが」
神村さんは肩越しにゆっくりと俺を振り返って言った。
「確信できるということであれば、違います」
「……今の話か?」
「はい」
静かにうなずく神村さん。
「その悪魔を捕らえなければならないという組織の判断が間違いであり、そのことを私自身が確信できるのであれば、私はその悪魔を捕らえようとはしないでしょう」
「それがたとえ組織の方針と違っていてもか?」
「いいえ」
神村さんはすぐに首を横に振った。
「善良な悪魔に害をなすことこそ、組織の本来の方針に反するものです。私にはそれを正す義務と責任があります」
「……なるほど、な」
俺は少しぬるくなったホットココアを口に運びながら考えた。
神村さんの方から提示してくれた可能性。
そこに踏み込むか、否か。
考えて、言葉にする。
「それを神村さんに確信してもらうためには、どうすればいいんだろうな?」
「……」
視線を泳がし、一瞬だけ迷ったような顔をして。
そして神村さんは音も立てずにゆっくりと、俺の正面の席に戻ってきた。
俺も無言でその動きを追い、回答を待つ。
背筋をピンと伸ばし、正面からまっすぐに俺を見つめて神村さんは言った。
「あなたの言葉を、信じます」
「……え?」
驚いて、俺はカップを口につけたまま固まってしまった。
神村さんは繰り返す。
「あなたが信用できると言うのであれば、私はその悪魔を信用します。それでどうですか?」
「……いいのかよ、そんなんで」
「おかしいですか?」
「おかしいっつーか……らしくない、かな」
そんな俺の言葉に、神村さんはちょっと考えるような顔をした。
どうやら言葉を探しているらしい。
そして約10秒ほどの思考のあと。
「不知火さんは、私が味方である限り、私の味方であり続けると言ってくれました」
「ああ……そういやそんな話もしたな」
半月ぐらい前のことだ。もちろん覚えている。
「だから私はあなたの言葉を全面的に信用します。不知火さん。私はあなたに味方であって欲しいから」
「……」
わかりやすい話だった。
しかし、これは。
(……信頼できてなかったのは俺のほうだった、ってことか)
彼女に相談することを迷ってしまった自分を恥じ、少し申し訳なく思った。
そして覚悟を決める。
「この後、まだ時間あるか?」
ココアをすべて飲み干し、俺は席を立ってポケットから財布を取り出した。
「家まで来てくれ。会って欲しいやつがいるんだ」
俺の抱えている事情をすでに多少なりとも察していたのかどうか。
神村さんの表情からそれを読み取ることはできなかったが、
「はい。わかりました」
特に疑問を挟むこともなく、彼女はただ静かにうなずいたのだった。