1年目5月「暗雲」
(……勝った)
俺はついにこの長く苦しい戦いを制した。
払った犠牲は数知れない。だが、この俺の勝利はその数々の屍を乗り越えてきた結果だ。
これでようやく世界に平和が訪れる――
「払った犠牲って、遊べなかったとか見たかったドラマが見れなかったとかでしょ?」
「……」
直斗の一言で俺はあっという間に現実世界に引き戻されてしまった。
教室内はざわついている。
無理もない。高校に入って初めての定期テストが終了した安堵感と解放感でみんな浮ついているのだ。
「ていうか、俺はまだなにも言ってないぞ」
「優希の考えてることはわかるよ。テストが終わった直後だしね」
しれっとそう答える直斗。
いや、それにしてもわかりすぎだ。もしかして思わず口に出してしまったりしたのだろうか。
「でもまだ安心はできないよ。テストが返ってくるまでね」
「結果は問題ではない。大事なのはどれだけ努力したかだ」
「どれだけ努力したの?」
「……さて。テストも終わったことだし、どっか遊び行くか」
適当にごまかして席を立つ。
と、そこへ、
「遊びのことなら任しておけぃ!」
ぬっと目の前に将太の顔が現れる。
俺は少しのけぞった状態で将太を見据えながら、
「突然アップで登場するのはやめろ。お前の顔は心臓に悪い」
「……ひでえ! それが親友に対する言葉かよ!」
「それで? どういう計画?」
と、直斗が尋ねると、将太はくるっと振り返って、
「よお、直斗。今日も相変わらず可愛いらしいな」
「嬉しくないよ」
すぐさまそう切り返す直斗。
こいつは身長が160センチちょいと小柄な上に、もともと中性的な顔立ちをしている。
男にナンパされたことがあるとか聞くほどで、将太の発言はそれを踏まえたものだ。
直斗本人はそのうわさについて言及したことはないが、その話を聞くようになったころを境に急に男っぽい服装を心がけるようになったので、おそらく事実なのだろう。
「で? 今日の計画ってのは?」
俺が改めてそう聞くと、将太は力強くうなずいてみせて、
「駅前のカラオケに行こうぜ。第3金曜日は半額だったろ、あそこ」
「あー、そうだったな。けど、混んでるんじゃねーの?」
「そう思うだろ? けど、俺の調べたところによるとだな」
将太はニヤリとしながら例のメモ帳を開いて、
「ウチのガッコの2年と3年はこれからもう1時間テストがある。桜花女子も全学年まだテストが終わってない。……つまり、現在この辺りの高校生で暇なのは俺らだけってことだ!」
パタン、と、勢いよくメモ帳を閉じる将太。
直斗が感心した顔で、
「こういうときだけは将太の情報って役に立つよね」
「だけってなんだよ」
将太は不満げだったが、せっかくの提案を断る理由はない。
カラオケに行くのも久しぶりだ。
「オッケー。じゃ、さっさと行くか」
「……あ。ちょっと待て」
将太は手を出して俺を制すると、
「ヤローだけってのはつまらんだろ。由香ちゃんも誘おうぜ」
「あー? 由香?」
つぶやきながら直斗と顔を見合わせる。
「アイツはやめといたほうがいいんじゃねーかな」
「あ? なんでだ?」
将太は不満そうな顔をする。
俺は頭をかきながら、
「お前はカラオケでチューリップやさくらさくらが聞きたいか?」
「は?」
怪訝そうな将太に、直斗が苦笑しながら補足する。
「由香は基本的に歌わないよ。歌うとしたら童謡とか学校で習うような歌だから」
「下手なわけじゃないんだがな」
一応あいつの名誉のために付け加えておく。
が、意外にも将太は食いついてきた。
「由香ちゃんの声で童謡なら、めっちゃハマりそうじゃん! 聞いてみてえ!」
「……マジで?」
というか、結局はなんでもいいから女の子を連れて行きたいということらしい。
そんなわけで、俺たち(将太の強い希望により由香を含む4人)は駅前のカラオケボックスに行くことになった。
駅は風見学園から歩いて約10分。
そのすぐ近くに緑色のボックスがいくつも並んでいる場所があり、これが俺たち御用達のカラオケボックスだ。
といっても、俺は特別カラオケが好きってわけじゃないから来るのはせいぜい2ヶ月に1回程度。
それも大抵は将太に誘われて、である。
「カラオケなんて久しぶり……」
部屋に入ると、由香は長いポニーテイルを揺らしてキョロキョロと見回していた。
まるっきり田舎の人みたいな仕草だ。
きっと中学のころに俺たちと来たのが最後なのだろう。
「じゃあさっそく歌おうぜ! 一番手は俺な!」
手馴れた仕草でマイクを手に選曲する将太。
残念ながら(?)一番カラオケがうまいのはこいつである。
俺たち程度のレベルでは、やはり才能よりも経験がモノをいうようだ。
なお、由香は選曲がアレなのでいまいち判断しづらいが、歌自体はかなり上手いように聞こえる。
意外と物怖じせずに歌うので、教育番組で歌っているお姉さんみたいな、あんな感じだ。
俺と直斗は揃ってそこそこ。
ただ、直斗は高音がかなり出るので曲のレパートリーは広い。
由香はそんな俺たちの歌が終わるたびに惜しみない拍手をしてくれた。
実際どう思っているかはともかく、まあ嬉しくないわけでもない。
……将太の得意げな顔だけは正直ちょっとイラっとしたが。
そんなこんなで4人でわいわいと騒ぎ、結局3時間も歌ってそこを出た。
といってもテストは11時前に終わっていたので、まだ14時過ぎである。
「なぁ、次、どうする? ゲーセンでも行くか?」
満足そうな顔で将太が言う。
「まだどっか行くのか?」
「そりゃそーだろ。せっかくテストから解放されたんだしよー」
「それはいいんだが……」
実を言うと、俺の財布が悲鳴をあげかけている。
いつものことながら俺の財布は根性値が低いらしく、すぐに中身をバラまいてしまうのだ。
(だからって、金がないって正直に言うのもシャクだな……)
さて、どうしようかと悩んでいると、
「……あ、ごめんなさい。私、そろそろ帰らなきゃ」
由香がそんなことを言い出した。
将太は不満げな顔をして、
「なんだよ~。まだ遊ぼうぜ~~~!」
「あ、うん……ごめんなさい。お母さんからお使いを頼まれてて」
由香が申し訳なさそうな顔をする。
「家の用事なら仕方ないよね」
将太がさらになにか言い出す前に、直斗が許可を出した。
この辺はさすがのフォロー力である。
将太も仕方なさそうに、
「ま、しゃーないか。もともと無理に誘ったんだし。俺のほうこそ無理言ってごめんな」
「今日は随分と物わかりがいいじゃねーか」
俺が茶化すと将太はまじめな顔で、
「当たり前だ。俺は女の子には優しいんだよ」
「ああ、そうかい。じゃ、俺も帰るかな」
「なに言ってんだ。お前が帰るのは許さん」
がしっと将太に腕をつかまれる。
「別に用事とかないだろ。もっと付き合え」
「用事ならあるぞ。由香を家まで送ってく。由香んちのおばさんに頼まれててな」
「はぁ? 嘘つくなって」
疑いの目を向けてくる将太。
気持ちはわからんでもないが、実は嘘ではない。
「昨日のホームルームで言ってたろ。一昨日だかこの辺で変質者が出たとかなんとかって」
「あー、そういや……」
どうやら将太も一応聞いていたようだ。
「それでしばらくは俺か直斗が家まで送ることになってんだよ」
「将太。本当のことだよ」
直斗が言うと、さすがに将太も信じざるを得なかったようだ。
「ちぇっ、なんだ。本当に本当なのかよ」
「たりめーだ。俺は生まれてこの方ウソなど吐いたことがないからな」
「……」
全員が黙り込んだ。
それ自体が嘘だ、なんてくだらない突っ込みをしてくれる奴はこの場にはいないらしい。
「……とにかくだな」
「ユウちゃーん!」
ちょっと淋しくなった俺がその場を切り上げようとすると、聞き覚えのある声が聞こえた。
確認するまでもなく、俺のことをそんな風に呼ぶのはひとりしかいない。
「こっちだよ、こっちー!」
声のほうを見ると、道路を挟んだ向こうに手を振っている雪の姿があった。
「おぉ! あれは我らが学園の元アイドル、雪ちゃんではないか!」
そんな将太の物言いは一見大げさのようにも思えるが、実はそうでもない。
なにしろ中等部のころは、雪のファンクラブが実際に(もちろん非公式にではあるが)存在していたことがあるのだ。
ちなみに俺が密かにそれに入会していて、将太をはじめとするメンバーの妨害活動を行っていたことは今なお隠された真実である。
「今日はみんな揃ってどうしたの?」
駆け寄ってきた雪は桜花女子学園の制服姿だった。
あそこの制服はどこだかの有名なデザイナーに頼んだものらしく、ウチの学校のオーソドックスなセーラー服と違って少し凝ったデザインになっている。
詳しいことはわからないが、パッと見で単純におしゃれというかちょっと明るいデザインだ。
俺は雪に答えた。
「これから帰るところだ」
「これから遊びに行こうと思ってたのさ」
俺と将太の口がほぼ同時に正反対の言葉を発するが、雪はまったく戸惑った様子もなくうなずいて、
「そうなんだ」
「今のでわかったのか?」
「うん。今までみんなで遊んでて、ユウちゃんはそろそろ帰ろうかなって思ってたのを、将太くんがもっと遊ぼうって引き留めてたんでしょ?」
「……お前は超能力者か」
直斗といいこいつといい、洞察力が高すぎる。
「私がわかるのはユウちゃんのことだけだよ。双子だからね」
「関係ねーだろ、それ」
「あるよ。心がつながってるもの」
「……」
バカな。
もしそれが本当だとすると、今までの恥ずかしいアレやコレやも全部筒抜けになっているということになってしまう。
ないだろ。
……ないよな?
「百面相してるよ、ユウちゃん」
雪はそんな俺の葛藤すらも見通したように(たぶん俺の被害妄想だ)笑うと、
「でもどうして帰るの? まだ早いよ?」
「ん? ああ、由香のやつを送ってくんだよ」
そう答えると、横から由香が申し訳なさそうに、
「私が用事で帰るって言ったら、優希くんが送ってくれるって言ってくれて……」
「そうなんだ? そうだね。最近物騒だって言ってたもんね」
雪は納得したようだ。
おそらくは桜花女子でも同じような注意喚起があったのだろう。
俺は由香の後頭部をポンと叩いて、
「ま、こいつみたいにおどおどした奴が一番危ないからな」
「ごめんね」
由香が落ち込んだ顔をすると、雪は微笑んで、
「そんなの謝ることじゃないよ。由香ちゃんが悪いわけじゃないんだから」
「ま、日頃のお返しってことにしといてやろう」
俺は雪の言葉にそう付け加えると、
「じゃ、そろそろ行こうぜ。由香、おまえ家の用事があんだろ」
「あ、うん。じゃあ……」
由香がそう言って直斗や将太の方を見る。
「……しゃーねえから俺も帰るか。由香ちゃん、今日はどーもな」
と、将太が手をあげて去っていく。
ここからだと将太の家だけ俺たちとは逆方向なのだ。
「直斗。お前はどうすんだ?」
「僕も帰るかな」
直斗はそれほど考えずにそう答える。
もともとひとりで遊び回るようなタイプでもないから当然か。
「そっか。んじゃあ」
俺は最後の雪のほうを見て、
「お前はどっか行くんだろ? あんま遅くならんうちに帰ってこいよ」
「え?」
なぜか雪は驚いたような顔をした。
「え、って、お前、こっちに来たってことはなんか用事があったんだろ?」
「あ、うん。でも――」
雪は少しだけ首を傾けて考えるような仕草をする。
そこへ直斗が俺の服の裾を引っ張って、
「優希」
「あ?」
「由香は僕が送っていくよ。雪に付き合ってあげたら?」
「は? つか俺、こいつの用事がなんなのか知らねえし」
「なんだっていいじゃない。ねえ、雪」
「……」
直斗の言葉に、雪はちょっと困ったような顔をしていた。
「じゃ行こうか。由香」
「あ、うん。優希くん、雪ちゃん、またね」
そうして直斗は由香を連れてさっさと行ってしまった。
最後の最後に非難するような視線を俺に向けて。
「なんなんだ? あいつ……」
「ナオちゃんらしいね」
見ると、雪はなにか納得しているようだ。
蚊帳の外に出されたみたいでおもしろくないが、まあいつものことだったりもする。
やがて、雪が遠慮がちに俺の服の袖を引いた。
「ユウちゃん? 付き合ってもらってもいい?」
「いいも悪いもないだろ」
こうなった以上いまさらすぎる。
「来月のこづかい2割増しで手を打とう」
「それはダメ。ユウちゃん無駄遣いするもの」
「くっ……」
どさくさに紛れてお許しが出るかと思ったが甘かったようだ。
結局のところ、雪の用事というのはただの買い物だった。
学校の帰りなら前に行ったデパートのほうが近くて便利なのだが、駅前のスーパーで売り出しをやっているとかでわざわざこっちまで足を伸ばしたらしい。
結果的にはそれなりの量を買ったので、ついてきて正解だったようだ。
そして帰り道。
「ねえ、ユウちゃん。由香ちゃんのこと、梓おばさんに頼まれてたの?」
「まあな」
「そっか。私も一昨日偶然会ったんだけど、自分で変質者を捕まえてやるって意気込んでたよ」
ふふ、と、雪はおかしそうに笑う。
「……ホントーにやりかねないからなぁ、梓さんの場合」
梓というのは由香の母親である水月梓さんことだ。
周りのやつらの親と比べて格段に若く、まだ20代。今年の誕生日でようやく30歳だっただろうか。
由香がいま15歳だから――いや、逆算するのはやめておいたほうがいいだろう。
雪は普通に"梓おばさん"と呼んでいるのだが、俺や直斗は"梓さん"あるいは"梓お姉さん"と呼ぶことを強要されていた。
そんな由香の家の事情は、本人の平々凡々っぷりとは違って少しだけ特殊である。
由香の父親は水月鉄也さんといって、職業は刑事。
ちょっと恰幅のいい温厚な顔つきの人で、その職業とは裏腹に見た目どおりの優しい(少なくとも俺たちに対しては)人だ。
歳は正確にはわからないが、梓さんと20歳以上離れていると聞いているから少なくとも50歳を超えていることになる。
それに対し梓さんは本人曰く"昔はちょっとだけヤンチャ"だったそうで、鉄也おじさんと初めて会ったのは中3のとき、警察署だか鑑別所だかの中だったそうである。
で、梓さんが16歳の誕生日を迎えると同時に結婚。
だから30歳ですでに結婚14年目ということになる。
梓さんはそういう話をまったく隠そうとしないのでいろいろと聞かされているが、色々計算してみるとふたりが結婚したときに由香はすでに生まれていたころになり、はっきり聞いたわけではないが、鉄也おじさんと由香は血がつながっていないようだ。
ただ、そんな由香の性格がサバサバした梓さんより温厚なおじさんのほうによく似ている、というのは非常に面白いところである。
「……って、おい、雪。どうした?」
ふと気付くと、雪が立ち止まって後ろを振り返っていた。
「あ、ううん。なんでもない」
雪はハッとしてすぐに追いかけてきたが、なにやら首をかしげている。
「なんだよ。なにか気になるものでもあったのか?」
「ううん。ちょっとボーっとしてただけ」
「?」
結局それ以上なに言わなかったので追及はしなかったが、その日は家に帰るまで後ろを気にしているようだった。
――湿気を含んだ風が吹き抜けていく。
どうやら憂鬱な梅雨の季節が近付いているようだった。