2年目11月「それでも味方で」
「おーい、神村さーん」
今日もまた文化祭の準備で慌しい教室の中、遠くから呼びかけた俺の声に振り返ったのは残念ながら神村さんではなく、まったく関係のないクラスメイトたちだけだった。
おそらくは教室内が騒がしいせいで聞こえなかったのだろう。
仕方なく、俺は彼女の席のそばまで近づいていった。
神村さんは窓際の自分の席で、演劇で使う舞台衣装らしきものとチクチクと作っていた。
相変わらずひとり――ではなく。
「どうしたの、ユウちゃん?」
いた。
本来ならこの学校にはいないはずの、桜花女子学園の制服に身を包んだ雪。
「あら。なんの用?」
そして、同じ制服を着た瑞希。
今年はこのふたりもウチのクラスの戦力になっているのだが、残念なことに演劇の脚本がアレのため、宝の持ち腐れ確定である。
さて。
俺の目的である神村さんはといえば、そのふたりに教えられながら、手馴れた――というにはほど遠い危なっかしい手つきで、針と布を相手に悪戦苦闘していた。
前からちょこちょことこういう場面に遭遇しているとおり、この人は基本的に不器用なのである。
「あ、沙夜ちゃん。そこ違うわ。そっちじゃなくてこっちから回して……」
「こうですか?」
「そうそう。指、気をつけて」
「はい」
基本は瑞希が教えつつ、たまに雪が口を挟んで、それに従いながら黙々と作業を進める神村さん。
なんとも異様な――もとい、微笑ましい光景である。
(しかし……従姉妹ねえ)
ついつい瑞希と神村さんを見比べてしまった。
正直なところ、まったく共通点がない。
まあ、瑞希の外見は完全に伯父さん似で、宮乃伯母さんともあまり似てるところがないぐらいだから、当然といえば当然でもあるのだが。
「で、なんの用なの?」
突っ立ってふたりを見比べていた俺に、瑞希が不審そうな目を向けてきた。
同時に、神村さんも手を止めて俺を見る。
……ああ、ひとつだけ共通点を見つけた。
女子高生とはとても思えない、この異様な威圧感である。
これが従姉妹であることの証明だというのなら、なんと重苦しい家系なのだろうか。
「ああ、いや」
情けなくもそのプレッシャーに耐えられなくなった俺は、すぐに用件を切り出すことにした。
「ちょっと買い出しに行くんでな。神村さんに付き合ってもらおうかと思ってさ」
そう言うと、案の定瑞希が怪訝そうに眉をひそめる。
「なんで? 別に沙夜ちゃんじゃなくてもその辺にいるじゃない」
もちろんこの反応は予想通りだ。
あらかじめ用意していた言い訳を口にする。
「神様のお告げでな。今日は神村さんと一緒に歩くと吉と出たのだ」
「……」
瑞希はなにも言わなかったが、不審な視線がさらに色濃くなった。
が、しかし。
「わかりました」
神村さんが静かに立ち上がる。
いつも俺の要求を『いやです』の一言で粉砕する彼女にしては、非常に珍しい反応だった。
「瑞希さん、雪さん。また後でお願いします」
神村さんはそう言うと、俺さえも置いてさっさと歩き出してしまう。
相変わらず行動が早い。
「あ、ちょっと沙夜ちゃん?」
「んじゃ、そういうことで」
「ちょっと、優希!」
まったく事情のつかめていない瑞希が声を張り上げて。
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
同じく事情はそれほどわかっていないはずだが、いつもの調子でうなずく雪。
俺はそんなふたりに背中を向けたまま軽く片手を上げ、神村さんの後を追って教室を出たのだった。
「……瑞希さんのことですか?」
教室を出て追いつくと、すぐに神村さんのほうからそう切り出してきた。
どうやら最初から俺の目的に気づいていたらしい。
「そのことでしたら、不知火さんのご想像の通りだと思います」
「それってつまり……」
階段を下りて玄関へ。
外履きへ履き替えながら俺は神村さんの顔を見た。
「瑞希さんは私の従姉です」
神村さんはあっさりとそれを肯定した。
「やっぱりそうか」
ふたりで並んで外へ出る。
上空はくもり空。
11月に入って風はそれなりに冷たくなってきていた。
「そのこと、瑞希は知らないんだろ?」
「はい」
神村さんはうなずいたが、すぐに続けて言った。
「私も先日までは知りませんでした」
「はあ?」
「知りませんでした」
「……どういうことだ?」
怪訝な顔を向けると、神村さんはちらっと横目でこっちを見て、
「雅司おじさまに娘さんがいるのは知っていましたが、それが瑞希さんであることは知りませんでした。"牧原"という名字はそれほど珍しいものではありませんから」
そこまで言って、俺がさらに怪訝な顔をしたことに気づいたのか神村さんは続けた。
「雅司おじさまはご家族のことをあまり話さないのです。ですから、雅司おじさまと不知火さんたちの関係についてもまったく知りませんでした。私も驚いています」
言葉はいつものように淡々としていたが、その言葉に嘘はないように思えた。
俺は少し考えて次の質問を口にする。
「なあ。伯父さんのこと聞いても構わないか?」
「構います。おじさまのことについてはおじさまの口から聞いてください。私には答えられません」
「そっか」
まあ、当然というか彼女らしい回答ではある。
しかしひとまず、伯母さんと神村さんの間に血縁関係があることが確定しただけでも充分な収穫だ。
校門を出て、左へ曲がる。
駅の方角だ。
「不知火さん」
今度は神村さんのほうから話しかけてきた。
「なんだ? 付き合ってる彼女はいないから、いつでも告白OKだぞ」
「不知火さんのご両親はどうなさっているのですか?」
スルー安定。
「俺の両親?」
それにしても唐突な質問だった。
「はい。昨年、不知火さんの存在が明らかになってから私たちのほうでも色々と調べさせてもらっていたのですが、近くにはいらっしゃらないようでしたので」
「ああ、そっか。そりゃ仕方ない。かなり昔に事故で死んだらしいからな」
「らしい、というのは?」
「覚えてないぐらい昔ってことさ」
湿っぽい話にはしたくなかったので、ことさらに明るくそう言うと、
「……昔、ですか」
神村さんは視線を泳がせた。
こんな反応も、彼女にしては少し珍しい。
そして、10秒ほどの空白。
「それは……何年前のことですか?」
「ん? ああ、俺たちが2歳かそこらだったっていうから、14年ぐらい前ってことになるのかな」
「……14年、ですか」
その一瞬、神村さんが見せた表情に俺は驚いた。
(なんだ、今の……?)
今までに見たことのない。
悲しそう……いや、苦しそうな表情だった。
結局、神村さんはそれきり黙りこんでしまった。
俺たちは無言のまま駅前通りへ向かう。
買い出しは神村さんを連れ出して瑞希との関係を聞き出すための口実だったから、目的を果たした以上はもう戻っても構わないのだが、なにも買っていかなければまた瑞希に色々と言われそうだ。
それに――
「……なぁ、神村さん」
先ほど見せた彼女の表情が、俺はひどく気になっていた。
「伯父さんのこととか、組織のこととか。神村さんのこともそうだけどさ」
神村さんが無言のままにこちらを見る。
俺は続けた。
「俺、まだ知らないことが色々あるみたいだな。知らないだけなのか、意図的に隠されてるのかはわからんけど」
「そうですね」
俺が強調したかったのは"意図的に隠されている"のほうで、そのニュアンスはおそらく神村さんにも伝わったはずだ。
にもかかわらず、彼女はそれを否定しなかった。
「おじさまのことは、私もすべて知っているわけではありません。ただ」
神村さんは目を閉じ、静かに息を吐く。
「……すべて。不知火さんが本当にすべてを知ってしまったとしたら」
目を開いて再び俺を見る。
感情の薄い瞳が、かすかに揺れていた。
「あなたは、私を――私たちを許せないかもしれませんね」
「え?」
俺は驚きに目を見開いて、神村さんを見つめ返す。
「……それでも私は」
そんな俺の反応に構わず、神村さんは続けた。
「それでも私は、自分に与えられた使命をこなさなければならない……」
「……神村さん?」
なにかを無理やり押し込んでいるような表情だった。
……今までもそういうことを思わなかったわけじゃない。
感情の無い人間なんているはずはないから、いつも淡々としている神村さんは常に感情を無理に押し込めているのだろうと、そう考えてはいた。
ただ、今までのそれはあくまでも想像。
そう考えることはあっても確信はなかった。
しかし、今は違う。
彼女は明らかに、感情を押し殺すことに苦労していた。
「……大丈夫か?」
そして俺はその一瞬、確かに感じたのだ。
……彼女の中のなにかが、限界に近づきつつあるのではないか、と。
「不知火さん」
ただ、俺は彼女のなにを知っているわけでもなかった。
おそらくこれまでにも辛いことがたくさんあって、きっと彼女は徐々に削られてきたのだ、と、そう想像することはできても。
想像することしかできなかったのだ。
そして神村さんは言った。
「不知火さん。あなたは私の味方ですか?」
「……味方、ってのは?」
言葉の真意がつかめず問い返す。
神村さんは即座に答えた。
「あなたにとって、私はおそらく憎むべき人間です」
「……」
返す言葉を失う。
「昨年の雪さんの事件のことだけを言っているのではありません。きっと……いえ」
神村さんは首を小さく横に振った。
「私があなたにとって憎しみの対象であるとして。それでも……あなたは私を憎まずに――いえ、憎んでくれても構いません。私の味方でさえいてもらえるのなら」
彼女らしくもない、支離滅裂な言葉。
俺は戸惑いを隠せなかった。
「待ってくれ。なにを言っているのか、いまいちよくわからないんだ」
俺がそう言うと、神村さんはほんの一瞬のためらいの後、決意したような表情で言った。
「あなたの両親は私が殺しました」
「は……?」
突然の言葉に驚いていると、神村さんはさらに続ける。
「昨年、雪さんが危険な目に遭ったのも私のせいです。神薙さん――直斗さんが毒で命を狙われたのも私の責任です。神崎さんに長いこと悲しい思いをさせてきたのも私です」
一気に言い切って、一呼吸。
「ですが」
神村さんは言葉を切り、視線を横に動かした。
背筋は伸ばしたまま。
どこか遠くを見つめる目で。
「私はこれから今までの過去を悔い改め、改心しようと思っています。……そうだとしたら」
そしてもう一度、今度はゆっくりとした動作で俺に向き直った。
「不知火さん。あなたはそれでも私の味方になってくれますか?」
「……」
困惑する俺の両脇を、冷たい風が吹き抜けていく。
その風は神村さんのお下げを軽く揺らし、前髪をかすかにそよがせて。
……俺は即答できなかった。
その前提がすべて本当だったとしたら、俺は彼女の味方にはなれないかもしれない。
それどころか、彼女を憎むことにさえなるのかもしれない。
けど、実際のところそれはありえないことだ。
俺の両親が死んだ14年前は、当然ながら神村さんは俺と同い年の赤ん坊だし、雪のことも歩のことも――歩にいたっては彼女によく懐いているし、彼女も歩のことは気にかけている。
だからそれもありえない。
つまり彼女が言ったのはあくまで仮定だ。
たとえ話なのだろう。
どうして今、俺にそんな返答を迫ってくるのかはわからない。
ただ、いずれにしろここは正直に答えなければならないだろう。
俺は大きく息を吸って、微動だにしない神村さんに向かって答える。
「正直言って、わからん」
「……」
神村さんが大きく目を見開き、それからいつもの無表情に戻る。
俺は視線を横にそらし、頭をかきながら続けた。
「俺は神村さんが悪魔狩りの社長だってことは知ってるけど、あんま力のない2代目若社長だってことも知ってる。……ああ、2代目ってのはたとえな。もっと長いんだろうけど」
「わかってます」
「それで……ああ、歩きながら話そうぜ」
言って、俺は止まっていた足をゆっくりと前に踏み出した。
神村さんが少し遅れてついてくる。
そうしながら俺は言葉を続けた。
「神村さんは悪魔狩りのトップで、その責任をすべて背負い込もうと考えているのかもしれないけど、俺はそんな風には考えてない。神村さんは神村さんだし、個人として悪い人じゃないってことは確信してる。もちろん、さっき言ったようなことを自分から進んでするような人じゃない」
神村さんの反応はない。
俺は構わず続けた。
「だから神村さんが――ああ、これは悪魔狩りってことじゃなく神村さん自身がってことだけど、そっちが俺の味方でいてくれるなら、俺もずっと神村さんの味方でいられると思う。……ここで答えられるとすればそんなとこかな」
「私が不知火さんの味方だったら……ですか?」
「そ。ギブアンドテイク。単純な話だろ?」
「……」
神村さんは考え込むような表情になったが、結局、その言葉に対する返事はなく。
そのまま俺たちは駅前まで行き、クラフトテープをひとつ買って引き返した。
(……味方になってくれますか、か)
その途中、俺はずっと神村さんのその言葉の意味を考えていた。
言うまでもないことだが、俺はすでに神村さんに協力を申し出た身だ。
俺自身はとっくに味方のつもりでいるし、それは彼女もわかっているだろう。
それでも神村さんがその問いかけを口にした理由はなんだろうか。
味方が欲しいということは、すなわち敵がいるということだ。
悪魔狩りなのだから敵がいるのは当然のことだが、相手がそういう敵ならさっきも言ったように俺はすでに神村さんの味方だし、今さら味方になってくれなんて言う必要はない。
つまり敵は敵でも、今の俺たちが共通認識しているそれ以外の敵がいる、ということではないだろうか。
そしてふと。
俺の脳裏を、晴夏先輩の顔が過ぎった。
(……あなたはなにも知らない、か)
先輩に言われたその言葉が、頭の中をぐるぐると回る。
まだ情報は少ないし、さっき神村さんに対しても言ったとおり、最終的にどうなるのかは俺自身にもまだわからない。
が、しかし。
「不知火さん、私は――」
ポツリと、神村さんがようやく口を開いた。
いつもの彼女らしくない、どこか自信なさげな口調で。
「私はあなたの味方でいたい、と、そう思っています」
「俺もだ。相思相愛だな」
そう言って笑ってみせる。
たとえ悪魔狩りが敵になることがあったとしても。
俺はこの人と戦う姿だけは想像できない。
だから、たぶん大丈夫だろう。
「なぁ、神村さん」
「なんですか?」
返ってきた声はもういつもの神村さんだった。
「今年もクリスマスは忙しいのか?」
「忙しいです」
「少しも時間が取れないぐらい?」
「それはわかりません」
「わからないってことは取れる可能性もあると」
「わかりません」
「なるほど」
俺は少しだけ歩幅を小さくして神村さんの隣に並んだ。
「じゃあ、可能だったら今年こそ我が家のクリスマスパーティに参加ってことで」
「わかりました。時間があれば」
神村さんは迷いもなくそう答えてくれた。
昨年、『いやです』の一言で済まされたことを考えれば素晴らしい進歩である。
まあ実際のところ、その時期はおそらく正月の準備で忙しいだろうし、参加はやはり難しいと思うが。
(……ま、大丈夫さ)
不穏な気配が迫ってきていることを感じながらも。
そのときが来るまではいつもどおりでいよう、と、そんな楽観的なことを考えながら、俺は学校へ帰る道をたどっていったのだった。