2年目11月「面影」
風見学園の11月の行事といえば文化祭である。
昨年の喫茶店のときもそうだったが、この文化祭は風見学園と桜花女子学園の合同開催であり、期間中は桜花女子学園の生徒が大量にこの風見学園へとやってくる。
出し物の種類は学年ごとに決められており、1年は軽食喫茶、3年は各教室での自由な出し物。
そしてこの文化祭でメインを張る俺たち2年生は体育館を使用した演劇である。
なお、俺たち2年1組の演劇はなにを間違ってしまったのか"藤井将太による完全オリジナル脚本の演劇"ということですでに決定しており、早くもひどい結果が予想される状況となっていた。
ただ、それでもクラスメイトたちはそれなりに真面目に大道具小道具の作成にはげみ、それなりに練習も重ねているようだ。
さて。
文化祭が間近に迫ったこの時期、桜花女子学園では部活もすべて中止となり、放課後にはほとんどの生徒が準備のためにこの風見学園にやってくる。
もちろん全員が協力して作業をするわけだから、このときしか見られないような珍しいツーショットなんかもあったりして――
「……お?」
クラスメイトに頼まれて大道具用の針金やらガムテープやらを買い出した後、再び校舎へと戻ってきたときのことである。
俺は廊下でその"珍しいツーショット"を発見した。
片方は170センチを越える長身に結い上げた髪、おそらくはすれ違う大半の男が一度はチラ見してしまうであろうモデル並みの容姿とスタイルの――さらに大事なことを付け加えると、生意気で暴力癖のある俺の天敵。
そしてもう片方は、背中に金具でも入れているのではないかと思うほどにピンと背筋を伸ばし、まるで動く歩道の上にいるかのようにほとんど頭を揺らすことなく歩いている三つ編みの少女。
瑞希と神村さんだった。
いったいどういう組み合わせなのだろうかと興味を引かれ、俺は彼女たちに気づかれないようにそっと背後に近づいた。
すると、突然瑞希の驚いたような声が耳に飛び込んでくる。
「え? パパのこと知ってるの?」
「はい。よく知っています」
(パパ? ……って伯父さんのことだよな?)
さらに興味を引かれ、彼女たちに気づかれないように足音を殺しながら聞き耳を立てると、
「雅司おじさまは私の父の昔なじみなのです。だから私もおじさまには小さいころからお世話になっていました」
「へぇ、そうだったの」
瑞希の驚いたような声。
(……伯父さんが昔からの知り合い?)
いや、そのこと自体はそこまで不思議なことでもない。
伯父さんは元々この町の住人だし、前にも言ったと思うが顔が広いほうだ。
そして神村さんの家はこの町唯一の神社だし、祭りやらなんやらで町の人が集まる場所でもある。
多少の面識があるぐらいはむしろ当然だともいえるだろう。
しかし――
(神村さんと伯父さん、か……)
そういった一般的な関係の推測以上に、俺には少し気になることがあった。
伯父さんの、悪魔に関する知識の多さである。
これまでずっとはぐらかされ続けているが、あの人の悪魔や悪魔狩りに関する豊富な知識は、それなりに"あっちの世界"に関わっていないと得られないものだろうとは俺も思っていた。
そしてこれまで、それは悪魔である俺の両親と関わったことで備わった知識なのだろうと勝手に解釈していたのだが、神村さんや神村さんの父親と旧知の仲となると少し考え方が変わってくる。
(神村さんの父親って、要するに悪魔狩りの偉い人ってことだもんな。となると……)
むしろ伯父さんの知識はそちらから得たものなのではないのだろうか。
(……今度、聞いてみるか)
悪魔狩り"御門"とどういう関係なのか。
関わっていたからといってどうだというわけでもないのだが、そろそろ聞いてもいいんじゃないかと思った。
……しかしまあ、とりあえずそれは後だ。
俺はさらに、前を歩くふたりの会話に耳を傾けた。
「でも変な人だったでしょ? パパったらいつまで経っても子供みたいで」
笑いながら瑞希はそう言った。
これは俺も完全に同意である。
が、神村さんの反応は違っていた。
「いいえ。おじさまは素晴らしい方です」
いつもどおりの抑揚のない口調で、しかしきっぱりとそう言い切る。
「え? そ、そうかしら……」
瑞希は戸惑ったようだったが、それでも少し嬉しそうだった。
父親を褒められて悪い気はしなかったのだろう。
「……」
神村さんは無言のまま、そんな瑞希の横顔を見つめて――
「!」
視線が一瞬だけこちらを向いた。
どうやら気づかれていたようだ。
ただ、神村さんは俺に対して特別なアクションを起こすことはなく、
「瑞希さんはおじさまのことが好きではないのですか?」
「え? ……あ、ううん、そういうわけじゃないわ。あれでもいいところはあるしね」
瑞希が慌ててそう答えた。
一瞬ためらったのはおそらく照れだろう。
あの父娘がなんだかんだで仲がいいことは俺もよく知っている。
「いざというときに頼りになるのは確かだし。でも、それ以外のときがちょっとね。いつもふざけてばかりだから……」
そこで言葉を切って瑞希は照れくさそうに笑う。
「……って、こんなことあなたに言ってもわからないかしら」
「そうかもしれませんね。おじさまは私の前ではいつも真剣でしたので」
再び神村さんと視線が合った。
(……さすがにこれ以上はまずいかな)
ふたりの会話にまだ未練はあったものの、しつこく尾行して瑞希に告げ口でもされたらたまったものじゃない。
俺はそこで諦め、神村さんに右手で軽く"ゴメン"のポーズを作ってその場を離れることにしたのだった。
その日の夜。
プルルル、という呼び出し音が受話器の向こうで鳴っていた。
1回、2回、3回――
ちょうど3回目の呼び出しが終わる直前に相手につながった。
「はい。牧原です」
聞き慣れた――いや、最近はそう頻繁に聞くわけでもないから、聞き慣れていた、が正しいか。
ともかくそんな声が聞こえてきて、俺はガラにもなく少しだけ緊張した。
「あ、伯母さん? 俺、優希です」
遠慮がちに話しかける。
「あら、優希さん?」
電話の向こうから返ってくる透き通った声。
それだけで優しい微笑みが脳裏によみがえってくる。
「お久しぶりです。宮乃伯母さん」
思わず声が弾んだ。
そう。
受話器の向こうにいるこの人こそ、俺や雪の母親代わりであり、瑞希の実母であり、そして俺がこの世でもっとも頭の上がらない人物、牧原宮乃さんである。
こうして電話で話すのも2~3ヶ月ぶりだろうか。
「はい、お久しぶりです。優希さんの方はお変わりありませんか?」
と、宮乃伯母さん。
相変わらずの丁寧な口調。これは子ども同然の俺や雪に対しても変わらない。
昔は『優希くん』と呼ばれていたのだが、中学に入ったころからは『優希さん』に変わって敬語になった。
ちなみに雪は昔から『雪ちゃん』で、念のため言っておくと実の娘である瑞希はちゃんと『瑞希』と呼び捨てている。
「特に変わらないですよ。俺も雪も元気ですし、瑞希は元気すぎるぐらいです」
「まあ。あの子、優希さんにご迷惑をかけていませんか?」
「伯母さんもよくご存知の、あんな感じですよ。毎日」
俺がそう答えると、受話器の向こうから控えめな笑い声が聞こえた。
「安心しました。でも、なにかあったら遠慮なく叱ってあげてくださいね」
「まあ……どちらかというと叱られるのは俺のほうだと思いますけど」
苦笑する。
俺があいつを叱る場面なんてどうやっても想像できない。
……と、まあ。
このように宮乃伯母さんは瑞希とまったく逆の性格である。
どちらかといえば雪に似ているといえるかもしれないが、あいつと違っておっとりしていてもとぼけたところはまったくないし、子供っぽいところも皆無だ。
まあ雪が大人になると伯母さんのようになるのかもしれないが、それはともかく。
優しく丁寧。
ただし穏やかでも厳しいところは厳しい人だ。
この人がいなかったら今の俺はなかっただろうと、心から思う。
親がいない境遇に弱音を吐いてふてくされていたかもしれないし、超常的なこの力に甘えていいように暴れていたかもしれない。
だから俺は、この人には一生頭が上がらないのだ。
「それで、今日はどうなさったんですか?」
そんな伯母さんの声に俺はハッと我に返って、
「あ、えっと。実は伯父さんにちょっと相談があるんですが」
と、言った。
もちろん昼間の話を伯父さんに確認するために電話したのである。
だが、受話器の向こうから返ってきたのは伯母さんの申し訳なさそうな声だった。
「雅司さんにですか? すみません、優希さん。あの人、今いないんです」
「仕事ですか? じゃあ帰ってからでも――」
「いえ。今は出張でこっちにいないんです」
「ああ、出張ですか」
どうやらタイミングが悪かったようだ。
まあ、そう急ぐ用件でもない。
「わかりました。じゃあまた近いうちに電話します」
「はい。……風邪が流行ってるので体には気をつけてくださいね。瑞希にもそのように伝えていただけますか?」
「わかりました。伯母さんも気をつけてください」
「ええ。優希さん。瑞希のこと、よろしくお願いします」
「あ、はい。また」
伯母さんの気配が受話器から離れたのを確認して、俺も受話器を下ろした。
そうしてから、伯父さんがいないならもうちょっと色々話してても良かったなと後悔したが、まあ伯母さんも変わらず元気そうなのでとりあえず一安心だ。
「……優希お兄ちゃんー」
ソファのところまで戻ると、電話中ずっと首をかしげながらこっちを見ていた歩が、待ちかねていたように声をかけてきた。
「今の電話、誰だったの?」
「間違い電話」
そう答えてソファに腰を下ろし、ガラステーブルの上にあったテレビのリモコンを手に取る。
時間は午後8時。
雪と瑞希は一緒に風呂に入っていて、その合間を見計らって電話をしたところだった。
「間違い電話って、お兄ちゃんのほうからかけたんだよね?」
「じゃあ宮乃さん」
「み、宮乃さん?」
わざとわかりにくい言い方をすると、歩は難しい顔をして考え込んでしまった。
(……ああ、そっか。こいつ宮乃伯母さんの名前も知らないんだな)
歩は雅司伯父さんとは何度か話をしているが、宮乃伯母さんとはまったく面識がない。
そう考えると、俺も伯母さんとは1年以上顔を合わせていない計算だ。
(そろそろ会いに行きてぇなぁ……冬休みにでも顔出そうかな)
なんて。
俺がそんなことを考えていると、
「えっとー……宮乃さんって、あの宮乃おばさんのこと?」
「ん?」
俺はちょっと意表を突かれた。
「あれ? お前、宮乃伯母さんのこと知ってたっけ?」
名前ぐらいは聞いたことがあったのかもしれない、と、そう思ったのだが。
「あ、うーん? でも違うよね? 優希お兄ちゃんが宮乃おばさんのこと知ってるはずないもん」
「はあ?」
いまいちかみ合わない。
「お前の言ってる宮乃おばさんって、どこのおばさんのことだ? 瑞希の母さんのことじゃないのか?」
「え? 瑞希お姉ちゃんのお母さんも宮乃さんっていうの?」
と、歩が驚いた顔をする。
どうやらただの人違いだったようだ。紛らわしいことこの上ない。
俺は笑いながらソファに身を沈めて、
「つーか、誰なんだよ。お前のいう宮乃おばさんってのは」
一瞬、あの神経質そうな歩の叔母のことが頭によみがえったが、こいつの言い方からして、"親戚の叔母さん"ではなく"余所のおばさん"という意味だろう。
「えっとー」
俺の問いかけに、歩は照れくさそうに笑って、
「小さいころ、よく遊んでもらったおばさんー……」
「……そのおばさんが俺と電話してたと思ったわけか?」
「だ、だから、やっぱり違うよねーって」
「違うに決まってんだろーが。接点なさすぎだっつーの」
普通に考えても勘違いのしようがない。
しかし歩はしぶとく続けた。
「でもー……ほら。宮乃おばさんって沙夜さんの親戚だし、優希お兄ちゃんともちょっと接点があるかなーと思って……」
「……は?」
思わず、テレビのリモコンを操作しようとしていた手が止まる。
流すつもりだった歩の言葉が耳の奥で停止した。
「……親戚? 神村さんの?」
「うん」
歩はニコニコしながらうなずいて、
「沙夜さんのお父さんの妹が宮乃おばさん。私も小さいころよく遊んでもらって――」
「……」
歩の言葉の後半は、全部反対側の耳に抜けていた。
(神村さんの親戚の……"宮乃おばさん"?)
脳裏によみがえった記憶。
あれは、いつのことだったか。
確か今年の夏休み、旅行に出かける直前のことだ。
雪の部屋の施錠を確認し、戻る途中で見つけた写真立て。
幼稚園時代の俺たちの写真に映る、今よりもだいぶ若いころの宮乃伯母さん。
……その写真を見て、俺は"誰かに似ている"と思ったのだ――
「ゆ、優希お兄ちゃん!?」
勢いよくソファから立ち上がった俺に、歩がびっくりした顔をする。
「歩! お前、ちょっとそこにいろ!」
「えっ!? そ、そりゃどこにも行かないけどー……」
歩の言葉を背中に聞きながら俺はリビングを飛び出した。
階段を2段飛ばしで駆け上がり、自分の部屋にたどり着くまで約5秒。
すぐに部屋の奥のクローゼットを開け、下にある収納ボックスの引き出しを開ける。
滅多に開けることのないその引き出しには子ども時代の古臭い物ばかりが詰まっていて、その比較的浅い場所に目的のものがあった。
俺はその目的のブツ――アルバムをパラッと確認し、そこに昔の宮乃伯母さんの写真が数点入っているのを確認すると、それを手に再び階段を駆け下りていった。
「歩! お前の言う宮乃おばさんって、もしかしてこの人か!?」
「……え? あ、うん、そうそう! この人だよー!」
俺が開いたアルバムのページを見て、歩は迷うことなくそう答えた。
「間違いないか?」
「うん、絶対に間違いない。この服にも見覚えあるもん」
「そうか……」
俺はガラステーブルの上のアルバムのページへ視線を落とした。
そこに映っている約10年前の宮乃伯母さん。
……どうして今まで気付かなかったのだろう。
おっとりとした笑顔と、落ち着いた、だけどどこか凛とした雰囲気の物腰。
同一だとは言わない。瓜二つというほどでもない。が、そこにいる宮乃伯母さんは紛れもなく、あの神村さんと同じ雰囲気をまとっていた。
つまり。
(……神村さんは、宮乃伯母さんの姪っ子ってことか?)
昨日までだったらそんなバカなと思ったかもしれない。
しかし、昼間の瑞希と神村さんの会話を思い出してみれば、むしろつじつまが合ってしまうのだ。
雅司伯父さんと神村さんの父親が知り合いだというのも当然の話。
なにしろ、そのふたりは義理の兄弟ということになるのだから。
「え……もしかしてこの人が、瑞希お姉ちゃんのお母さんなの……?」
そして、歩もようやく事態に気づいたようだった。
「じゃあ、瑞希お姉ちゃんと沙夜さんって、従姉妹――」
「……歩」
俺はその言葉を途中でさえぎって言った。
「このこと、とりあえず瑞希のヤツには当面秘密な」
「あ、う、うんー」
今日の態度を見る限り、瑞希がその事実を知っているとは思えない。
となると、伯父さんや伯母さんがあえて言っていないということになる。
大したことではないのかもしれないが、少なくとも俺が勝手に暴露していいような話ではないだろう。
そして俺は、瑞希が風呂から上がってこないうちにアルバムを戻してくることにした。
(……ったく。伯父さん、あんた一体何者なんだよ)
ひょうひょうとしたあの笑みを頭に思い浮かべながら、また伯父さんに確認しなきゃならないことがひとつ増えてしまったな、と、そう思いながら俺は階段を上っていった。