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双子兄妹の悪魔学園記  作者: 黒雨みつき
 第4章 亡霊の足音
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2年目10月「大事なモノ」


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 香月唯依はどちらかといえば事なかれ主義である。


 たとえばファミリーレストランで注文したのと違う料理が出てきたとしても、自分がよほど嫌いなものでない限りわざわざ指摘したりはしない。

 町の中で小学校の同級生らしき人物を見かけても、別人だったときのことを考えて声をかけられずに終わったりする。


 言い換えれば小心者であるともいえるが、それはさておき。


 そんな唯依であるから、10月に入ったばかりのとある日曜日、食料品の買い出しに来たデパートで少しだけ見知った少女を見かけたときも、自分から声をかけるつもりはさらさらなかった。


 といっても、唯依は別にその少女が苦手だったり嫌いだったりしたわけではない。

 それどころか彼女は唯依にとって命の恩人ともいうべき人物であった。


 それでも声をかけるのをためらったのは、一応顔見知りではあるもののその少女とはすでに1ヶ月以上会っておらず、しかも一緒にいるところを誰かに目撃されるとちょっと面倒なことになりそうな人物だったためだ。


 そんなわけで、唯依は当然のごとく気づかなかったふりをして買い物を続けていた。


 ただ――


「あれ、唯依くん?」

「あ、えっと……お久しぶりです、雪さん」


 同じ食料品売り場を歩いていれば、向こうが彼に気づいてしまうのも当然である。


 雪は海水浴のときと変わらない穏やかな微笑みで近づいてくると、唯依が手にした買い物かごを見て、


「久しぶりだね。唯依くんも夕食のお買い物?」

「ええ。今日当番なので」

「当番? あ、そうだよね」


 雪はすぐに唯依の家庭環境を思い出したらしく、納得した様子だった。


「あ、唯依くん、それ」

「え?」


 話をしながらキャベツを手に取った唯依に、雪は少し遠慮がちにしながら、


「差し出がましかったらごめんね。そのキャベツ、そっちのほうがいいかもしれないよ」

「え? あ……はい」


 唯依は買い物をするときは特になにも考えず頼まれたものだけ買っていくタイプなのだが、雪はどうやら彼と違い、モノの良し悪しを見ながら買うタイプらしい。

 いいキャベツの見方など唯依にはまったくわからなかったが、なんとなく雪の言ったキャベツのほうがいいような気がして、言われたまま交換することにした。


「牛乳は?」

「え?」

「今日は牛乳が安いよ。ウチはみんな飲むからいっぺんに買っておこうと思って」

「あ、そうなんですか? じゃあ僕も……」

「こっちこっち」


 と、手招きする雪。

 そんな彼女の仕草に、自分たちが周りからどう見られているのだろうかということをついつい考えてしまって、唯依はなんだか妙に照れくさくなってしまった。


 その後、唯依は結局最後まで彼女と一緒に買い物をすることになり――


「今日はどうもありがとうございました」


 デパートを出るなり、唯依は買い物袋を片手に雪に向かって頭を下げた。


「あ、ううん。こっちこそうるさく口出ししちゃってごめんね。そんなに買って帰り大丈夫だった?」

「はい。いつものことですから」

「そっか。唯依くんは偉いね。ウチのユウちゃんなんてお願いしないと買い物に付き合ってくれないんだから。……あ、そうだ」


 と、雪は急になにごとか思い出した顔をすると、道路の向こう側を指差して、


「もし時間があったらちょっと寄り道しない? そこの喫茶店、今日だけ10月の新作デザート3割引きをやってるの」

「喫茶店ですか?」


 それじゃまるでデートのようだ、と、唯依は少しどぎまぎしながら、


「あ、でも、肉とか牛乳とか買っちゃいましたし……」

「そこの喫茶店、買い物帰りの人が多いから冷蔵庫で預かってもらえるよ。だから心配ないの」


 雪はそう言ってから、唯依がちょっと慌てていることに気づいたのか、


「あ、時間なかった? だったら……」

「いえ、そういうわけじゃないです。けど」


 そのときの唯依の脳裏に過ぎっていたのは、人気者の彼女と喫茶店に行ったところを誰かに目撃され、月曜日に学校で袋叩きにされるんじゃないか、などという、半ば被害妄想みたいな心配ごとであった。


「けど?」


 しかし雪は相変わらずの笑顔で、唯依がどうして慌てているのか、その本当の理由には気づいていない様子だ。


「あの……おもしろい話とかできませんけど、それでもいいですか?」

「そんなこと?」


 雪はクスッと笑って、


「じゃあ私がおもしろい話をしてあげる。ユウちゃんの失敗談ばかりだけど、いい?」

「……それ、あとで優希先輩に怒られたりしません?」

「大丈夫大丈夫。じゃあ行こ?」


 雪はすでに青になった横断歩道を渡り始めていた。


「ただし、私と唯依くんだけの秘密だからね?」

「あ、はい」


 そんな雪の笑顔に。

 唯依はほんのちょっとだけ、彼女に憧れる男子生徒たちの気持ちを理解することができたのだった。




 唯依にとって幸いだったのは今日が休日で、部活帰りの時間とも微妙にずれていたことだろう。

 喫茶店を出て再び帰路につくまでの間、彼らが顔見知りに会うことは結局一度もなかった。


「あそこって、あのおばあさんひとりでやっているんですか?」


 そのころには、唯依も自然に雪に話しかけられるようになっていた。


「そんなに高くないし美味しかったです。ウチのみんなにも教えてあげようかな……」


 すると雪は楽しそうに答える。


「あっちの学校からだと駅と反対方向だもんね。あのお店はうちの学校の子だとだいたいみんな知ってるかな。平日の帰りだと結構混んでるかも」


 と。

 そんな話をしながら、あと数十メートルで別れ道に到達しようかというときのこと。


「あれ?」


 かすかに聞こえた、みゃぁ、という細い鳴き声に、唯依は足を止めた。


「なにか聞こえるね。……あ、あっち」


 雪も同じように立ち止まり、右手にある空き地を指差す。


「捨てネコ、ですかね」


 そこに置かれたみかんのダンボール箱から、小さな子ネコがほんの少しだけ耳の先をのぞかせていた。


「みたいだね」


 空き地に足を踏み入れる。


 ダンボール箱の中にいたのは白と黒のまだらの子ネコだった。

 脇にはネコ用のエサ。汚れてボロボロになった毛布と、哺乳瓶のようなものも入っている。


 雪はダンボールの前に屈みこむと、じっと子ネコを見つめて、


「目が開いてるから、2週間か3週間ぐらい、かな」


 と、言った。


 そんな彼女の視線の先では、子ネコが細い鳴き声をあげてダンボールから身を乗り出そうとしている。

 ただ、いかんせん体が小さすぎて自力で外に出ることはできそうにない。


 そしてふと、唯依は気づく。


「……雪さん?」


 唯依はそんな彼女がすぐに子ネコを抱き上げるのかと思っていたのだが、予想に反し、雪は思案顔で子ネコを見つめているだけだった。


 そして、


「唯依くん?」

「あ、はい」

「この後、ウチまで付き合ってもらってもいいかな?」

「え?」


 唯依が怪訝そうな声を返すと、雪は彼を見上げて、


「飼い主を探すの。それまでウチで預かろうかなって」

「は、はぁ」


 それは彼女らしい発言だと思ったものの、そのことと、これから彼女の家まで付き合うことの意味がつながらずに唯依は困惑した。


「私ね。この子を抱っこできないの」

「……あ。もしかしてネコアレルギーですか?」


 なるほど、と、唯依は一瞬納得しかけたのだが、


「ううん。違うよ」


 そんな雪の返答にさらに困惑してしまった。


「え? じゃあどうして?」

「ネコも大好きなんだけどね。でも……」


 不思議そうな唯依に、雪はちょっとだけ真面目な顔をして、


「私ね。ネコには必ず嫌われる体質なの」

「嫌われる体質?」


 ネコ全般に嫌われる体質の人間なんて聞いたことがなかった。

 いや、もしそういうのがあるとしても、それは大体他の動物の匂いが染み付いているからとか、そういう他の理由があるはずだろう。


 しかし、雪はダンボールの中を見ながら言った。


「ネコというより動物全般、かな。……ほら。この子、さっきからずっと唯依くんのほうばっか見てる」


 そう言われて注目してみると、確かに子ネコは近くにいる雪よりも、一歩離れた場所にいる唯依に向かって鳴いているようにも見えた。


「偶然じゃないですか?」

「見てて」


 と、雪が子ネコへ軽く手を差し伸べる。


「……あっ」


 子ネコは驚いたように身を引っ込め、まるで雪の手をかわすようにダンボールの隅へ移動すると、そこからまた唯依に向かって鳴き始めたのである。


「唯依くん、代わりにやってみて」


 と、雪が場所を空ける。


 唯依は言われたとおり彼女のいた場所に屈みこみ、子ネコに向かって指を近づけてみた。


 すると――


「ね? 言ったとおりでしょ?」


 驚いたことに、子ネコは唯依に向かってその小さな前脚を素直に伸ばしてきたのである。




「……でも、不思議なことってあるものですね」


 空き地を出て、唯依の右腕の中には白黒まだらの子ネコがいた。

 左手にはダンボールに入っていた哺乳瓶やエサを携え、唯依が持っていた買い物袋は雪が代わりに運んでいる。


「雪さん、大丈夫ですか?」

「うん。それよりその子、気をつけてね。子ネコだし急に暴れたりするかもしれないから」

「あ、はい……それで、えっと」


 なんだっけ、と、唯依は口の中でつぶやいて、


「あ、そうそう。雪さんって、なんとなく動物に好かれそうなタイプだと思ったんですけど」


 と、言った。


 動物はその人間が優しくしてくれるかどうかを敏感に感じ取って懐くという話を、唯依はどこかで聞いたことがあった。

 それに、もし自分が子ネコだったら間違いなく雪のほうに懐くだろうと思ったのである。


 そんな唯依の疑問に、雪は微笑みながら答えた。


「私が本当は優しくないことに気づいたからじゃないかな?」

「そんなこと絶対にないですよ。今日だって買い物手伝ってもらいましたし、美味しい喫茶店も教えてもらいましたし……」


 唯依は雪のことをそれほど深く知っているわけではない。

 が、少なくとも善人に分類される人物であろうことには確信があった。


「だから、その……雪さんは優しい人だと思いますけど」

「ふふ、ありがと」


 雪は素直に嬉しそうだった。


「でもね」


 と、唯依の腕の中で寝息を立てる子ネコに視線を落とす。


「この子にとっては、唯依くんのほうが優しかったんだよ」

「え……そんなはず――」

「質問」


 突然そう言って雪は視線を上げ、唯依を見つめる。


「唯依くんにとって一番大事なモノって、なに?」

「え?」


 唯依は戸惑った。


「頭に思い浮かべるだけでいいよ。言うの恥ずかしいかもしれないからね」

「い、一番大事なモノ、ですか……?」


 なんだろうか、と、唯依は考える。


 もともと物に執着するほうではない。

 となるとその対象は人物に限られる。


 まず頭に浮かんだのは養父母の顔。それと義弟、義妹。

 そして一緒に暮らしている3人の姉。


 その中で誰が一番か、となると――


 パッと浮かんだのは、亜矢の顔だった。


 理由はなんだろうか、と考える。


 今、そばにいること。

 3人の姉の中では一緒にいる時間がもっとも長いこと。


 それと――


(……力のこと、かな)


 秘密を共有しているということ。

 それが亜矢に対する信頼感にもつながっていた。


 もちろん、真柚や舞以のことを信頼していないという意味ではない。


 ただ、やはり夏休みのできごとが唯依にとっては大きかったのである。

 助けに行くかどうかを迷っていた唯依に対し、恐怖に怯えながらあえて知らん顔をしようとした亜矢の姿が、今でも脳裏に焼き付いて離れないのだ。


 だからこそ唯依は、亜矢は誰よりも信頼に値する相手だと、そう思っていたのである。


「それじゃあ……」


 そんな唯依の表情を見て、彼の考えがまとまったことを察したのだろう。

 雪は小さくうなずいて言葉を続けた。


「一番大事なモノと、いま唯依くんが迷ったそれ以外のモノを全部天秤に架けたとしたら……唯依くんはどっちを取る?」

「え……?」


(亜矢と……それ以外?)


 唯依の頭には自然と、亜矢ひとりに対し、真柚、舞以のふたりが天秤に乗るイメージが浮かんだ。


 ……そうしてふと。昔、誰かとふざけてそういう話をしたことがあったな、と思い出す。

 自分にとって大事なふたりがいて、どちらかひとりしか助けられないとしたらどちらを助けるか、という、おそらくは多くの人間が一度は考えるであろう仮定。


 母親と恋人、兄と弟、先輩と後輩。

 なんでもいいのだ。


 ただ、そんな話をしたときに出る結論は、だいたいいつも同じだった。


 "そのときになってみなければわからない"、である。


 今回も同じだ。


 唯依は先ほどの事情から亜矢のことを非常に大事に思っているし、信頼もしている。

 が、彼女のために真柚と舞以を犠牲にできるかと言われれば答えはノーだ。


 そして仮に、どうしてもどちらかを選ばなければならないことがあるのだとしても、答えはやはり"そのときになってみなければわからない"ということになるだろう。


「私はね」


 そんな唯依の迷いに気づいたのか、雪は彼の答えを待たずに先を続けた。


「唯依くんと違って、きっと他のものを全部捨ててでも一番のモノを取ると思う。本当にそういうどうしようもない状況になったとしたら、ね」


 雪はそう言ってゆっくりと空を見上げた。

 その視線の先はくもり空だ。


「そう……なんですか?」


 そんな彼女の言葉は唯依にとって少し意外だった。


「うん。だから」


 と、雪は見上げていた視線を再び唯依の腕の中に戻して、


「この子はきっと、私がそういう冷たい人間だってことを知っているんだよ」

「……そんなもんでしょうか」


 確かに、"子ネコにとってどうか"という意味であればそうなのだろう。

 おそらく子ネコは唯依にとっても雪にとっても"一番"になることは決してなく、ならば、2番目以下をより大事にしてくれるほうを選ぶというのは当然のことだ。


 ただ、それを冷たい人間と表現すべきかどうかは、唯依には疑問だ。


(……でも)


 子ネコを見つめながら、唯依は少し表情が強張るのを感じていた。


(もし本当に、雪さんの言うような状況になったら……どうしたらいいのかな)


 自問しても答えが出ないことはわかっている。


(……そのときになってみなければわからない、かあ)


 ただ、わかっていることがひとつだけある。


 そのときにどんな答えを出すことになったとしても。

 いざというときに、どちらも助けられないような最悪の選択だけはしてはならない、ということだ。


「唯依くん、よかったら上がっていかない? 今朝焼いたパンプキンタルトがあるから、よかったら亜矢ちゃんたちにおみやげで持ってってあげて」

「あ、はい。きっとみんな喜びます」


 そうして子ネコを雪の家まで届けた唯依は、結局夕方すぎまで不知火家にお邪魔することになったのであった。


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