はずれジョブ「スーパーの店員」VS魔王軍四天王
荒野に乾いた風が吹き、砂塵が舞う。曇天の雲間から弱々しい日差しが地上を照らしている。立ち枯れた木々が骸を晒し、手のひらほどの大きさの甲虫が怯えるように岩陰に隠れる。
「どうした? もう少し抵抗してくれなければ張り合いがないではないか」
侮るような声音で灰褐色の肌の男が言った。引き締まった細身の身体に尖った長い耳、そして不気味に光る暗紅色の瞳は、男が魔族であることを示している。淡く光跡を描く細剣を突きつけ、魔族の男は憐れみを顔に浮かべた。
「たった独りでこの『迅雷』のエクレールに立ち向かった蛮勇を褒めてやろう。何も為せず、無駄に死んでいくお前へのせめてもの餞として」
エクレールと名乗った魔族の男に対峙するのは、おおよそ荒事に向きそうにない、ひょろりと背の高いやせぎすの男だった。武器を持つわけでもなく、鎧を着るわけでもない。荒野に不似合いなオレンジのカラーリングと白いエプロンは目立ちすぎるほどに目立っていた。エプロンの中央には藍色に染め抜いた文字――業務スーパー『DAIYASU』が威容を誇っている。しかしDAIYASUの制服は今無数の裂き傷を負い、まだらに赤く染まっていた。
「もはや口を開く余裕もないか? ならばせめて、ひと息に命を絶ってくれよう。この私の慈悲に感謝しながら、死ね」
エクレールの目がギラリと光る。店員の男は腕を身体の前で交差し、左右にスタンスを広くとって防御の構えを取っていた。陽は傾き、冷たい風が荒野を渡る。
店員は、時を待っていた。
エクレールはその二つ名に恥じぬ踏み込みで一足に距離を詰め、店員に細剣を突き出した。店員は身をよじってそれをかわし――触れず上腕が裂かれ、赤が散る。エクレールは左に剣を払った。店員は身を沈めてかわす。斬られた髪が宙を舞う。エクレールは右の膝で店員の顔を狙った。両腕を交差し店員は膝を受け止める。エクレールは右足を引き、勢いを付けて店員を蹴り上げた。つま先が腹に刺さり、店員が苦悶の表情を浮かべてよろけるように下がる。エクレールは細剣を斬り下ろした、さらに下がった店員の制服が右肩から左の脇腹にかけてざっくりと裂ける。店員は右手の甲で口元を拭った。
「逃げる技術だけは相当なものだな。この『迅雷』の剣を受けて立っている者に会ったのは幾年振りか」
エクレールは悦びを浮かべて口を歪ませる。店員はじっとエクレールを見据えたまま、荒ぶる息をなだめている。
「闘志だけは衰えぬか。ならばその折れぬ意志に敬意を表し――」
エクレールの細剣が暗紫色の光を帯びる。大気が逆巻き、エクレールの髪を躍らせる。エクレールは醜悪な笑みを浮かべた。
「――少し、本気を出してやろう」
その言葉を残し、エクレールの姿が店員の視界から消えた。
風を裂く音と地を蹴る音が響き、店員は大きく後方に飛びずさる。一瞬遅れて暗紫色の光跡が店員の首があった空間を薙いだ。店員の目が大きく見開かれる。周囲を探る店員の視線と逆方向から昏い光が閃き、店員の左上腕を穿った。店員の顔が苦痛に歪む。店員は剣の伸びてきた方向に蹴りを放った。エクレールの姿はすでにない。背後から受けた衝撃に店員はたたらを踏む。正面に、エクレールがいた。
「ここまでのようだな」
エクレールは無造作に細剣を突き出す。細剣は店員の右肩を貫いた。
「憐れなものだ」
エクレールは細剣をねじる。店員が顔をしかめ、呻きを上げた。虫けらを見る目でエクレールは店員を見る。
「王に命じられたか? 町の人間に懇願されたか? 依頼されれば断れぬか。たった一人で四天王に挑むお前に、手を差し伸べる者はいなかったか」
店員はエクレールをにらむ。その目には確かな意志の光が宿っていた。エクレールは不快そうに鼻を鳴らす。
「嫌な目だ」
エクレールが更に細剣を押し込んだ。店員が強く奥歯を噛む。オレンジの制服の右半身が赤く染まった。エクレールは冷たい侮蔑の目で店員を見る。
「身の程を弁えよ。貴様如きがこの俺に勝つなど、夢でさえあり得ぬ」
陽が傾き、赤い光が荒野を刺す。二人の影が長く地に伸びていた。店員は抗うように、血に塗れた左手で細剣の刃を掴む。小さく鼻を鳴らし、エクレールは言った。
「終わりだ」
「いや――」
エクレールの言葉を店員が否定する。店員が刃を握る手に力を込めた。エクレールが目を見張る。細剣を引き抜こうとする手が、動かない。
「――ここからは、俺の時間だ」
夕日の赤に照らされた店員の顔に、不敵な笑みが浮かんだ。
どこからか威勢の良い音楽が聞こえる。急かすような曲調と共に、手慣れた声のマイクパフォーマンスが荒野に鳴り響く。
『ご来店誠にありがとうございます。スーパーDAIYASU名物、エスカレーションタイムサービス! 本日も十七時より、スタートです!』
店員が細剣から手を離す。離した刃には黄色の地に赤い丸枠で囲まれた『五割』の文字が張り付いていた。
『まずは全品五十%オフから始めましょう。今すぐ買えば半額! でも気を付けて。当店名物エスカレーションタイムサービスは時間が経つほど値引き率が上がります。待てば待つほどお安く、でも早く買わなきゃなくなっちゃうかも? 一瞬の判断が明暗を分ける、スリリングなサービスとなっております!』
店員は左の手刀で細剣の腹を叩いた。刃は枯れ枝を折るように容易く砕ける。エクレールの目が大きく見開かれた。店員は右肩を貫いていた刃を抜き、傷口に五割シールを張る。血は止まり、店員は調子を確かめるように軽く右腕を動かした。
『さあさあ、時間はどんどん過ぎ去って参ります。今この時からは六十%オフ! 今日はちょっと奮発していいお肉? それともお刺身盛り合わせ? ちょっとお高い、でも食べたい! 今なら手が届くかも? 早く買わなきゃ売り切れる、も少し待てばさらにお安く! 愛とジレンマのエスカレーションタイムサービス!』
店員の目が妖しく光り、その右手が動く。エクレールが距離を取ろうと地面を蹴り――ハッと息を飲んだ。『迅雷』の二つ名の見る影なく、その身体が鈍重な動きで一歩分だけ後ろに下がる。エクレールの膝に『六割』のシールが貼られていた。
『当店のタイムサービスはお値引きだけではございません! 唐揚げ五個じゃ足りないね。うちの子食べ盛りだから。ご安心ください! そんな言葉にお応えして、増量セールも同時開催! こちらもやるぞエスカレーション! まずは二個の増量から!』
店員がエクレールの懐に飛び込み、抉るように右拳を脇腹に突き立てる。脇腹に三つの拳の跡が刻まれ、エクレールは身体をくの字に曲げて顔を歪ませた。
『洗剤お安くならないかしら? 毎日使うものだから、値上げなんて困っちゃう。お任せください! 当店はそんなお悩みにもお応えいたします! ただいまよりは日用品コーナーで、一つ買うと同じものがもう一つ付いてくる! 二倍セールの解禁だ! その威力、ぜひご自身の目でご覧ください!』
店員が左足を軸にコマのように回転し、勢いを付けた回し蹴りを放つ。蹴りはエクレールの右腕のガードごとその身体を吹き飛ばした。暴風に弄ばれる木の葉のようにきりもみしながら空中を飛び、エクレールは枯れ木に激突して地面に伏した。店員はゆっくりとエクレールに近付く。エクレールは屈辱に顔を歪ませ、地に手を突いて立ち上がった。
『さあ、いよいよ佳境となりました、エスカレーションタイムサービス! 値引き幅もどんどん加速して参ります! 七割引き? 八割引き? いえいえ、DAIYASUの本気はそんなものじゃあございません――!』
「調子に乗るなよ人間風情が! この俺の最大最強の奥義を以て、貴様を殺してやる!」
右の手首に左手を添え、エクレールが意識を集中する。暗紫色の雷が凝集し、パリパリと音を立てた。店員は前傾して走り始める。店員が右腕を振るい、刹那――
「喰らえ! 奥義『紫電龍咆閃』!!」
顔の前にかざされた手から闇色の光が迸り、店員の姿をかき消す。爆発し、視界が真白に覆われる。もうもうと土煙が上がり、何も見えない。引きつった笑いを浮かべ、エクレールは叫んだ。
「この俺に歯向かう愚かさを知れ!」
風が吹き、土煙を流し去る。エクレールは目を見開き、口を開けた。店員が立っていた。わずかに前髪を焦がして。
『――終わりの時まで、九十九%オフで駆け抜けてまいります!』
エクレールは呆然と右手を見る。そこには『99%引き』のシールが貼られていた。
店員が拳を握る。エクレールが店員を見る。店員が引き絞るように右腕を引く。エクレールはそれを見ている。
『さあ、最後は圧巻の増量タイム! 増量は五個、洗剤はさらにプラスワン! つまり、三倍だぁーーー!!』
店員が踏み込む。右腕がしなる。エクレールが目を見開く。右の拳がエクレールの顔面を捉えた。拳がめり込む。骨が軋み、身体が浮き――エクレールは遥か荒野の彼方へと姿を消した。
弱々しい太陽がもうすぐ沈もうとしている。店員は小さく息を吐いた。痛みに顔をしかめ、店員は右肩の傷を押さえる。タイムセールが終わり、シールの効果は失われていた。
「……地域の日常を支える。それがスーパーの店員の仕事だ」
はるか東、魔王城のある方角をにらみ、店員はつぶやく。
「――エッセンシャルワーカーを、なめるなよ」
口を引き結び、おぼつかぬ足取りで、店員は店への帰路に就いた。




