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【短編】さよなら砂人間

作者: しろみく
掲載日:2026/08/31

私は自分が砂漠から来た砂人間だと言うことを隠し、恐れていた。いつか地底の砂の国……か何かしらそういうところからさらいの手が来たら、私は慣れ親しんだここを去らねばならないのではないかと思っている。


母親はよくお前はうちの子じゃない。砂漠で拾ってきたんだ。と言っていた。お前はそこの砂のくぼみに落ちていたんだと。これはいわゆる橋の下の拾い子の地方バージョンということなのだろうが、子供の頃の私はこの話を信じていた。私は砂から生まれたのだと。ーーそして実は密かに、大人になった今でもこの話を信じている。

信じているには理由があった。


私は私がどこか家族の一員ではない気がしていた。仕事で海外赴任していて留守の父をのぞいて、母、姉、弟。私は、記憶のある限りはずっと彼らのあらゆる話についてゆけずにいた。だが子供心に一人になるわけにはいかないと、とにかく愛想笑いを繰り返していた。やがてそれを母親はおろか姉弟でさえ悟ったようで、次第に私は空気のようになっていった。全員がそろってダイニングテーブルを囲んで食事をしている時でさえ私は常に彼らの一家団欒の外にいた。食事が終わり一人縁側に出てぼんやりと月を眺めている。家の中からテレビの音と笑い声が聞こえる。私は早く大人になりたかった。大人になってこの家を出て行く。いつもまとわりつく緊張感から解放されたかった。


私が最初に人とは違うことをはっきりと自覚したのは小学校低学年の頃。水泳の授業中に耳に詰まった水を出そうとプールサイドで跳ねていると、耳を水が流れる音がして、手をあててみるとざらりとした感触があった。そこにあったのは水ではなかった。砂だ。水の代わりに砂が出て来たのだ。私はひどく動揺して、慌ててそれを周りに悟られまいと誤魔化した。親にも隠した。何故咄嗟に隠したのか? それは人外の本能だろうと後に思った。そして親の、お前はうちの子ではないと言う言葉は本当だったのだと思い子供心に傷ついた。


思えばその頃、砂場が一番お気に入りの遊び場だった。砂場とは校庭の端に鉄棒とセットで設置されていることが多いようだ。休み時間に級友がサッカーやドッジボールに夢中になっている間、私は一人でせっせと砂掘りや砂鉄集めに興じていた。また団地の公園で遊ぶ時も私は砂場を選んだ。一般的な遊び場としては不人気だったのか、それともたまたまかは分からないが、私は砂場でだいたい多くの領地を確保できた。まるで私は小さな国の国王になった気分でいたが、それは私が普通の人間ではないからだと気付いて愕然としたものだ。


それからずいぶんと考えて、私は砂断ちをすることに決めた。いつも一人で特に親しい友達のいなかった私は、休み時間を図書館で過ごすことにした。小学校の図書館には図鑑がたくさん置いてあり、私の嗜好は砂場から昆虫や宇宙へと移った……ことにした。それでも雨の降り始めのなんとも言えない砂の、地面から香り立つ匂いを嗅ぐと胸がしめつけられるようだった。そんな日は私は本を読むふりをしながら、図書館の窓から見えるしっとりとした運動場を飽きずにずっと眺めた。

夏の日の熱い砂の感触、雨で湿った砂場、冬の冷たい岩の上に凝った砂粒。あらゆる砂が気になるが、怖さが勝ってその後の小学校の間は砂と距離を置いて過ごした。


弟が小学校に上がったのをきっかけに、家族で父親の赴任先であるモロッコへ旅行に行く話が出た。私はモロッコには世界有数の砂漠が面しているなんて知らずに、私と母と姉、弟の四人で地元岡山から飛行機を乗り継いで現地に呑気に降り立った。父とは正月に会ったきり半年振りだったが、更に日に焼け、頭には日よけのターバンを巻いていた。会ってすぐには父は日本人じゃなくなったみたいだと思ったが、空港の外に出るとやはり父は現地人ではなく私たちと同じ異邦人であった。


父の運転する車に乗って、マラケシュ空港から街の南部へ向かう。空港からほど近い街中のオフィスが父の赴任先、そして宿泊先のホテルがある。近代的な街並みにミナレットやヤシの木が立っているのは何ともエキゾチックだ。助手席は母が座り、私たち子供は後部座席にまとめられた。弟はテンションが上がったようで窓に張り付いて外を見ながらキャアキャア騒いでいる。

「明日から砂漠ツアーに参加するぞ。ゆういち、サハラには日本では見ないような珍しい虫がいるよ」

父が運転席から声をかけてきた。突然、砂漠という言葉が出て来て私は動揺したが、悟られまいといつものようにじっとしていた。こうして一旦感情の波が去っていくのを待つ。

そんな私のことなど気づくはずもなく父は続けた。

「モロッコに来れる小学生なんてなかなかいないからな。夏休みの自由研究にしたらどうだ? きっと優秀賞を貰えるぞ」

「そ、そうかな……」

私は弟と同じように窓の外を眺めているふりをして、誰にも表情が見えないようにした。

「パパ、ゆういちが好きなのは虫じゃないよ」

姉の発言に更にドキリとした。

「ゆういちが好きなのは星なんだよ」

安堵する。と同時に父親の表情をうかがうようそっと運転席の後頭部を見た。

「何だ。そうだったのか。ああ、でもここの夜は都会とはスケールが違うぞ。綺麗な星空が見れるよ」

「そうなんだ。楽しみだなぁ」

慌てて追いかけるように私は喜んでみせた。しかしすぐに母が悪びれもない様子で言った。

「ゆういちが好きなのは砂とか石よね」


宿泊先のホテルに着くと荷物を置いて、それから近くのショッピングモールへ向かった。そこでTシャツやチョコレート、それぞれ色違いのスカーフなどを買い、姉はそれに加えサングラス、弟は飛行機の模型、私はサンダルをそれぞれ買って貰った。 

翌朝早くに集合場所に行き、他の何人かのツアー客と一緒にバンに乗ってマラケシュから出発した。途中でアトラスの山並みや映画のロケ地の観光を経て砂漠手前の巨岩に囲まれた渓谷のホテルで宿泊する。家族も私もそれぞれの景色、風情に興奮しっぱなしだった。写真を何枚も撮った。私は感動していつもよりたくさん喋った。しかしここまで来るともう砂漠の、サラサラとした砂の気配がして、嬉しいのか悲しいのかよく分からない感情が押し寄せて夜はよく眠れなかった。


砂漠が近づくと落ち着かない。そうでなくともこの国を包む砂の気配に私はすっかりのぼせていた。だから砂漠に入り、ラクダに揺られる頃には私は疲れ果て、無口になってしまっていた。

モロッコ三日目は砂漠でのグランピングだった。私はラクダ酔いしたと言ってしばらくテントで休ませて貰った。かたいけどベッドに横たわると少し落ち着いた。そのままうとうとと寝入ってしまった。

父に起こされた時、すでに辺りは暗くなり始めていた。そろそろ晩ご飯の時間らしい。一晩ぐっすり寝たようだったが実際は一時間程度だった。食堂になっているテントで食事が終わると、グランピングゾーンの真ん中に集められた。キャンプファイヤーだ。外はもうすっかり夜になっていて見上げれば満天の星空が見えた。

グランピングのスタッフによる民族楽器の演奏が始まり、お酒も入って踊り出す人もいた。この頃には大人たちはすっかり打ち解け肩を組んで笑い合っていた。姉と弟で母をはさんで、私は父の隣に座った。砂漠の夜は寒くて、私は持ってきていたダウンを着込み、スカーフを首に巻いて父にピタリとくっついた。

「砂漠はいいな、ゆういち。広大で自分の悩みなんてちっぽけだって思える」

父は上機嫌に言った。

「うん」

「砂漠が好きならエジプトの考古学者になるってのはどうだ?」

「いいかも」

父はそれから学生時代にシルクロードやモンゴル、東アジアを旅した話をしてくれた。いずれも壮大な景色に人生観が変わったと感慨深げだった。星空の下で父と話すのは楽しかった。この人が本当に私の父親ならどんなにいいだろう。砂漠が(厳密に砂とは違うがそれでも)好きだと言ってくれた父に私はすがりつきたくなった。でもできない。父は母の再婚相手で、弟としか血が繋がっていない。

モロッコ旅行の帰りに父は私にモロッコの砂時計をくれた。この中の砂はサハラの砂なんだぞと父は言った。だからこの中には小さな砂漠があるってことだよと。


サハラの経験は私に少し自信を与えた。砂漠は砂の集まりだが、そこには私がずっと恐れていたような砂の国の入り口や誘惑の手は見当たらなかった。そして私はある発見をしていた。それは砂の音を聞くと落ち着くということだ。父がくれた、あのサハラの砂時計の流れる音。枕元にそれを置いて目を閉じると驚くほど安らかに眠りにつくことができた。神経質な音楽家がメトロノームの音に安堵するように、私は砂の流れる音にリラックスするのだった。


大人になるより一足先に私は家を出ることができた。隣県の大学に合格し、一人暮らしをすることになったのだ。バタバタと準備を終えてついて来た母も実家へ帰ってしまうと、部屋には私としんとした静寂だけが残った。一人きりの六畳ワンルームに横たわると、今までの騒音が夢か幻だったかのようで、私はようやく解放された囚人のように手足を伸ばして深呼吸した。右手に砂時計を握りしめて。

それから私は学業とアルバイトに精を出した。アルバイトも頑張ったのは目的があったからだ。モロッコ旅行の時に父が話してくれたシルクロード旅行、その中でも中国の敦煌にずっと心惹かれていた。

実を言うと、モロッコ旅行の後に母を通じて父の学生時代の旅行の写真を見せて貰った時、被写体の色鮮やかな仏像、夜の砂丘やオアシスを恐ろしく感じたのだ。何故かは分からない。小さな子供だったのでそう感じたのか、それとも何かあってなのか……それを確かめに私は一度敦煌に行かなければならないと思っている。


ある時、私は私の周りの人間が私のことを密かに砂ネズミとあだ名しているのを知った。何故、ネズミではなく砂ネズミなのか、私は聞く気になれなかった。学校が変わっても私はだいたい一人だった。だがサハラの経験で強くなった気がしていて、かつ敦煌へという目標を持っていた私はもはや孤独を恐れていなかった。だから何を言われてもどうでもよいと思うようになっていた。私が知らぬふりを続けていると、自然とあだ名は消えて行った。


一人暮らしは何やかんやと出費も多く、ある程度の金額が貯まったのは大学三年目になってからだった。夏休みに入る前にインターネットを通じてチベット在住の日本人がシルクロードツアーをしていることを知り、連絡をとった。個人かつ少人数制のため、結構自由が効くらしいところが魅力的だった。その案内人となるサイトウさんはいくつかのリクエストを含めたツアーを提案してくれた。

夏休みに入ってすぐ早速私はバックパックに荷物を詰め込み出かけた。

初めての一人での海外旅行ということもあって少し緊張しながら西安郊外の空港の待ち合わせ場所である入国ゲートの外へと急ぐ。何事もなくここまで来たが、ここから先は案内なしでは何も分からない。しかしゲートの近くにいるはずの肝心の案内人が見当たらなくて焦った。黒いキャップにスポーツメーカーのロゴの入った白いシャツと言ったラフな格好で来たがもうちょっと特徴的な何かを持っていれば良かったかなと思い始めた時、メガネをかけた女性が近づいて来た。手にはようこそシルクロードへと書かれたボードを持っている。

「你好、ゆういち君。帽子似合ってるね」

間違いなく案内人のサイトウさんだった。分かりやすい案内ボードだったが見落としていたらしい。彼女は私が気づくより先にこちらに気づいて声をかけてくれた。

「こんにちは。よろしくお願いします」

帽子をとって頭を下げる。礼儀正しい学生さんだねとサイトウさんは笑った。それからもう二人今回のツアー客がいることを聞かされた。いずれも私と同じく一人でここに来ていて、すでに合流し各々コンビニや土産物屋で時間をつぶしているらしい。サイトウさんが携帯電話で呼び出し、それから十分くらいで全員そろうと、サイトウさんについて行き駐車場のワンボックスに乗り込んだ。それから、みな朝ごはんをしっかり食べていなかったので、空港近くのレストランで早めの昼食をとることになった。

その食卓を囲みそれぞれが自己紹介をした。まずツアー案内人のサイトウさん、学生時代のチベット旅行をきっかけに移住し、ボランティア活動をするかたわら昔からの憧れだった旅行の仕事を始めたのだと言う。サイトウさんの隣に座った女性はユウキさん。綺麗な人で登山用のハットにズボン履きでも垢抜けた存在感がある。趣味は仏像だと豪語する彼女は人生をかけてできるだけ多くの仏像を見るという夢を実行している途中なのだという。それからサイトウさんをはさんで反対隣に座ったおじさんはマキムラさん。日焼けなのか赤ら顔で気さくで酔った人みたいだ。マキムラさんはサイトウさんの父と同じ会社の仲のいい同僚でサイトウさんの父もこのツアーに来る予定だったが体調不良で欠席となったそうだ。どうしようか悩んじゃったとマキムラさんは笑っている。順番が回ってきて私も自己紹介をした。大学生であることや父が昔見た敦煌の砂漠や仏像を見てみたいということを話した。その時に持ってきていた父の撮った写真をみんなに見て貰った。マキムラさんはともかく、サイトウさんとユウキさんは写真の撮影場所を知っているかもしれないと少し期待もあった。

「素晴らしいですね」

ユウキさんはうっとりと仏像の写真を眺めて言った。けれど今まで見たことがないと加えた。

「これは是非見てみたいですね」

ユウキさんの隣でサイトウさんはううんと唸った。

「砂漠の写真は敦煌の鳴沙山と月牙泉で間違いない。気になるのはこの仏像の写真かな。周りの景色が写っていないから何とも言えないんだけど、特徴的な仏さまよね。しかも等身大。敦煌と言えば莫高窟が有名でそこの仏像にとてもよく似ているけれど、あそこは昔から撮影禁止なのよ」

「そうなんですね」

確かに、とユウキさんが続ける。

「でもこのタイプの仏さまは他に敦煌にはいないと思いますよ」

「そうね……」

「公開されてない仏像の可能性はありませんか?」

私が聞くとサイトウさんは首を振った。

「そう言う話は聞かないなあ」

「ええ。私も知らないですね…」

サイトウさんとユウキさんによると写真の仏像は敦煌の仏像ではないのではないかとの結論が出た。

「西安の仏像かもね」

マキムラさんがのんびりと言った。

「まあまあ、観光しがてら探しましょ」

いつの間にかツアーは仏像探しが目的の一つとなっていた。


写真の砂漠がどこのものか、私は事前に調べてもいたので敦煌であるとほぼ確定し身が引き締まった。何故夜の写真なのかは分からないが……。夜、ホテルのベッドで私は改めて写真を眺めた。二人が特徴的と言っていた仏像は少し面長で全体的に丸みを帯びていて、手前に写り込んでいる人の頭から考えるとほぼ等身大サイズであることが分かる。奈良の大仏さまのように合金製というよりは漆喰のような土けがある。そして袈裟や装飾には鮮やかだったことを思わせる青や朱の彩色の名残があった。

砂漠ばかり気にしていたので仏像の写真の方にはあまり意識を向けていなかったが、少し横から撮っていることもあわせてなるほど珍しい仏像の写真なのかも知れない。とは言えやはりメインは砂漠だろう。私は明後日にはまみえるであろう鳴沙山に思いを馳せた。

写真をしまおうとして、ふと、不思議と仏像の写真がこちらを見ている気分になった。

「……気のせいか」

等身大だからか、その顔はどこかで見たようないつか会うような奇妙な親近感があった。


翌日は引き続き西安観光をして、翌々日の午後から鉄道に乗り夜に敦煌に着く予定だった。西安と敦煌をメインとした五日ほどの弾丸ツアーである。何とか頑張れば西安博物館まで巡れるのではないかという相談をサイトウさんとユウキさんが現地の運転手としているのを横目にマキムラさんはどこでか手に入れた豚のヒゲと言う謎の珍味を気に入って噛んでいた。ちゃっかり酒も入手している。

女性二人が博物館に行きたいのは、私が初めて西安に来たのに博物館に行かないのはやはりもったいないというのと、仏像について何か手掛かりがないか調べたいというのがあるらしい。何からなにまで手配して貰って私は恐縮して肩をすくめる。するとその肩をトントンと叩かれて振り向く。

「ユウイチ君も食べる?」

目の前に豚のヒゲがあった。マキムラさんの満面の笑顔も。ただあまりにも独特の臭いがするので遠慮させて貰った。


西安博物館にも手掛かりはなく、一縷の望みを持って私たちは敦煌へと向かった。

敦煌へ着いたのは夜だったので駅からそのままホテル入りした。ホテルではサイトウさんユウキさんの女性陣、マキムラさんと私の男性陣が同室で過ごした。マキムラさんは夜も昼と変わらずスキットルの酒をちびちびやりながら豚のヒゲを噛んでいる。豚のヒゲは無くなる気配がなかった。いつの間にかたくさん仕入れてるのか、それとも噛むだけでなくならないものなのか分からなくなってきた。することもなく持ってきた敦煌について特集している旅行雑誌を見ていると、マキムラさんが赤ら顔のまま何事もないかのように聞いてきた。

「お前さんは仏像よりも砂漠を見に来たんじゃないの?」

ドキッとして雑誌を取り落としそうになった。内心慌てていたが平静を装うがその通りなのは認める。

「はい。そうです」

「やっぱりねえ」

「どうして分かったんですか?」

私の疑問にマキムラさんはウーンと少し唸ってからにっこりした。

「なんか、そんな感じがしたからよ」

「そ、そうですか」

「うん。君は敦煌の砂漠を見に来た」

お前さんと言ったり君と言ったり、この人には独特のペースがあった。その、人を緩めるような不思議な雰囲気に釣られ私は思い切って聞いてみた。

「マキムラさんは何を見に来たんですか?」

「あたし? あたしゃねえ……西安を見に来たのよ」

「西安の兵馬俑ですか?」

二日目に見た秦始皇の兵馬俑を挙げてみるが違う気がした。

「ううん。西安のどことかじゃなくて街そのもの、街の空気と言うかそういうの」

漠然としている。話してくれそうだったので私は姿勢を正した。ウン、とマキムラさんは笑った。

「そうたいした理由じゃないのよ。西安はね、昔の中国の都でしょ? 唐代なんかはほら有名な遣唐使も来た都よ。阿倍仲麻呂って分かる?」

「日本史で習いました」

名前だけは分かると言ったところだが、私は頷いた。

「仲麻呂の歌は知っている? 百人一首のやつ。望郷の歌だよ」

私がそこまでは知らないと知ってか、マキムラさんは目を閉じて朗々と歌った。

「天の原ふりさけ見れば春日なる、三笠の山に出し月かも……」

マキムラさんは満足げに目を開ける。

「望郷の歌だよ。結局仲麻呂は故郷には帰れなかった」

スキットルから酒をちびりと舐める。

「仲麻呂は帰りたかったけど帰れなかった。私はねえこの歌を聞くと妙に胸がしめつけられるのよ」

「はい……」

「私の母はね、終戦を沖縄で迎えた人で、戦後仕事がないってんで本土に来たんだけど、結局思うようにいかなくて幼い私と妹を連れて九州を転々とした。金の管理が得意な人ではなくてね、私は子供の頃施設を出たり入ったりでさ、私が働き出してからは私の給料を当てにするようになってねえ、私は大人になってから家を出た」

マキムラさんは豚のヒゲをくわえて柔く噛んだ。

「母も、妹も可哀想な人だけどね。でも私には荷が重かったね」

しみじみと豚のヒゲと一緒に何かを噛み締める。

「故郷に必ずしも帰る必要はないよ。大人なんだから好きに生きていいんだ。例え望郷の歌に胸が締め付けられても。蓋をしていいんだ」

「……」

どうしてそんなことを穏やかに語れるんだろう。私はマキムラさんをまともに見れなかった。この人に私の秘密を見透かされているような気がした。

「生きてりゃ、帰りたくても帰れないことがある、それを許そうって、そう言うこと」

マキムラさんはそう話を締めくくった。私はハッとしてマキムラさんを見た。その時、ふとマキムラさんの穏やかな横顔が写真の仏像と重なって私は再びドキリとした。


翌朝は早々にホテルを出発し、鳴沙山へ。現地に着くと砂避けのビニールが配られそれをはいて砂山を登る。山の頂上からはかつてのオアシス月牙泉が見えると言う。

砂はサラサラというよりは柔らかくて、踏み出すごとに少し沈むので登るのに難儀した。なかなか慣れない私をよそに女性陣二人はさくさくと山を登って行く。マキムラさんは何と現地の運転手と意気投合したとかで砂山には登らず車で待っている。

登るのに夢中でつい忘れがちになるが、私は砂が怖いのだった。砂からふと手が伸びてくるようなそんな気がして。

「おーい。あと少しだよ頑張って」

少し先からサイトウさんとユウキさんの二人が私を待って手を振ってくれる。何とかそこまで辿り着く。ふうふうと息をつく私をよそに二人は談笑している。

「おふたりは……」

二人が話を止めて私を見つめる。

「怖くないんですか?」

思わずそこまで言って、しまった、と私は口をつぐんだ。

「怖い……?」

「えっと……ほら、転げ落ちそうとか……」

「振り返らなければ大丈夫よ」

「ほらあと少しです!」

一瞬顔を見合わせた二人だったが、私の違和感には気付かなかったようで、すぐに笑顔に戻った。私はそれに密かに安堵した。


応援のおかげもあってか私は無事頂上に辿り着くことができた。

「頑張った甲斐ありましたね」

ユウキさんが写真を撮りながら私の肩を叩いた。目の前にはその名の通り三日月の形をした泉が広がっていた。

「きっとオアシス時代も訪れる人の心を癒したのでしょう」

「そうね。砂漠に水があるってやっぱり感動的よね」

二人の会話はもっともらしい。しかし私は、本音を言えばさして感動しなかった。ああ、泉があるなとそれだけ。私は今回ーー昼ではあるがーー砂漠に来て、想像していたような恐怖や絶望に襲われることはなかった。モロッコの時のように、来てしまえばそこにあるのは何と言うことのないただの大量の砂だった。私は既に目的を果たしていたのだ。


翌日は敦煌の石窟を見て、その日の夜、ホテルの部屋にサイトウさんとユウキさんが遊びに来た。明日は最終日、この旅の仲間ともお別れとなるからその前に最後の親交を深めようとなったのだ。

私以外のみんなはお酒を飲んで、和やかに談笑する。

「だからその豚のヒゲって何なんです?」

サイトウさんがマキムラさんに詰め寄っている時、ふと、ユウキさんが私に耳打ちした。

「ユウイチ君、私考えたんですけど」

「はい」

「鳴沙山が怖くないかって話です」

「…ええ」

「例えば墓地で昼寝するとして、お墓に足を向けては寝ないでしょう?」

酔っているのもあるのか、ユウキさんの話が見えなくて私は静かに続きを待った。

「キリスト教徒でなくても十字架には、イスラム教徒でなくてもモスク近くでは足を向けては眠れない。信仰の対象って何だか怖いんですよね。そして壮大なものも、怖い」

「はい」

「うん。砂漠じゃなくても崖や滝なんかも怖くないですか? 本能を刺激するんだと思います。何か間違ったら命に関わる感じがして。ユウイチ君は砂漠にそういう、本能的な怖さを感じていたんじゃないですか?」

ユウキさんの話は少し難しくて飲み込むのに一時かかった。

「……そう、だと、思います」

「うん。でもね、それは普通のことですよ。怖いものを恐れる心自体を恐れる必要はないです。私、そう思います」

ユウキさんはにこりと笑った。私もつられて笑って、だからユウキさんは納得した様子で二人の会話に戻って行った。

よく噛み砕いてみると、ユウキさんが考えてくれたことは的を得ていた。要は、私が砂を恐怖する心そのものを恐れていること……それは私が砂人間だからという裏がある、ユウキさんはその裏が何であるかは分からないにせよその複雑な心理状態に気付いてくれたのだ。そして慰めてくれた。私は少し泣きそうになりながら、三人の会話に入った。この優しい仲間ともあと一日でお別れである。


最後に戻って来た西安の空港で、ユウキさんに頼まれて再び仏像の写真を見せた。ユウキさんは目に焼きつけるように写真を眺めていた。差し上げますと言いたかったが、さすがに父の写真なのでそうはいかない。

ユウキさんは改めて私に礼を言い、どこの仏さまか分かったら連絡しますよと加えた。ユウキさんはそう言ったが、彼女と連絡をとることはそれきりなかった。


この旅行の経験が私の何かを最終的に変質させたようで、あるいは砂に対する耐性がついたのか、その頃から私は急速に人間らしくなったと思う。友達は必要としていなかったので無理には作らず、かと言って一人きりということもなく、大学を卒業し社会に出てからは同僚ともうまくやったし、知人との付き合いもそこそこにこなしていた。社会的地位も申し分なかった。それは多くの結婚式や葬式に参加することで形になったと言えるだろう。

私自身はそのうち上司に勧められたお見合いで知り合った女性と結婚をした。


砂のことが再び怖くなったのは家族ができてからだ。


私が子供の頃、砂が好きだったと思い出したのは娘が生まれてからほどなくのことだった。それほどまでに砂は私から遠ざかっていたのだが、それは急にやって来た。

〇歳の娘がぐずった時に、ふと思いついて娘の枕元にあのモロッコの砂時計を置いてみた。それは何となくの気まぐれだった。私がそうすると落ち着くからだが、さらさらと砂の流れる音を聴かせると、娘は驚くほど静かになった。予想外のことに妻が驚いており、その反応を見て私も驚いた。そしてこの時背後から突然冷たい何か影のようなものが私を覆ったのだ。それは私はやはり砂人間で、娘もそれを引き継いでいるのではないかという予感だった。


子供時代のように砂に対してそわそわするようになった私だったが、そんなこと気にも留めないで娘は成長して行った。立ち歩きができるようになると、保育園で砂場を覚え、すっかり砂の虜になってしまった。

娘が五歳になったある日曜日、私は娘にせがまれてマンション近くの公園へ遊びに出かけた。六月だというのに梅雨に入っておらず、そのくせやけに蒸し暑い日だった。私は近くのベンチで注意しながら砂場の娘を見ていた。すると砂の城を作っている最中に娘がこちらへ小走りにやって来た。

「みず!」

喉が渇いたらしいので水筒の水を飲ませると全て飲みあげてしまった。そのまま砂場へ戻ろうとする娘を捕まえて、日陰のベンチに座らせると慎重に娘の額に手をあて熱っぽくなっていないか確認する。小さな額は汗で湿っており少し熱くなっていた。私は娘に帽子をしっかり被せ直すと

「お茶か何か冷たいものを買ってくるから、ここでおやすみしてなさい」

そう告げて公園入り口の自販機へ向かった。時刻は午前十時で砂場はまだ木陰になっておりもう少し遊ばせてもいいかなと思いながら冷えたお茶と水を購入し元の場所に戻ろうとしてーー娘がいないことに気付いた。

慌ててお出かけリュックのみが寂しく放置されたベンチへ走りながら、目と鼻の先の砂場を見る。するとそこに倒れる青いワンピースを見つける。

娘の名を叫んで砂場へ駆ける。娘はぐったりとしてその小さな体は、先程、ついさっきが嘘のように熱くなっていた。

「どうしたんですか!?」

私の悲鳴を聞きつけて近くにいた親子連れが駆け寄って来た。

「娘が……! 娘が……!」

「お父さん落ち着いて! 熱中症です。とにかく冷やさなきゃ」

そう言うと見知らぬ近所の母親は、娘を砂場から更に木の陰が濃い芝生へと素早く移動させて、自分のリュックから水筒を取り出し娘に水をかけた。

「ペットボトルは両脇に入れて。とにかく冷やしてあげるのが一番です」

そうしている内に集まって来た近所のおじさんが慌てて消防に連絡をしてくれた。

「すぐに救急車が来るからね!」

その後のことはあまりよく覚えていない。私はとにかく動揺してほとんど役立たずだった。周囲の助けを借りて娘はすぐに救急搬送され処置を受けたが、脳に障害が残り寝たきりとなった。


妻は私を責めなかった。

反応を見せることのないベッドの娘に妻が毎日優しく声をかけるのを見て、私はただ不甲斐なくそして申し訳なく、妻へ顔向けできなかった。

私と妻は学資保険やあらゆる積み立てを解約し娘の治療にあてた。更に貯金を崩し民間療法、果ては霊感療法など色々な治療法を試したが、三年の看病の末に娘は息をひき取った。


治療中もそして娘の死後特に家の中では小さな粒……砂粒が見えるようになった。掃除をしてないからというのが理由ではないことを私は分かっていた。

ある日仕事から家に帰ると妻はいなくなっていた。いくつかの荷物と娘の遺骨がなくなっている。

妻は実家に帰っていることと、うつ病を発症していることを翌日の電話で義父から聞かされた。片付ける気力のない散らかり放題のマンションの部屋は広く、そして異様に砂っぽかった。


私が仕事から帰って来ると娘の物がなくなっていることがあった。どうやら妻が私の留守の間に戻って来て持ち出しているらしかった。私は今しばらくは妻のしたいようにするのがいいと思って何も言わなかった。

程なくして離婚届が送られて来る。

私は、そこでようやく妻へ電話をかけた。娘もだが何より妻も私の家族なのだ。だから病気の治療費だったり生活費を援助したいと申し出たが、妻はそれを断った。妻と直接話したのはそれが最後になった。

色々に築き上げたものが崩れていく。全ては砂でできた幻だったのだろうかと思うほどだ。受話器の粒々とした穴の部分からサラサラと砂が流れ落ちてきた。最近はもう砂粒ではなくて粒子の細かい砂が私の前に現れるようになっていた。


妻はあまり自分の荷物を持ち出していなかったが、娘の物はほとんど持って行ってしまった。私はタンスの奥に娘の靴下が残っているのを見つけ、大事にしまった。幼稚園の帽子、くずかごの中の小さな娘の爪とおぼしきもの。私はマンションの部屋のあちこちに少しずつ娘の物を見つけては集めた。やがてそれらも集め尽くした後、ずいぶんと悩んだが私がここにいる理由はもうない気がして、引き払って会社近くのアパートに移り住んだ。


単身者向けのアパートはそれでも私には広かった。娘の荷物はたったのダンボール一箱分だった。がらんとしていて、そうしてしまうと、何もかもなくなってしまった。まるで私には最初から何もなかったかのようだった。学生時代もこのくらいのアパートに住んでいた。あの頃は砂が怖かったりその理由を確かめようとしたり色々ともがいていたが、今は何もない。

私の内側が剥がれていく。私の形をそっくり一回り小さくして芯にあった固められた砂がポロポロと中から崩れ落ちていく。残されたのはいつの間にか尊大になった外側の人間部分だけだ。


仕事が終わりアパートに帰って来ると、私は六畳間に横たわり、娘のことはもちろん、それより昔のことも思い返すようになっていった。


ある日私は妻と新婚旅行の相談をした時のことを思い出していた。

妻は、私が子供の頃に海外の砂漠を見たことを話すと、興味深げに聞いてくれた。予算と確保できる日数とを折り合いをつけるとアジアか足を伸ばしてハワイ、オセアニアかというところまで候補を絞った。妻は海外旅行をしたことがなく、だからどこでも楽しみだと言っていたが、

「オーストラリアにしようよ。コアラを見てみたいしそれに……」

グルメや海、映画のロケ地など妻はオーストラリアの観光地に詳しかった。よく見るとテーブルの上にはオーストラリアが特集された旅行雑誌が置いてあった。

「ゆう君は砂漠好きなんでしょ?」

好きかと言われると難しいところだが、私は頷いた。

「じゃあこのパースとピナクルズ砂漠にも行ってみよう」

妻は旅行雑誌からオーストラリアの地図を広げた。砂漠らしきところを指してニッと笑う。

「野生のカンガルーに会えるかも!」


残念なことにオーストラリア行きはキャンセルとなった。日にちを決めたちょうどその時にアメリカで同時多発テロが起きた。それにより世界は戦争の危機に瀕した。海外旅行は慎重にすべきとの意見が出て、私たちはオーストラリア行きを一旦延期にすることにした。でもせっかくの休暇を無為に過ごすのももったいないので国内旅行には行こうとなった。

「鳥取砂丘にカンガルーいるかな……」

私に気遣って妻は日本の砂漠(厳密には砂丘)に行こうと言ったが、私は首を振る。

「砂漠はこの次にしよう。今回はせっかくだからもう少し遠出しよう」

私たちは相談の末、東京経由で北海道へ行くことにした。


砂漠といえば東京には裏砂漠があるが、妻は知らないようなので黙っている。裏砂漠に行く日は来るだろうかと考える。きっとないだろう。砂漠や砂丘に行くことで、砂の上に蓋をするように築き上げてきた何かが変わってしまう気がする。

東京では観劇と博物館を楽しみ、そこから空路で北海道へ行き壮大な自然とグルメを満喫した。

遠くに白樺の木立が見える草原を眺めながら満足そうな妻の横顔を見た時、私は思わず私自身のことを話してしまいそうになった。

「実はね、私の生まれは鳥取なんだよ。育ちは岡山だけど」

それは喉まで出かかって言えなかった。黙ってしまったのは、突然薄ら怖くなったからだ。告白することで私の後ろめたい秘密がばれるのではないかと不安になった。

この時はもちろんその不安がどうでもよくなるほど家庭が崩れてしまうと思っていなかった。


私は仕事を退職することにした。職場での挨拶を済ませ、送別会を辞退し、有給休暇に入る。一度は忘れた故郷へ行くための準備は整った。

最終日、仕事から帰り鞄を玄関に置くと、鞄からサラサラと音がし始めた。

家の中はだいぶ砂だらけになっていた。否が応でも粒子を吸い込むことになり、私は何度も咳き込んだ。もうさそいの手を無視することはできなかった。


そうだ、何も海外で探す必要はなかった。

砂は国内にもたくさんあった。それを避けてしまっていたのは私の本能にある恐怖心からだろう。


何日かかるか分からないが三日四日もあれば十分だろうと砂丘近くのホテルに三泊予約を入れた。念のため延泊した場合の問い合わせもしておいた。

こうして自身でも驚くほど淡々と全ての準備を終えて、アパートの鍵を閉め、鳥取へと出発した。


初日の現地は小雨だった。重く曇ってこそいるがなかなか気温は下がらず蒸し暑い。帽子をしっかりとかぶり直して、まずは砂丘のふちからじっくりと歩いて回ることにした。

娘が私に残したものの中で一番大きな物がサイズアウトした靴だった。それを胸に抱きしめ砂の上を歩く。湿気を含んでいるせいもあり、砂は柔らかく重く歩くには体力がいった。運動靴の中に入った砂を時折出しながら、水分補給しながら黙々と歩き続けた。

遠くに子供の笑い声が聞こえた。家族連れだ。気候のせいでまばらだが他にも観光客のグループがいくつか見えた。やがて小高い丘に行き渡りざくざくと登っていると、学生時代に行った敦煌の砂丘が思い出された。

「おふたりは怖くないんですか?」

耳元で自分の声がよみがえる。

「振り返らなければ大丈夫よ」

私は振り返らずに丘を登った。すぐに頂上まで辿り着く。息をついて前のめりになっていた背筋を伸ばし深呼吸して顔をあげると、遠くに晩夏の日本海が見えた。


やがて夕方になりチェックインだけ先に済ませておいた宿泊先へ戻って来た。シャワーで軽く汗を流してそれから、リュックから用意していた便せんと封筒を備えつけの机に出すと、元妻へ手紙を書き始めた。彼女への謝罪とそれから別れを伝えるために。


翌日は好天だった。昼は気温が上がることが予想されるので、早朝に宿泊先を出た。まずコンビニで切手を買いポストを探す。が見つからなかった。どこかしらにありそうなのに探してみるとなかなか見つからない。私は諦めて再び昨日の続きに戻った。今日は少し奥の方まで歩く予定だ。歩いていると故郷の方から私に近づいてくるのを知っていた。

しばらく歩くと昨日と同じくらいの小高い砂丘に行き当たった。同じように登り始める。

「暑い……」

じりじりと太陽が私を焼き始めた。予想よりも気温が上がるのが早い。私は着ていた薄手のパーカーを脱ぎ、腰に巻きつけた。リュックから水筒を取り出そうとして落としてしまう。水筒は砂の上に落ちると傾斜もさほどないのに転がりはじめた。その水筒を追いかけようとして振り返り、気付いた。

私は目の前の砂の斜面を登っていたが、背後にも斜面があった。つまり私はいつのまにかすり鉢状の淵と底の間の斜面にいるのであった。

さっきまでなかったはずだ。私は焦って足を前へと動かした。すると砂の中にずぶずぶと足が沈み込んでいく。すぐに足を上げることもできなくなった。砂は厳しく、少しも前へ進むことを許してはくれなかった。砂は、だが、優しくもあり足を止めると砂の動きも穏やかになり、まるで待ってくれているかのようだった。

私がこの世と決別するのを。

驚いてよろけた拍子にパーカーが腰からはずれて砂の上に落ちた。それはすぐに砂に飲まれて行った。パーカーの内ポケットにしまい込んだ妻宛の遺書は結局出すことができなかった。

ゆっくりと時間をかけて私は砂に沈んで行った。

サラサラと耳の奥、三半規管を砂が回転しながら流れていく音がする。より細かい粒子となって、まるでカテーテルの内側を楽しげに踊っていくようにくるくると。

本当はずっと前からそうだった。砂が風に舞って大地を離れ、空気に紛れて耳から体の中に入り、少しずつ体内に蓄積されていく。蓄積した砂は私の中に元からあった砂的な成分と合流し、大きな砂の流れとなって血管へ。私の体にとって不思議と血と砂は区別がつかなかった。私はついにこの日が来たのだと観念して体を砂の上に投げ出した。

「ただいま。帰って来たよ」

昔はあれほど恐れていたのに今はもはや怖くはなかった。安堵すらある。こんなにも穏やかでいれるのはやはり私が砂人間だからだろう。妻が実家に帰って行ったように、私もあるべき場所へ帰る時が来たのだ。


「ほら、お前はそこの砂のくぼみに落ちていたんだよ。下草が少しだけ生えているその上に」

「きっと砂の奥底からたまたまの何らかの力でせり出されて来たんだろう。泣いていて哀れだったから拾ってやったんだよ」

私が聞き分けないことをしたとなると母はよくそう言っていた。

「ゆういちが好きなのは砂とか石よね」

そのくせ私のことを何よりも知っていた。

「砂ネズミ、砂ネズミ、砂人間」

大学時代、ふと周りからそう呼ばれた気がして一度だけ動揺した。


砂の中に埋もれていく。私は怖くなかった。強く娘の靴を抱きしめた。すると私は腕に生まれたての娘を抱いている。忘れないあの瑞々しさ、涙。うあああと娘の産声が今でもすぐに生々しく耳に再生される。


最後の最後に私は胸に抱いていた娘をゆっくりと手放した。全て砂になる前に。そうすると娘が次に生まれ変わる時、また人間になれるような気がしたのだ。私は娘を、悲しい砂人間にはしたくなかった。

自分の内側をさらさらと流れていた砂が優しく全身に広がっていく。そして私自身が内側から細かく砕け砂になる。私は恐らくずっとそれを望んでいた。砂になってしまえばもう何も怖がらなくていいからだ。

何も見えなくなったが、娘が私の手から離れ、砂を上へ上へと、地上へ無事にせり出されて行くのが分かった。

私は長かった人生の時間の中で初めてようやく心から安心して、目を閉じ、全てを砂の流れへとゆだねた。

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― 新着の感想 ―
短編とあるけど、割と長い読み応えがある作品だと思いました。 読み始めるとSFなのかと思いましたが、リアルな感じですね。 終わりを読んだら、最初に繋げているのかな、と思いました。 この時はもちろんそ…
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