第8話 一緒にトレーニング その2
1月30日㈫
引っ越しや二人の妻との連日の夜を過ごし、慌ただしい日々が続いていたが、久しぶり(数日振り……)に、大舘監督らと一緒に走りたい衝動に駆られた。
妻たちに相談すると、奈月と朱里は「一緒にトレーニングすること」を条件に了承してくれた。
朱里はすぐに大舘さんへメッセージアプリでその旨を送信してくれた。ほどなくして、大舘さんからも快諾の返信が届き、陸上部の部員たちと合同でトレーニングを行うことになった。
17時ごろ、僕たち三人は陸上部の練習に合わせて総合運動公園へと向かった。新居からは徒歩で数分の距離にあり、気軽にアクセスできるのがありがたい。
公園に到着すると、大舘さんと陸上部の面々が既に集まっていて、彼女は僕を見るなり、にっこりと微笑んで手を振ってくれた。
奈月の左手薬指に指輪がはめられているのに気づき、驚きの表情を見せながらも僕らに挨拶をする。
「こんにちは甲斐田さん、旦那様……。お誘いありがとうございます。今日もよろしくお願いします」
「大舘さん、こちらこそありがとうございます。今日もよろしくお願いします」
僕も深々と頭を下げて挨拶した。
すると奈月が前に出て大舘さんに挨拶をする。
「先日はどうも……。改めまして嫡妻の甲斐田 奈月です。いつも夫がお世話になっております。今日は朱里共々練習の邪魔は致しませんので、よろしくおねがい致します」
何だか奈月は嫡妻と甲斐田姓を強調した様な気がする。大舘さんは戸惑いながらも奈月と挨拶を交わす。
「いえっ! こちらこそよろしくおねがいします」
「クーちゃん、今日もよろしくね」
朱里も笑顔で大舘さんと挨拶を交わし、場の空気が和やかになった。僕は陸上部の皆さんともハイタッチしながら挨拶を済ませた後、競技場の隅に荷物を置き、大舘さんと今日のトレーニングの打ち合わせを行った。今日は5000mのタイムトライアルをすることになっていた。奈月と朱里も一緒に参加することになったが、朱里は前回のトレーニングでその走力を大体把握しているが、奈月に関しては未知数だ。
事前に大舘さんからある程度のトレーニングの指導を依頼されていた僕は、まず「動的ストレッチ」の指導を始めた。
大舘さんと部員らは、準備運動としての「静的ストレッチ」をしないことに、とても驚いた表情をする。
こちらの世界では、運動前に「静的ストレッチ」をするのが常識となっている様ではあるが、運動前の準備としては最適ではない。
大舘さん他部員たちが怪訝な表情をしていたので、僕はそのことについて丁寧に説明をする。
「皆さんが普段から行っている準備運動……静的ストレッチと呼んでますが、運動前に行うのは最適ではありません。簡潔に説明しますと、筋肉がリラックスしてしまい、一時的に筋力や瞬発力を低下させ、パフォーマンスを悪化させる可能性があるからです―——」
僕は、“神経反射の抑制”に依る防衛反応が働き、筋肉が緩み力が入りにくくなることと、“筋肉の弾性低下”に依り、筋肉や腱の弾力性が一時的に低下してしまうことで、爆発的な力が出しにくくなる点などを懇切丁寧に説明した。
「——ですので“静的ストレッチ”は、運動後や、リラックスしたいときに行うのが効果的です。運動前には“動的ストレッチ”が最も効果的です」
僕は、運動前……特にタイムトライアルの前には、体を動かしながら筋肉を伸ばすストレッチこそがウォームアップに最適である事。
動きの中で少しずつ関節の可動域を広げていく事で体の血流を促進し、パフォーマンスの向上や怪我の予防にも繋がることを力説した。
一通り運動前の“動的ストレッチ”が最適である説明を終えた後に、僕は一つひとつ丁寧に動き方を説明しながら準備運動を進めた。
皆少し戸惑っているようで、バランスを崩す者もいた。全体的に体幹が少し弱いように感じたが、皆熱心に僕の指導に従ってくれた。
10分ほどで動的ストレッチを終えると、全員でウインドブレーカーを着用した状態にて、7、8レーンを使ってゆっくりアップのジョギングを始めた。
約2kmのアップ走を終えた後、5名ずつに分けて200mのウインドスプリントを38秒で2本実施し、最後にランドリルで体をほぐした。奈月と朱里もここまでは問題なくついて来ており、現時点では大丈夫そうだ。
「これでアップは終了します。10分後にタイムトライアルを開始しますので、体を冷やさないように注意してください」
僕はアップを終えた事を皆に告げる。
僕はウインドブレーカーを脱ぎ、先日オーダーしたユニフォーム姿になった。上は袖なし胸元までの赤色コンプレッションウェア(ピチピチなランニングシャツ)と下は黒色のローライズなショートタイツだ。
腹出しなこの露出度の高い格好は少し気が引けるが、妻たちや周りの女性達の蕩けた表情を見ると、彼女たちには好評のようだ。
因みに男性用のランニングウエアは種類が少なく、機能性もイマイチだったので、オーダーしたのだが、スポーツショップの女性店員の熱意に根負けして、このデザインのユニフォームとなった次第である。
露出度は高いが、とても走りやすいので良しとしよう。
奈月も朱里もウインドブレーカーを脱ぎ、それぞれのユニフォーム姿を披露した。奈月は僕と同じデザインの赤いプラトップと黒いビキニタイプのショーツを着ており、特にそのビキニが少しお尻に食い込んでいるのがセクシーだ。僕は思わずサムズアップした。
「奈月、最高だよ!」
奈月は顔を赤らめ、少し俯きながらも微笑んでいた。
朱里は前回同様、露出度の高いセパレートタイプの体操着である。相変わらずの可愛さに見惚れてしまう。
そして僕は用意していた手作りの赤色ハチマキを朱里の頭に前髪をしっかりと出した状態で結ぶ。
その姿は、体育祭時でのリアルJKである。童顔な朱里にとても似合っていて、とてもとても可愛いのだ!!
「朱里、とても可愛い! 最高だよ!」
朱里は僕にハチマキを巻いてもらったことに驚き、数十秒程フリーズしてしまったが直ぐに再起動し顔を紅く染める。
続いて奈月にも同じように前髪を薄めに少しだけ出した状態で赤色ハチマキを着けてあげた。
まるでカチューシャを着けている様で、更に奈月の大人な魅力とセクシーさが際立つ。
僕は奈月の耳元で静かに囁くように声をかけた。
「奈月、とても綺麗でセクシーだよ! 最高~~~!」
奈月も驚き数十秒程フリーズした。
そのやり取りを見ていた大舘さんと部員らは、蕩けた表情をしていた。そして大舘さんは僕に話しかける。
「とても素敵なご夫婦、羨ましいですね。その……ハチマキも素敵ですね」
僕は大舘さんと部員らが、物欲しそうな表情をしているようなので、僕からプレゼントする旨を伝える。
「あっ!すいません。何せ手作りなものでして、妻の分しかなくて……よろしかったらご用意致しますが……」
「へっ?! てっ手作り! ぜっ! 是非お願い致します!」
大舘さんが素っ頓狂な声を上げたかと思うと、深々と頭を下げた。部員たちは何やら「男性からの手作りプレゼント……」と、ざわついていた。
それから皆ユニフォーム姿となる。大舘さんと部員らは、同じセパレートタイプで水色のブラトップに下が青色ビキニタイプのショーツである。
相変わらず大舘さんの引き締まったウエストに美尻は素晴らしく、引き込まれてしまいそうになる。
部員24名と大舘さんと奈月と朱里と僕の計28名がスタートラインに立った。
つい先ほどまでの蕩けた表情はいざ知らず。皆アスリートの表情に様変わりし、まるでレースかと見紛うばかりのピリついた空気に包まれる。僕はこの緊張感のある雰囲気がとても好きでテンションは爆上がりである。
マネージャーのスタートの号砲と共に一斉にスタートする。
僕は一人飛び出すが、僕のペースには誰も付いて来れない。スタート時のピリついた雰囲気に触発されたのか、僕はアドレナリンが溢れ、ガチ走となっていた。
~~~~~~~~~
僕は2分47秒/㎞のペースを保ち、5000mを13分55秒で走り切った。
PB(自己ベスト)である13分19秒には遠く及ばないものの、失速することなく14分を切れたことに安堵する。
しかしながら、この世界での5000m走の世界記録を更新してしまった様である。
当然の事ながら、タイム計測をしていたマネージャーの一人は、驚愕の表情を浮かべていた。
フィニッシュ後も僕はゴール地点に残り、皆に声援を送る。皆僕より周回遅れであるので時間は充分ある。僕は目いっぱいの声援を送り、最後の頑張りを後押しした。
トップは16分05秒でゴールして来た。その後も続々とゴールしてきて部員の最後尾は17分を過ぎるタイムであった。
部員の最後尾より数秒程遅れて大舘さんもフィニッシュした。引退したとはいえ、5000mを17分10 秒のタイムは素晴らしいの一言である。
ゴールして来た部員らには、僕が水のペットボトルを手渡してから、「よく頑張った!ナイスラン!」と労いの声掛けをした。
ゴールして一息ついた大舘さんにも僕は労いの言葉を掛ける。
「大舘さん、ナイスランです。みんな素晴らしい走りでした」
「ありがとうございます。 まだまだ……このタイムでは……通用しません」
大舘さん的には、全員あと20秒は縮めて欲しかった様である。
大舘さんがゴールしてから2分経過して奈月がゴールしてきた。奈月は倒れそうになったので、僕が受け止め介抱した。
奈月は息切れが激しい状態ではあったが、目標としていた19分台でゴールできた事に満足した表情を浮かべていた。
一般ランナーで5000mを20分切りは、かなりの走力である。そんな奈月に僕は労いの言葉を掛けてから水を渡す。
そして奈月より遅れる事2分弱、最後尾の朱里が21分台でゴールした。朱里もゴール後に僕は抱き止めてから労いの言葉を掛けた。
奈月と朱里がゴールし、全員が5000mのタイムトライアルを無事に終えた。
ゴール後、トラックの隅で部員らは、現状のタイムに不満の表情を見せている者や、全力を出しながらも、縮まないタイムに口惜しさを滲ませる者等、様々である。
そんな部員たちの表情を見て、自分も学生時代に経験した想いと重なり、懐かしさから自然と笑顔がこぼれた。
するとそこへ大舘監督がとても驚いた表情で僕たちの方に歩み寄ってきた。
「甲斐田さん! まっ! また世界記録!! 凄いっ! 凄いです!」
僕的にはPBに程遠く、まだまだなのではあるのだが、こちらの世界では13分台は異次元の速さなのであろう。僕は多少冷めた表情で淡々と応える。
「まだまだですが……」
大舘さんは拍子抜けた表情をする。
「まだまだって……えっ?!」
「失速こそしませんでしたが、もう少し最初からペースを上げても良かったかな? と……反省です」
僕は淡々と反省を述べた。大舘さんは驚きの表情をする。
僕のタイムに大舘さんばかりでなく、妻や部員たちもざわつき、驚いていた。
そして大舘さんが僕に今日のお礼を述べる。
「今日はありがとうございました。部員たちも甲斐田さんの走りに良い刺激を受けたみたいですし、私自身も改めて走ることの楽しさを感じることができました」
僕はその言葉に軽く頭を下げて応えた。
「こちらこそ、参加させていただき、ありがとうございました。大舘さんも本当にお疲れ様でした」
大舘さんは笑顔を見せながら一瞬視線を落とし、少し照れくさそうに言葉を続けた。
「ところで、甲斐田さん……次にまたこういう機会がありましたら、またご指導頂けないでしょうか? 部員たちのタイムを上げたいんです。もしよければ、また一緒にトレーニングできると嬉しいんですが…」
その申し出に、僕は一瞬驚いたが、すぐに頷いた。
「もちろんです! 大舘さんや部員のみんなと走れるのは光栄ですし、また一緒にやりましょう」
僕がそう答えると、大舘さんは嬉しそうに微笑んだ。その瞬間、奈月が軽く僕の腕に触れながら口を開いた。
「それなら私たちもまた参加したいわ。迷惑はかけないし、朱里もそうでしょ?」
朱里は即座に頷いて賛同した。
「うん! また一緒にやろうよ」
「じゃあ、次回も全員で走りましょう」
大舘さんは驚きながらも微笑みを浮かべ、声を弾ませた。
ナイター設備から照らされる明かりが競技場を包み、心地よい夜風が吹き抜けていく。部員たちの走力は、まだまだではあるが……、今日の結果を踏まえ、それぞれのペースで次のステップへ向けて各々研鑽することだろう。
今日はタイムトライアルだったので、補強トレは行わずに、全員円形となって僕の指導で仕上げの静的ストレッチを時間をかけて実施して終了とした。
早々と着替えを済ませてから打ち上げとして、先日訪れたファミレスにて皆で食事を楽しむ事となった。
部員以外はお酒を飲みながら談笑し、とても楽しいひと時であった。
このトレーニングの一日が、僕と大舘さんの関係に新たな展開をもたらすきっかけとなるのだった。
「第1章 転移編」は、これにて終了です!
次回からは新章が始まります。
引き続き、応援よろしくお願いいたします!




