- 18 - JR高徳線 池谷駅~徳島駅
3日目
琴平>>善通寺>>多度津>>丸亀>>坂出>>高松>>高松築港>>一宮>>栗林公園>>栗林>>板東>>霊山寺前>>池谷駅前【桜、楓花、カメリア、ひまわりの現在地】
15時20分発の徳島行き気動車へ。
桜、楓花、カメリア、ひまわりの四人が、JR高徳線の池谷駅のホームから乗り込む。鳴門線からの乗り入れ車両である。
南へ――徳島へ。
列車はゆっくりと加速し、池谷駅を後にした。
池谷から吉成までの区間は、駅間距離が驚くほど短い。
一、二キロを切る間隔で、次の駅、また次の駅が現れる。
「このあたり、もとは阿波電気軌道だったところ」
楓花が言った。
「鳴門から?」
桜が確認する。
城郭の系譜には精通しているが、鉄道史となると、彼女は専門外である。
「そう。鳴門から徳島までを結んでいた民間鉄道。今のJR鳴門線の前身で、その後、高徳線の徳島県側の原型にもなった鉄道会社」
「そういえば、鳴門って、淡路島経由で大阪と鉄道がつながる話あったね?」
桜が言う。
楓花は一瞬、視線を遠くに向けてから答えた。
「うん。戦後の高度経済成長期に、本州と四国を結ぶ“本四淡路線”として、鉄道併用の構想が検討されたことがある。明石海峡大橋や大鳴門橋にも鉄道用スペースは想定されていたけど、結局、実現はしなかった」
淡路島を経て大阪と四国を線路で結ぶ――そんな“夢の路線”は、構想として語られただけで、現実の鉄道にはならなかった。
「阿波電気軌道って、その先駆けなんだ」
ひまわりが素直に感心する。
「ただし、経営は順風満帆とはいかなかった」
楓花は淡々と続けた。
「鉄道を敷いたはいいけど、資金も用地も足りなかった。結果として、ほどなく国有化されてしまったの」
駅間距離が短い理由も、そこにある。
地元の理解と協力を得るため、細かく駅を設ける必要があったのだ。
鳴門から池谷の区間も同様で、やはり短い距離に駅が連なる。
鉄道とは、単なる交通手段ではなく、地域との妥協と折衝の産物でもある。
阿波電気軌道は、大正時代に徳島市と板野郡撫養町――現在の鳴門市撫養を結ぶ目的で建設された。
だが、最大の障壁があった。
吉野川である。
当時の技術と資本では、この大河に橋梁を架けることはできなかった。
そのため、吉成駅付近から下流へ線路を延ばし、そこから連絡船で川を渡るという、いささか遠回りな手段が取られた。
「最初から、連絡船を使う計画だったらしいけどね」
楓花は言う。
「それでも用地買収が難航して、かなり苦労したみたい」
池谷から西へ分岐し、高徳線とほぼ同じルートをたどる路線も敷設されたが、こちらも河川が多く、建設費がかさんだ。
結果、経営は急速に悪化し、阿波電気軌道は解体される。
吉野川に本格的な鉄橋が架けられたのは、昭和に入り、国鉄になったときのことである。
列車は田園地帯を抜け、旧吉野川を越えて勝瑞駅に停車した。
「ここに、勝瑞城があるんだ」
桜が、少し残念そうに言う。
「城?」
ひまわりが首をかしげた。
「聞いたことない」
それも無理はない。
勝瑞城は中世の平城であり、石垣も天守も持たない。
現存するのは、居館跡や水濠、土塁の一部だけだ。
「つまり、通好み、っていうことなんだよ」
桜は、少しだけ得意そうに、この城を評した。
中世、阿波国はもとより、淡路国、讃岐国――その政治・経済・文化の中心が、この勝瑞だった。
細川氏九代、三好氏三代。
約二百四十年という時間が、この土地を、歴史の渦中に置き続けた。
だが、堅固さよりも実務性を重んじた城は、後世の人々には分かりにくい。
続日本百名城に選ばれていると知っても、足を運ぶ者は限られる。
列車は吉成を過ぎ、右へ大きくカーブして吉野川へ向かう。
かつては、まっすぐ南下した先に古川駅という終着駅があったという。
やがて、全長九百四十九メートルの吉野川橋梁に差しかかった。
吉野川は、日本三大暴れ川のひとつに数えられている。
坂東太郎の利根川、筑紫次郎の筑後川、そして四国三郎。
その四国三郎が、この吉野川である。
川幅は、関東平野を流れる荒川に次いで、全国で二番目を誇る。
河原というものが、ほとんど存在しない。
水量は圧倒的で、流れは悠然としていながら、どこか荒々しい。
「……でか」
ひまわりが、思わず声を漏らした。
吉野川橋梁を渡るあいだ、四人はしばし言葉を失っていた。
窓の外を流れていくのは、もはや川というより、ひとつの風景そのものだった。
「阿波電気軌道が、ここに橋を架けられなかった理由も分かる」
楓花が、ぽつりとつぶやく。
「この川、でかいね」
ひまわりが、改めて率直な感想を口にした。
「四国三郎だからね」
桜が、少し解説者ぶった口調で続ける。
「昔は、もっと暴れてた。徳島藩にとって、戦より厄介な相手だったんじゃないかな。この川は」
下流に雨が降っていなくても、上流で雨が降れば、たちまち暴れ川となる。
それが、吉野川だった。
この氾濫を抑えるため、徳島藩は築堤だけでなく、水防竹林を整備し、「筍奉行」を置いてその管理を重視した。
住民の側もまた、「石囲い」や石垣による住居の嵩上げといった、自衛の工夫を重ねていた。
隣の香川県が水不足に悩まされたのに対し、徳島――とりわけ吉野川下流域は、過剰な水と向き合い続けてきた土地だった。
「そうだね。たしかに為政者にとっても敵だったんだ」
カメリアが、静かにうなずく。
吉野川は四国四県に跨る水系を持ち、流域に恩恵を与える一方で、幾度となく水害ももたらしてきた。
川が暴れるたび、土地は荒れ、人は命を落とした。
「鉄道を敷くときも、吉野川の流れをどう計算に入れるかで、相当苦労したらしい」
楓花が言う。
「うん。城も町も、川が許してくれないと成り立たないから」
桜は窓の外を見たまま続けた。
「江戸時代、徳島藩は治水に力を注ぎ続けた。堤防を築き、流れを変え、氾濫を抑える――派手じゃないけど、藩政の要だった」
旧吉野川、という名が残っているのも、その結果だ。
かつての主流は藩主主導で人の手により押しのけられ、新たな川筋が作られた。
それは自然への勝利というより、妥協に近い。
そしてその妥協は、ときに手痛い代償を伴った。
「城も、そうやって生き残ったんだね」
桜が言う。
勝瑞城も、徳島城も、河川の流れや自然堤防を前提に築かれた城だった。
石垣よりも先に、水との距離が考えられていた。
「石垣より先に、まず治水があった」
カメリアが、ぽつりと言った。
「ここでは、敵兵をどう退けるかより、水をどう退けるかが、生死を分けたんだよ」
治水は、一代では終わらない。
成果は次の世代にしか現れず、失敗すればすべてを失う。
それでも続けなければならない――そういう種類の戦いだった。
列車はやがて川を渡り切り、再び陸の上を走り出した。
吉野川は、何事もなかったかのように背後へと遠ざかる。
「派手じゃないけどさ」
ひまわりがぽつりと言う。
「こういう話を聞くと、城の見え方、ちょっと変わるな」
誰も否定しなかった。
阿波の城と町は、川とともにあり、川に抗い、折り合いをつけてきた。
その積み重ねの上を、いま、気動車が静かに走っている。
吉野川に続いて鮎喰川を越えると、列車は高架へと上がる。
右から徳島線が合流し、まもなく佐古駅に到着した。
周囲の景色が、急に都市の輪郭を帯び始める。
そして15時44分、終着・徳島駅。
ホームの隣には機関区があり、気動車がずらりと並んでいた。
電化されていない徳島ならではの光景である。
「じゃあ、徳島観光に行こっか」
桜が言うと、楓花が無言で頷く。
カメリアと、ひまわりも、それに続いた。
まだ日没には早い。
徳島は、彼女たちにとって、いまはまだ通過点にすぎなかった。




