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- 2 - 板東俘虜収容所と大麻比古神社

3日目 琴平>>善通寺>>多度津>>丸亀>>坂出>>高松>>高松築港>>一宮>>栗林公園>>栗林>>板東【桜、楓花、カメリア、ひまわりの現在地】

四人を乗せた徳島行きの各駅停車は板東駅に到着した。

まず四国八十八ヶ所霊場・第1番札所の霊山寺をひととおり見て回り、

次は阿波国一宮・大麻比古(おおあさひこ)神社へ向かう――はずだった。


――その前に。


「鳴門市ドイツ館ね」

桜が、思い出したように言う。


ドイツ館は、第一次世界大戦中、日本に送られてきたドイツ人捕虜たちの生活や体験を伝える史料館だ。

板東には、かつて大規模な俘虜収容所が置かれていた。


「そうだった」

楓花が頷く。忘れていたわけではない。

「でも、ちょっと急がないと。次の列車に間に合わなくなる」


「うん」

桜は即答した。


霊山寺の山門を出て、歩き始めてすぐのことだった。


「ドイツ館もいいけど……収容所跡地は?」

不意に、カメリアが言った。


「収容所跡地?」

ひまわりが首をかしげる。

板東俘虜収容所――ドイツ人捕虜を収容していた場所で、ドイツ館から少し離れたところにある。


「なんでドイツ人が、こんなとこにおったん?」

ひまわりの率直すぎる疑問に、

「時間的に無理」

楓花が即座に切った。

「板東駅から大麻比古神社まで歩く予定だったでしょ。霊山寺とドイツ館だけでも、かなり詰めてる」


「うーん……そこも見たかったんだよね」

桜が言う。


収容所跡地には、当時の建物の基礎や給水塔跡が残されている。

ドイツ館が“展示”なら、こちらは“遺構”そのものだ。

そうした、生の痕跡に惹かれるカメリアが提案した理由も分かる。


「……じゃあ」

桜が少し考えてから言った。

「ほんのちょっとだけ、見よう」


「……話し合ってる暇もないね」

楓花はため息をつき、歩き出す。

「とりあえず、急ぐよ」


北へ行けば大麻比古神社の大鳥居がある。

だが四人は、まず西へ向かった。


板東谷川――吉野川の支流にかかる橋を渡り、住宅地へ入ると、そこに板東俘虜収容所跡があった。


昭和レトロな、落ち着いた雰囲気の公園。

ベンチや手すり、階段、日除けは古いが、よく手入れされている。

山の南斜面に位置し、桜の木が多い。春には、まったく違う表情を見せるのだろう。


ここには、大正時代の三年間、最大で千人余りのドイツ人の捕虜が収容されていた。

管理棟、兵舎、浴室、調理場、病院、製パン所――

そして、捕虜自身が建てた施設もあったという。


今は建物こそ失われているが、煉瓦積みの基礎が点々と残り、当時の規模と配置を静かに物語っていた。


「戦争中でも、ここでは捕虜たちが演奏会をしたり、演劇をしたりしてたんだ」

カメリアが言う。

「所長の松江豊壽が、捕虜の人権を尊重して、できるだけ自主的な生活を認めていたといわれている」


映画『バルトの楽園』の舞台でもあり、

捕虜たちの楽団が、ベートーヴェンの『第九』を日本で初めて演奏した場所でもある。


「……もう行くよ」

楓花が腕時計を見る。


「ほんま、一瞬やなあ」

ひまわりが名残惜しそうに言った。


「でも、ありがとう」

桜は、素直にそう言った。

短い時間でも、確かに“見た”という感触が残っていた。




続いて、鳴門市ドイツ館へ。

俘虜収容所跡から徒歩十分だが、四人は、ほとんど駆け足で向かう。


中世ドイツ風のバロック調の建物が現れる。

その前には、所長であった松江豊壽の銅像が立っていた。


入館料は四百円。

二階には、収容所のジオラマやパネル展示が並び、当時の様子が分かるようになっている。


桜とカメリアは、一通り目を通した。

時間がないのは承知している。流し見ではあるが、それでも収穫はあった。


「人形シアターあるやん」

ひまわりが言う。三十分おきに上演されるらしい。


「そんな時間ない。次、行くよ」

楓花は即断した。


「四百円の価値、あったんかなあ」

ひまわりは、少し残念そうだった。




そして、いよいよ大麻比古神社へ。

四人は板東谷川を遡るように進み、祓川橋――赤い欄干の橋を渡る。

ドイツ館から向かうと、この祓川橋までの区間が参道ではなく、脇道になってしまうのが、少し惜しかった。


視界が開け、そこに現れたのは、

阿波国一宮・大麻比古神社の大鳥居だった。


祓川橋を渡った瞬間、空気がふっと変わる。

それまでとは明らかに違う気配が漂い、葉擦れの音と水のせせらぎが、はっきりと耳に届いた。


「急に静かになったなあ。神社らしいやん」

ひまわりが、自然と声を落とす。


鳥居の向こうには、深い緑に包まれた参道が、まっすぐ奥へと伸びていた。


「ここが、大麻比古神社」

楓花が、確認するように言った。

「阿波国一宮」


「おわさはん、って呼ばれてるんやっけ」

桜が、思い出したように言った。どこかで読んだ記憶がある。


「うん。地元では、そう呼ばれてきたみたい」

カメリアが、ゆっくり頷く。

「“大麻”って字がつくけど、そっちの意味じゃないね。植物の麻のほう」


ひまわりが一瞬、きょとんとした顔をするのを見て、カメリアは言葉を足した。

「ここは忌部氏(いんべうじ)と関係が深い神社なの。忌部氏は、古代に祭祀や祭具づくりを担っていた一族で――“忌”は、穢れを慎んで清める、って意味」


「名門氏族なのね」

桜が、感心したように相槌を打つ。

カメリアの説明は、歴史好きの桜よりも的確だった。桜の関心が主に戦国時代に向いていることを差し引いても、この知識量は素直にすごい。


「うん。出雲とか紀伊にもいたけど、阿波の忌部は特に、麻や穀物の生産に長けてたって言われてる」

カメリアは、境内の奥――大麻山の方向をちらりと見た。

「その麻を植えたっていう伝承から、大麻山があって、そこにこの神社が建てられたの」


「じゃあ、ここの神さまも……?」

楓花が、珍しく口を挟む。


「大麻比古神。天日鷲命の子で、阿波忌部氏の祖神とされてる存在」

カメリアは静かに言った。

「だから、この場所そのものが、忌部の歴史と重なってるんだよ」


桜は鳥居を見上げながら、楽しそうに口を挟む。

「つまり、布と技術の神さま、って感じかな」


参道を歩くにつれ、境内の広さが実感できた。

本殿以外に、左右には末社が点在し、それぞれに小さな由緒書きが立っている。


「食の神さまに、山の神さま、水の神さま……」

楓花が、案内板に目を走らせる。

「生活フルセットだね」


もともと楓花は神というものを信じていないようだが、

こうした信仰そのものを、頭ごなしに否定するタイプでもない。


「耳の神さまもおるん?」

ひまわりが中宮社の案内を見て首をかしげた。

「それ、テスト前に行っといたほうがよかったんちゃう?」


「聞きたくない話まで聞こえそう」

桜がくすっと笑う。


境内の奥、ひときわ存在感を放つ楠の大木の前で、カメリアが足を止めた。

「樹齢、たぶん千年近い。鳴門市の天然記念物」


「……でか」

ひまわりが、素直に感想を漏らす。


さらに奥へ進むと、小さな池と石橋が見えてきた。

どこか、日本の神社らしからぬ意匠だ。


「これ、ドイツ橋やね」

案内板をみて、ひまわりが言った。


「第一次大戦の捕虜たちが造ったもの」

カメリアの声は淡々としている。

「さっき見た場所と、ちゃんとつながってる」


神社の森の中に、異国の痕跡が溶け込んでいる。

桜は、その風景を一枚、静かにカメラに収めた。


「ここ、好きかも」

ぽつりと、そう言った。


楠の葉が揺れ、参道の奥で鈴の音が鳴った。

阿波国一宮は、過去と現在を何事もなかったかのように抱え込んでいた。


「……さて」

楓花が時計を見る。

「そろそろ、戻る時間も考えないと。走るよ」


「はいはい」

桜が笑う。ちゃっかり御朱印は、もう頂いている。

「でも、来てよかったでしょ」


ひまわりとカメリアは、顔を見合わせてから、同時に頷いた。

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