- 4 - JR土讃線 善通寺駅~多度津駅、多度津の街並み
琴平>>善通寺>>多度津【桜、楓花、カメリア、ひまわりの現在地】
朝の光が、讃岐平野を淡く照らしていた。
8時12分、JR土讃線の善通寺駅を発った列車は、低くひろがる田畑のあいだを抜けていく。
夜のあいだに冷えた空気がまだ残り、窓の外では、ため池が小さな鏡のように空を映している。
昨日の夜、多度津から善通寺へ向かったときは何も見えなかったが、いまは景色のすべてが、目にやさしく広がっていた。
金蔵寺駅を過ぎるころ、ひまわりが身を乗り出して窓の外をのぞきこんだ。
「なあなあ、金蔵寺駅って、さっきの善通寺みたいに、有名なお寺さんあるん?」
スマホを指で滑らせながら、楓花が淡々と答える。
「ある。駅のすぐ近くに“金倉寺”って寺がある。字は違うけどね」
細い銀灰色の眼鏡が朝の光を受け、淡くきらめいた。黒髪を肩でまとめた横顔には、いつもの理知的な影がある。
桜が小さくうなずく。
「うん。四国八十八箇所のお寺だよ。お遍路さんのお寺さんだね」
カメリアは、少し目を細める。
「たしか……“蔵”じゃなくて、“倉”の字を使っていた時代もあったと思う」
言い切らず、記憶を確かめるような口調だった。どうにも“蔵”という字には、しっくりきていないらしい。
桜は、思い出したように、少し得意げに続ける。
「明治のころに、“金倉寺”で統一したって聞いたよ」
「駅名と寺名で漢字が違う。鉄道では、よくある話ね」
楓花は眼鏡の奥で、かすかに笑った。
カメリアは、遠い時代を見つめるように言う。
「このあたりは、もともと“金倉郷”と呼ばれていたの。古い地名は“倉”の字で……それが、いつの間にか“蔵”になったみたい。地名も寺の名前も、文字みたいに、少しずつ姿を変えていくんだね」
ひまわりは「ふむ、ふむ」と、分かったような、分かっていないような相槌を打つ。
話の細かいところまでは追えていないが、その場の雰囲気は、しっかり楽しんでいるようだった。
車窓に、ため池のきらめきが続いた。
やがて列車は予讃線と合流し、多度津の町へと滑り込む。
定刻の8時19分、多度津駅に到着した。
多度津駅は、木造の屋根をもつ古い駅舎だった。
琴平駅も善通寺駅もそうだが、レトロな駅舎が多い路線である。
多度津は、JR予讃線と土讃線が分かれる分岐駅でもあり、構内には「四国鉄道と少林寺拳法発祥の駅」という案内板が立っていた。
「明治のころね、讃岐鉄道がここを起点に、丸亀から琴平まで線路を敷いたの。それが、四国の鉄道の始まりよ」
楓花の声は、いつもよりわずかに弾んでいた。
「え、”少林寺拳法”って……カンフーのことなん?」
ひまわりが首をかしげ、思いついたまま口にする。
「カンフー?」
カメリアは、ほんの少し笑った。
「功夫ね。でも、中国の少林拳とは別物よ。戦後に日本で生まれた武道。でも……精神の源流は、似ている部分もあるかもしれない」
その静かな口調には、まるで古い史書をひもとくような確かさがあった。
四人は駅を出て西へ歩き出した。
目的地は会田邸――旧合田家住宅。このあたりは、古い街道沿いの街並みが続いている。
案内では徒歩十分とあるが、楓花の頭のなかの時計は七分を指していた。次の列車の発車を考えると、少しでも無駄は削りたい。
「時間を節約するには、少し速足でいくわよ」
桜が苦笑した。
「また出た、楓花さんの“旅の軍師モード”ね」
線路沿いを進み、やがて海風を感じる道に折れる。
金毘羅神社の鳥居をくぐり、金毘羅街道を右へ。
小さな水路を渡ると、遠く西の山の上に、白い楼閣が見える。
「あれが少林寺の建物?」
桜が指をさす。
「そうみたいね」
楓花は地図を確認し、頷いた。
四人の向かう道端には、古びた看板や閉ざされた格子戸が並ぶ。かつて人々が行き交った名残は、いまも空気のどこかに漂っていた。
本瓦葺きの屋根をいただく古い商家が軒を連ねる――そこは、朝の静けさに包まれた金毘羅街道の街並みである。
やがて、左手に現れるのが会田邸だ。
豪商であり政治家でもあった合田家が、三代にわたって建て継いだ大邸宅。瓦の端に陽があたり、長い年月を経た木の色が穏やかに沈んでいる。
「多度津の栄えた頃の名残だね」
カメリアが呟く。
内部の公開はまだ始まっていない。
四人は門の前で立ち止まり、しばし眺めたのちに道を進む。
さらに街道を海の方角へ進むと、右手に旧吉田酒造場が現れた。褪せた茶色の看板と、木の格子戸が、朝の光ににじんでいる。
その古びた看板を過ぎ、さらに歩いた先の左手に、「藝術喫茶 清水温泉」の文字が見えた。大正時代の銭湯を改装したカフェである。
「十一時開店か。やっぱり、ここも、まだ閉まってるや」
桜は苦笑する。
どこで見聞きしたのかは忘れたが、この建物のことは覚えていた。浴場や脱衣場を当時のまま残し、喫茶店として使っている――そんな話だった。
「朝から開いてたら、逆に驚くわ」
楓花は感情を交えず、淡々と返す。
「え、ここって温泉入れたりするん?」
ひまわりが、少し期待をにじませて尋ねると、
「入れないよ」
カメリアが、即座に答えた。
「温泉は名前だけ。銭湯をリノベーションした喫茶店だね」
「なんやそれ。妙に期待させる名前やなあ」
ひまわりは肩をすくめる。
「どっちにしても、今は入れないけどね」
桜が、くすっと笑った。
湯気の代わりに漂っていたのは、古い木の香りと、朝の夏の空気だった。
楓花が腕時計にちらと視線を落とした。
「そろそろ戻るわよ。思ったより、ゆっくり歩きすぎた」
その声音には、本人なりの反省と、しかし事態を急がせるほどの切迫感は混じっていない。彼女の歩調は常に一定で、周囲が追いつけないだけの話である。
「朝から駆け足ばっかりやわ……」
ひまわりが大げさに息をつき、肩を落とした。
それでも次の瞬間、小さく笑みを添えて、「もう三日目やから、この展開には慣れたけど」と、諦めとも達観ともつかぬ調子でつぶやいた。
それでも四人の足取りは軽かった。古い町の静けさが、どこか心地よかったのだ。
四人は、多度津駅へと戻ってきた。
楓花は足取りをわずかに緩め、駅前の広場へと視線を向ける。そこは、かつて鉄道ヤードだった場所を整備した空間であり、その中央には黒い蒸気機関車が静かに鎮座していた。
通称「ハチロク」――8630形の58685号機。
「……ハチロクだ」
楓花が、思わず息を呑む。その声には、抑えきれない感嘆と、長い年月を走り抜いた機械への敬意が混じっていた。
「時間ないよ」
桜が、笑いを含ませて楓花の背中を軽く押す。
「一番、発車時刻にうるさいのは、楓花さんでしょ」
楓花は眼鏡を指で押し上げ、短く答えた。
「……分かってる」
そのやり取りを、ひまわりは少し後ろから眺めている。
「いやあ、あれは立ち止まりたくなるやろ。あたしでも分かるで、あの迫力」
遠くで、列車の汽笛が鳴った――ような気がした。到着が近いことを、四人はそれとなく感じ取る。
多度津の空は高く、白い雲がゆるやかに流れている。
四人は再び歩みをそろえ、駅舎の中へと戻っていった。
08時54分発、快速サンポート南風リレー号。
次の旅は、その列車から始まる。




