- 2 - JR土讃線 琴平駅~善通寺駅
3日目
琴平>>【桜、楓花、カメリア、ひまわりの現在地】
7時38分。琴平駅のホームは、夏の朝の光に包まれていた。
桜、楓花、カメリア、ひまわり――四人の女子高生を乗せた列車が、ゆっくりと動き出す。車輪は朝の空気を切るようにレールを踏みしめ、やがて駅舎を背後へと遠ざけていった。
JR土讃線は北へ向かう。車窓の向こうには瀬戸内海の気配があり、穏やかな光が、これから始まる旅を静かに予感させていた。
窓際にはカメリアが座っていた。
銀色の長い髪、その前髪が柔らかく額にかかり、透き通る青い瞳を細めて、窓から差し込む光を静かに受け止めている。
対面には桜。黒髪のストレートロングに、端正な横顔。微笑みを浮かべながら、首から下げた単焦点レンズで、流れていく車窓の風景をそっと縁取っていた。大きく切れ長の瞳は、細かな変化さえ逃さない。
ひまわりは、肩まで届く明るい栗色の髪を揺らし、座席の背にもたれて大きく伸びをする。黄色みがかった黒い瞳は、窓の外の光景に好奇心を満たして輝いていた。
楓花は、黒に近い濃い茶色のミニボブを耳にかけ、後ろ髪を低めの団子にまとめている。眼鏡の奥の琥珀色の瞳が、時刻表と腕時計を交互に追っていた。その表情には、理知と鋭い観察眼がはっきりと宿っている。
「……次は一駅先。善通寺駅だね」
カメリアが、窓の外を見たまま静かに言った。確認というより、事実をそっと置くような声音だった。
桜はその横顔をちらりと見て、口元に小さな笑みを浮かべる。
「うん。降りて、善通寺にお参りするよ。……分かってたでしょ?」
カメリアはわずかに目を伏せる。
「……予想はしてた」
それ以上は言わない。その沈黙が、「やっぱりね」という感情を、かえってはっきりと伝えていた。
窓の外には、朝日に濡れた瓦屋根がきらきらと輝き、水面を反射する田んぼが金色に揺れている。
列車は平野をまっすぐに抜け、民家の間を縫うように進む。風が窓から差し込み、朝の空気が車内に静かに流れ込む。
天気は晴れ。昨晩に通った折り返し区間だ。
夜は何も見えなかったが、今朝は景色がはっきりと目に入る。
低い山並みの稜線、瓦屋根の列、そして畦道を縫う水田の細やかな模様が、まるで絵画がゆっくり動いていくように流れていった。
「ほら、左手」
ひまわりが声を上げる。小さな指を窓の外に差し伸べた。
白い煙突の向こうに、黄色い看板が見える。
「“灸まん本舗”やって。ここで作ってるんやね」
「……灸まん?」
楓花は小さく首を傾げた。
「名前だけ聞くと、効能重視のお菓子だね」
「そうそう」
ひまわりが楽しそうに頷く。
「お灸の形したまんじゅうや。こんぴらさんの名物でな、中は卵黄の餡。ほくほくしてて、疲れに効くらしいで」
そう言いながら、ひまわりは小さな包みを取り出す仕草をして、そっと一口かじる真似をした。
もちろん想像だけだ。
「……うん、優しい甘さ」
満足そうに目を細める。
「残念だけど、今日は買う時間なかったね」
楓花が肩をすくめて言う。
「移動優先。効能は想像で補うしかない」
「心のツボ押し菓子やな」
ひまわりが即座に返す。
「それ、わりと本質突いてるかも」
桜がくすっと笑う。
「商品名にしたら、意外と売れそうじゃない?」
少し間を置いて、窓際のカメリアが静かに口を開いた。
「……効くと思えば、少しは効くよ。人間、そういうものだから」
誰も反論できず、車内に小さな笑いが広がった。
列車が踏切を渡る。
左手、やや後方の車窓に、なだらかな山並みが広がっていた。
カメリアは指先で銀髪を軽く弄びながら、静かに言った。
「……象の頭に、見える?」
「え?」
ひまわりが思わず声を上げる。
「ほら、あれが象頭山。金刀比羅宮のある山よ。象の鼻にあたるあたりに、さっき参った本殿があるの」
そう言って、カメリアは窓の外の山並みに視線を向けたまま、続ける。
「地質はね、下から花崗岩、凝灰角礫岩、それに讃岐岩質安山岩。花崗岩の部分が崩れてできた、不完全なメサなの」
その静かな説明に、ひまわりは首を傾げた。
「……メサ?」
「スペイン語で“食卓”って意味。四方を急な崖に囲まれた、平らな台地のことよ」
知っていることを淡々と確かめるように、カメリアはそのまま話を続ける。
「なんや、急に授業始まったみたいやな」
桜がくすっと笑い、横から軽く突っ込んだ。
ただ――ひまわりには、どこが象の鼻なのか、最後までよく分からなかった。
それでも、分からないなりに、山の形を目で追い続けていた。
列車はスピードを少し上げ、窓ガラスを通して風景を淡く揺らす。
平野部の直線を進む列車は、昨晩とは異なり昼の光に照らされた民家や田畑を映し出す。
「……“こんぴらさん”はね、もともとインドのガンジス川に棲むワニの神。“クンビーラ”が仏教に取り込まれて、水の神“金毘羅”になった存在なの」
カメリアの声は静かで平坦だが、語られる内容は古く、重い。
「それが、この象頭山で役小角が遭遇したと伝えられて、この地そのものが“こんぴらさん”と呼ばれるようになったの」
「クンビーラ、クンビーラ……コンビラ……コンピラ……」
ひまわりは楽しそうに、言葉の響きを転がす。
それにつられて、三人も笑顔になる。
楓花がわずかに首を傾げた。
「ところで、その役小角って人も、よく聞くね」
「うん。古代の呪術者みたいな人やけど、伝説が多すぎて、どこまでが史実かは正直よう分からんのよ」
桜は苦笑しながら続ける。
「修験道の伝承では、あちこちに“ここで修行した”って話が残っとるし、行動範囲が広すぎて、“ほんまかいな”って言いたくなるレベルやね」
少し間を置いて、今度は落ち着いた調子で付け加えた。
「で、明治の廃仏毀釈で、金毘羅大権現みたいな神仏習合の形は解体されて、今は神社として整理された、ってわけ」
「人の都合で神様の扱いが変わったってこと?」
楓花が小声で言った。
「そう。でも山は覚えてるの。“こんぴらさん”と呼ばれ続けてるからね」
ひまわりが顔を上げ、感嘆する。
「桜、詩人みたいやね」
「廃仏毀釈は、ちょっと急ぎすぎた政策やったと思うな」
桜は苦笑しながら続けた。
「ここでも仏像は壊されとるし。……まあ、金刀比羅宮の麓にある松尾寺には、金毘羅権現像が残っているらしいけど」
少し間を置いて、ぽつりと付け足す。
「今回は、行けへんかったな」
「うん。ごめん」
楓花は短く言って、軽く頭を下げる。
「時間を組めなかった。あのダイヤじゃ、どうしても無理だったから」
田んぼの向こうに、古い煉瓦造りの建物が見える。
「……あれが旧陸軍の跡地?」
楓花がスマホで地図を確認しながら窓を覗く。
カメリアが淡々と説明する。
「そうね。善通寺には旧第11師団の陣地があったの」
「もうすぐ善通寺。空海の生まれた町ね」
桜が告げる。
「空海……あ、弘法大師か」
ひまわりがつぶやいた。
「うん」
列車の放送が流れる――次は、善通寺、善通寺。
四人は荷物を整え、朝の光に象頭山を見送った。桜は静かに呟く。
「神様、見送ってくれてるね」
誰も言葉を添えず、ただうなずく。
7時43分、列車は定刻どおり善通寺駅のホームに滑り込み、やわらかなブレーキ音を残して停車した。




