- 15 - 琴平の夜
2日目
佐用>>上月>>津山>>新見>>備中高梁>>総社>>備中高松>>吉備津>>備前一宮>>岡山>>岡山駅前>>城下>>岡山>>倉敷>>岡山>>坂出>>宇多津>>琴平【桜、楓花、カメリア、ひまわりの現在地】
22時23分、静かに終着のホームへと止まった。
JR土讃線の琴平駅――その堂々たる木造駅舎は、白光をまとって夜気の中に浮かび上がっている。
昭和初期の「風建築」と呼ばれる様式を今に伝え、登録有形文化財としての矜持を漂わせていた。
――「風建築」とは、洋風の構造体に和風の屋根を載せた、和洋折衷の様式を指す。鉄筋コンクリートの合理性に、日本建築の意匠を重ねた、昭和初期らしい設計だ。
照明に照らされた漆喰壁が柔らかく輝き、駅前の舗装路には円形のデザインで「ことひら」の文字が刻まれている。
旅人を迎えるというより、古来よりの参詣路の一部としてそこに「在る」だけの、静謐な存在感だった。
「夜でも、なんか落ち着く感じやなぁ」
ひまわりが小さく笑う。
「この町は、賑やかさより静けさのほうが似合う」
カメリアが淡々と言った。
その声は、夜気に溶けるように静かだった。
駅前を出ると、石灯籠が並ぶ参道が夜の闇に淡く連なっている。
金刀比羅宮――こんぴらさん。その門前町として栄えた空気は、すでにここから始まっていた。
右手には闇を背景にそびえる巨大な影。日本一の高さを誇る木造灯籠である。
江戸期、航海安全を祈願した船乗りや参詣客が寄進して建てたという。
高さ二十七メートル、その灯りは今なお町を照らす道しるべだった。夜空の下、灯籠の頂だけが淡く光り、まるで星のひとつが地上に降りてきたかのようである。
そして、琴電琴平駅。瓦屋根の古風な駅舎が、闇の中に静かに佇んでいた。
「これが“ことでん”かぁ」
桜が、少し楽しそうに声を上げる。
楓花は小さく頷き、感情を乗せないまま説明する。
「正式名称は高松琴平電気鉄道。金刀比羅宮への参詣客輸送を目的に敷設された路線。高松からここまで、約五十キロ。ラインカラーは黄色」
「はいはい、完全に鉄ヲタ講座やね」
桜が笑いを含ませてからかう。
楓花は肩をすくめた。
「一般知識の範囲。覚えておいて損はない」
そのやり取りに、カメリアが微笑む。
「日本の地方鉄道は、静かでいい。古いけれど、ちゃんと生きてる」
やがて四人は大きな鳥居をくぐり、金倉川にかかる大宮橋を渡る。
川面には提灯の灯が揺れ、風に合わせて小さく震えた。その光の列は、まるで過ぎ去った人々の記憶を呼び覚ますようだった。
こんぴら詣での門前町らしく、旅籠を改装した宿や古びた土産屋が並ぶ。夜更けにもかかわらず、町にはぬくもりが残っていた。
ただ、この時間では、土産屋の明かりもすでに落ちている。
彼女たちが向かうのは参道の先ではなく、反対方向である。
今夜の宿――六十年前の民家を改装した小さなゲストハウス。
料金は一人三千六百円、すでに楓花が事前にまとめて四人分の振り込みを済ませていた。
この年頃では、親の理解や仲間同士の信頼がなければ躊躇する額だろうが、楓花は迷いもなく処理していた。
「チェックインはもう過ぎとるけど、事情話したら問題ないって。オーナーさん、話の分かる人やったわ」
楓花が声を落として言う。
「助かったわぁ……。今さら野宿とか言われたら、うち本気で泣くで」
ひまわりの声が、ほっと緩む。
「ほな、いよいよ温泉やね!」
「残念だけど、ここは共用のバスルームだけ。値段を考えたら、妥当でしょ」
楓花は感情を挟まずに言った。
ひまわりは不満そうに唇を尖らせる。
「でも、駅に“ことひら温泉”って書いてあったで。外湯とか、あるんちゃう?」
「ことひら温泉は最近の温泉やね」
桜が説明する。
「もともと、ここはこんぴらさんの門前町だからさ。昔は温泉なんて、なかったんだよ」
少しだけ間を置いて、にこっと付け足す。
「あとから地元の人が掘り当てて、名前だけ“ことひら温泉”にしたらしいんだ」
「つまり、外湯はない」
楓花が冷たく言い切る。
カメリアは肩をすくめ、かすかに笑った。
「どこの温泉街でも……こんな時間まで開いてる外湯は、ほとんどないよ」
身もふたもないその言葉に、ひまわりは「せやなぁ」と力なくうなずいた。
やがて宿に着く。玄関の木戸を開けると、懐かしい生活の匂いがわずかに残っていた。
廊下には昭和の面影が漂い、床の軋みさえも旅情をかき立てる。
四人が泊まる部屋には他の宿泊者の姿はない。
「知らない人と一緒じゃなくてよかった」
楓花が安堵の息をもらした。
部屋は畳ではなく板張りだが、壁のしみ、裸電球の灯り――どれもが昭和という時代を今にとどめているようだった。
安っぽい二段ベッドが二つ。
「値段相応やなぁ」
ひまわりが苦笑する。
「でも……そういう雰囲気も、嫌いじゃない」
カメリアの声は、薄闇の中でどこか柔らかく響いた。
荷物を置き、順に共用バスルームで汗を流す。
部屋を出るとき、桜が小声で言った。
「もう寝とる人もおるかもしれんし、静かにしよっか」
その言い方は軽いけれど、自然と皆が従ってしまうような、旅のリーダーらしい気遣いだった。
全員が戻るころには、時計の針はすでに23時を過ぎている。
四人は会話を控えめにして、それぞれベッドにもぐり込んだ。
翌朝、こんぴらさんの石段を上る予定であることは、言うまでもなかった。
「明日は五時起床ね」
楓花が淡々と告げる。
「えぇっ!? まだ夜やん!」
ひまわりの悲鳴に、桜が指を唇に当てた。
「しーっ、静かに」
カメリアが、かすかに笑った。
「この町の夜は……たぶん、神様の時間なんだと思う」
部屋の灯が消える。
虫の音と川のせせらぎが交じり合い、夜のことひらは、まるで神域の裾野のような静けさを取り戻していた。
――旅としては二日目、しかし青春十八きっぷの旅としては、初日の終わりである。
佐用からJR姫新線に乗り、津山で津山城と美作国一宮の中山神社を巡り、新見から伯備線を経て備中高梁へ。山上の備中松山城で町を見下ろしたあとは、総社で桃太郎線に乗り換え、備中国一宮の吉備津神社、備前国一宮の吉備津彦神社を詣でた。
岡山では後楽園と岡山城、倉敷では夜の美観地区を歩き、やがて瀬戸大橋線で瀬戸内海を渡る。坂出、宇多津を経て、旅人たちはこんぴらの町にある宿へとたどり着いた。
きっぷ一日分としては、少々やりすぎだったかもしれない。
それでも、計画どおりローカル線をつなぎ切れたという事実が、楓花を満足させるには十分だった。
彼女はその余韻に浸りながら、静かに眠りに着いた。
――長い一日の終わりが、ようやく静かに訪れていた。




