- 14 - JR予讃線・土讃線 宇多津駅~琴平駅
2日目
佐用>>上月>>津山>>新見>>備中高梁>>総社>>備中高松>>吉備津>>備前一宮>>岡山>>岡山駅前>>城下>>岡山>>倉敷>>岡山>>坂出>>宇多津【桜、楓花、カメリア、ひまわりの現在地】
21時57分、宇多津駅を出た列車は、西へと、夜の空気を切り裂くように走り出した。
窓の外は黒一色。街の灯が点のように遠ざかっていく。車内には柔らかな蛍光灯が灯り、数えるほどの乗客が静かに座っていた。
四人は並んで座る。
ひまわりが窓にもたれ、頬をくっつけるようにして闇を見つめていた。明るい茶髪が光を受け、ほのかに反射する。
「夜の列車って、旅してるって感じするやねん」
声が小さく弾む。
桜は窓に映る自分の姿を見ながら、静かに微笑んだ。
「出発というより、少しずつ日常が離れていく感じね」
楓花は腕を組み、膝の上のノートを閉じると「それ、詩的な言い方ね」と短く返す。
カメリアは外の闇を見つめて言う。
「この向こうが、瀬戸の海があるはずだよ」
たしかに、その先には瀬戸内海があるはずだった。
だが、夜の車窓は何も語らなかった。
列車は滑るように進み、アナウンスが「丸亀」を告げる。
車輪のリズムがわずかに変わった。
「丸亀って、うどんの町やんね?」
ひまわりがぱっと顔を上げる。
桜が笑って、「香川はどこでも、うどんの町やなぁ」と返す。
「カメちゃんって、讃岐うどんにも詳しかったりするん?」
ひまわりが興味津々に尋ねる。
カメリアは少しだけ姿勢を正した。銀の髪が揺れ、青い瞳が光を帯びる。
「讃岐うどんの特徴は、麺の“コシ”の強さ。伸ばすとすっと伸びて、離すとぎゅっと戻る。力強い噛み応えがあるのに、硬くはないの。あれは水と塩の比率、それに“足踏み”の鍛えによって生まれるのよ」
食通というより、記憶を正確に再生している解説、といった口調だった。
その記憶力に、相変わらず驚かされる。
「足踏みって、何やねん?」
ひまわりが目を輝かせて聞き返す。
「生地を踏むことで、芯に力が通るの。まるで息を吹き込むみたいにね。茹であげると、表はなめらかで、中はしなやかに……独特の粘りが生まれる」
声は静かだったが、語るほどに、かすかな情緒が滲んでいた。
「なんかよう分からんけど、めっちゃおいしそうやなぁ!」
ひまわりが笑いながら手を合わせた。
「“わからなくても食べたい”って気持ちが、食文化の根本なのかもしれないよね」
カメリアは微かに笑った。
ひまわりが「なるほど」と言いながら、すでにお腹の音を鳴らす。
「もうひとつ」とカメリアは続ける。
「“だし”と“つゆ”の違いもうどんでは大事なんだよ。うどんは“つゆ”と呼ぶけれど、讃岐うどんは“だし”。香川県伊吹島の特産、イリコの出汁をベースに、昆布と醤油を合わせるの」
「海の香りやねぇ」
「そう。海の記憶を湛えた味なの」
伊吹島というのは、観音寺港の沖合に浮かぶ小さな島だ。
カメリアの言うとおり、讃岐うどんに欠かせない「伊吹いりこ」の産地として知られている。
それだけでも十分だが、島の言葉には、平安の都にまで遡る響きが残っているらしい。
楓花が顔を上げ、「うどんまで語れるのか。料理まで守備範囲なのか」
カメリアは微かに笑い、肩をすくめた。
「ほんの少しだけね」
桜が、柔らかい声で会話に加わる。
「うどんの発祥地論争っていうのもあるのよ」
「発祥地?」
ひまわりが目を丸くする。
「ひとつは、ここ讃岐。奈良時代、遣唐使のときに空海さんが中国から技術を持ち帰ったって説。もうひとつは博多。鎌倉時代の僧、円爾という人が製粉の技術を伝えた説もあるんだ」
「空海さんがうどん作ったん? ただの偉いお坊さんやと思っとったわ~」
ひまわりが半信半疑の声を上げる。
「正確には、“団子状の食べ物”だったらしいの。いまのような長い麺は、日本独自の進化なのよ」
カメリアが補足した。
「つまり、文化的に進化した炭水化物ってことね」
楓花がさらりと言う。
「進化とか言わんでもええけど、食べたいわ~」
ひまわりの声に、三人の笑いが重なった。
夜の車内に、柔らかな笑い声が広がる。
窓ガラスには、その笑顔が淡く反射していた。
列車が減速を始める。多度津駅が近い。
ホームの明かりが流れ、鉄の匂いがかすかに漂う。線路が分岐し、黒い地面の上で無数のレールが交差していた。
「ここが多度津駅ね」
桜が囁く。
「予讃線と土讃線の分かれ道」
楓花が小声で、「ここから山へ入って、高知へ向かうの。つまり土讃線」と言った。
地図上の説明にすぎなかったが、その声にはどこか象徴的な響きがあった。
「鉄道って、人の決断みたいだね……」とカメリアが呟く。
「ひとつの線を選ぶたびに、見えない風景を置いていくの」
桜が頷いた。
「でも、またどこかでつながっとる。きっとそうやね」
ドアが閉まり、列車は再び動き出す。
車輪の金属音が夜の闇に溶けていった。
多度津駅から善通寺駅を過ぎるころ、窓の外にはまだ軒を並べる家々の灯りが見えた。やがて、それも少しずつ遠のいていく。
闇の向こうに、小さな光が見え始めた。
「もうすぐ琴平だね」
桜が窓をのぞく。
「金刀比羅さんの町ね」と楓花が応じる。
「山の上にあるんやっけ?」とひまわりが首をかしげた。
ただ、その「山の上」というのは、車窓からは暗くて識別できなかった。
――それでも、金刀比羅さんの方角は分かる。列車の右手前方にあるはずだ。
「そうだね。明日は少し登るよ」
カメリアは窓を見つめたまま、
「うどんも山も、結局は“ねばり”が大事」と、少し照れたように言った。
ひまわりが笑って、
「うまいこと言うなぁ、カメちゃん!」
と手を叩く。
列車が減速し、ホームの光が近づいてくる。
夜の町の灯が一つひとつ、形を持ちはじめた。
ひまわりが欠伸をし、桜がその肩にコートを掛ける。楓花はペンを閉じ、カメリアは窓の外を見つめた。
列車が止まり、ドアが静かに開く。
琴平の夜は深く、そしてどこまでも静かだった。




