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- 3 - 明石

1日目


高速神戸 >>山陽明石【桜、楓花、カメリア、ひまわりの現在地】

山陽明石駅の改札を抜けると、すぐ横にはJR明石駅の駅舎が並んでいた。

二つの駅は肩を寄せ合うように建ち、行き交う利用者は無意識に行き来してしまう。


外に出ると、潮を含んだ朝の空気が鼻をくすぐった。

まだ6時過ぎ、通りは人影もまばらで、海から吹き込む風が街の上を静かに渡っていく。東の空は白み始めていたが、日輪が地平線から顔を出すには、もう少し時間が必要だった。


楓花は歩きながら、背後の駅舎を一瞥した。

神戸から明石まで山陽電鉄を選んだのは、青春18きっぷがまだ使えないからだ。どうせなら、JRでは辿れない道を行く。だから初日は、淡路の伊弉諾(いざなぎ)神社や播磨の伊和神社を巡るバスルートにした。


「まだ青春十八きっぷは使えないけど……まあ、あえて選んだ、ってことでいいでしょ」


淡々とした口調だが、そこには自分なりの折り合いが滲んでいた。


桜は肩から提げたカメラバッグを軽く叩く。

黒髪のストレートロングは自然にまとめられ、切れ長でやや垂れた黒い瞳が朝の光を受けてきらりと瞬いた。バッグの中には、三十五ミリフルサイズの単焦点コンデジ。小ぶりながら、ずしりとした重みは信頼そのものだった。


「ねえ、ちょっとだけ寄ってみない? 明石城」

桜がそう言うと、四人の視線が自然と集まった。

明石城は、今回の旅にぜひ組み込んでおきたい場所だった。


神戸からならいつでも来られるが、日本百名城の記録をこの旅に加えておきたい――それが、歴史好きな桜のささやかなこだわりだった。

とはいえ港へ向かう時間を考えると、石垣を上る余裕はない。

無理はせず、芝生広場から巽櫓と坤櫓だけを眺めることにした。


桜としては、もう一本早い電車に乗れば、城をもう少しゆっくり眺められたかもしれない。

それでも今日の電車は十分に早く、むしろこのせわしなさが、旅の始まりらしい活気を添えていた。




中堀を越えて太鼓門跡をくぐり、芝生広場へ足を進めると、長さ約380メートル、高さ20メートルの石垣と、その両端に建つ巽櫓と坤櫓が視界に入った。

いずれも築城当時から残る現存三重櫓のうち二つで、国重要文化財にも指定されている。


明石城は、典型的な平山城だ。

丘陵の上から麓の平地までを丸ごと城域に取り込む縄張りだが、その特徴がここまで一目で分かる城は、そう多くない。


本丸には天守台こそ築かれたものの、天守そのものは建てられず、その四隅に三重櫓――巽櫓、坤櫓、乾櫓、艮櫓が配置された構成をとっている。

このうち、現在まで残っているのは巽櫓と坤櫓の二基だ。

乾櫓と艮櫓も、明治の廃城令そのものは免れたが、その後、建築用材として転用され、姿を消している。


桜は足を止め、少し首を反らして櫓を見上げた。

「さすが、“現存12三重櫓”のうちの二つだね。迫力あるし……ほら、朝の光で、石垣も櫓もすごくきれい」

さらりと言ってはいるが、その声には素直な感心が混じっている。

“現存12天守”ならともかく、“現存12三重櫓”という言い回しは、城好きでもあまり耳慣れないかもしれない。

だが明石城には、そのうち二基が、こうして並んで残っているのだ。


桜は、少し得意そうに続ける。

「ちなみにね、巽櫓は――もともと船上城っていう、明石にあった水城の天守だったんだよ」


つまり、天守の移築である。

そう考えると、明石城もまた、現存天守を受け継いだ城だと言っていいのかもしれない。

理屈の上では、「現存十二天守」にそっと混ぜたくなる気持ちも、わからなくはない。


桜はくすっと笑い、もう一度櫓を見上げた。

「……ね、ちょっと得した気分にならない?」


桜がカメラを構えると、ひまわりと楓花も興味深そうに覗き込む。

カメリアもまた、人丸山とよばれる高台を活かした石垣の造りや、防御の仕掛けに、感心した様子だった。


「そろそろ港に行くよ」

楓花が声をかける。


しばし櫓を眺め、石垣にそっと触れる程度に歩いたのち、四人は駅の方角へと引き返す。




駅のロータリーを海側へ抜けると、通りの先に古いアーケードが口を開ける。

魚の棚――地元では「うおんたな」と呼ばれる商店街だ。


明石の町は、約四百年前、明石城築城と同時期に生まれ、町割りは宮本武蔵の手によるとされる。

城の役割が消えた後も、魚の棚は港町の象徴として生き続けてきた。


桜はアーケードの入口で立ち止まり、カメラを構える。

黒髪の毛先が風に揺れ、朝日を受けて、わずかに赤みを帯びた。


「ほら、見て。この看板」

少し楽しそうに言ってから、視線だけこちらに向ける。

「朝の光が斜めから当たってるでしょ。――こういうの、結構いい感じなんだよ?」


シャッター音が、早朝の静けさを軽く揺らした。


「さすがに朝からは店やってへんわ」

ひまわりが閉じたシャッターを見て残念そうに言う。


「開店すれば、ここも一気に騒がしくなるはずよ」

楓花が淡々と応じる。

「年末には大漁旗まで出るらしいわ。魚の町としては、分かりやすい演出ね」


「へえ、そうなんだ」

桜は少し楽しそうに言い、カメラを構え直す。

「それなら、その時期にも来てみたいなあ」


レンズを下げ、まだ眠っている店先を一枚切り取る。

長い睫毛の影が頬に落ち、口元にはいつもの余裕が浮かんだ。


「でもさ――」

軽く肩をすくめて、からかうように続ける。

「早朝のこういう静けさも、けっこう当たりじゃない?」


アーケード中央に敷かれた青いタイルのラインが、港と城下を結ぶ古道の記憶を示す。

普段は買い物客が行き交う350メートルの道も、今は四人だけのものだった。


途中、カメリアが足を止める。

「この香り……」

アーケード脇に咲くハマボウの花を見つけた。黄色い花弁は朝の光に透け、潮風に揺れる。

「明石にも咲くのね。ハマボウって、海辺の町に似合うんだよ」

桜がカメラを向けると、カメリアは軽く笑ってみせた。


アーケードを抜けると、空が大きく開ける。

道はゆるやかに下り、潮の香りが濃くなる。港の設備や船が視界に現れ、足取りは自然と早まった。


「港って、なんかワクワクするやろなあ」

ひまわりが言う。

「海の向こうへ行くって、鉄道とはまた違う緊張感がある」

楓花が応じた。


桜はファインダー越しに港を捉え、肩越しの髪をそっと耳にかける。

岸壁、波、船体の白さ――建築や構造への関心が、視線の運び方に自然と表れていた。




明石港の船乗り場――淡路ジェノバライン「まりんあわじ」が、白い船体を朝日に照らしながら待っている。片道七百円、対岸の淡路島へはわずか十三分。

海峡の潮流と景色は、距離以上の旅情を与えてくれる。


「運航状況……問題なさそうね」

楓花が掲示板を見上げ、淡々と確認する。


「6時40分発、ぴったりだね」

桜は少し満足そうに、穏やかに微笑んだ。

けれども港はすでに出発の用意で活気を帯び、案内の係員が「早く乗船するように」と促しているようだった。


四人はリュックを背負いながら小走りで船へ向かう。ひまわりは息を弾ませ、スマホで景色を撮りながら、桜の隣に歩調を合わせた。


「間に合う……か?」

ひまわりの声には、少しだけ焦りが混じる。


桜は笑みを絶やさず、しかし足取りは確実に早い。そして船へと乗り込む。


「ほら、間に合ったよ」

桜の声は柔らかいままだが、四人の胸はわずかに高鳴っていた。

船員の動きと、潮風に混じる金属音が、滑り込んだ瞬間の緊迫感をそっと際立たせる。


淡路島へ向けて船がゆっくり動き始める。

港を離れるたび、朝の光が金色の帯となって海面を彩り、旅情は再び静かに広がった。

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