表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/69

- 2 - 山陽電鉄 高速神戸駅~山陽明石駅

1日目


高速神戸>>【桜、楓花、カメリア、ひまわりの現在地】

まだ夜明け前の神戸は、ひんやりとした空気に包まれていた。


四人は湊川神社を出て、静かな街を抜け、高速神戸駅の地下改札へ向かう。

時刻は5時40分より少し前。駅構内は人影もまばらで、冷たい空気が肌を撫でた。背中の大きなバックパックが、これから始まる冒険の重みを物語っている。


ひまわりはゆるりとポニーテールを揺らし、眠たげに大きく伸びをした。

「うーん……今日の天気、ちょっと心配やなあ。雨、降らへんかったらええんやけど」

関西弁のやわらかな響きが、冷えた街に不思議なぬくもりを添える。


自然や食事、温泉といった小さな感動を大切にする直感派のひまわりは、気づけば場の空気を和ませている、そんな存在でもあった。


桜は長めの黒髪を揺らし、ひまわりの様子を横目で見て、にっこり笑った。

「ふふ。まだ夢の中、って顔してるよ」


ほんの一拍、間を置く。

それから、からかうようでいて、どこかやさしい声で続けた。


「でもまあ、長旅やしね。最初にちょっと気合入れとくのも、悪くないかも?」

冗談めいた声音の奥には、自然と仲間を気にかけてしまう、そんなリーダー気質が滲んでいる。


「高速神戸駅は……まあ、ここは、わざわざ説明せんでもいいよね」

桜はそう言って、くすっと笑い、話を打ち切った。

神戸の住人に神戸の観光案内をするほど、野暮なことはない。


「せやなあ。今さら『ここが神戸です』言われてもなあ」

ひまわりも、眠たげな目を細めて、気の抜けた調子で相づちを打つ。


だが、その流れに、楓花だけは乗らなかった。

彼女は窓の外に視線を向けたまま、淡々と補足する。

「阪神と阪急、それに山陽電鉄が発着する駅。本来は新開地と一体で、“総合ターミナル”として整備される構想だった」

一度、息を置き、事実だけを積み上げるように続ける。

「けれど計画は途中で折れ、駅は“高速神戸”と“新開地”に分かれたまま残った。昭和期の都市計画によくある、中途半端さです」


評価も感想もない。あるのは、観察と整理された知識だけだった。


四人は山陽明石駅までの切符を買い、改札をくぐった。

「この時間の姫路行きって、毎日決まってるん?」


ひまわりの素朴な疑問に、楓花がさらっと答える。

「うん、平日も休日もほぼ同じダイヤよ。起点の神戸三宮を5時36分発、終点の山陽姫路には6時44分着。1時間ちょっとで、明石や姫路方面の通勤客にも便利な列車です」


「へえ、楓花さんの解説、不動産のコマーシャルみたいやな」

ひまわりは笑って肩をすくめた。


カメリアが静かに付け加える。

「駅は地下にあるけど……出発すると、徐々に海岸線が見えてくるよ」


淡々と語る声音は、風景を地層のように観察しているかのようだ。地理と地質に精通するカメリアだが、今回の旅の細部には口を出さない。

桜の旅のコンセプトと楓花の時刻表運用に任せるのが、彼女の静かな流儀だった。


「へえ……地下街は歩き慣れてるけど、ここまで静かにとは」

ひまわりが肩をすくめる。彼女も旅程の細かい部分は知らされていない。むしろその方が、驚きとワクワクを味わえると心得ている。




5時41分、神戸高速線直通の山陽電鉄特急・山陽姫路行き3000系は、ほぼ正確に時刻表の文字どおりに発車した。銀色の車体に橙の帯が一本走るその車両は、やや古びた印象を漂わせながらも、静かに線路の上を滑り出した。


高速神戸駅を抜け、西へと進む列車は、板宿駅を過ぎたあたりで地下の暗がりを抜け、ふたたび朝の光に抱かれる。


目の前に広がったのは、早朝の柔らかな光に包まれた街並みだった。束の間、街は列車の速度にあわせて通り過ぎ、次の山陽須磨駅に滑り込む。

駅を越えた瞬間、左手の窓いっぱいに海岸線が展開し、深く青い海が寄せては返す白波とともに目に飛び込んできた。


「須磨の海、いつ見ても落ち着くね」

ひまわりは感嘆の息を洩らす。

その声は、波の音にかき消されそうで、しかしどこか海の静けさと同調していた。


朝靄に包まれた青い海、松林を揺らす風、釣り人の小さな動き、散歩する人影――その一つひとつに、ひまわりの胸は小さな感動で満たされていた。


桜は微笑みを浮かべながら、少しからかうように言う。

「ふーん、普段は、海をじっくり見ること、あんまりないと違う?」


「そうやな、普段は窓の外なんてじっくり見られへんもんな」

二人の笑みが、互いにそっと交わされる。


一方、楓花はそのやりとりを横目に、次の乗り換えの計算を頭の中で進めていた。

旅程を組み立てることは、彼女にとって一種の娯楽であり、慎重さと楽しみが入り混じるひとときであった。


海とは反対側、右手には急峻な山の斜面が迫る。

「ここが源平合戦の古戦場だね」と桜が言った。


一ノ谷の戦いの舞台である。

源義経が鵯越の険阻を駆け下り、わずか七十騎で平家の軍の背後を突き、ついには海へと追い落とした――その伝説はいまも山の稜線に息づいている。

もっとも現在、その山上にある須磨浦山上遊園は、戦とは無縁の、穏やかな景色を見せていた。




やがて山陽電鉄の列車は、摂津と播磨の国境を越える。

右手には、山を越えて広がる丘陵の住宅地が朝の光に照らされ、まもなく山陽垂水駅へと滑り込んだ。


この一帯は神戸有数の住宅地で、とりわけ塩屋は、海を望む景観に惹かれて多くの芸術家や作家が暮らした土地だ。

その面影はいまも、静かに街並みに残っている。


山陽垂水駅を出ると、列車は舞子公園駅へと向かう。

やがて車窓に、巨大な白い橋が浮かび上がった。


須磨の海岸からも輪郭は見えていたが、間近で見ると、その圧倒的な大きさが胸に迫る。

光を受けて白く輝く橋は、海沿いを走る列車の旅に、静かな感動を添えていた。


明石海峡大橋――全長3,911メートル、世界最長の吊り橋である。

二つの主塔は高さ三百メートルを超え、空に向かって直線を描き、放射状のケーブルが朝の光にきらめいていた。

列車の速度と相まって、その巨大な構造物は、まるで海の上に突如現れた異世界の門のようでもあった。


「対岸が淡路島だね」

カメリアが淡々と告げる。しかしその瞳は橋を射抜くように凝視していた。

「主塔の高さは東京タワーと同じくらい。地盤は古い堆積岩が厚く積もっているから、支えは安定しているんだよ」


「カメリアさん、海の底のことまで気にするだね」

「うん。そうだね」

短い返答に、桜は感心して笑みを浮かべる。


「ねえ、今日の計画って、まず淡路島?」

ひまわりが声を潜め桜に問う。


桜は肩をすくめ、にっこり笑った。

「そう。淡路島へ渡るの。どう繋げて行くかは楓花さんの頭の中。カメリアさんとひまわりは景色を楽しむ係。驚きとワクワクは後からのお楽しみ」


「そっか。ほな、楽しみにしとくわ」

ひまわりは誇らしげにうなずき、窓外の海に視線を戻す。

カメリアも静かに遠くを見つめ、列車の揺れを心地よく受け止めていた。


山陽明石駅の手前、人丸駅を過ぎるころ、朝日に照らされた明石市立天文科学館の時計塔が見えた。

1960年完成、子午線135度線上のシンボルである。


「あの中に日本国内で現役最古のプラネタリウムがあるのよ」

カメリアがつぶやいた。


そして間もなく、6時6分の定刻どおり、山陽明石駅に滑り込む。


こうして四人は、日本列島縦断の長い冒険の第一歩を踏み出した。

まだ神戸の隣・明石に到着しただけだが、それでも最初の一歩には違いない。

背中の大きなバックパックは、冷えた神戸の朝に確かな輪郭を描きながら溶け込んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ