- 8 - 洲本
1日目
高速神戸>>山陽明石>>明石港>>岩屋港>>淡路IC>>洲本IC>>【桜、楓花、カメリア、ひまわりの現在地】
洲本インターチェンジを出発した路線バスは、ゆっくりと洲本バスセンター前に滑り込み、四人は静かに腰を上げた。
時刻は朝の8時50分過ぎ。ほぼ定刻どおりである。
荷物を棚から取り、足元を確かめて降りると、朝の光がまだ柔らかく、舗装路に散らばる影を淡く伸ばしていた。
「着いたんやね。ここが洲本?」
ひまわりが声をひそめて言い、きょろきょろと町のほうを見回す。
「うん。洲本」
楓花は短く答え、それ以上は付け足さなかった。
眼鏡の奥の視線は、バスセンターの向こう、海岸通りの先に広がる海へ向けられている。
洲本バスセンターは、洲本港と目と鼻の先にあった。
洲本港はかつて、フェリーや高速船で大阪湾南部の深日港と結ばれていた。
だが四国と本州を結ぶ二つの大橋が完成すると、その役割は急速に失われ、定期航路は廃止された。
現在は「深日洲本ライナー」が試験運行という形で、旅客航路の復活を目指しているという。
カメリアは何も言わず、窓から視線を離して町並みに目を向ける。
海に近いだけあって、空はどこか広い。市役所やショッピングモールといった建物が見える一方で、その通り沿いには小さな商店や住宅が並び、店先で開店の準備をする人の姿もあった。
観光地というほど賑やかではないが、生活の気配ははっきりとある。
港町としての役割が変わっても、町そのものが止まっているわけではない――カメリアには、そんなふうに見えた。
「まずは町を歩いて、それからあそこね」
桜が穏やかに言い、顎で遠くを示す。
「三熊山。その上に洲本城があるのよ」
首から下げたカメラを胸元に引き寄せ、桜は立ち上がって一枚撮る。
町の屋根越しに見える小高い山と、稜線の上にのぞく天守を、ゆっくりとフレームに収めた。
シャッター音は小さく、朝の気配を乱さない。
そんなことにはあまり興味がないのか、ひまわりの目は別の方向を追っていた。
指さして、少し弾んだ声を出す。
「見て見て! あの赤レンガの建物! めっちゃ可愛いやん!」
たしかに、趣のある赤レンガ造りの大きな建物だった。
桜はゆるやかに微笑み、目を細めてうなずく。
「S BRICKね。もともとは工場だったの。いまはきれいに手直しされてるけど」
少し間を置いて、カメリアが静かに続けた。
「洲本は、昔は紡績が盛んだったところ。あれは、その工場跡だね」
明治以降、全国で栽培された綿花は神戸港に集まり、それに伴って、港を持つ洲本でも紡績産業が発展した。
どこで調べたのかは分からないが、彼女の知識には、いつもながら感心させられる。
ひまわりは感心したように、建物から目を離さない。
「へえ……工場やったんが、こんなおしゃれになるんや。なんか、町も生き返ったみたいやな」
四人は舗装路を抜け、赤レンガの広場に入った。
中央には「ドラゴンクエスト記念碑」が立つ。剣と盾、そしてにっこり笑うスライムの銅像。剣にはロトの紋章、盾には力強さが漂う。
背後の大きなユーカリの樹が、幻想的な影を落としていた。
楓花は琥珀色の目を輝かせる。
黒髪のミニボブが頬の線に沿って揺れ、腕まくりしたくすみグリーンのシャツの袖が、朝の光を淡く返す。
彼女は一歩引いた位置からそれを眺め、何かを確かめるように目を細めた。
「……なるほど。剣は悪縁を断つ象徴。盾は厄除け。で、スライムは――扱いやすい存在、ってことか。毒もなく、害も少ない。だから良縁を呼ぶ……理屈としては、悪くないわね」
感心しているのか、値踏みしているのか分からない声でそう言い、もう一度だけ、確かめるように視線を走らせた。
桜はくすりと笑い、肩をすくめる。
「ひまわりもカメリアさんも、ちょっと触ってみる?」
ひまわりは手を伸ばす。
「ええやん、触れるんや! ちょっと触ってみるわ」
カメリアは腕を組み、距離を置いたまま淡々と見つめる。
「……なるほど、そういう効果があるのか」
楓花は銅像の台座に近づき、堀井雄二氏の手形とサインを無言で見下ろした。
刻印の深さや配置を確かめるように、じっと視線を動かす。
「……淡路島出身。建立は2017年。ドラクエ三十周年の記念、か。なるほど、時期的にも筋は通ってる」
桜はその横顔を見て、口元を緩めた。
「ちょっと楓花、落ち着きなさいよ。そんな真剣な顔で銅像見てたら、どう見ても“好きです”って書いてあるみたい」
楓花はちらりと桜を見ると、小さく肩をすくめる。
「事実だから否定しないわ。功績を確認してるだけ。……それに桜さんも、内心ではテンション上がってるでしょ?」
「ふーん? ばれてる?」
桜は楽しそうに笑い、わざとらしく視線を逸らした。
ひまわりは小さく笑いながら二人を見守る。
「ほんま、見てるだけで楽しいわ」
赤レンガの建物群を一周し、写真を撮ったり展示の看板を眺めたりしていると、町の香りと潮風が混ざり、古い港町の息吹を感じる。
洲本には、かつて淡路鉄道が走っていた。島内で唯一の鉄道で、南の福良までを結び、人や物――たとえば特産の玉ねぎも運んでいた。
いまも駅舎跡がバスターミナルの南に残っているが、観光地化はされておらず、路線バスの待機場として使われているらしかった。
「まだ残ってたんや」
楓花が、塀越しにプラットフォーム跡を覗き込み、興味深そうにつぶやいた。
次に四人は、本町商店街――通称“洲本レトロこみち”へ向かった。
江戸時代は洲本城の城下町として、その後は紡績産業で栄えた一角である。
「こういう路地、ええなあ」
ひまわりが、ぽつりと言う。
「細いけど、面白そうな店も多いし。雰囲気、そのまま残っとるやん」
桜は少しからかうように笑い、ひまわりをちらりと見た。
「ほら、早う行かんと置いてくよ。こんな路地、あっという間に抜けてまうんやから」
その後、桜は店先の看板や、古い建物に残る屋号へと静かに目を向け、細部を確かめるように歩いていた。
カメリアも並ぶように進み、壁や柱にそっと触れながら、材質やその手触りを確かめている。
「この商店街、昔は島でいちばん賑わってた」
楓花が淡々と言う。
「五丁目から八丁目までアーケードでつながってて、いまも骨組みは当時のままらしい」
そのあたりは、事前に楓花がホームページで確認していたことだ。
こうしたレトロな商店街は、話題になりやすく、SNSでもときどき話題に上がっている。
その言葉を聞きながら、四人は頭上の鉄骨や、少し低く感じられる天井に視線を向ける。
人の流れが細くなったいまでも、この通りが、かつては島の中心だったことだけは、はっきりと伝わってきた。
町の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、四人は金天閣の前に立った。
洲本城にあった御殿の一部――玄関と書院が移築され、今は八幡神社の境内に静かに佇んでいる。
桜はその佇まいを眺め、穏やかに微笑んだ。
「いいよね。こうやって、城の一部がちゃんと残ってる場所。歩いてるだけで、時間が少し巻き戻る感じがする」
ひまわりは立ち止まり、鞄に手を添えて見上げた。
「昔の人は、こんな建物に住んどったんやな」
桜は木陰から建物を観察し、建材や屋根の構造を指でなぞる。
カメリアは静かに後ろで見守り、町並みとの対比を楽しんでいる様子だった。
四人はしばし金天閣の前に立ち、町の空気と歴史の匂いを味わった。歩きながら町の景色を楽しみ、過去と現実の町が交錯する時間が続く。
ここから三熊山の山頂に築かれた洲本城跡を目指すべく、路地をゆっくり進むと、山の気配が近づいてきた。




