転生先は悪役令嬢の母親でモブポジション、でも夫は浮気してるし娘は悪役令嬢確定ルートなので、全部ぶち壊して政略結婚で逆転してやります!
目を覚ました瞬間、私はすべてを思い出した。
ここは前世で読んだ乙女ゲーム『薔薇と誓いのエトワール』の世界。私は悪役令嬢・アナスタシアの母親、マリアンヌ・ヴァレンティーヌ。この世界では中盤以降ほぼ出番なし、登場しても「娘を甘やかして育てた無責任な母親」として軽蔑され、夫の浮気を黙認したあげく死ぬ――そんな哀れなモブだ。
……なめんな。こっちは人生二度目なんだぞ。
まず現状確認だ。
アナスタシアはまだ五歳。未来の悪役令嬢だが、今はまだ愛らしいお人形のような幼女。そして夫・ギルベルトは……相変わらず城下の社交界で愛人と浮かれてるらしい。
「お出かけの準備をいたしますか、奥様?」
侍女のミレーユの声に、私は微笑みながら首を振る。
「今日はいいわ。娘と庭でお茶にするから、アナスタシアを連れてきてちょうだい」
そう、まずは娘からだ。彼女を『悪役令嬢』に育て上げたのは、この私。いや、この体の前任者のマリアンヌだが、もう今は私の娘だ。
なら、運命なんてぶち壊してやる。
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「ママ、きょうはなにしてあそぶの?」
アナスタシアが無邪気に笑う。長い金髪と宝石のような碧眼は、まさに貴族令嬢の理想像。前世で見た立ち絵と寸分違わぬ美しさだ。
「今日はお絵かきでもしようかしら。アナスタシア、これは何の絵だと思う?」
私は花を描いた紙を取り出した。
「えっと……ばら?」
「正解。これは“人を傷つけるトゲがあるけど、美しさも持っている花”なの。ねえ、あなたは人を傷つけるトゲになりたい? それとも、人を笑顔にする美しい花?」
アナスタシアは不思議そうに黙ったあと、ぽつりと言った。
「おはな、がいい」
「そうね。ママもそう思うわ」
――少しずつでいい。少しずつ、変えていこう。
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問題は夫のギルベルトだ。
顔はいい。権力もある。けれど、愛人を囲い、私に対する態度は「穏やかな無関心」。しかも、爵位継承後は資産運用に失敗して借金までこさえている始末。
……切り捨てるしかない。
私はまず、屋敷の帳簿を密かに洗い直した。ギルベルトが資金を流している愛人の馬車屋、宝石商、服飾店。すべて記録に残しておく。
「これは……十分ね」
次に、王宮に勤める幼馴染のシルヴィア侯爵夫人に手紙を出した。
《近々、証拠の提出とともに、夫ギルベルト・ヴァレンティーヌの不貞行為と背任について報告いたします》
王宮法務局に告発するのも視野に入れつつ、着々と外堀を埋める。そして――とどめとなるのは、あの方。
「マリアンヌ様、第二王子殿下がお見えです」
来た。
扉の向こうに立っていたのは、リュシアン・セシル・アルフォンス。王の第二王子にして、原作では攻略対象の一人。地味で控えめな彼は、選ばれることなくエンディングを迎えることが多い隠しキャラだった。
けれど、私には見えている。彼がいかに聡明で、誠実で、情熱的かを。
「殿下、お忙しいなかありがとうございます」
私は優雅に一礼し、微笑む。
「あなたに……一つ、お願いがございます」
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リュシアン王子は驚いたように目を瞬いた。
「私と、政略結婚をしていただけませんか?」
彼の目が大きく見開かれた。けれど私は、静かに続ける。
「私は今の夫と離縁し、アナスタシアを正しく育てたいのです。あなたのお力を、私たちに貸していただけませんか?」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、彼は小さく笑った。
「あなたは不思議な方だ。誰かのために、そんなに真剣に願えるなんて……ええ、いいでしょう。僕もあなたに賭けてみたい」
そうして、私たちは密かに「契約」した。
愛のない結婚だとしても、未来への第一歩だ。
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そして、すべての準備が整った日。
「ギルベルト・ヴァレンティーヌ、貴様を王宮法務局への背任罪により告発する!」
証拠書類を叩きつけると、ギルベルトの顔が青ざめる。
「ま、待て……これは誤解だ、マリアンヌ! お前は妻だろう、俺を――」
「妻? ふふ、あなたが“妻を愛していた”ことなど、一度もないでしょう?」
冷たい声で言い捨ててやった。
ああ、気持ちいい。
私はアナスタシアの手を取って言った。
「さようなら。あなたは、もう過去の人よ」
そして、私と娘は城を出た。第二王子リュシアンの待つ、新たな未来へ。
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あれから一年が経った。
私、マリアンヌ・ヴァレンティーヌは、元夫ギルベルトとの離婚と不貞による爵位の返上手続きを経て、王命により第二王子リュシアンとの正式な婚姻を結んだ。新たな名は、マリアンヌ・セシル・アルフォンス。王家の一員として、そして一人の母として、穏やかで濃密な時間を過ごしている。
「ママ、あのね、わたしね、今日、“ありがとう”っていえたの!」
小さな手をいっぱいに広げて笑う娘・アナスタシア。その瞳には、かつての冷たく見下すような色はもうない。目を見て話すこと、笑って挨拶すること、感謝を伝えること――彼女は、ゆっくりだが着実に「未来の悪役令嬢」というレッテルを剥がしつつある。
「素敵ね。じゃあ今夜はケーキにしましょうか」
「ほんと!? やったー!」
アナスタシアの成長を見るたびに、私はこの道を選んでよかったと心から思う。
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新しい生活は、王城の西翼にある離宮で始まった。
表向きは政略結婚――王家と旧ヴァレンティーヌ家の間でのバランス調整に過ぎないとされているが、実際にはリュシアンが一貫して私を庇護し、支え、配慮してくれたからこそ成り立っている。
「本当に……お変わりになりましたね、マリアンヌ様」
侯爵夫人シルヴィアが微笑んで言った。
「前はあんなに、おどおどしていたのに。今は、まるで――」
「人生二度目ですもの」
私が冗談めかして答えると、彼女は驚いた顔で笑った。
「ふふ、やっぱりただ者ではなかったのね」
――ええ、本当に。ただの転生モブじゃ、ここまで来られなかった。
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だが、すべてが順風満帆というわけではなかった。
ギルベルトが失脚しても、かつて彼に取り入っていた貴族たちの中には、私とリュシアンをよく思わない者も少なくない。とくに第一王子派の急進的な貴族連中は、リュシアンを“弱腰”と揶揄し、私を“男をたぶらかす女狐”と蔑む声もあった。
「気にすることはないよ、マリアンヌ。僕は君の味方だ」
リュシアンがそう言ってくれたとき、私は思わず涙がこぼれそうになった。
「……あなたって、ずるいわね」
「え?」
「そんな優しいこと言われたら、惚れちゃうでしょう?」
一瞬ぽかんとしたあと、リュシアンが耳まで真っ赤になる。
「ま、マリアンヌ様……い、今のは、その、からかって……?」
「ふふ、どうでしょう?」
その反応があまりに初々しくて、私は吹き出してしまった。
本当に、この人と結婚してよかった。
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ある日、アナスタシアが私に小さな手紙を差し出してきた。
「ママに、あげるの」
淡いピンクの便箋には、ひらがなで不器用な字が並んでいた。
『まま、うまれてきてくれてありがとう。あしたもあそんでね。あなすたしあ』
読み終わるころには、私はもう堪えきれずに娘を抱きしめていた。
「アナスタシア……ありがとう。ママの宝物よ」
こんな幸せが、この人生に待っているなんて――前世の私に教えてあげたい。
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だが、転生モノの世界に平穏が長く続くはずもない。
「マリアンヌ様。元ご主人様の愛人、レイチェル嬢が王都で活動を再開したようです」
元侍女だったミレーユが報告してくれた。彼女は今では、私の最も信頼できる側近の一人だ。
「しかも、“マリアンヌ様に財産を奪われた”などと吹聴して回っているようで……」
「なるほど。なら、“誤解”を解かないといけないわね」
私は静かに立ち上がった。そう、私はもう泣き寝入りするモブではない。
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三日後、レイチェル嬢は王都の高級サロンで“社交再デビュー”を企てた。
彼女が過去の浮気と背任に深く関与していた証拠はすでに手元にある。だが、直接的な制裁よりも、「貴族社会における信用の喪失」こそ、彼女に最も効く。
私は何も言わず、ただ招待状とともにサロンに現れた。
「まあ、これはこれは……マリアンヌ様? いったいどの面下げて」
「“正妻”として? それとも、“王族”としてかしら?」
一言で、会場が静まり返った。
「この場には王族として参りました。ご心配には及びません」
レイチェルは蒼白になり、慌てて言葉を探したが、もう遅い。
「王宮に提出された、あなたの虚偽報告と財産隠匿の証拠も控えております。今後はどうぞ、“慎ましやか”にお過ごしください」
私は背を向け、その場を去った。
これが、“過去の精算”というものだ。
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数日後、王命によりレイチェルは国外追放、ギルベルトは爵位剥奪のうえ幽閉が決定された。
それは、彼らが自らまいた種の当然の結末。
そして私は、ようやく心から笑えるようになった。
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春。
アナスタシアは今年、王立学園の初等部に入学する。
入学式の日、リュシアンと並んで手を引きながら、私は言った。
「どうか、あの子が正しく、強く、美しく育ちますように」
リュシアンは静かにうなずいた。
「きっと大丈夫だよ。君の娘だから」
「それって、私の育て方が良いって意味かしら?」
「それもあるけど……君自身が、すごく強い人だから」
リュシアンがそう呟いたとき、私は彼を見つめて気づいた。
――ああ、この人を、本当に愛してしまったんだ。
「リュシアン。ありがとう。あなたに出会えて、本当に良かった」
「僕も、君に会えてよかったよ」
アナスタシアの手を取り、私たちはゆっくりと学園の門をくぐった。
新しい人生、新しい家族、新しい幸せ――
転生モブの私が手にしたものは、最初から決まっていた運命なんかじゃない。
自分で選び、戦い、手に入れた、最高の未来だ。