第陸話『招かれざる微笑み』
扉の向こうから、コン……コン……と、乾いた音が響いた。
水滴が床に垂れるようなその音は、静かな空気にじわりと染み込んでくる。
「……来る」
修が呟いた。
誰かが、そこに立っている。
けれど、その“気配”は人のものではなかった。
結が一歩下がる。愛菜は口を引き結び、リュックの中からノクスがするりと這い出る。
「にゃう……(開けるな。あれは人じゃない)」
「……でも、放っておく訳にはいかないよな」
修がドアノブに手をかけると、音もなくそれは開いた。
ノクスはやれやれといった様子。
立っていたのは、一人の男だった。
顔は蒼白。濡れた髪が額に張りつき、古びた白いワイシャツが身体にぴたりと貼りついている。
胸元には、色の抜けかけた名札が残っていた。
『村長 羽生 陽蔵』
「……ようこそ」
男は笑った。
柔らかく、穏やかな声――だが、そこに宿る目は、完全に焦点が合っていなかった。
「お待ちしておりました。ようやく……ようやく、あなた方のような“目覚めた者”が、この村に来てくださった」
「誰だ、お前」
修が低く問うと、男は深々と頭を下げる。
「私は、鹿羽村の村長、羽生 陽蔵と申します」
その笑顔は、紙細工の仮面のように不自然に張りついていた。
「にゃうっ!(こいつ……狂ってる!)」
「ノクスが、正気じゃないって……」
「正気? そんなものは……とっくに、あの濁流に流しましたよ」
羽生の目が、ぎらついた。
「この村は……終わっていた。何もかも老いて、朽ちて、希望もなかった」
「この人何を言って……」
「無駄です先輩、こいつは囚われてるんだ……」
「私がやらなければ、誰がやった?誰も動かないなら、私が“動かす”しかなかった。だから私は……水を、呼んだんです」
「呼んだ……?」
愛菜が息を呑む。
「豪雨の日、放流の計画は延期されていた。だが私は、連絡を“止めた”。ダムの水が溢れ出す事を知っていて、敢えて放置した。その結果、村は滅びた……」
彼の笑顔が、引きつったまま微動だにしない。
「村を沈めれば、ここは永久的な観光地になる。ダムに沈んだ“伝説の村”として、金になる。命より、未来の利益――誰も賛同しなかったが、私は正しいと信じたんです」
「お前……村人達を、見殺しにしたのか……?」
修が吐き捨てるように言った。
「見殺し? 違う。“犠牲”だ。理想の村を作るには、“土台”が要る。彼らはその礎になった……それだけです」
「にゃううっ!(信じられない……こいつ、未だに自分を正しいと信じてる!)」
結が、小さく震えていた。
「この人……自分が死んでる事、気づいてない。
この村が終わった事すら……まだ、受け入れてないんだ」
羽生の周囲に、黒い水が滲み始める。
「私はここに留まり、村を“見守って”きた。
死者達は皆、私の言葉を聞く。反論しない。反抗しない。これこそが“完璧な村”――理想の共同体だ」
「お前……」
修の指がスマホに触れる。
画面が淡く赤く点滅していた。ばあちゃんのアプリが、強烈な怨霊反応を示している。
「お前……村の人間を殺して、その霊までも支配してんのか……?」
「違う。“導いている”んです。彼らは私の為に、この村に縛られている。死んでもなお、私の村の住人として――そして、最高の演者として!!」
その時。
鏡の奥に、腐乱した男の死体が映った。
泡立つ泥の中、口を開けて笑う羽生陽蔵の死体。
水死し、内臓が破裂し、両眼が浮き上がったまま……それでもなお、笑っていた。
羽生がそれを見る。
「……あれは……誰だ?」
震え始める声。
「やめろ……違う……私は……私はまだ……生きているんだ……!」
部屋が、水で満ち始める。
羽生の背後に、数十の霊達が立ち現れた。
顔が潰れた者、髪が抜け落ちた老婆、歯のない子供……皆、村の犠牲者だ。
「陽蔵さん……やめてください……」
「返して……家族を……」
「見たか……お前のせいで、俺達は――」
「やめろ!お前達は、私を――!」
羽生が叫ぶと同時に、霊達が水の中から彼に手を伸ばした。
「にゃうああっ!(このままじゃ、巻き込まれるぞ!)」
「アプリ起動!“破邪必滅”のアプリ!!」
「しゅーくん!」
修はアプリを起動させる。
アプリに映し出された羽生陽蔵を標的としアプリが術式を構築する。
「思い出せ!!お前はもう、死んでるんだよ羽生陽蔵!受け入れろ!てめぇが村の全てを壊し、殺し、終わらせた!そしてお前自身もその一人だったって事をな!」
羽生の顔から、笑みが崩れた。
「嫌だ……嫌だ……私の村を……返してくれ……!」
水が崩れ、鏡が割れ、霊達の姿が波紋のように消えていく。
最後に残ったのは、羽生の独り言だった。
「金さえあれば……金さえ……村は救えた……んだ……」
それもやがて、泡のように消えた。
静寂が戻る。
次回予告
第漆話『水底に還るもの』
金の為に流された命。
それでも残された者は、嘆き続けている。
沈みきれない魂の声が、
夜の闇の中で再び、波紋を広げる――
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