第肆話『夜を濡らす足音』
夜が来た。
屍村に差し込むはずの月明かりは、分厚い雲に覆われていた。
冷たい空気に紛れて、どこからともなく“濡れた足音”が聞こえてくる。
「……なんか、この辺、水たまり多すぎない?」
愛菜の声が微かに震えていた。足元に広がる泥濘は、雨の痕跡もないのにじわじわと膨らんでいる。
「地形の問題じゃない……これは“湧き出してる”。下から」
修がじっと地面を見つめながら言った。
泥の中から小さな泡が、断続的に浮かび上がっては弾ける。
「歌声が……また聞こえる」
結が耳を澄ませる。微かに、少女の声が水の底から響いていた。
「ねぇ、いっしょに、およご……」
「……っ! 今、耳元で!」
愛菜が肩をすくめた。ノクスがリュックから飛び出し、地面に着地する。
「にゃうっ!(濡れた足音はヤツの印!水に引きずられるぞ!)」
「近づいてる……このままだと……!」
修が低く呟いた瞬間、霧の向こうに、古びた民家が浮かび上がった。
「あそこ……何か、住んでる?」
「いや、住んでた。けど、今は……」
修は思う、何故そう思った?これは、誰かの記憶か?
「にゃうにゃう(あれは“記憶の家”だ……残留思念が形を保ってる)」
「ノクスが言ってる。あれ、ただの廃屋じゃない……記憶が染みついてる」
その時だった。
ぴちゃ……ぴちゃ……
背後で、小さく水を踏む音がした。振り向いても、誰もいない。
だが音はまたすぐに――
ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ……
どこかから、確実に“何か”が、近づいていた。
「来てる……っ」
愛菜の手が震える。
霧の中から、複数の影が現れる。
髪を濡らし、虚ろな目をした“人の形をしたもの”達。
「沈んだ人間の……いや、これは」
修が眉をひそめる。
「泥人形……? 微妙に歪んでる」
「にゃうぅ!(記憶が腐ってる!ヤツらは“思い出される事”を求めてる!)」
ノクスの叫びと同時に、一体の泥人形が愛菜ににじり寄る。
「……わたしのこと、わすれたの……?」
「っっ!」
それは、愛菜そっくりだった。だが目は空洞、口元は不自然に裂け、どこか狂気を孕んでいる。
「にゃああっ!(見るな!目を合わせるな!)」
ノクスが飛びかかり、泥の顔を引き裂いた。
泥人形はぐずりと崩れ、ぬるりと溶けて消える。
「危なかった……“偽の記憶”を使って引きずり込もうとしてた」
「なんで……ボクの形を……?」
愛菜が不安そうに修を見る。
「分からない、だが、何かがこの村にまだ残ってる」
「…………」
「先に進もう」
結が静かに言った。古びた民家の中から、かすかな“すすり泣き”が聞こえる。
「……少女の霊がいる」
修がスマホの霊感知アプリを起動した。
画面は……真っ赤。
「ここが、“次”の中心だ」
三人と一匹は、その家の中へと足を踏み入れた。
畳は湿っており、空気は異様に重い。
そして――部屋の奥。
古い鏡の前に、ぽつんと少女の霊が立っていた。
濡れた瞳で、こちらを振り返り、微笑んだ。
「やっと……きたね……」
次回予告
第伍話『鏡の奥にひそむもの』
その鏡を見た者は、二度と“外”には戻れない――。
かつて起きた、ある事件の“反射”。
そして、“本物”はまだ、奥にいる。
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