第参話『声の底に沈むもの』
「……聞こえるか?」
修の問いかけに、誰もすぐには答えなかった。
村の奥へと進んだ一行は、ぬかるんだ地面と、薄く立ち込める霧に包まれていた。
空はすでに暮れかけており、陽の光はまばらな木々に遮られ、残った空気をじっとりと濁らせている。
「歌声が……さっきより近い」
結が耳を澄ませる。微かに、少女の声が水の底から響く。
「ねぇ、いっしょに、およご……」
「……っ! 今、耳元で!」
愛菜が肩をすくめた。ノクスが彼女のリュックから飛び出し、ふわりと地面に降りる。
「にゃうっ!(水に引きずられるな!ヤツは底にいる!)」
「誰かが、引きずろうとしてる……!」
修が低く呟いたその瞬間、霧の向こう、朽ちた祠のようなものが姿を現した。
「あそこ……何か、祀られてた?」
「でも壊れてる。……石碑みたいなのも倒れてる」
「にゃうにゃう(封じられていた。けれど、とっくに……解けてしまっている……人為的か……?)」
「ノクスが言ってる。何かを封じてた場所だけど、もう封印は効いてない……あと、人為的かもって……」
「人為的!?それって一体……!?」
祠の下、半分水に沈んだ地面が泡立つ。
ぼこ……ぼこ……
「やばい、何か出る」
修が一歩前に出る。手にスマホを持ち、ばあちゃん特製の霊感知アプリを起動する。
「反応が……画面、真っ赤だ」
「にゃっ!(すぐに離れろ!来るぞ!)」
泡立つ泥の中から、ずぶ濡れの手が一本――いや、何本も突き出された。
白く、ぶよぶよと膨らんだ手。指先は千切れ、爪は剥がれ、血の代わりに泥を滴らせている。
「くっ……“記憶”が具現化してやがる!」
「“およご……”」
声が、すぐ後ろから聞こえた。
修が振り返る。
そこには――
濡れた髪を垂らした少女が立っていた。
目は焦点が合っておらず、口元は笑っているのに、そこに生気はなかった。
「いっしょに、およご?」
「うわ……っ! き、ききき、来てるじゃん……!」
愛菜が一歩退く。背後の木がざわりと揺れた。
「ダメだ! 目を合わせるな!」
修が咄嗟に叫ぶ。
「皆にも視える程の霊力の強さ……これは、危険だ……“あれ”は、水に沈んだ霊の記憶……目を合わせると、引きずられる!」
ノクスが吠える。
「にゃううっ!(歌に耳を傾けるな!耳を塞げ!)」
愛菜が急いでイヤホンを取り出す。
「しゅーくん! これ!」
「助かる!」
修が耳にイヤホンを差し込む。周囲の音が遠のき、沈黙が戻る――かと思われたその瞬間。
“聞こえてるでしょう?”
直に、脳内に声が響いた。
「うっ……!」
耳を塞いでも、聞こえる。
霊はもう、“音”ではなく“思念”で語りかけてきている。
「にゃっ!(精神に直接触れてきてる!まずいぞ!)」
「どうやって止めれば……!」
「祠の下だ!」
修が叫ぶ。
「霊の“核”は、あの壊れた祠の奥……この水の底に眠ってる!」
結が、手にしていたお守りを取り出す。
「これを……!」
だが、その瞬間。
ぐぐっ……!
彼女の足が、再び泥に呑まれた。
「結先輩!」
修が走り寄る。が、足元に絡みつく冷たい手が修の動きを阻む。
「くそっ! こっちも……!」
「にゃあああっ!(霊が“沈めよう”としてる!)」
ノクスが地面を駆け、結の足元へ飛び込む。
その瞬間、空気が震えた。
“じゃま、しないで……”
少女の霊の姿が揺らぎ、泥の中に消える。
だが次の瞬間――水面が、ざぱぁっ!と跳ね上がった。
祠の奥から、大量の“水”が溢れ出す。
だがそれは、水ではない。
怨念そのものだ。
「来るぞ……っ!」
修がスマホを構える。
「ばあちゃんの“封印式”……試すしかねえ!」
スマホの画面が光り、式符のようなマークが浮かび上がる。
「“記録されしものよ、時を越え、ここに還れ……”!」
赤い光が泥の中に落ちた。次の瞬間、怨霊の叫びが響く。
ぎゃあああああああっ……!
風が逆巻き、水が引く。
そして――静寂が戻った。
「……ふう、ギリ間に合ったか」
「……雨城君、ありがとう……」
「いや……まだ終わってない」
修は、祠の奥を睨んだ。
「“本体”は……まだ、目を覚ましていない」
夜の帳が村を覆う。
だがその奥、まだ何かが沈んでいる気配が、確かにあった。
次回予告
第肆話『夜を濡らす足音』
静まり返った屍村に、響くのは一つ、また一つの足音。
それは誰かの帰還か、それとも……。
もう、帰れないかもしれない。
そして――“あの夜”が、再び始まる。
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