第弐話『水の底から』
村の奥へと踏み込むほどに、空気はどんどん重く、冷たくなっていった。
湿気を含んだ風は止み、木々のざわめきすら聞こえない。まるで時間が凍りついたかのようだ。
「……うーん、完全に空気が変わったな」
修が眉間に皺を寄せながらスマホの画面を何度も確認するが、GPSもネットも完全に遮断されていた。
「こりゃもう、電波の問題じゃない。何かしらの霊障が強いのかも」
「やっぱり、ノクスもそう感じてる?」
愛菜がリュックから黒猫のような妖怪を覗かせると、ノクスは目を細めて小さく唸った。
「にゃふ……(濁ってる。空気が、どろりと重い……)」
「無理すんなよ、ノクス。何かあったらすぐ教えて」
「大丈夫そうだな。さすが妖怪だ」
先生がぼさぼさ頭を掻きながら、呆れたように言った。
「まあ、俺は宇宙人専門だから幽霊はわかんねぇけどな。だがこの場所は……何かヤバい感じは伝わるぜ」
結が慎重に足元を確認しながら言う。
「湿ってる……土なのに、なんだか水に浸かったみたいにぬるっとしてる」
「その水がただの水じゃないってノクスが言ってる。過去の水だって」
「過去の水……?」
修が水たまりに手を伸ばす。触れた瞬間、冷たさが皮膚の奥まで突き抜けた。
「にゃう!(触るな、それは、この村の“記憶”だ!)」
「ノクス、凄いな……そんなの感じ取れるんだね」
「俺の感覚でも、何か黒いものが水面を揺らしてる気がする」
先生は小さなライトを手に取り、照らしながら周囲を見回す。
「霊感ない俺でも、この場所には何か“異質”な空気を感じる。村の中にだけ“時間の滞り”があるって感じだな」
「GPSも完全に死んでる。まるでこの場所だけ、現実の外にあるみたいだ」
結が鳥居の先を指差す。
「見て……あそこ、水が溜まってる」
「地図にもないのに?」
「うん、でも確かに水面が光ってる」
「にゃうにゃう!(戻ってきた“あの日の水”だ!)」
「しゅーくん、あの水……まさか“水害の記憶”?」
「そうだ。鹿羽村が水に呑まれたあの日が、また繰り返されようとしてる」
突然、耳元に水の滴る音が聞こえた。
ザブ、ザブ……
「どこからだ……?」
「足元だ」
振り返ると、地面が少しずつ水に浸かり始めている。
「うわ……!」
「にゃうっ!(足元に気をつけろ!)」
「ノクスが警告してる!」
結の足元が突然ぬかるみ、膝まで沈みそうになる。
「結先輩、危ない!」
修がすかさず手を伸ばし、引き戻す。
「わっ!ありがとう雨城君!」
結はこんな状況だが、修の手のぬくもりにドキドキしている。
当然、修はそれに気付いていない。
「やべえ、泥の中に何か……」
「にゃふっ!(“水の記憶”を形にした、霊の手だ!)」
「霊が形を持って足元を掴もうとしてるって事?」
「そうだ、騙されるなよ。これは水じゃなくて“怨念”だ」
「うわわっ!?こんなの見たら怖いよぉ!しゅーくん!」
先生も真剣な表情になる。
「水に呑まれた村の怨霊か……過去を背負い続ける霊の姿ってやつかも知れんな」
辺りが次第に暗くなり、空の赤みが不気味に染まっていく。
「……聞こえた?」
「え?」
「子供の声……歌ってるみたいに聞こえた」
「……“ねぇ、いっしょにおよご?”って」
「にゃう!(あれは誘いの声。連れて行こうとしてる)」
「まさか、連れていかれたら……」
「成仏出来なかった霊達の悲しみが水の底から溢れてるんだ」
「これは……覚悟しなきゃな」
修の言葉に、皆の顔が引き締まった。
「先生、俺達、何か対策あるんスか?」
「そうだな……まずは、じっとして流されるなって事だな」
「なるほど……ここで焦ったら、足元の“手”に呑まれかねないって事か……そうだ!あと、ばあちゃんが教えてくれたこのアプリで、幽霊の動きを感知しながら進もう」
修がスマホを取り出すと、ばあちゃんお手製のアプリが震え、画面に赤い波紋が広がった。
赤い色は危険色、警戒せよと伝えるもの。
「警告が出てる。あっちの方角に霊が集中してるぞ」
「よし、みんな気をつけて進もう」
ノクスがそっと愛菜の肩に乗り、低く鳴く。
「にゃふ……にゃう!(油断するな。これからが本番だ)」
「……ああ、わかってる」
赤く染まった空の下、屍村の夜はゆっくりと深まっていった。
次回予告
第参話『声の底に沈むもの』
足元を濡らす水の音。
それは、この世のものではない。
思い出してはいけない。忘れてもいけない。
屍村の夜が、始まる――。
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