第九話 大統領、日本の変化に苦悩する
■昭和二十年(1945年)6月13日
ホワイトハウス オーバルルーム
先月末に沖縄で陸海軍が全滅するという前代未聞の大敗北を喫し、アイスバーグ作戦どころか連合国の戦略そのものが破綻してからというもの、ハリー・S・トルーマン大統領に心休まる日は無かった。
マリアナや硫黄島に加え、先日陥落したフィリピンも含めれば陸軍だけで30万人以上の将兵が失われている。海軍も太平洋に展開していたほとんどの艦艇を失ってしまった。MIA(作戦行動中行方不明)ではあるが、伝えられている戦闘の状況から捕虜となり生存している可能性は限りなく低い。つまり全員が戦死したということになる。
現在、戦時情報局によって報道は控えられているものの、これだけの損害にあっては情報統制も難しい。すでに共和党やマスコミ、政治団体などから問い合わせや突き上げが始まっており、ホワイトハウスはその対応に苦慮していた。
「大統領、執務中のところ失礼します。グルー国務次官が臨時の面会を求められております。如何いたしましょうか」
「構わん。通せ」
秘書に応じる旨を伝えてしばらくすると、オーバルルームに国務次官のジョセフ・グルーが入ってきた。国務長官のエドワード・ステティニアスが多忙なため、特に日本関係の案件については次官のグルーが実質的に国務長官の職務をこなしている。
トルーマンは読んでいた報告書を脇に伏せると彼に向き直った。
「何かね?本日の定例会議はまだのはずだが」
「突然で申し訳ありません。実は……国務次官の職を辞したいと思います」
トルーマンはわずかに目を見開いた。既にある程度は予期していた事であり取り乱す事はない。
今月に入ってからスタッフが次々と辞めていた。誰も戦争に負けるとまでは思っていないが、これから責任問題で政権の先行きが暗いのは明らかなためである。
「そうか……君も私を見捨てるのか」
「申し訳ございません。見捨てる訳ではございませんが、私ではもう大統領のお力になれないと思います」
「後任に希望や推薦はあるかね?」
「ステティニアス長官とも話しましたが、おそらくバーンズが相応しいかと」
彼の言う通り、日本に対してアメリカから停戦や講和を言い出せない以上、たしかに対日強硬派で知られるジェームズ・F・バーンズであれば現状は適任かと思われた。
「このまま我が国が損害を無視して勝利へ突き進むのであればバーンズは適任だろう。だがより大きな敗北を招き寄せる恐れもある」
「その点は彼とよく話して大統領ご自身でご判断ください」
「……わかった。君の辞職を認めよう。これまでご苦労だった」
「ありがとうございます」
グルーは頭を下げると退室しようとした。それをトルーマンは呼び止めた。
「……待て、最後に聞きたい。君の主張していた内容ならば、今からでも日本と講和は可能と思うかね?」
呼び止められたグルーは振り返った。その表情は悲しみをたたえていた。
「残念ながら、難しいかと思います」
「何故かね?君は日本の天皇制を保証しさえすれば降伏に応じる可能性が高いと主張していたではないか」
「先日の敗北までであれば、その通りでした。状況は変わりつつありますが、現時点であれば、まだかろうじて停戦の可能が残されていると考えます。しかし……」
「しかし?」
「……個人的な印象ですが、日本は何か精神的に大きく変容したように感じます。過去の日本はここまで徹底的に苛烈なことをする国家ではありませんでした。もしかしたら我が国は日本を追い詰め過ぎたのかもしれません」
「つまり手遅れということか?」
「もちろん先に我が国から大きな譲歩を出せば、あるいは講和も可能かもしれませんが……国民感情や軍がそれを許さないでしょう」
「わかった。下がって良い」
グルーはもう一度頭を下げると退出した。グルーを見送ったトルーマンは先ほどまで読んでいた極秘報告書を手に取った。
「やはりこれに賭けるしかないか……」
その報告書には『RECOMMENDATIONS ON THE IMMEDIATE USE OF NUCLEAR WEAPONS(核兵器の即時使用に関する提言)』とタイトルが記されていた。
■昭和二十年(1945年)6月18日
ホワイトハウス マップルーム
部屋が大きいだけで質素な作りこの部屋の壁には、戦争の進行状況が一目でわかるように壁一面に地図が貼られている。ルーズベルトの指示で用意されたこの会議室は、その様子から通称『マップルーム』と呼ばれ、戦争に関する会議が度々行われていた。
その部屋に、今日も大統領をはじめ政府や軍の主要なメンバーが顔を揃えている。
本来であれば、今日の会議は対日戦争の最終段階として、本州上陸作戦や原爆の使用、そしてソ連参戦の可能性についての議論が予定されていた。
しかし先月末の大敗北によって全ての計画がご破算となっていた。
「陸軍の状況はどうかね?」
「沖縄やマリアナ、フィリピンの損害は確かに手酷いものですが、欧州から戻す戦力と本国の戦力をあわせれば、すみやかに陸軍の再建は可能です。兵力だけであれば」
大統領の問いにジョージ・C・マーシャル・Jr陸軍参謀総長は面白くも無さそうに答えた。今月に入り奪還したはずのフィリピンにも突然日本軍が現れ、第6軍との連絡が途絶えていた。現地協力者との連絡もつかない。当然ながらマッカーサー司令官も行方不明となっている。
「ただし精鋭であったはずの第6軍も第10軍ですらも全滅しています。同じ部隊を用意したところで同じ憂き目に遭うだけでしょう」
「それは分かっている。とにかく今は軍の再建を速やかに進めてくれ」
次いでトルーマンはアーネスト・キング海軍作戦部長に目を向ける。
「キング、海軍の方は?」
「陸軍と同じだ。艦艇も兵員も同じだけならすぐに揃えられる」
いつも通りキングは大統領に対して無礼と思えるような態度で答えた。
海軍は欧州にそれほど艦艇を回していないが、ハワイやアメリカ本土には沖縄で失われたものより多くの大型艦が残っており、中小型艦に至ってはまだまだ掃いて捨てるほどあった。航空機も搭乗員を含めて潤沢に残っている。
「……だがそれだけだ。今のままじゃジャップに戦果のおかわりをプレゼントするだけになるだろうな」
キングにしては珍しく、言葉や態度にはいつもの様な覇気が感じられなかった。
「わかった。とりあえずは海軍も再編を進めるように。戦力回復の件については以上だ。さて次は日本について分かっていることについての報告を頼む」
トルーマンの言葉で戦略情報局(OSS)長官のウィリアム・ドノバンが立ち上がった。あまり表に出る事のないOSS長官がこういった公式会議に出る事は珍しい。軍部との折り合いも悪いためドノバンの顔をみたキングは露骨に顔をしかめた。
「日本の異常な戦力・戦術がはじめて確認されたのは沖縄で5月25日の正午からと見られます。その後は矢継ぎ早に第5艦隊、マリアナ、フィリピンが襲われました」
「そんな事は分かっている!」
キングの苛ついた声を無視してドノバンは報告を続ける。
「攻撃は陸海空にわたっていますが、すべてに同一のパターンが認められます。それはまず『リング』が現れ、そこから大量に敵が湧き出すというものです。海についてはリングの存在は確認されておりませんが、おそらく陸や空と同じと思われます」
照明が落とされスライドが投影された。そこにはリングのイラストと特徴が書かれていた。
「リングの直径は10フィート(約3メートル)ほどで、光とともに出現します。そこからリングより大きな敵も出現します。ちなみにリングは破壊可能だと判明しています。陸軍からは砲だけでなく小銃や手榴弾でもある程度のダメージを与えれば消失することが報告されています」
「できれば、その貴重な情報を伝えた者たちに感謝と哀悼を捧げて欲しい」
マーシャルの言葉にドノバンは頷いた。リングを用いる日本軍との戦闘から生還したものはいない。つまり情報はすべて戦死した者たちからもたらされたことを意味していた。
「出現する敵にも共通の特徴があります」
ついでスライドが切り替えられた。そこには奇妙な戦車のイラストがあった。
「まず、信じられない事ですが、敵の兵器は何らかの生物ではないかと思われます」
この情報で、大統領、国務長官、陸海軍関係者以外からどよめきが上がった。
「例えば戦車は外見こそ日本軍の中戦車に見えますが、口と目があり車体の下には脚もあります。表面も鋼鉄ではなく大型動物のように柔軟で、呼吸するように動いていたと報告されています。そして砲ではなく口から炎を吐いて攻撃してきたとのことです」
「なんだそれは?ファンタジーのサラマンダーか?」
一部の出席者が失笑した。それをマーシャルとキングが睨みつけて黙らせる。ドノバンは二人に黙礼すると報告を続けた。スライドが切り替わり海戦についてのイラストが表示される。
「艦艇に対する攻撃も同様です。第5艦隊は水中から攻撃されましたが、中小型艦の多くは大型の鮫のような口で船腹を噛み破られ沈められました。大型艦は巨大なタコのような触手で水中に引きずり込まれています」
次いで切り替わったスライドには、これも奇妙な戦闘機の姿が有った。
「艦載機や爆撃団を攻撃した敵戦闘機も機械ではありません。外見は固定脚の古い戦闘機ですが、羽ばたいて飛行し爪や嘴のようなもので攻撃してきたそうです。こちらも戦車と同様に砲や機銃による攻撃はありません」
次のスライドには日本兵の姿もあった。
「リングから現れる日本兵も同様に『人間』ではない可能性が高いと考えられます。小銃を持ってはいますが発砲しません。代わりに棍棒のように振り回すだけです。場合によっては噛みついてきます。言葉も通じず降伏も受け入れません。サイズも大小二種類が確認されており、大きな方は身長10フィートに達し、小銃も同様に大きなものを持っています」
「この世界はいつからトールキンやラヴクラフトの世界になっちまったんだ……」
幻想小説に詳しいらしい誰かの呟きが聞こえたが、もうそれを笑う者はいなかった。
「倒された敵は何も残さず光とともに消え去ります。敵兵器は実際の兵器に比べ脆弱ですが、問題はその数です。マリアナやフィリピンでは一度に10万以上の敵兵が現れました。第5艦隊のケースでも少なくとも200以上の敵に襲われたと見ています」
「これらの情報が全て本当ならば、我々にはもう望みはないように思えるが?」
トルーマンが敢えて尋ねた。
「はい、従来戦術のままであれば状況は厳しいでしょう。しかし活路はあると思われます」
スライドが切り替わり、マップにこれまで日本の攻撃が行われた場所が示された。
「日本は6月10日のフィリピンを最後にこの種の攻撃を停止しています。それ以降は偵察などに対する防衛戦闘に終始しています。この制限が日本の意思か、それとも能力的な限界によるものかは不明ですが、とにかく日本は1942年時点の領土と占領地域以外への攻撃を行っておりません」
スライドのマップに1942年時点の日本の勢力範囲が重ねあわされた。それは中国大陸部分を除いて完全に一致していた。
「今の所、ハワイやオーストラリア、本土への攻撃は確認されておりません。ここに時間的・空間的な余裕、そして交渉の余地があると思われます。報告は以上です」
ドノバンが席にもどると、ついで新任のバーンズ国務長官が立ち上がった。
「次に対外情勢について私から報告しましょう。まずイギリスについては、ビルマと沖縄でアジア方面に派遣していた戦力が壊滅したため、当面は積極的に対日戦争への関与はできない状況です。残念ではありますが、まあ仕方ありませんな」
バーンズは肩をすくめ軽く笑った。元々、アメリカは対日戦の最終局面にイギリスが加わることに反対であった。そこへイギリス首相のウィンストン・チャーチルが無理やり艦隊をねじ込んできたという経緯が有る。このためアメリカはイギリスに同情どころか厄介払いできたとしか考えていなかった。
「ソ連については、対日参戦を渋り始めております。それどころか逆に4月に切れた日本との中立条約を再締結しようという動きも見られるので、味方としては期待できませんな。我が国のどこからか情報がもれたのかもしれませんね」
バーンズは皮肉気にドノバンを見つめるが、ドノバンはどこ吹く風というように表情ひとつ変えない。
「まあ、今はその件は良いでしょう。とにかく現状は今後も我が国一国のみで日本と対峙していく。その事に変わりありません」
バーンズは不遜ともいえる表情で一同を見回した。
「最後に日本についてですが、外交暗号の解読結果から、ソ連に停戦の仲介を働きかける活動は続いているようです。ただし沖縄の戦い以降はその通信頻度やソ連への提示条件が低下しており、日本の停戦や講和への意思は後退していると思われます。以上です」
会議後、トルーマンはオーバルルームにバーンズ国務長官とマーシャル陸軍参謀総長を呼んだ。
「軍の再建については先ほどの会議の通りで良い。だが今のままでは我が国は日本に対して攻勢をかける事ができない。また仮に日本が現在のラインを越えて再び攻勢に出た場合、防衛する手段もない」
トルーマンの言葉に二人は黙って頷く。
「現時点をもって日本に対する核兵器の無制限の使用を認める」
その言葉にマーシャルはわずかに眉を顰めたが、バーンズは我が意を得たように口角を吊り上げた。
「だが残念ながら核兵器を日本の領域に運ぶ手段がない。核兵器の開発を急がせるとともに、陸軍はドイツからの技術資料の奪取を急げ。すみやかに爆撃機や艦艇にたよらず我が国の領土から日本に直接核兵器を落とせる手段を確立するように。以上だ」
こうしてアメリカは、核兵器を日本の領域外から直接東京に落とすため、ドイツから奪取したV1/V2などの技術を元に核弾頭を備えたミサイルの開発を推し進めていく。
だが想定されるミサイルの射程はそれ程長いものではないため、潜水艦や航空機を日本周辺に送り込み、どこまで安全に東京に近づくことができるか、日本が迎撃してくる範囲を慎重に調べていった。