冒険者ギルド(中編・後)
――――王国・辺境都市【ケイブ】――――
冒険者ギルド、ケイブ支部。
石造りの、二階建ての大きなその建物の前には、この街一番の大通りが有る。
このメインストリートには宿屋、飯屋、武具屋、道具屋、服屋、宝飾品店、本屋……その他、色々な店が建っていて、今日も実に多くの人々で賑わっている。
その一角。
ギルド支部から見て大通りを挟み、丁度、真向かいに有る宿屋。
【スコルピオン】と名付けられた五階建ての宿で……Sランク冒険者アリス・フラワーガーデンは今、予想もしていなかった事態に見舞われ……焦りまくっていた。
――――――――
……どうしてこんな事に……!?
――マイルズに報告を終えた後、ギルド職員に案内されたこの宿に入った。
ギルドを出て、大通りを横断し、時間にして3分程……想定していたよりもずっと近かった。
きっと善意で、ギルドから一番近い此処を取ってくれたのだろう。
大通りに面していて、外観も立派で、かなり値の張りそうなギルド直営の高級宿。
でも……本音を言えば、安めでも構わないから、もうちょっと遠くの宿でも良かった。
ゼオン様と手を繋ぐのは……いつも、ふわふわして……すごく、幸せな気持ちになれるから。
だから……その時間がもうちょっとだけ、続いて欲しかった。
……まぁでも、しょうがない。
今日は少し疲れたし、さっさと寝てしまおう。
そう思っていた。
しかし、中に入り宿帳に名前を書き込もうとした時。
信じられない言葉を店主が発した。
「お待ちしておりました。1部屋で予約のお客様ですね」
はい?
……………………1部屋?
そうして、言われるがまま部屋に案内されて……今に至る。
……店主に案内された最上階の部屋の中には、無駄に思えるほどに装飾が施された、クイーンサイズ程のベッドがひとつ。
他には……私の背ほどもある大きな鏡。
それに、これまた高そうなテーブル……それとソファ。
後は、トイレとシャワールーム。
というかなんであのソファはあんなに大きいの……?
8人くらいは、同時に座れそうな……。
…………はっ。
いやいや、そんな事はどうでも良いの。
どうにか部屋を分けてもらわないと、困る。
ゼオン様と同じ部屋……同じベッドで就寝するなんて不敬にも程がある。
……これは言い訳じゃないわ。
日和っている訳でも無い。
そう、不敬よ。不敬なの。
私はフラワーガーデン、王の側に咲き侍る者。
――王の守護者。
本当は……城の守護者だけど、今この場合での意味は同じ。
そう、守護者よ。
ゼオン様を何からも護らなくてはいけない。
それには私自身も当然、含まれるのだから……!
ゼオン様には……その辺りをきちんと説明して、納得をしていただかないと。
きっと、多分……ゼオン様は、一緒の部屋・一緒のベッドで構わないと言うだろう。
けれど、それはダメ。
ゼオン様は、王だ。
いくら相手が私でも、婚姻もしていない異性と同衾など……許されない。
私が許さない。
……頭の中を整理して。
完璧な理論武装を終えた後、ゼオン様に向き直る。
「あの、ゼオン様……」
そこには誰も居なかった。
「……あれっ?」
頭の中が疑問符でいっぱいになる。
呆然としていると……。
シャワールームの扉が開く。
「あ、アリス。意識戻った?」
扉から出てきたのは湯気を纏った……。……え!?
「何度話しかけても反応無かったから、先にシャワー浴びてきたよ。この備え付けのルームウェア、僕には少し大きいかも。……アリスも浴びてきたらどう?」
「え?…………えっ?」
「?……ダンジョン潜ったから気持ち悪いでしょ?浴びないの?」
「ふぇ?……あ……そう…………ですね??」
「うん。ゆっくり入ってくると良いよ。その間に、食事の手配をしておくからね」
扉を閉めて、服を脱ぐ。
ボタンを押して出てきたシャワーを頭から浴びて……身体を流れていく水滴を見ながら、考える。
…………まだよ。
まだ、大丈夫。
不意を突かれてつい、ここに入ってしまったけど……。
寝る時には別々になれれば良いのだから。
そう……全然、問題無いわ。
慌てる必要は無い。
落ち着くの。
落ち着くのよ、アリス……!
昔には一緒にお風呂に入らせていただいた事もあるじゃない。
今さら同じ部屋の同じシャワーを浴びるくらい、何でもないわ…………!
でも。
なんだかとっても熱いので、シャワーの水温を極限まで下げて……頭を冷やした。
――――――――
フラフラとした足取りでシャワー室に入っていくアリスを見送ってルームサービスを頼んだ後。
ソファに座り一人で色々と考えを巡らせ、頭の中に散らばったままの情報を整理する。
最初に頭に浮かんだのは……やっぱり、妹のリオンの事。
僕があの村に縛られていた八年の間の話は、アリスから聞いた。
臨時の王宮となった場所で、仮初の王として担ぎ上げられ……それでも精一杯に、勤め上げた……と。
八年もの間、アリスが金銭的な面も含めて護っていたのも聞いた。
アリスが六年前に冒険者になったのも、僕を捜し、リオンを護る為だと。
冒険者としての莫大な稼ぎは全て……僕達の為に使ったのだと。
多少強引だったけれど、聞き出した。
アリスには……本当に、苦労をかけてしまった。……いや、かけてしまっている。
一度は喪ってしまったとそう思った、アリス。
考えれば考える程に。
感謝の念と同じくらいに、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
彼女に報いる為の道は、見えている。
リオンがこの世界の何処かに生きているのは間違い無い。
それは、僕が魔力を取り戻した時に確信出来た。
何故かは解らない。
僕達が双子だからかも知れない。
でも、生きているのは感じられるから。
だから……必ずリオンを見つけ出し、絶対に国を取り戻す。
僕達の悲願はいくら時間が掛かろうとも……達成する。
元々、僕の願いでもあり、償いでもある。
でも今はそれ以上に……アリスの為に。
次に浮かんでくるのは父の事。
あの父が死んだのは今でも冗談じゃないかと思ってしまう。
【魔王】と言う称号は、誰かに与えられるものでは無い。
世界に一人、魔国の始祖の血を引く者達の王。
それが魔王だ。
代々の王達は全員が同じ種族。
魔王の下に何人の子がこの世に生を受けようとも……魔王の子には、必ず【竜人族】の力を宿した者が一人だけ生まれてくる。
その力を持った者だけが、次代の魔王と成る。
竜人族の種族特徴は
・超人的な肉体強度、肉体損傷の超速再生
・状態異常の無効化
・竜の魔法の行使
の三つ。
その中の一つ、オートリペア。
魔王の固有技法とも言うべき能力。
一種の呪いにも見える程に、死を拒否する力。
この力が有りながら、父は死んだ。
あの時、あの男が言っていた僕の力という奴が関係しているのだろうか?
――僕の魔力が。
封印が解かれた今、僕も竜人族としての力は従来通りほぼ使える様になった。
母譲りの黒の魔力も有る。
だけど、こんな程度の力であの両親を……?
そういえば、最近……何か、僕が僕じゃなくなる感覚の時がある。
血が沸騰する様な、そんな怒りを覚えた時に。
関係が、あるのだろうか。
…………今の僕には何も解らない。
だからこそ、この件も調べていかなくてはいけない。
父母の為に。
僕個人の、復讐の為にも。
最後に浮かぶのはこれからの事。
アリスと話し合って決めた方針は、先ず拠点を構え仲間を増やす事。
出来れば魔国以外の六カ国に所属していない者が望ましいだろう。
信頼出来るのならば、話は別だけれど。
世界中から仲間を増やす為に冒険者ギルドにも所属した。
アリスから聞いた、この世界におけるギルドの特異性。
未だ世界の力には遠く及ばない僕は、其処に所属する事でかなりの恩恵を受けられる。
だけど……僕が冒険者ギルドに入る事で色々と、問題は起きてしまうだろう。
最初……この話を聞いて、僕が入る事など難しいのではないかと思った。
でも、アリスが。
彼女が全てを変えてくれる。
一人では何も出来ない僕を支えてくれる。
子供の時から、かけがえのない大切な存在だったアリス。
でも今は……僕自身よりも、大切に思える。
「……ふふっ」
さっき、百面相してたアリス。
凄く可愛かったのを思い出す。
……今はもう、僕が傷付く事なんて怖くもない。
そんな事よりも……彼女が傷付く事のほうがずっと怖い。
地獄から救ってくれて、その先の道さえ照らしてくれる。
本当に、本当に大切な人。
もう二度とあんな事は起こさせない。
それに……彼女をあんな目に遭わせた者達に、必ず思い知らせてやる。
今一度、心の中で強く誓う。
国を、皆を取り戻し。
……そして。
――――この世界に対しての、復讐を。
「…………ん」
トントンと音がする。
どうやら食事が来たみたいだ。
……うん、今日のところは休息を取ろう。
――――――――
二人は部屋で食事を済ませ。
その後、アリスにとっての試練が再び訪れていた。
「さて。あとはもう寝るだけだね」
そう言いながらベッドに入っていくゼオン。
それを見ながら、アリスは……固まっていた。
「ん?……どうしたのアリス。寝ようよ」
「…………あの、いぇ……はぅ」
頭から蒸気が出ている。
湯気では無い。
「あ、あの!私やっぱり、もう一回……!」
「部屋の空きの事?さっき聞いたばかりじゃない、多分変わらないんじゃ……」
食事を運んできたボーイに、アリスが他の部屋が空いてないか聞いたものの……あいにく満室という事だった。
「なら、私だけ外、外で野宿を……!冒険者稼業で慣れてますし!ねっ!」
「そんなのは有り得ない」
「……っ、でも、でも……!私なんかがゼオン様と一緒のベッドに入るなんて…………!」
「……僕達も、いつの間にか大きくなったものね。もう、一緒に寝るのは嫌かい?」
「ちがっ……!違います!!そんなこと、あるわけがありません!!そんなっ……」
「ならお願いだアリス。寝よう?……君と一緒に、居たいんだ」
「…………〜〜っ!!わ……分かりました!もう、分かりましたから!!寝ましょう、ゼオン様!」
アリスは折れた。
というか……最初から、断れる筈も無いのだった。
二人は同じベッドで、幼い頃の様に、横になる。
いつもでは無かったがたまにこうして、一緒に寝た事も有った。
リオンと共に、三人で。
「ふふ……なんだか懐かしいね」
「そ、そうですね……!」
「……もう少しこっちに寄らないと、落っこちちゃうよ?」
「ここで!……ここで、どうかお許し下さい……!」
「僕は良いけど……大丈夫?」
「全然大丈夫です!大丈夫ですから……!」
赤くなっている顔を手で隠すアリス。とても大丈夫には見えない。
そんなアリスにゼオンは真面目な口調で話しかける。
「…………ね。アリス。改めてお礼が言いたいんだ。良いかな」
「え…………」
「ありがとう。僕を捜してくれて。助けてくれて。リオンを護ってくれて。生きていてくれて……ありがとう」
「ゼオン様……」
「ゼオン・マーレ・トルナロードは……心からの感謝を君に捧げるよ」
「……私にとって何よりの誉れです。謹んでお受けします」
「うん。……長い間、一人にさせてしまってごめんね。これからは僕も一緒だ」
「…………は……い」
「君にもう一度逢えて……本当に嬉しい。これからも、僕を支えてくれ。僕も君を支えるから」
「……そん、な、事。……勿体ない、ですっ……!」
アリスのすすり泣く声が、広い部屋に響く。
どちらからともなく、布団の中で手を繋ぐ。
「……そろそろ寝ようか。ね、アリス」
「はい……ゼオン様」
距離は少し空いているが……手を繋いだまま、眠りに就く。
それは二人にとって、久し振りに……心から安心して眠れる、夜だった。
――――――――
――明くる日。
一年に一度、冒険者ギルドにとっての一大イベントの前日。
今回の開催地であるケイブの街は、大いに沸いていた。
人々は、口々に噂を話す。
その噂とは勿論、冒険者の頂点。
九名のSランク冒険者達の事である。
「なぁ、今回の会合には9人の内6か7人も揃うってよ。どこからか情報がリークされたらしいんだ」
「本当かよ!いっつも集まりが悪い奴らがなんで今年に限って?」
「それがどうも、今回はあの銀氷が来るらしい」
「へぇ……!あの噂に聞く美人か!俺、見たこともねぇや」
「はは、そりゃあSランク全員に言える事じゃないか?」
「そういやぁそうだ。んで、なんで銀氷が来ると集まりが良くなるんだ?」
「なんだ、知らないのか?いつも出てる真面目連中はともかく、他の連中は極端なんだ」
「あん?何が」
「銀氷に対しての態度だよ、上位連中は特にそうだ。まぁ勿論、理由はそれだけじゃないがな。何やらきな臭い話も出てるらしい。詳細は良く分からないが……それも銀氷絡みだと」
「へぇ。きな臭い話?なんだろうな……にしても、上位っていうと……」
「有名なとこじゃ精霊女王なんかは顕著だな」
「精霊女王!うおぉ……また美人だ!こっちは記録映像なんかは見たことあるが……実物を見てみてぇな」
「運が良ければ見られるんじゃないか?」
「見てえよなぁ……!つっても、やっぱ1番会いてぇのは爆……」
「ねーねー!おっちゃん達、なんの話!?」
「……ん?なんだ嬢ちゃん。今のか?Sランク冒険者の話さ」
「違う違う、銀氷って聞こえたから!」
「あぁ……そっちか。そうだ、珍しく会合に参加するらしいぞ」
「やっぱりそうなんだ!団長に教えてあげよーっと!」
「……行っちまった。なんだ?ありゃ」
「さぁ?…………いや待て、団長?団長って……いやー、まさかな」
――――――――
「さてと……それではゼオン様。僭越ながら今日から徐々に、魔法知識や現在の世界情勢など……基本的な知識を私から教えさせていただきます」
「うん。お願いするよ」
泊まっている宿の部屋で勉強会をしている二人。
魔力の大きさやそれを扱う技量は、かなりのものを持っているゼオン。
しかし十年のブランクはやはり長く、大きい。
そこで、アリスに教えを乞うことにしたのだ。
「初日の今日は、まず魔法知識のおさらいから始めましょう。……良いでしょうか?」
「勿論。助かるし、任せるよ」
「では。そうですね……魔法属性からいきましょう。ゼオン様、属性を挙げていってもらえますか?」
「基本の火、水、土、風、雷、森。やや特殊な闇、光、氷、雲、竜、創造。あとは、えーっと……」
上を向いて考えるゼオンを、にっこりと微笑みながら見つめるアリス。
何故かとても楽しそうだ。
「…………出ませんか?」
「うーん、ダメかも。残りは何だったっけ」
「いいえ、ゼオン様。一般的に知られている属性はそれで全てです。流石です」
「えー?意地悪だなぁ」
「うふふ、ごめんなさい。次は属性魔法以外に進みましょう」
「えっと……妖精魔法、召喚魔法、その他の無属性魔法……かな?」
「惜しいです。まだ有りました」
「あれ?何か有ったかな」
「獣人特有の肉体強化魔法、それに獣人との混血にのみ使える固有魔法、固有技法とも呼ばれるものも有りますね。これは、ゼオン様も……」
「あっ、そうか。竜人族もそうだね。昨日考えてたばかりなのに忘れていたよ」
「竜を獣とは呼びませんからね。この呼称が間違っているのです」
「あはは……」
「さて、残りですが……」
「ん、魔力融合で生まれる属性だね?」
「大正解です!幾つか例を挙げると……嵐、蒸気、濁流など、ですね」
「これには、まだまだ知られていない属性も有るんだよね?」
「そうです。それにご存知の通り、魔法属性と一口に言ってもそれぞれが使える魔法は、同じ属性でも種類も威力も規模も特徴も全く異なります」
「例えば火と熱とかかな」
「はい。水と粘液とかも有りますね。どちらかしか使えない者も居れば、どちらも使える者も居ます」
「では、次です。ゼオン様、無属性魔法を知っているだけ挙げていって下さい」
「浮遊魔法、飛行魔法、空間魔法、結界魔法、防御魔法、転移魔法……。後は…………?」
「ゼオン様、これは全部答えられなくても仕方有りません。他、一般的に無属性魔法と言えば生活魔法。灯火魔法や洗浄魔法、通信魔法などもここに含まれます。それに、その他の不明瞭な魔法も全て無属性魔法です」
目を閉じて、記憶の中の知識と照らし合わせながら思い出していくゼオン。
「うーん、大体分かってたつもりだったけれど。……久し振りに思い出すと難しいね」
「少しずつ、ゆっくりいきましょう、ゼオン様。今日のところはこれくらいで」
「そうだね、分かった。ありがとう、アリス」
「はい。お安い御用です、ゼオン様」
飲み物を淹れて一息つく。
「そういえば。昨日の少女……ササラちゃんはどうしたろうね」
彼女に対して少し思うところが有るアリスは、表情にこそ出さないが……その名前を聞いて心が揺れる。
「き……気になっているの……ですか?」
「うん?うん。……というよりは、助けておいてハイ終わり。みたいになっちゃったのが個人的に少しだけ、ね」
「…………ゼオン様は優し過ぎます…………」
「……ん?アリス、何か言った?」
「いいえ、何でも」
「?……そうかい?」
「はい。……予想、いえ……予感ですけど。彼女は自分から会いに来ると思いますよ、えぇ」
「僕達に?そうなの?」
「間違い無いと思います」
「そっか。ならその時、仲間に誘ってみようか」
「多分……その必要すら無いかと」
「???」
「今は理解出来ないかも知れませんが……きっとそうなのです。ゼオン様」
「えーっと……??まぁ……良いや。アリスが言うならそうなんだろうね」
「それで……今日はこれからどうしましょう?予定は何もありませんし」
「ローブで顔を隠して街に出てみようか。なんだか楽しそうだ」
窓から外を見て、ゼオンが言う。
「武具なんかも見ておきたいな。一番得意な両手剣が欲しい」
「それは……もしかすると、特注でないといけないかもしれませんね」
「あっ、そうか。普通のじゃ身長が足りないや……。うーん、今は片手剣で我慢するしか無いかなぁ」
「一応、聞いて回っても良いかも知れませんね。他にも何かめぼしい物が有るかもです」
「そうだね。じゃあ準備が出来たら、外に行ってみようか」
「はい。ゼオン様」
そうして街に繰り出した二人。
「そうだ。ごめんアリス、先に一人で行っておきたいところがあるんだ」
「えっ?私もお供しますよ?」
「ダメなんだ、一人じゃないと。本当にごめんね、ここら辺で待っていてくれる?」
「分かりました……?」
アリスを残し、何処かに走っていくゼオン。
それから数分経ち。
一人になったアリスは、昼間から酔っぱらっている男二人組に絡まれていた。
――何か私は、知らない内に男を引き寄せるフェロモンでも発しているのだろうか。
そう自分でも疑ってしまうほどに、アリスは男に絡まれやすい体質だった。
……実際には。
只々、フードの上からでも分かる美人だから。が、理由である。
「オイオイ兄弟!こんなところにこんなかわい子ちゃんが居るなんて俺たちゃあツイてるなぁ」
「全くだ兄弟!なぁお姉ちゃん、俺達と飲まねぇか?良〜い店を知ってんだ!上物もあるぜ」
「結構よ。消えてくれる?」
不機嫌を隠さずに、溜息をつきながら断りを入れるアリス。
尚も男達は食い下がる。
「いやいや!そう邪険にするもんじゃねーぜお姉ちゃん!俺達、他の国から来てるんだがクエスト終わりで金も有るんだ!なぁ兄弟!」
「あぁそうだ!なぁ、この街に居るってこたぁアンタも冒険者だろ?俺達はとあるSランク冒険者にも顔が利くんだ!一緒に来たくらいだからな、なんなら紹介してやっても良いんだぜ!」
「……なんですって?」
アリスは冷笑を浮かべる。
嘘なのか、強がりなのか。
それとも事実なのか……もし事実であれば、それはそれで。
こんなのが下に居るSランクがもしも、いるのなら……面白い。
それは明日に備えて、弱みを掴んだのも同様だからだ。
そう思ったアリスは、少しだけ興味が湧いた。
「お、やっぱ箔は欲しいか!?なら行こうぜ!楽しませてやるからよ!」
「そうね……ところでそのSランクっていうのは具体的に誰の事なの?」
「聞きたいか!しゃあねえ、特別だぞ!?先に教えるなんてのはよ!」
「えぇ、ありがとう。……で?誰なの」
「聞いて驚け!俺達のボスはあの【雷神】よ!」
「そうだ!世界に轟くその異名!その名に畏怖しない者は居ないとまで言われる、そのお方だ!」
「……へぇ」
「仰天したか!?だよなぁ!」
「勿論知ってるだろ!?あの雷神だ!」
「そう。其処まで堕ちたの……あの塵は」
「……は!?オイオイお姉ちゃん!言葉にゃ気をつけたほうが良いぞ?」
「あぁそうだ!相手を誰だと思ってる!?」
「どうでも良いわ。ありがとう、もう消えてくれて大丈夫」
「いや待て待て!このまま帰すと思うか!?」
「そうだお姉ちゃん!俺達のボスを馬鹿にしやがって!ただで済むと思うな!?」
アリスを掴もうとする男達。
しかしその手はバチッ……と、アリスの魔力に弾かれた。
「触らないで。私に触れていい男性はこの世に只一人。……もう一度だけ言うわ。消えて」
ゾッとする冷気を放つアリス。
流石に男達も、目の前の女は何か危ない存在だと感じ始める。
「…………!?……オイ、女!これで終わりだと思うなよ!」
「あ……あぁ、そうだ!ボスにお前の事は報告するからなぁ!」
そう言い残し、男達は何処かへ逃げる様に走り去った。
一人その場に残ったアリスは、何事かを考えている。
……暫くして、ゼオンが戻って来た。
「ごめんねアリス、待たせちゃって……あれ?何かあったの?」
「……あ、お、お帰りなさいゼオン様!…………いえ、何もありませんよ!」
「……そう?……まぁ良いか。それじゃ改めて、行こうか。さ、アリス」
「は、はいっ」
差し出された手を素直に掴むアリス。
しかしその顔には……まだほんの少しだけ、固さが残っていた。
二人が先ず向かったのは本屋。
通信魔法や生活魔法を覚えたいゼオンが勉強会で使う為の、簡単な魔法書を買いに来た。
「なんだかいっぱいあるね……。どれが通信魔法の書かな」
「えー……と。あっ、ありましたよゼオン様」
「どこ?」
「あの上のほうに。その横に生活魔法の類もありますね。……私が取りましょうか?」
「いや、自分で……!ん、ん〜……!」
精一杯、足を伸ばしているゼオン。
だがアリスから見ると、届く様子は全く無い。
不敬だと思いつつも、笑ってしまうアリス。
「……あっ!ちょっと、笑わないでよアリス」
「ご、ごめんなさい。でも、ゼオン様がなんだか凄くお可愛らしくて……フフ」
「もう……良いよ、浮遊して取るから」
「……今度は取れましたか?」
「もう良いってば。これ?」
取った本をアリスに見せる。
「そうです。初心者用の教本ですね」
「これを使いながらアリスに教えてもらえば、早くに使える様になるかな?」
「ゼオン様は飲み込みも速いですから。たぶん、直ぐに覚えられますよ」
「うん。通信魔法、楽しみだなー」
「そんなに使いたかったんですか?」
「え?うん。だって使えれば、アリスといつでも話せるようになるんでしょ?」
「ひぁ!?」
「?」
「……そ、そうですね!」
「じゃあ僕、買ってくるね」
「あっ、私が……」
「大丈夫だよ。昨日受け取ったお金も有るし」
初めてのクエストをこなしたとはいえ。
まだ正式にクエスト完了の報酬は受け取っていない。
今まで囚われの身だったので、貯えも無い。
当座の金の工面は、ゼオンにとって喫緊の課題だった。
アリスには今まで頼りきりだったので、これくらいは自分でなんとかしたかったのもある。
報酬は、出来るだけ早めに欲しい。
その旨を昨日ギルドを出る時、アリスに内緒でこっそりと宿への案内人に話したのだが、流石に当日では報酬の準備が出来ておらず……後日になるとの事だった。
だが宿の部屋に入った時、ゼオン向けの手紙と共に封筒の中に入っていた金。
その手紙はマイルズからで、この金は取り敢えずの手付金だよ、と書いてあった。
一切の持ち金が無かったゼオンにとって、実に助かる……マイルズからの、心遣いだった。
「もう……」
「買ってきたよ……ん?どうしたの」
「お金の事なんてゼオン様はお気になさらないで下さいと、言ったじゃないですか」
「ダメだよ。その気持ちは有り難いけれど……これは僕の、男としての問題なんだから」
「……むぅ。……アリスには全然、分かりませんけど。分かりました」
「うん。そんな事より次に行こうよ。ね」
「……はい」
次に向かったのは武具屋。
入った途端に鼻をつく鉄と革の匂いに、アリスは思わず顔を顰める。
反対にゼオンは、はしゃいでいた。
「見てみてアリス!珍しい、魔法剣も有るよ!」
「うぅ……ゼオン様、私は未だにこの匂いが苦手です」
「あれ、そうなの?戦いの中に身を置いてきたアリスならこれくらいは慣れていそうだけど……」
「私が戦っていたのは大体がモンスターです……。それに人間相手でも、こんな閉鎖空間では戦いません。戦闘中は常に障壁を張っているのもありますし……」
「でも、モンスターを討伐した後に証明部位とか持っていくんでしょ?ここと同じ様な匂いの……いや、もっと酷い匂いの。それはどうしてたのさ」
「倒した場にモンスターごと結界を張って、転移魔法陣を敷いた後、人を寄越して帰ります」
「えぇ……」
「だ、だってアリスは本当に苦手なんです!仕方ないんですっ!」
「落ち着いて……!駄目だなんて言っていないから」
「は……!ご、ごめんなさい」
「でも、そうか。なら今日はやめておく?」
「大丈夫です、我慢出来ますから……」
「…………いや。やめておくよ。他の、楽しそうなところを見て回ろうか」
「えっ……」
「今直ぐに必要な訳でも無いし。良いんだ」
「いえ、でも……」
「さ、行こう」
「……はい。ありがとうございます……」
「ん?何が?」
「フフ。なんでもないです」
武具屋を出て、日が落ちるまで適当に出店を見て回る二人。
手を繋いで歩く二人は、傍から見れば微笑ましい姉弟の様にも見えるだろう。
しかし当人達……特にアリスの胸中は決して穏やかでは無い。
手を繋ぐ、それだけで。
――少し前なら考えられない……怖い程の幸せに。
こうして一緒に居ても、ふとした瞬間に震えが来る。
だから……握られた手を強く、握り返す。
それをもう離さないように……二度と離れないように。
繫ぐ手に祈りを込める。
――――王国・王城【エアリウム城】――――
冒険者ギルドでのSランク会合を明日に控えたこの日……王城は、剣呑な雰囲気に包まれていた。
三階建ての城、最上階の真ん中に位置する部屋……謁見の間。
その部屋で、三人の人物が話をしている。
一人は王国諜報部長……ラウル・スワンレイク公爵。
謁見の間、王が座する玉座の前で彼は床に頭を擦り付けている。
もう一人はこの国の王……【激烈王】『ドニ・マルタ・ドルバード』。
わなわなと震え、怒りの表情でラウルを睨みつけている。
最後の一人は冒険者ギルドケイブ支部長……マイルズ・グリンエア。
土下座しているラウルを横目に、呆れた顔を浮かべている。
「……余の顔を見て貴様の口から今一度、詳細を申してみよ。スワンレイク公爵」
「へ、陛下!どうかお許しを!……全て王国の為にやった事なのです!」
「聞こえなかったのか?説明をせよと言ったのだ」
「わ……私は!何かと帝国に頼る現状を憂いていただけなのです!その為にした事を叱責されるのですか!?」
説明責任すら果たさずに、一心不乱に己の無実だけを声高に叫ぶラウル。
それを聞いて、王の怒りは増していく。
「貴様……」
「王とて、そうお思いではないのですか!?伝統と誇りを持つ我が王国が、今ではまるで帝国の……!」
「待った待った。公爵、それ以上はやめたほうが良い」
「……なんだ!?没落貴族風情が口を挟むな!!」
「いやいや。貴方の為を思って言っているんだがね」
「良い、マイルズ。この男の無能は……愚かな王にも十分に理解できた」
「陛下……!?今、なんと……」
「無能と言ったのだ。更にその上、この謁見の間で余を侮辱するとはな」
「なんですと……?……無能!?この、この私が……!」
「寧ろ、それ以外の言葉が浮かばぬ。自身の罪の一切を解さぬ貴様には」
「何を仰る!?こんな……只の1度の失敗で罪などと!」
「ならば……貴様は取り戻せるのか?貴様の下らぬ理想とやらの為に失った、王国の至宝とも言うべきSランク冒険者を。貴様よりも余程、王国の益となっていた紅の少年を。そして何よりも冒険者達の信頼を」
「……冒険者如きに頼らずとも!まだ我が国には精鋭、王国騎士達が……!」
「失った分の話をしているのだ。貴様は……そんな事も理解していなかったらしいが。……それに魔国での一件も有る。貴様の失敗は2度目だ。帝国に借りを作る形になってしまったのは、そもそも貴様の所為であろうが。2人の臣下を失った分も、ここからどう取り戻すと言うのだ」
「わ、私は……!」
「もう良い。これ以上、貴様に割く時間など有りはしない……衛兵」
「はっ!」
「地下牢へ。この場での爵位剥奪、後日処刑を行う」
「了解致しました……さぁ、立て。来るんだ」
「処刑……!?こんな事で!?そんなバカな話があるか!!陛下!陛下ぁっ!!」
大声で命乞いをしながらも、無慈悲に牢へ連れて行かれるラウル。
それを遮る様に謁見の間の大きな扉が閉められた後、王はマイルズに頭を下げた。
「余からギルドへ謝罪する。済まなかった」
「いやいや……!僕はただの伝令みたいなものですから」
「戦は全力で回避する。その為に明日、余が直接そちらへ出向かせてもらう」
「……正直、安全は保証できかねますが?」
「承知の上だ。……それに、流石に身一つと言う訳にはいかんしな。護衛の騎士を連れて行くのは許してもらおう」
「まぁ……一応は通しておきますよ。通るかは、僕には判断出来ませんが。こればかりは、いざその場にならないと分かりませんね。そこはお許しを……陛下」
「……マイルズよ、本当に戻ってくる気は無いのか?たった今、空き家も出来たぞ」
そんな王の言葉に、マイルズが困ったような笑顔を浮かべる。
「申し訳ありません……僕は今、ギルドで幸せですので。それに……恩も返しきれていないので」
「……そうか。これ以上は野暮なようだ」
「えぇ、温情に感謝します。……それでは失礼致します。明日、ケイブにてお待ちしております」
「うむ」
マイルズが謁見の間を出ていく。
それと入れ替わりで、一人の騎士が入ってくる。
「……呼んだ?おうさま」
「おぉ、我が騎士。そうだ、戻ったばかりで悪いが少し頼みが有ってな。明日、余と共にケイブへ行って欲しい」
「……ケイブ?……ギルド?」
「あぁ。莫迦が問題を起こしおってな、その謝罪を兼ねて直接に余が向かう。それに同行を頼みたいのだ」
「……でもあの街にはたしか、すでにもう……」
その時、騎士が腰に提げている騎士団御用達の通信魔法具から音がする。
「……応答してもいい?」
「構わんぞ。余の事は気にするな」
「……はい」
「団長!こちらケイブに潜入中のリタ!報告があります!」
「……リタ?どうしたの」
「銀氷の存在を確認しました!明日の会合の為にこの街に来ているもよう?……です!どーぞ」
「…………そう。分かった、ありがとう」
「はーい!」
通信が切れる。
「……という訳だから、おうさま。明日わたしもいくね」
「いや、頼んだのは余……」
「……じゃあ、準備があるから。またあしたね」
「え……あ……う、うむ」
謁見の間を出ていく騎士。
その相変わらずの奔放さに王も、護衛の騎士も兵達も……唖然とするしか無かった。
冒険者ギルド(後編)に続きます