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GHOST  作者: 十月 十陽
開式(調整中)
9/25

開式(7)



 岡本光希の『長女』と待ち合わせして場所として彼女に指定されたのは、水族館の入り口だった。光希さんが気分転換にと選んでくれた場所らしい。階段をのぼって、チケット売り場で待っていると、私服の彼女が息を切らして階段を駆け上がってきた。

「遅れてごめん。き、着替えに手間取っちゃって」

「気にしてません」チケットを光希さんに渡す。

「ありがとう」そう言ってチケットを受け取った光希さんの表情は険しい。ただ、怒っているわけではなさそうだった。

 彼女は探偵と違い、考えてることが顔に出やすい。喜怒哀楽がハッキリしているというか、ウソがつけないタイプの人。最初は同じ人物のはずなのに中身が違うと、見た目の印象もがらりと変わる。

 ゲートを通って中に入る。ゆっくりと薄暗くなっていく道を、矢印の指示に従って進んでいくと、右と左で区切られた水槽が見えてきた。

 右には浅瀬に住んでいる魚たち。

 左は熱帯魚が泳いでいる。

「キレイ」

 目をキラキラさせながら、あちこちを泳ぎ回る魚たちに微笑みかけていた。

「今日は本当に、付き合ってくれてありがとう。こういう場所は一人だと入りずらいから、助かったよ」

 水族館の入り口でもらったスタンプラリーに、水槽の前に置かれたスタンプを押す。光希さんはそれだけで嬉しそうだった。

「そういえば、探偵からメモを貰ってたんだ……」

 メモには神社村の死体を確認するように書かれていた。

「こういうのって警察の仕事でしょ? だから、無視してやったの」それに。「危険なことはお姉ちゃんお断りです」

 そう言って、更に奥へと進んでいく。もうほとんど夜と変わらない。

 次はクラゲのアクアリウムが広がっていた。柱の水槽には小さなクラゲたちがふわふわと浮いている。

「クラゲって可愛いですか?」

「うーん、わたしもクラゲはそこまで……。チンアナゴの方が好きかな」

 スタンプを押して、クラゲの水槽を通り過ぎる。

「チンアナゴって砂に潜ってるやつですよね。頭だけだして」

「そうそう! 可愛いよね。あの丸い目とか、模様とか」それからチンアナゴについて話を聞かされたが、大水槽に着くころにはすっかり忘れてしまった。

 地球を表現しようとして作られた水槽は、雲を見立てた空間の上に小さな魚たち泳いでいる。さっきまで暗かったが、ここは少し明るかった。側には水槽を眺めるための椅子が用意されており、後ろの売店でお菓子を買い、大水槽を映画館として眺められるようになっている。

 水族館限定のどら焼きには、生地の表面にいろんな魚の顔が描いてあるらしい。魚拓のようなものだろうか。

「あ、甘いものはちょっと。探偵がめちゃくちゃ食べたから。ちょっと頑張らないと」

 大水槽は地球の生物でいっぱいだった。ジンベエザメが悠々と泳いでいる。

「思ってたより大きい気がする」と光希さんが言った。

 確かに写真と実物じゃあ、体験できる大きさが全然違う。

「ジンベエザメがこのガラスに体当たりしたら、割れたりするのかな?」

「新太くんはたまに物騒なこと言うよね。でも、大丈夫だと思うよ」ほら、と指差された場所には水族館のガラスが展示されていた。「あれだけ分厚いんだから、きっと大丈夫だよ」

「……そうだといいけど」

「そりゃあ、爆弾とかあれば割れると思うけど」

「光希さんってたまに物騒なこと言いますよね」

「じょ、冗談だから! あんまり本気にしないでよ」

「冗談です」

「……。新太君って、わたしにちょっと意地悪だと思う」

 そう言うと、光希さんは足早に次の展示エリアに向かった。展示エリアと大水槽には大きな水中トンネルで繋がっている。そこは先ほどの大水槽に泳いでいた魚たちをもっと近くで見られるようになっていた。

 光希さんは立ち止まってじっと眺めている。

 隣に並ぶと、また慌てたようすで展示エリアに向かう。歩いているうちに、また暗くなった。

 展示エリアには深海魚や毒を持った魚のオブジェが置いてある。

「深海魚って見た目がぶよぶよしてるんだね」光希さんは興味深そうに、展示欄を熟読している。

「新太君、ひょっとして楽しくない?」

「楽しいですよ」

「なんか楽しくなさそうに見えたから……。わたしの勘違いだったみたい。ごめんね! 気を悪くしないで」

「気になったことがあるだけで」

「気になったことって、探偵が置いて行ったメモのこと?」光希さんは片方の頬をふくらませる。ふぐみたいだった。「それってわたしと一緒にいるより、探偵と一緒にいるほうが楽しいってこと?」

「すみません」

「別に責めてるわけじゃないよ? ただ、ちょっと───」

 なんでもない、と光希さんは展示エリアを出ていく。

 言いかけた言葉が少し気になった。



     △△△



「あははは」

 笑い声を上げる光希さんの先で、一匹のアザラシが首を縮めて二重顎になっていた。

「ねえ見て。あの子かわいい!」ガラス越しに写真を撮る。「あとで新太君にも送ってあげるね」

 彼女は太陽みたいに笑っている。送られてきたアザラシの写真は饅頭として売り出されてそうな、マスコット的可愛さがある。

「あ! 新太君、笑った」

「え?」口元を手で押さえる。少し口角が上がっているような気がした。「すみません」

「謝らなくていい。むしろ、新太君に足りないのはそういうとこだと思う」

 光希さんと一緒にいると足りないことに気づかせてくれる。いつも何かを返そうと思っているけど、何を渡せばいいのか思いつかない。そこでふと、さっきのことを思い出して、売店にもどる。アザラシのキーホルダーを買って、光希さんに渡した。

「えっ! ありがとう……ござい……ます」

 光希さんの頭が横に傾いた。

 受け取ったアザラシをじっと眺めている。

「なにか返せるものがあったらと思って。嫌だったら捨ててください」

「イヤじゃない! イヤじゃない! ただ、これひとつだけだと……。ちょっと待っててね」

 そう言いうと光希さんは売店のほうに走っていった。戻ってきた彼女は、さっき渡したアザラシとは色の違うキーホルダーを持って、

「お揃い!」花が咲いたように笑う。

 貰った茶色のアザラシは、めんどくさそうな表情をしていた。

「ありがとうございます」

「お互い様だよ。その子、わたしに似てると思って買ってきたの」

「そうですか……」

 貰ったアザラシと光希さんを見比べてみても、似ている部分があるとは思えない。どちらかというと、対照的なアザラシなんじゃないだろうか。

「似てないと思ったでしょ」

「正直……。どこが似てるのか分かりません」

 似ているところを、似ていないものから探す。それはどんな難しい問題よりも───いや、好奇心がないときの探偵と似ているかもしれない。謎が見つからない時はいつもめんどくさそうな顔をしている。自分から探しに行くこともあるが、それは最後の手段だ。探偵は基本的には謎がやってくるの公園のベンチに座って待っている。

 返答に困っていると、くすくす笑う声が聞こえてきた。

「わたしって家だとかなりめんどくさがりなんだよ」

「意外でした」

「でしょ? わたしが一番外に出る回数が多いから仕方なく色々やってるだけ。他の二人は……。まあ、弟は出来るほうだけど。探偵はムリ。生活そっちのけで自分のやりたいことを探しに行っちゃうでしょ。自分の番がくると喜葉くんに会いに行ってるし」

 確かに、土日は探偵と過ごすことがほとんどだ。

「でも、良かった。新太君がちゃんと楽しんでくれてるみたいで」

「光希さんと一緒にいる時はいつも楽しいですよ」

「うっ……。そういうことよく平気で言えるなあ……。もしかして他の子にも言ってたりする?」

「他っていうと……」探偵やミツキのことだろうか。「いえ、光希さんだけですね。光希さんはなんていうか……。見ていて飽きないと言いますか」

「人をアザラシみたいに言わないでよ」と光希さん笑った。



     △△△



「楽しかったー、癒された―」

 水族館を出てすぐの砂浜沿いを歩く。何もないような時間だった。潮の香りは少しだけ甘い。海の向こうはもうすぐ夕日が落ちていくところだった。

「今日はね、新太君に謝りたかったんだ」

「謝る?」

「探偵と一緒に神社村に行ったでしょ」今日初めて見る。暗い表情。「あの時すごく具合が悪そうだった。ムリさせてるんじゃないかって、心配だったの」

 今日の水族館は光希さんなりに気を使ってくれていたらしい。

「具合が悪かったのはあの時だけです。気にしないでください」

「でも、次の日はケガしてたでしょ」

「次の日にはいつもどうりでしたよ」

「それならアタシも安心かな、とはならないの! 猫探しはともかく、殺人のあった場所に行くなんて……心配するなってほうが無理でしょ」

 光希さんから視線を感じた。何も言わずに笑いかけてくれる。

 ずっと日記のことは気になっていた。日記を読むことが日常になったことで、頭から離れなくなってきている。実際、光希さんと一緒にいるあいだも日記のことを考えていた。思い出すだけで、身体のどこか───深に近いところが震えそうになる。

 ああ、これからどこに向かい、誰と出会うのか。

 今日も、日記を読むのが楽しみだ。

「なんか探偵に毒されてきたね……」

「え?」

「今の顔……探偵と同じだったよ」

「……───」

「帰ろっか」

 帰り道は二人で並んで歩いた。会話をすることはなかった。けれど、それで空気が重くなることはなく、ゆったりとした時間が流れていた。

 歩道橋までくると、反対側からやってきた三人組の男たちに絡まれる。

 ───振り返った。

 日焼けした男から光希さんはしつこく迫られていた。助けなきゃいけない。だけど、それよりも、そんなことがどうでもいいと思えるくらい反対側から歩いてくる女性が気になった───男たちの知り合い? 多分、違う。その女性は眠そうだった。ふらふらしている。おぼつかない千鳥足だ。あっちこっち───行ったり来たりしながら、近づいてくる。

 光希さんが困っているのに。助けなくちゃいけないのに。歩いてくる女性から目が離せない。まだ歩道橋を半分進んだあたりだ。まだ、間に合う。

 すぐにここから───小さな悲鳴が聞こえた。

 一瞬、女性から目を離した。

 男のひとりが光希さんの腕を掴んでいる───目を離したその瞬間、空気が優しく頬に触れる───甘えるような清んだ声が耳元で聞こえた。

 さっきまでふら付いてた女性はもう、側にいた。

 顔と顔が触れ合う距離に。すぐ隣に。

「ねえお兄さんたち。北花と一緒に遊ぼうよ」



     △△△



 全員が戸惑った。光希さんの腕を掴んでいた男たちも、光希さんも、話しかけてきた女性から目が離せないでいた。子供のような無邪気さ。子供のような愛くるしさ。その二つが溶け合って、固まったもの。人じゃない。

 女性は細い目で三人の男たちを見つめている。薄く笑った。少女みたいに。

それから光希さんのほうを見て、

「そっちの子たちより、ずっと楽しい時間になると思うけどなー」

 見惚れる男たち───その女性の上目遣いは寒い。

「こんな美人に誘われると断れないぜ」男の一人が女性に近づく。

 きゃ、という声が聞こえた。

 とっさに光希さんの手を掴んで歩道橋を走る。

「ちょ、いきなりどうしたの!」

 驚く声を振り切って、階段を、道を───あの眠そうな女性から少しでも遠くに。

 とにかく滅茶苦茶に走った。

 ようやくあの女性の視線を感じなくなって立ち止まる。

「ハァ……ハァ……」

 上手く呼吸が出来なくなっていた。

 身体の先から少しづつ痺れやってきて、心臓に向かって進んでいく。

「だ、大丈夫?」

 そんな言葉も聞こえない。口元に当てた手のひらが酸素ボンベみたいだった。皮膚呼吸が終わると声が戻ってきた。

「……わからない。ただ、あの女の人が怖くて」

「怖い? わたしはキレイな人だと思ったんだけど」

 あの人を怖くないと思えることがあるのだろうか。

「そうなんだ」

 言われてみれば、思い出してみれば───確かにあの眠そうな女性からは血生臭いものは匂い立ってこなかった。それでもどこからか見られてるような気がしたんだ。あの女性を冷静に見て───逃げよう。逃げなきゃ。

 どこから来たのか分からない。

 あの女性を見ていたら感情と気持ちがぐちゃぐちゃになって動けなくなっていた。今でも身体の奥が痺れているような気がする。走れたのはどこからか聞こえた、誰かも分からない声のおかげだった。

「あの人、大丈夫かな」

 光希さんは警察に連絡するべきか悩んでいる。

「大丈夫だと思います。むしろ、あの三人のほうが危ないんじゃないかな」

「いやいや、あの人たちのほうが怖いでしょ」光希さんから抗議の視線が向けられる。「なんか笑ってる?」

 顔を覗き込まれて、ドキリとする。

「笑ってないです」

「確かに笑ってない」

「この状況で笑うほうが非常識だと思いますけど」

「それはそうなんだけど……」後ろを振り返って。「本当に警察に連絡しなくて大丈夫かな」

「大丈夫ですよ」

 眠そうな女性と目がった時、微笑みかけられた───夢を見ているまま、現実を彷徨っているような。

 赤い月が彼女の瞳に反射していた。ほとんど瞼に隠れていたけど、ほんのわずかな隙間から衝動的な喜びを必死に隠そうとしているように見えた。

「今日はこの辺でいいよ。それじゃあ、またね」


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