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GHOST  作者: 十月 十陽
開式(調整中)
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開式(2)



 奇妙なまどろみと一緒に目が覚めた。丸くなって転がる夢を見ていたような気もするし、四月の終わりが近づいて気温が高くなってきたせいかとも思う。だけど、そのことについて寒くなるとか、寂しいという気持ちはこれっぽっちも湧いてこない。

 少しだけ背伸びをする時間が早くなっただけだ。

それよりも三日ぶりに眠れたことのほうが不思議だった。

 三年前のHERAの事件以降、眠ろうとして眠れたことは一度もない。眠ろうと意識した瞬間、当時の記憶に身投げするような感覚に襲われて歯を食いしばってしまう。仮に眠ることが出来たとしても、そのほとんどが気を失っているような感じだった。

 前兆は餅をのどに詰まらせたような息苦しさ。

 頭痛が始まり、身体はふらふらと横に揺れる。

 そうやって夜を過ごして、気が付いたら朝になっているという具合だ。

 だから、今日みたいに眠れたことは数えるほどしかない。いつもなら冬眠明けのクマみたいな寝起きのだるさがあるのに。

 スッキリとした、本当に懐かしい味がする。

 畳から体を起こそうとすると、テーブルの上に置かれた一冊のノートが目にとまった。

 妹の頭が化けたもの。

 黒いノートの中身は日記帳のようなもので、人を殺したことが書いてあるだけ。ゆっくりと立ち上がる。どうして拾って来ようと思ったのだろう。

 洗面台に向かいながら考えた。

 妹の顔に見えたからだろうか?

 それとも気まぐれ?

 拾った時はハッキリと大事なものだと感じたのに、今になって思えばそれほど大切なものでもない気がする。

 だけど、一つだけ言えることがあって。この日記を読んだことが眠れた要因なのかもしれない、ということ。人殺しの本を読んでよく眠れた。頭を抱えたくなる事実だけど、それがもし必要なことだとしたら───。

「……───」

そもそも、本当に日記を読んだのかさえ怪しい。

 起きた途端、日記を読んだことが頭から離れていくような、一人目の内容をほとんど思い出すことができなくなっている。

 顔を水で洗うとますます希薄になった。

 台所に行き、コップ一杯の水を飲む。のどを通って、胃に落ちる直前で水はいなくなった。

 部屋に戻り、日記を開く。一人目の殺人を少し読んだところで、HERAの名前を見つけた。だが、それ以降の話はまるで記憶にない。もしかすると、読んでいる途中で眠ってしまったのかもしれない。

 唐突に、テーブルの上に置いてあったスマホが震える。一件のメッセージが届いていた。

『中央公園で待ってる』

 探偵からの業務連絡のようなものだった。

 今日は土曜日、探偵が待っている。

 探偵に日記を読んでもらおう。

 こういう謎めいたモノに関しては、人の数倍喜ぶだろうから。

 準備を済ませアパートを出ようとした時、またスマホが震えた。

『早く来て』



     △△△



 最寄りのバス停からバスに乗っても、美鏡市中央公園まで二十分ほどかかる。

 土曜日の朝ということもあってか、ほとんど満席で座ることはできなかった。人の熱気で蒸し暑い車内 は、じめじめとして、船酔いした気分なる。

 バスが止まるたび、次々に人が乗ってきた。その反対に降りる人はほとんどいない。どうやら目的地はみんな一緒らしい。

 中央公園前で止まるとバスに乗っていた人たちが一斉に流れる。

 最後にバスから降りた。

 正門から入って図書館へと続く道は周りを噴水池で囲まれていて、先ほどのバスの中とは比べ物にならないほど気持ちがいい。まっすぐに進んでいくと、噴水池の絵を描く人、写真を撮る人、あくびをする人、いろんな種類の人たちとすれ違う。

 木造の図書館は丸いドーム型のデザインと日本の古民家を合わせたような作りになっており、この公園のテーマである『自然の内側』を体験できる場所だ。

 図書館から、右に抜けて広場に向かう。

 その入り口で───。

「やっほー」クリーム色の服を着て、岡本光希が手を振っていた。「こっち、こっち。早くおいでよ」

 言われるがまま彼女の隣に座る。今日は中性的な服装だった。

「あんまりジロジロ見ないで」

探偵は、からかうような口調で言ってくる。

 表情が少しも読めないので、本当に探偵がそう思っているのかは分からない。

「そんなに見てないよ」

 そうなの? と意外そうに首を傾げた。「それにしては目つきがいやらしかった」

「気のせいじゃないかな」

「気のせいじゃないよ。私は喜葉くんのことを、喜葉くん以上に見てるから」それに、と探偵は続ける。「今日は来るのが遅かったね。よく眠れた?」

「どうしてそう思うの」

「勘かな。あと、なんだかスッキリした顔してる」

 心を見透かすような視線。上目遣いで、微笑んでくる。

 気恥ずかしくなって顔を逸らした。

「喜葉くんは分かりやすいなー」

「そっちの調子はどうなの」話題を変える。「港の事件について、何か分かった?」

「なんにも分かんない」

 探偵は上を向く。顔に木陰が落ちた。

 四月の初め頃に港の倉庫で発見された事件。集団自殺だった。二十人もの人たちがぶら下がった状態で発見され、執行室で使われるような装置が置かれていたとニュースで報道されていた。加えて、足元には死んだ人たちの糞尿が残っていたらしい。専門家の意見は心を病んだ人たちが集まって自殺してしまったという有り触れたものばかり───こうなる前に助けられたら、と。

「正直な話、これ以上は時間のムダだと思ってる」

「珍しいね。そんなこと言うなんて」

 探偵の顔が少し曇る。

「もっと早く港の事件に出会えてたら色々と探せたかもしれない……。でも、今じゃもうムリ。見つけようにもヒントが無さすぎる」

「……───」

 確かに。港の事件を調べるとは言ってみたものの、ただの女子高生に協力者してくれる人などいない。 探偵は運と推理だけで、港の事件に挑戦している。

 探偵が寄りかかってきた。

「事件のあった港にも行ってみたけど……よく分かんなかった。変わったところと言えば、警察の人数が減ったことぐらいかな」

「違和感は消えたの?」

「消えてない。むしろ……膨らんでる感じかな? 風船みたいに」

 それから探偵は目の前の広場を指差して、「見て」

「この広場の───誰がいなくなっても、消えても───分からない空間。まるで人間社会みたいじゃない?」続けた。「自然に人の手を加えれば、そこの自然は死んでいるのと変わらないのにね」

「別に。気にしたことないなぁ」

「私もテキトーに喋ってるだけだから気にしないで。……それより」

 探偵はこっちに手を伸ばしてきた。

「ん」

 理解が追いつかず、何となく探偵の手を握る。

「嬉しいけど、そうじゃない」早く、と。「変な日記を拾ったんでしょ? 読ませて」

「忘れてた」

 日記を手渡す。探偵は穏やかな表情のまま、細い指で日記を開いた。すぐに一人目の日記を読みはじめる。

「……こういうのを見つけたら勝手に持ち帰っちゃダメだよ。泥棒だから」

「泥棒扱いされても今さらな気がする」それに。「拾いたくて拾ってきたわけじゃない。妹がいた場所に───横断歩道を歩いてたら……気づいたら、足元にあったんだ」

「ウソが下手だね」

「……───」

「確かに喜葉くんは他の人より感情が死んでる。でも、親しくなればその表情とか考えは分かりやすいよ」

 親しくなっても探偵の気持ちは分からない。

「それはほら、私のことを観察してないから」

「難しいな」語尾が延びる。

 こうやって会話している間も探偵は日記から目を離さなかった。また何となく会話をしているんだろうな、と予想して。

「今日は天気がいいね」

 そうだっけ? と探偵から声が返ってくる。やっぱりテキトーな会話をしていたらしい。

 日記を読むことに集中しているのだろう。

 他のことには興味がなさそうだった。

 探偵と出会ったのは半年ほど前。カフェ・ミルキーでコーヒーを飲んでいる時に声をかけられたのがきっかけだった。

 今でも覚えてる。

「あなたがHERA?」

 岡本光希は親友の肩を叩くような仕草で近づいてきて、あなたは殺人鬼ですか? と質問してきた。

 返事はしなかったと思う。

 それから何度もやってきて───「違う」と答えたら、彼女は笑ったんだ。

「面白いもの拾ってきたね」探偵の声がした。

「殺人の話って面白いかな?」

「そっちじゃない」少し考えて、「やっぱり面白いかも?」と付け加える。

 探偵は一人目の日記を読み終わったらしく、「自分語りのイカレ野郎」と手短に感想を教えてくれた。

「何とも思わなかったけど」

「喜葉くんが鈍いだけ」

 次のページをめくる。

 その丁寧なしぐさに思わず見惚れてしまった。

「喜葉くんが気になったのもわかるよ。HERAのことが書かれてるね。やっぱり因縁ってあるのかな?」

 そう呟くと、今度こそ本当に喋らなくなった。

 話しかけても返事をしてくれない。

 探偵が日記を読み終わるまでやることもないので、ハトを数えることにした。目の前にいるハトだけで二十一羽。芝生の上をゴールデンレトリバーっぽい犬が嬉しそうに尻尾を振って、飼い主の女性と散歩している。

 広場中央には、テントが張ってあり、ボールで遊んでいる子供たちがいた。以前はこの公園にも遊具が配置されていたらしい。が、その遊具で子供が怪我をしてしまい、それが引き金にになって広場にあったほとんどの遊具は撤去されてしまった。残っているのは大きな砂場だけ。その僅かに残った砂場で、子供と大人が何かを作っているみたいだった。

「何か分かった?」

 探偵に話しかける。「んー」という声が漏れて、

「そうだね」と曖昧な答えが返ってきた。今の彼女にとって広場のことはどうでもいいらしい。探偵はまた、白い指で日記に書かれた文字をなぞりはじめる。

 これだけ集中している探偵は珍しかった。本を読むにしてもすぐに飽きて放り出してしまうのに───結末が分かっているモノは退屈でしょうがない、といつも言っている───探偵には時間がないから。探偵でいる時間のほとんどを強迫観念に近いものを感じて生きているのだろう。そして、今はその意識を日記が独り占めしている。

 探偵はキレイに座ったまま───少し楽しそうにしていた。

 港の事件が起こる前は、一緒に街の猫を探し歩いた。

 最初はどうして猫を探しているのか理解できず、なんとなく探偵の後ろを付いていくだけだったが、結局、最後まで猫を探していた理由は分からなかった。

 ぱたん、と探偵は日記を閉じて立ち上がり、それから、うーんと大きく背伸びをした。その拍子に、数えていたハトたち一緒に飛んでいってしまう。

「ちょっと休憩。喜葉くん、飲み物、ほしい。できれば甘いやつ」

 のんびりとした口調でお願いされ、目の前の自販機から冷たいココアを選んで、すぐ横で見張っている探偵に渡す。

「ありがとう」探偵は微笑んだ。「ヘンなの……。選ばなかったね」

 ココアを受け取った探偵はそそくさとベンチのほうに歩いていく。またベンチに座ると、ココアの甘さでゆっくりとした時間を楽しんでいる。



「日記のほうはどうだった?」

「うーん、告白みたいな感じ……かな? たくさんの人からファンレターをもらった気持ちっていうか」探偵は続けた。「喜葉くん、頭撫でてあげようか?」

「どういう意味?」

 探偵は驚いたような? 不満げな? 顔をした。

「……褒めるんだよ。喜葉くんが拾わなかったらこの日記と私は出会わなかったわけだし」探偵は膝に置かれた日記を見つめて。「だから、撫でる」

 そう言った探偵は、表紙を撫でていた。

「喜葉くんは読み終わってるの?」

「最初の一人だけ。他の人はまだ読んでない。一人目を読み終わったら眠くなって」

「そっか。だから今日スッキリしてる顔なんだね。良かった、良かった」でも。「私なら興奮して眠れないかも」

 眠れないどころか、ヒントを探して所狭しと、走り回っていそうなイメージだった。アンテナに触れたものに対して無限の好奇心を発揮する。それが探偵という生き物。どんなに危険な場所でも喜んで飛び込んでいくような人たち。

「ヘンかな? それ」

「他の人から見たらそうかもしれない」

「別に、普通だと思うけど」

 探偵はベンチに座り直して、日記を開く。

 それから小さく笑った。

「それにしても……。ふふっ。この日記を拾われた人は今頃、大慌てだろうね」

 探偵の言葉で昨日のことを思い出す。

「周りには誰もいなかった気がする。慌ててる人もいなかったような」

「喜葉くんはそういうとこ鈍いから……」どうやら信用されてないらしい。「昨日の喜葉くんは寝不足だっただろうし。それに、疲れてたでしょ?」

「どうだったかな。確かに昨日は疲れてた気がするけど」

 だからといって、日記を落とした人を見落とすだろうか?

「妹がいた場所。さっきそう言ってた。それだけで無理してたのは想像できるよ」

「……───」

 探偵はそれだけ言うとこっちを見ることはせず、日記に目を落とし、ただ夢中になって読んでいたようなきがする。実際、そこには探偵なりの気遣いがあったのかもしれない。

妹が死んだ横断歩道。耳鳴りがして何度も思い出し、その度、妹が落ちてくるのを見送った。本当に忘れもしない。あの瞬間の出来事だけは───。

「おーい」

 探偵に肩を叩かれる。

「はい、これ」探偵が日記を渡してきた。最後まで読み終えたらしい。「その日記はどれだけ時間を無駄にしても、最後まで読んだほうがいいと思う。ていうか、読んで。HERAへの手掛かりになるかもしれないから」

「努力してみる」

探偵は帽子をかぶり立ちあがる。ベンチから少し離れた場所で、二回ジャンプした。

「それじゃあ、行こっか」

「行くって? 他に予定はなかったと思うけど」

「できたんだよ、その予定が。喜葉くんのおかげでね」探偵は歩きだした。その後ろに付いていく。「目的地は神社村。そこに、私たちの探しているモノがある」





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