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GHOST  作者: 十月 十陽
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開式(10)

 小さな声だったが、ハッキリと聞こえた。彼はしわのこもった目で見つめてくる。その人には赤い線のようなものが光っていた。

 夕方だったせいかもしれない。

「ここで待っていてくれ。お茶を入れてくる」

 そう言って、探偵は座布団を二枚持ってきて、座った。

「お茶は飲まないほうがいいかもね」くすくす笑う。

「あの人が日記を書いた……」

「会えるとは思ってなかったんだー」

 緊張のかけらも感じさせない。のんびりと足をのばす。

「喜葉くんはどう思った?」

「どうって?」

「第一印象だよ。人を殺してそうか、どうか」

「殺してるんじゃないかな」

 探偵も同意見らしかった。

「人を殺したら、顔のどこかに後遺症のようなものが残ってる」

「あの人にはそれがあっての?」

「それもかなり濃くね」

「そこまで観察しなかったな」

 雑談をしているとやがて男が帰ってきた。三つの湯飲みがテーブルに置かれ、真ん中にいくつかのお菓子が用意された。

「話があると言っていたけど……二人は何を聞きたいのかな?」

「まずは、どうして自分の奥さんを殺したのか、聞かせてもらえますか?」探偵が言う。「海に落としたそうですね」

 千堂は考えるそぶりをし、よりいっそう警戒心を強くさせた。

 探偵の言っていた人殺しの後遺症を見つけようとしたがよく分からなかった。

「殺したというのは少し違う。私が家に帰った頃には妻はもう事切れていた。だから、二人で行った思い出の海に連れていってあげたんだよ」

「それならちゃんとした葬儀を行うべきだったのでは?」

 千堂の話は続いた。

「彼女が海に消えていく時……なんというか、そう、感動というか……祈りのようなものを感じたんだ。抱きしめられているような幸せな気持ちになったんだ」

「……そうですか」

 探偵はそれから何も言わなかった。彼が語ったことに意識を向けている。彼の話をそのまま受け取れば少なくとも殺人をした、という感じはしない。ただ死んでしまったから、思い出に浸れる場所に連れて行ったのだろう。

 もしそうなら彼は殺人をしていない。思い出に死体を隠しただけだ。

 探偵は千堂を見つめたまま、じっと動かない。

「私からも質問していいかな?」と千堂が言う。

「どうぞ」

 探偵が答えて、ありがとう、と千堂は探偵に微笑む。「キミたちは日記を持っていると言っていたね。それをどこで手に入れたのか教えてくれないか」

 今度は探偵のほうが警戒する。

 ここは正直に答えた方がいいだろう。

「拾ったんですよ。横断歩道の真ん中で」

「キミが拾ったのか」千堂から穏やかな目を向けられる。「ここに来たのは───」

「あなたがメッセージを残してくれていたおかげで見つけやすかったですよ。身に覚えがありませんか?」

 窓から夕日が差し込む。遠くでカラスが鳴いた。

「もう随分と前の話だからね。忘れてしまったのかもしれない」

「奥さんを殺した日はいつですか?」探偵が質問する。

 しばらくの沈黙があった。二人は顔を見合わせて、瞬きもしない。

 その時間はどんな繊細な音もひどく冷たいものに変わってしまう。気休めにもならない冬の空気を吸ってスズメの足音を探すオオカミみたいだ。

お茶に手を伸ばしそうになったところで、千堂が言った。

「日記には……。書いていなかったかい?」

「書いてありませんでした。あなたが残してくれたものは、家の住所と奥さんを殺したときの気持ちだけです」

 冷たく言い返すと、探偵が睨む。おそらく彼の歯切れの悪さを感じとったからだろう。相手に思考する材料を与えない。どれだけ時間がかかってもここは徹底して千堂の腹の内を探ろうとしている。

「妻を殺した日に日記を書いた。キミはそう考えたわけか……」

「違うのですか?」

「私が日記を書いたのは妻が亡くなったあとのことだ」千堂はそこで言葉を切る。「さっきからキミは私が妻を殺した、とばかり言っているが。その証拠はあるのかな」

 千堂は話題を変えた。

「ありません。ほとんどが私の推理……。妄想です」

「聞かせてもらっても?」

「そうですね」顎に手を当てて何を話そうか考えているみたいだ。少しして、「千堂さん、あなたが家に帰って来た時には奥さんが死んでいた。そのことは間違いないでしょう。だけど、奥さんが亡くなってしまった原因は、あなたが事前に用意したものだった」

 千堂は黙って、楽しそうに聞いている。

「どうやったのかは……分かりません」

「確かに根拠がない。推理とも呼べないものだね」

「最初に言った通りです。これはあくまでも私の妄想。何もないんです」ただ、と探偵は声を残す。

「ただ?」

「あなたは人を殺さずに生きていけるような人間には見えない」

 千堂は手で口元を隠した。その下は激しく歪んで、他人に見せられるような形をしていないのだろう。人を喰う怪物がエサを見つけた時のように、千堂の瞳の奥にほんのわずかばかりの……赤く光る。小さなミミズが蠢いているようだった。

 マスクを外すまで探偵は千堂から目を離さない。探偵が今の千堂をどう思っているのか分からないけど、少なくとも目を離しちゃいけないことは確かだった。

「いや、すまない。キミの言っていることは正しいよ。えーと、光希さんだったね。本当に想像力が豊かだ」

「認めるんですね。奥さんを殺したこと……」

「ああ。私が殺した。殺さずにはいられなかったんだ」

「話してくれますか?」

「それは出来ない。したくないんだ。思い出を汚したくない。私の大切な思い出だ。キミにもわかるだろう?」

 これまで探偵に向けられていた視線に射抜かれる。

「喜葉くんがどうかしましたか?」探偵が言葉で遮った。「もしかして、彼が気になりますか?」

「いや、そこまでじゃないよ……」



     △△△



「他に聞きたいことはあるかな?」

 千堂はこれまでの緊張がウソのような気軽さでお茶をひと口飲んだ。

「それじゃあ『氷室』という男に心当たりはありませんか?」

「氷室……というと、キミたちが言っているのは氷室清司くんで間違いないかな」

「はい。私たちはその氷室という男の死体を見つけました」

 千堂は目をパチパチと光らせる。夜の猫が瞬きをしているみたいだった。

「神社村に行ったんだね……」

「はい」

「どうだった?」質問の意味が分からなかった。「あの死体を見たんだろう? それなら何かしらの疑問を持ったハズだ。だから今ここにいる。違うかね?」

「その通りです。ですが、それ以上にハッキリとさせたいことが……」

「氷室清司は私が殺した」

 その言葉にウソはない。なぜなら、千堂は満足そうに……幸せを恍惚と噛みしめるような桃色の表情に変わり、全身を甘く痺れさせていたのだから。

「あっさり認めちゃうんですね」

「可愛い女の子に問い詰められれば誰だって答えてしまうよ」それに。「キミたちに隠しても意味がないだろうと思ってね」

 軽薄な笑い声が響く。

 探偵も満足そうな顔をした。

「私たちが聞きたかったことはそれだけです」

 探偵が立ち上がろうとした瞬間、

「待ってくれ。私の方からも、もうひとつだけいいかな?」

 そう言うと千堂さんは雰囲気をがらりと変えて、またいっそう人殺しの色を強くする。探偵は一挙手一投足を見逃さないよう、まばたきをやめて、座布団に座った。

 準備が整うと、千堂さんは人を殺したことのなさそうな、柔らかな表情で言った。

「キミたちは人を殺さないのかい?」

 ちょっと遅れて探偵が聞き返す。

「私たちに人を殺せ、と言っているのですか?」

「その通り。キミたちは日記を読み、殺人許可証である日記を持っている。私に会いに来たのも殺人の話を聞き、人を殺すため、背中を押して欲しかったからだろう? だが、こうして向かい合って話をしているとキミたちは人を殺す気がないように感じる。一体何を怖がっているのか……それを教えて欲しいんだ」

「怖がっている。人を殺すことは怖い以前に、間違っていることでしょう」千堂さんと目が合う。「日記を持っているからといって、どうしてそれが人を殺す理由になるんです?」

 空気が凍って、やがて溶ける。

「……新太くん。それに可愛い探偵さん。キミたちは、人を殺してもいい。それが許されている。その素晴らしい事実にもっと目を向けるべきだ。欲望の解放と言い変えてもいい。勘違いしないでくれ。何も本気で人を殺せと言っているわけではないんだ。私はただ思い浮かべ欲しいだけだ。肉の脈打つ瞬間───人を殺すという美しさ───その鮮やかさを」

 そんなことが許されていいのだろうか? ただ日記を持っているだけで人を殺してもいいと、断言できるその強さはどこからくるのだろうか。

「それは日記に告白をしても許される事じゃない」探偵が語気を強める。「千堂さん……あなたは人を殺す理由を他人に求めたんですか?」

 刺すような視線が交差した。

 先に折れたのは千堂さんの方だった。

「はは。これは失礼。自惚れていた……どうか許してほしい」千堂さんが頭を下げる。「キミたちのきっかけになれたらと……夢を見てしまったんだ」

 意外だった。千堂さんは、探偵の言葉を詭弁だと一蹴すると思った。彼がどうして素直に探偵の言葉を受け取り、愛想笑いで手を振っているのか分からない。

「いえ、あなたはHERAから殺人のきっかけを貰ったみたいですから。そうなりたいのも理解できます」

「見透かされていると恥ずかしいな。笑ってもいいんだよ? 妻を殺してから随分と若返ったような気はしていたんだけど……。やっぱり齢には勝てないね」

 探偵は黙ったまま、言葉を待った。

「それはどうするのかな?」千堂さんは日記を指差す。「必要ないのなら私が預かっておこう。必要になるまでね」

 人を殺したら、人を殺したくなったら、いつでも取りにおいで───千堂さんは日記をただの殺人帳としか思っていないのだろう。あるいは、それ以外の使い道を知らない。夢を叶える方法は他にもあるかもしれないのに。

「追いかけようと思います」

 きょとんとした。千堂さんの頭が右に傾く。

「追いかけるって……。何を追いかけるんだい?」

「決まってるでしょ───」

 探偵の答えを聞いて、千堂さんは放り出すように笑った。嬉しそうだった。その笑いは千堂さんが呼吸を忘れるまで続いた。聞きたくもない川のせせらぎが嗚咽に変わり、涙になるとようやく冬の夜が終わった。

「またこの家を訪れることがあれば、キミたちは望む答えを手に入れるだろう」



     △△△



 危険な家からの帰り道。夕日の傾いた空を見上げて、ひっそり、人を殺してもいいという千堂さんの言葉を思い出していた。

「あの人、一度も私と目を合わせてくれなかった」

「そうだったの?」

「気づかなかったの? あの人、キミのことばっかり見てたんだよ」

「気づかなかった」

 探偵は不思議そうな顔だった。

「千堂は最初から喜葉くんを知っていたんだよ」

「あの人にはまだ秘密があるのかもしれない」とりあえず。「ケーキ食べに行こう」


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