9 暗闇の先で
逆転ストーリー 9
真っ暗闇だった。サマンサが体験したのは心底本物の暗闇で、その中でひとりかたかたと体を震わせているのが、彼女だった。
ここはどこなのだろうと思う余裕もない。
ただひたすらに寒く、サマンサは自分を抱き締めながら、必死にその場に留まっていようとしていた。
少し気が緩んだら、それだけでもう、その場にすらいられなくなる、そんな予感がしたのだ。
「どうして」
サマンサの口からこぼれだしたのは、そんな言葉だった。どうして、自分が、何も悪いこと何てしていないのに、こんな目に遭わなければならなかったのだろう。
そう思うと、とにかく苦しく、しかしサマンサは誰かに感情の矛先を向けられなかった。
必死に呼吸を繰り返す。それしか自分がすがれる物がないと言わんばかりに、サマンサは呼吸を繰り返した。
その時だった。
不意に、誰かの気配を感じたと思って顔を上げると、そこには見知った少女が目の前に立っていたのだ。
「サミー」
サマンサは相手の名前を呼んだ。サミー、つまりサミュアがそこに立っていたのだ。
その事実から、サマンサはここがどこなのかを、うっすらと察した。
そうか、ここはあの世なのか。
それか、あの世につながるどこかで、サミュアが迎えに来たのだろうと思ったのだ。
「サマンサ、ごめんなさい。こんなことになるなんて、私は夢にも思っていなかった」
「いいの、私もこういう事になる何て想像もしていませんでしたから」
「あなたを助けたかった、あなたを外で自由にさせたかった、なのに」
サミュアは悔しそうにそういった。本気で、サミュアはサマンサを外に逃がしたかったのだと、そんな言葉からも伝わってきて、それがうれしかった。
少なくとも、サミュアに嫌われている事はないからだ。
愛人の娘の出現により、両親からも姉からも嫌われたサマンサにとって、誰かに嫌われていないと言う事は、うれしい物だった。
「……サミー、あなたの両親には、きちんとあなたの手紙を渡すことが出来ました」
「ありがとう、その事は本当にありがとう。でもそれだけじゃだめだった、あなたに幸せになって欲しかったのに」
サミュアはそう言ってうつむいた。そしてしばらく時が流れ……彼女は顔を上げた。
「まだ間に合う。いいや、間に合わせる」
何か強い決意を秘めた声で、サミュアは言うと、サマンサの後ろの方角を指さした。
「サマンサ、あっちにひたすら走って、何が追いかけてきても、振り返らないで、とにかく走り続けて」
「え?」
「言う事を聞いて。とにかく、走って! 今すぐ!!」
何が何だかよくわからない。だがサミュアの声は強く、そしてサミュアの背後から、何かがやってくる気配を不意に感じて、サマンサは、サミュアをおいていけないと思った。
「だめです、サミュア。あなたを残してはいけない」
「残すも何もあった物ですか! あなたはまだ生き延びられる!! 私は死んだ! その違いは大きい!」
ただの事実だったが、サマンサは自分ももう死んだのではないのだろうかと、真剣に思った。
死んだサミュアと会話しているのだから、そんな気がしていたのだ。
だがどうやら違うらしい。
サミュアはいきなり、サマンサに石らしき堅い物を投げつけてきた。一体どこから拾い上げたのだ。
そんな事を思ったのは一瞬で、サミュアは本気でサマンサを石で打ちのめそうという気迫が感じられたので、痛いのはつらいサマンサは、走り出した。
その後はとにかく、必死に走って走って走り続けてそしてようやく、白く光る穴のような物の前まで走りきる事が出来た。
だがこの後がわからない。しかし。
暗闇ではない唯一の明かりがこの白い穴なのだから、そこに飛び込む事もおかしくないだろうと、暗闇に居続けたくなかったサマンサは考えて、その穴に飛び込んだのだった。
「……?」
「ああ、サマンサさん!!!」
サマンサが目を覚ますと、見知らぬ場所に寝かされていて、そして視界の自由がきかなかった。
暗闇のように感じられたのだが、どうやら顔を包帯で覆い尽くされているのだろう。
顔やまぶたに感じる軽い圧迫感から、サマンサはそう判断した。
そして、それでもサマンサの意識が戻ったとわかったのだろう。
ミシュアの安堵したような声が聞こえてきて、どうやら自分はぎりぎり助かったらしい、と言うのがわかった。
サマンサは大きく息を吐き出して、なんとか言葉を話そうとしたのだが、声が引っかかって上手く出てこなかった。
「サマンサさん、あなたの喉もかなりひどい損傷を負ったの。無理をして話さなくていいわ。あなたも、私達も、助かったのよ」
ミシュアがそう言い、サマンサは疑問が一つあった。自分を娘とごまかすのではなかったのか。
それとも、あの火事のどたばたで、その計画が頓挫したのか。
きっと頓挫したのだ、とサマンサは一人納得し、そしてまた眠気が襲ってきたので、また眠りについたのだった。
サマンサがまぶたの上の包帯を外す事が出来たのはその三日後で、その時点ではまだ喉が上手く動かず、話す事は叶わなかった。
そして、かなり顔も体もやけどを負ったのか、とにかく見える部分は皆包帯に覆われており、それを交換するのも二日に一回と、体液もかなりしみ出しているのだろう。
そんな事を漠然と思っていたサマンサだったが、見舞いに来たという見知らぬ男性が、そんな時に現れたのだ。
「久しぶりだな、サマンサ」
「……」
見知らぬ男性だった。やけに整った顔立ちの男性で、こんな男性と言葉を交わす機会があったのならば、記憶の片隅に引っかかっていそうなくらいに、特徴のある人だった。とにかく美しい男だった。
何より、額から鹿にも山羊にも羊にも見えない角が生えているという、なかなか際立った目印のある男性だった。
「……」
あなたは誰、という言葉も出せない。だが空気から察したのか、彼が微笑んだ。相手を安心させようとする微笑みだった。
「君にとっては初めましてになってしまっているのかも知れないな。私はロイ・ホプキンズ。君が鉱山で、足の捻挫の手当をした男だ」
残念な事に全く記憶になかった。誰かの手当何てしただろうか。記憶を探っても、答えらしい物は全然で出てこなかった。
そんな反応のサマンサに、彼が苦笑する。
「君にとってはとてもささやかな事だったんだろうな。だが私にとっては、ささやかではなかった事でもある」
「……」
そうなんですか、としか思いようがない。そして彼の目的は何なのだろうか。鉱山で手当てをしたと言う事は、この男性も罪人として鉱山にいたのだろうか。
鉱山から逃げ出したというのならば、こんなに余裕のある態度にはならないだろう。
そうなると……といくら考えても、答えとしてちょうどいい物は出てくる気配がなかった。
そうだ、ここはどこなのだろう。
サマンサは不意にそう思った。ミシュアもドナートも、助かってよかったといって、毎日様子を見に来てくれるし、時にはこの場所に来るお医者さんだろう人と意見を交換しているけれども、サマンサにここがどこなのかと言う、最も根本的な答えをくれてはいない。
このロイならば、答えを知っているだろうか。
この疑問よ、伝わってください、とサマンサが念を送っていると、やはり察しのいい人なのか、彼が言う。
「ここは鉱山のあった国の隣国の、竜族が頂点に君臨する大国、翼の国だ」
「!!」
サマンサはそれを聞いた事で心底驚いた。と言うのも、翼の国はとにかく大きく繁栄した国で、しかしサマンサの国とは百年と少し前の諍いのために、門を閉ざした国だったのだ。
以来何度も国交の回復を、サマンサの故国は願っていて、使者も送っているが、門前払いをされているとも聞いていた。
そんな、国交も断絶している国に、どうして連れてこられたのだろうか。
サマンサは頭の中が疑問ではち切れそうになったのだが、ロイは静かに言う。
「私は秘密裏に、君の故国の鉱山を調べていた。……そこに、無実の罪で捕らえられ、ひどい扱いを受けている我が国の姫君がいるという事が、わかったからだ」
サマンサは言葉を完全に失った。