5 予期せぬ出会い
馬車の中で、ずいぶんとぐっすり眠ってしまっていたようだった。
サマンサが目を覚ました時には、もうとっくに馬車は動き出しており、それどころか窓から見える景色は、鉱山の周辺から遠く離れたものだった。
あの鉱山の周囲は荒々しい岩山ばかりで、今サマンサが目にしているような、たくさんの緑の風景ではなかった。
鉱山に何ヶ月も、もしかしたら何年も閉じ込められて、そこで生き続けていた彼女でも、鉱山に連れて行かれた時の、外の光景をかすかに覚えていた。
その時は母と姉も同じ馬車に押し込められていて、二人は不運を嘆き、そして妻と妻の娘ではなくて、愛人の娘をとった夫であり父を呪っていた。
それを、サマンサはぼんやりとながらも覚えていた。
鉱山に入ってからの記憶は、彼女には過酷すぎたのか、思い出せる事が仕事内容以外ほとんど何もなかった。
鉱山の部屋で、誰と相部屋だったのかすら、サマンサの記憶からはすっぽ抜けていた。
それくらい、鉱山での生活は過酷極まりなかったのだ。
「……外です」
サマンサは窓の外を見つめて、小さな声で一人呟いた。
もうあの世界に戻らなくていい事は素晴らしくて、しかし、母と姉とともに出たかったという気持ちが、今更になってわいて出てきた。そういう他人の事を気にかける余裕が、やっと出てきたというまでの事だった。
今までは、自分の身を守り、生き続ける事で精一杯で、母や姉の事を思ったり悲しんだりする余裕が無かったのだ。
それは単なる真実で、サマンサが悪いと言う話ではない。
人間は、余裕がない時に誰かを気にかけると言う行動や思考を、とれない物なのだ。
「お母様も、お姉様も死んだ」
外を眺めながら、小さく小さく、サマンサは呟いた。
「私は、無実が証明された。……お父様が我に返ったのでしょうか」
サマンサだけが。無実だと証明されたのならば、それは父が介入しなければあり得ない。
何を思ってエリーゼが、サマンサまで断罪したのかわからない事も大きかった。
エリーゼは、サマンサに何度も何度も助けられていたはずで、サマンサの方に怒りや憎しみの矛先が向かわなかったら、もっとひどい扱いになっていて、死んでいた可能性すらあったのだ。
しかし現実として、エリーゼはサマンサも一緒くたにして王子様に罰してもらった。
それを撤回するとしたら、妻の娘がどっちも極悪人だというレッテルによって、自分の名誉に傷がつくはずの父以外にあり得ないだろうと、サマンサでも判断が出来たのだった。
「……この馬車は、私の故郷に送ってくださるという。それなら到着するのはルイン領のどこになるのでしょう」
ルイン領は小さな領地だ。男爵領の中でもなかなかの小ささであり、サマンサはそこで控えめな生活を送っていた。
王都の別邸で生活する際には、貴族の見栄と言うものが発生したので、本邸での暮らしより若干豪華だったわけだが。
「……考えていても仕方がありません。……目を閉じていたら、すぐに到着するのでしょうか」
サマンサはこれ以上推測する事すら疲れて、そっと目を閉じた。
安全な場所に帰れるのだから、早く帰って、母と姉の冥福を祈りたかった。謝りたかった。
「……君は」
「あなた方は……」
到着した町は、サマンサの知らない町だった。建築様式からして、ルイン領の様な小さく牧歌的な場所とは違っており、なかなか都会的な作りの建物がひしめき合う、ある種の秩序のある町だった。
そこで困惑しつつ、家族が待っているという家……こちらも驚いた事にサマンサの知っている自宅ではない……診療所に見える……の前に届けられたサマンサは、自分を送ってきた馬車が去って行き、角を曲がって見えなくなった事まで確認してから、息を大きく吸い込んで、ドアノブをたたいた。
すると、建物の中からばたばたとせわしない音が響いて、扉が大きく開き、涙で目を真っ赤にした男性と、それからすぐに続いた女性を前にする事になったのだ。
どちらも、サマンサの両親どころか、親戚ですらない。見覚えが全くないのだから。
サマンサの家は、一年に一度、一族で大集合するという慣例があった。
そのため、親戚縁者の顔は大体覚えいたサマンサでも、見覚えのない二人だった。
「……今日は、私たちの娘が帰ってくる日だったのだが」
男性はそう呟き、サマンサの鉱山で汚れに汚れた姿を見て、こう言った。
「今日は休診日にしたんだが、君はよほどひどい環境で過ごしていたようだね。お代は後払いで、見てあげよう。私たちのサミュアだって、きっとそういう両親でいて欲しいはずだからな」
「……さみゅあ?」
サマンサはその名前に聞き覚えがあって、その名前を繰り返した。
「さみゅあ……さみゅあ……サミー」
「!? 君はサミュアの愛称を知っているのかい?」
「……」
聞き覚えがあったから名前を繰り返し、その名前となんとなく紐付いている愛称を呼んだ途端に、医者らしい二人の目が見開かれた。
「詳しい話を聞かせてもらいたい。中に入ってくれないか」
「……はい」
サマンサはどうにかして、サミーの事を思い出したかったのだが、上手く頭が働かなくて、思い出す事が出来なかったのだった。
「君はサミュアを知っているのかい」
「……名前に聞き覚えがあります。……どこでだったのか……上手く思い出せないのですが」
「……君は口調がとても丁寧だね。その身なりでその口調はあまりにも落差が激しい……」
サマンサの口調が、ぼろぼろの見た目にそぐわない丁寧で落ち着いた物だからか、医者の二人はサマンサを診療所の椅子に座らせて、小さな卓に暖かい飴湯を入れてくれた。
サマンサはそれを口にして、サミュアという誰かの事を思い出そうとしたのだが、なかなか上手くいかなかった。
鉱山での生活は、サマンサを思った以上に蝕んでいたのだ。
サマンサはそこで、頭を下げた。
「申し訳ありません……」
「いいんだ。君の身なりから察するに、君の生活が過酷だった事はうかがえる」
「私たちのサミュアは、鉱山で無事だったかしら……」
鉱山、サミュア。無事。
サマンサはそこで、はっとした。
そして、勢いよく立ち上がり、大急ぎでぼろぼろの靴を脱いだ。
そして、その靴の中に隠していた紙を、彼等に差し出した。
「思い出しました。私は、サミーから手紙を預かっていたんです」
「!?」
これにサミュアの両親の顔色が変わる。
そしてサマンサから手紙を受け取ると、二人で広げて、それを読んだ。
上から下まで読んだ後に……彼等は顔を覆った。
「何てことだ……もうサミュアは……生きて……」
「手紙をたくすので限界だったなんて……ああ神様……どうして……」
「いや、待ってくれ。……お嬢さん、サミュアからどうしてこの手紙を受け取れたんだ?」
「……実は」
サマンサはそこで、そのサミュアからの手紙を受け取った経緯を、彼等に話し出したのだった。