1.追い出されデボラ
第三部始まりました! 誤字修正かけました!
「たすけてください……」
家の前にいた、血の気の引いた顔で、真っ青な唇で、ぶるぶると外の寒さに震えていた可憐な女の子を助けた。
人為的に壊されたブローチ、しくしくと泣く女の子、最悪の仇をにらむ顔を向けてくる王子様。
「ハルピュイア侯爵令嬢を連れ去り、使用人として扱うとは何という不届き者だ! 今すぐにその首を切り落としてくれよう、妾の娘風情が!!」
王子様が大声で怒鳴る。色々な物が大間違いで、それを訂正できる彼女は、しくしくと泣いているだけであたしを助ける言葉を一言も発さない。
「王子様」
だからあたしはこの場で一番冷静であれるように、と呼吸を繰り返してこう言った。
「全てが大きな間違いでございます。理由をお聞きくださいませ」
「庶民の妾の子供風情が、この私に物を申すな!」
王子様が抜刀する。そこで父が前に出て膝をつき、必死の声でこう言った。
「殿下、お待ちください! デボラはマリアをさらうような真似をする娘ではございません! 何かの大きな間違いがあるのです! デボラの言葉をお聞きください!」
「侯爵! 妾の子供にたぶらかされたか! ではお前もその首をたたき切ってくれよう! 跡取りであるマリアではなく、妾の子供を優先する侯爵など、存在している方が害悪だ!!」
「父様!!」
父があたしをかばって前に出て、しかし王子様にその言葉が届かない。この場で王子様を止める人が誰もいない。激情家の王子様が、剣を抜刀して父に斬りかかる。
あかいいろが、あかいいいろが。
ぱっと散って、父がぐらりと倒れた。……そしてあたしを見て、こういう。
「……お前はそんなことをしないと、父様はよく知っている」
それが、父の最後の言葉となった。首を深く切り裂かれた父は、その場で亡くなってしまったのだ。
「……!!!!」
あたしはそこで目を覚ました。もう日も高く昇っていて、時間はいまいちわからない。
庶民にも流通する様になって久しい、からくり式の置き時計を見ると、もう正午近くになっていた。
「……夢か」
あたしはまだ震える手をぎゅっと握って、呼吸を落ち着かせて、窓の外を眺めた。
……窓と言っても、ガラスもはめ込まれていないし、窓枠もほとんど壊れて、穴みたいな場所だけれども、十分に外を見る事が出来ると言うだけで、それは窓という事になる。
「……もう三ヶ月にもなるのか」
あたしが、虐げられていた義妹をかばって、父もろとも断罪されて、この領地の外れに追いやられてから、それくらいの月日が経過していた。
あたしはそれなりに豊かな領地をいくつも抱えた、ハルピュイア侯爵の妾の娘だった。
母は売れっ子の旅の歌姫で、父が歌をたいそう気に入ってお抱えにして、いつしか妾になったのだと聞いている。
父は母をとても大事にしていて、だから娘のあたしの事も大事にしてくれた。
母が父の正妻に何かされないように、顔を合わせないように、違う街の別宅で生活できるように手配してくれたり、あたしに庶民としては十分な教育がされるようにしてくれたりした。
あたしはだから庶民の学校で学んだし、なんなら庶民の高等学校まで進む事が経済的に許されていたから、ありがたく進んだ。
母は父の妾だったけれども、歌う事が大好きだったから、近くの楽団でも歌を披露していた。
それは平和な生活だった。母は身の程を知っていたから、侯爵夫人に成り代わるなんて考えもしなかった様子だったし、あたしは学があれば、ある程度までは生きる道が増えると知っていた。だから満足していたのだ。
しかし、侯爵の本宅は、修羅場が日常的だったらしい。
侯爵には先妻との間に、あたしの一つ下の年齢の娘がいた。この子が跡取り娘のマリアだ。
そして早くに先妻が亡くなったから、周囲にせっつかれて後妻を迎えて、この後妻にも連れ子のユリアがいた。
マリアとユリアは目の色が青と緑という違いはあっても、どっちも大変に美しい少女だったから、ユリアの方がマリアを、何かといじめるようになったらしい。
マリアの大事な物は軒並み、ちょうだい、というユリアの言葉で持って行かれて、優先されるのは跡取りのマリアではなく、家の中で権力を振るう後妻の娘のユリアだった。
だからマリアはまともに食事もさせてもらえなければ、日常的に地下室に閉じ込められて折檻を受け、どんどん美貌は衰えていき、使用人達の態度も奥様のご意向に合わせた、適当かつ雑な物に変わっていったそうだ。
とうとう食事も用意されなければ、清潔な衣類も与えられなくなり、とどめに具合を悪くしても誰も対処しないと言う事になって、命の危機を感じたマリアは……逃げ出す場所として、うちを頼ったのだ。
そのマリアいじめの間、父が何をしていたのかというと、父は王都の議会であれこれしていて、長きにわたる王位継承権問題にまで巻き込まれて、数年もの間、妻と娘達のいる領地に戻ってこられていなかった。
そして妻や娘との手紙のやりとりはしていたけれども、マリアの手紙は偽装されていて、異変に気づけるわけがなかったのだ。
何よりマリアは、後妻やユリア達とは違い、個人で、父に現状を訴えるための手紙を送れるだけの代金も、方法もなくて、死ぬかもしれないと最後頼ったのが、別の街に暮らしていた母とあたしだった。
マリアは着の身着のまま、かろうじて残っていたあまり価値のない宝石をなんとか売って、うちまで逃げてきた。
「お母様やユリアに、居場所を知られたくないのです……!」
と痩せ細ってガリガリの女の子が泣きじゃくるから、あたしも母も彼女をかくまう事に決めて、彼女が何者か誰にも悟られないようにと知恵を働かせて、とりあえず彼女が回復する事を第一にした。
彼女の頬がまろやかになるくらいになったら、外に出る時は目くらましのために、うちの使用人の衣装を着せた。人目につく時間帯は、使用人の服を着て、侯爵夫人やユリアに見つからないように気を配った。
「こういう目に遭って……今度こそ殺されてしまいます……!!」
と血の気の引いた顔で、倒れそうな雰囲気で家においてほしいと頼んだ、マリアを信じた結果だった。
母が侯爵家にいる知り合いの使用人達から、ある程度の本宅の情報を聞いていた事も決定打になって、二人でマリアをかくまったのだ。
「本宅に私も入っていたら、マリアさんと同じような目に遭っていたかもしれないもの。自分がそうだったかもしれないのだから、助けるのは当たり前よ、デボラ」
母はそう言ってくれて、……そんな母は、マリアが回復するのと反比例して病気がちになって、ついに倒れてそのまま天国に旅立ってしまった。
残されたのはあたしとマリアと数名いる使用人で、母の葬式には父が仕事の関係で来られなかった事を、あたしは仕方がない事だと受け入れた。
妾の葬式に来るというのは、時に醜聞になったからだ。
そして、マリアの今後をどうするかという問題が立ち上がった初夏。それから夏中、頭を悩ませていたあたしは、マリアが使用人の姿で街にでて、近くの避暑地に滞在していた王子様と、美貌のマリアが恋に落ちた事何て知らなかった。
王子様はマリアの事情に同情して、そして怒って、うちに兵士をたくさん差し向けた。
訳のわからないあたしは、そのまま侯爵家本宅まで引きずられていって……マリアを言いくるめてさらって、あまつさえ使用人の身分に落とした極悪人、という肩書きがいつの間にかできあがっていた。
あたしの性格を知っている父が庇おうとしてくれたけれども、切り捨てられて……侯爵家の権力は侯爵夫人のユリアの母のものになり、処刑はしなくて良いという事になって、領地のとてもへんぴな場所にある、別荘に追いやられたのだった。
……それが、三ヶ月前の話。秋の頃の話でもある。
侯爵夫人は、あたしを生かす事で、何かうまみがあったのだろうかと思うけれども、妾の子供とは言え侯爵の血を引く娘が、死罪になるのはユリアの結婚に不利になるという計算が、きっと働いたのだろう。
死罪になる関係者がいるというのは、結婚にとってかなりの不利になる。
侯爵の父が斬り殺されたのは、死罪ではなく王子の怒りの鉄槌という事で、若干系統が違うのであろう。
それに、連れ子のユリアは侯爵家の血筋ではないから、侯爵が切り捨てられても、それが疵になるのは、王子様に愛されるマリアの方ってのも、きっと大きかったに、違いなかった。




