14. 遠い所で 第二部(完)
それからと言うのも、しばらくは気をつけなければならないとツカイは言い切った。
「どこであんたの素性を聞きつけたやつがいるか、しれないからね」
用心に越したことは無いのだとヘンリエッタに言うツカイは真顔で、なるほど巨万の富は人を狂わせるというのだからその用心は必要な物に違いなかった。
だが、これからあまたの思惑を持った銀の髪の少女が、財宝を求めてあちらに大挙して押し寄せるのだからこそ、個々で隠れ住むことを選んだヘンリエッタが、本物であると気付くこともないのでは無かろうか、とヘンリエッタは思ったのだ。
それもまた事実であるだろうが、ツカイは世間が見えている女性なので、従った方がいいのは間違いが無かった。
「おちびちゃん、どこか外に行きたくなったら、おいらを見つけて声かけてくれよ、海の上だったらどこにだって、おいらはおちびちゃんを遊びに連れて行けるからな」
にこにこと、強面だが人のいい笑顔を浮かべて言い切る、そんなハイザメはヘンリエッタにそう言って周囲の女性達は
「ハイザメはおちびちゃんがお気に入りね」
「ギンガイちゃん、ハイザメの周囲にいないタイプの女の子だし」
「ギンガイちゃんは、ハイザメを見てうれしそうに笑うし」
「お互いにうれしそうに笑い合うっていいわよね」
などと話していた。ヘンリエッタは、男女別の集落で暮らすことが当たり前、と言う魚の民の生活習慣のために、滅多にハイザメ以外の魚の民の男性に会わないのだが、本当を言うとハイザメも、女性の集落にあまり顔を出してはいけないらしかった。
「成人したら、家から男は外に追い出されるんだけど、おいらが一番料理上手だから、根気のいる仕事を頑張ってる女の人達に、おいしい物食わせるってわけで、おいらこっちに通ってんだよなあ」
と言うのが理由であるらしい。女性達はたしかに、小さな真珠や海宝石の選別などを行ったり、細かい細工を行ったりしているので、いたわりが必要なことと思われるのも、納得がいくものだった。
外に対する交易の品物を、価値のある状態に持って行っているのが、女性達なのだから女性が強いのも道理なのかもしれなかった。
ヘンリエッタはそんな女性達の中で、同じように働いて同じように生活を行い、少しずつ少しずつ、できないことが出来るようになっていた。
それはとても素晴らしい進歩であり、毎日がいきいきとして暮らしていけると思っていたそんなある日のことだった。
「ハイザメ、あんた今年は発情期に出て行くの」
「いかねえ。どうせおいら、これはっていう女の人に出会わねえし。こっちでおとなしくおちびちゃんとお留守番してらあ」
「あんたがそれでいいなら、あたし達どうこう言わないけどね。所帯を持たないあんたなら、使いやすくて結構だし」
「言ってろ言ってろ」
ケタケタ笑いながらの会話で、ヘンリエッタはこれからの間、仕事を休んで魚の民達が、おのおのの相手を見つけるために、発情期にのみ上陸する島に向かう季節になったのだと知った。
「私は邪魔ではありませんか」
「邪魔なわけが無いじゃ無い。あなたは仕事も真面目にやるし、気持ちのいい子だし、やっとあの痩せぎすの体から、普通くらいまで肉がついたんだから」
「そうですか」
ヘンリエッタは誰も自分の素性を気にしないので、これが当たり前のような気がして毎日を過ごしていた。
それに、風の噂で、亡国の姫の忘れ形見が発見されて、その女性に財産が相続されたことも聞いたし、ヘンリエッタが島流しになる元凶であったヴィオレットが、その女性をいじめ抜いた結果、幽閉されてしまい、その母親のマリーゴールドのほうは、前の第三王妃を毒殺したことが露見し、ただではすまなくなって、彼女の方も王妃の身分から引きずり落とされて、日陰者にされたと聞いていた。
「幸せになることが復讐になるとは思いませんが……人に罪を着せた人間は、自業自得になる物なのですね」
女性達のほとんどが、島に向かった夜、ヘンリエッタはハイザメと食事をしながらそういった。
「おちびちゃんは、今が嫌いか?」
「いいえ、とても幸せです。あの時ハイザメ様を信じて本当に良かったと思っております」
「じゃあ、何度も言うけどおいらのこと、ハイザメ様っていわないでくれよ」
けらけらと笑う魚の民は、どこまでも明るく、ヘンリエッタは幸せな気持ちになってこう言った。
「私の名前は、ヘンリエッタというのですよ」
それにハイザメが目を剥いて驚いて固まるまで、あと一分であった。




