12.転機か、否か
海の上の小さな島。この場所での一日は、自分の暮らしていた世界と大違いで、とても穏やかな様に感じられていた。
ヘンリエッタはそんなことを思っていた。
魚の民の暮らす島はいくつも存在し、大体において島一つが村一つ分の規模のようだった。
そして、村同士で海を渡り交易を行ったりして、おのおのの必要な物を手に入れている様子だった。
「海を渡るのは魚の民にとって、子供の頃からの当たり前なんだぜ」
ハイザメはそう言って、ヘンリエッタをつれてあちこちに渡りたがった。
「あなたは、料理人なのに、お屋敷に留まらないのですね」
「留まってたら母ちゃんに、お前もっと働けって尻をぶたれてるぜ。母ちゃんはおいらに、もっとあちこちを見て回って、お前の目で利益になりそうな物を探してこい、っていうんだ」
「ツカイさんは、自分ではよそに行かないのですか?」
「母ちゃんは前に、ほかの島に来ていた奴にめちゃくちゃ求婚されて、辟易しちまったんだってよ。時期じゃ無いのに五回くらいそんなのがあって、切れて手当たり次第にそう言う言い寄ってくるやつぶちのめして、大問題になったって言ってた。だから母ちゃん、組合から島から出るなって言われちまった」
「激しい気性なのでしょうか」
「おちびちゃんも、ほかの島に遊びに行くたびに、自分の都合なんてお構いなしに口説かれて、仕事にならないってことになったら、さすがにいやになっちまうと思うぜ。おいらだったら一人目の時点で海に投げ落とす」
「ハイザメの場合は、女性を海に投げ落とすのですか?」
「優しいだろ。海に投げるなんて、布団の上に投げるのと一緒だぜ」
それは魚の民の感覚なのだろう。ヘンリエッタは彼等のように惚れ惚れするほどの見事さでは泳げないので、海に投げられたら死んでしまうかもしれないと思った。
「母ちゃん、ちょうど末っ子子育て中で、義父さんと大喧嘩しまくっててかりかりしていた時に、そう言う言い寄られかたしてたってのもでかいよなあ」
けっけっけ、とハイザメは笑っているが、確かに、子供を育てている忙しいさなかに、仕事だというのに仕事にならないほど話しかけられたりしていたら、怒りたくなるのもさもありなんということになりそうだった。
ツカイに話しかける時は、顔色をちゃんと見なければいけないだろう。
それをしないのが、きっと空気を読まないと女性達に言われている、目の前の魚の民なのだろうが。
「まー、母ちゃん、おいらの子育てが一番雑だったらしいけど」
「そうなのですか」
「母ちゃんめっちゃ雑に適当に育てたら、おいらみたいなのが出来上がっちまったから、反省して下の二人はもっと真面目に育てたんだよ。でも母ちゃん、真面目に育てるのに苦労してたから、イライラしてただろうよ。おいらは離乳食とか無かったけど、下の二人は離乳食とか泳ぎ方の訓練の教室とか通ってたからな」
「ハイザメはそれに対して、何も思わなかったのでしょうか」
「思うって言ったって、母ちゃんの目が届かねえから、もう遊び放題でそこそこ楽しかったぜ。下の二人には、しょっちゅう兄ちゃんいいなあ、また遊びに行くの、俺達お稽古、って言われてたし」
「放置されていたのですか?」
「母ちゃんは子供を放置しねえって。ただおいらの方が、母ちゃんの目を盗んで、魚と泳ぎ回ってたり、海の宝探しをかいぞくのおっちゃん達相手にお小遣い稼ぎしてたりしてただけ。問題になることしてるってなったら、ばれた瞬間に母ちゃんにつるし上げられて、大目玉食らって反省して、の繰り返しだったぜ」
ハイザメは、弟達は丁寧に育てられて、自分はそうでは無かったことを、喜んでいるような口ぶりだった。相当に楽しい思い出のある子供時代だったのだろう。
ヘンリエッタには、子供時代の楽しい思い出という物がすり切れて思い出せないほど遠いので、彼のその記憶を思うだけで、にんまりとつり上がる様な楽しさは共感が出来なかった。
「ま、下の二人はきっちり育てられてっから、書類仕事もちゃんとやるし、陸の人間とまともに取引するし、おいらとは畑違いの大違いに育ったわけだ。うんうん」
彼が陽気におしゃべりをしたり、ヘンリエッタに筏の使い方を教えている間に、隣の島が見えてきた。
ここにヘンリエッタを彼が連れてきたのにはわけがあり、この島には陸から移住してきた人々が暮らす集落があるのだ。
たまには陸の人間との会話だってしたいんじゃ無いか、陸の人間特有の必要な物を、ヘンリエッタも必要としているのでは無いか。
だがお使いを頼まれても、ちゃんとした物かどうかわからない。
そういったこともあり、あちこちを飛び回るハイザメが、こうしてヘンリエッタを案内したわけだったのであった。




