11.ネタになる男
女性達はあっと言う間に真珠や海宝石を片付けて、鍵のかかる箱の中に色や大きさそのほかの格付けされた状態で詰め込んでいき、箱自体もそうそう動かせないように固定してしまった。
「まあ、このあたりで盗みに入る奴は滅多にいないし、いたらハイザメがこてんぱんにしちゃうから、そうそうそんな輩はいないんだけどね、用心はしておくのよ。外の世界だと、真珠も海宝石も貴重みたいだからね」
そう言って教えてくれた女性は、ヘンリエッタを手招きして言う。
「あなたもご飯よ。ハイザメの料理はとってもおいしいわよ。うちで私が作るよりずっとおいしいのが悔しいわよね」
「そんな事言ったって、料理だけにたっぷり時間を使える専属料理人のハイザメと、そう言う仕事じゃ無いあなたを比べてどうするのよ」
「やだそうだったわ!」
女性達は賑やかに、しかしヘンリエッタが疎外感を感じない絶妙な呼吸で言い合い、ヘンリエッタがおずおずと彼女達の脇に近付くと、草で編んだ敷物を用意してくれた。
「このあたりではこう言った物が、お尻に敷く物よ。どう?」
「……どう、と申されますと?」
「陸の敷物とどっちが好きっていう、単純な興味よ。あなたがいいところのお嬢さんなのはわかっているし、そういった所の子って、私達気になっちゃうの」
「……どうお伝えすればいいのかわかりませんが、私は敷物の上に座らせていただいた事が、もう何年もないものですので……好き嫌いを問われても」
ヘンリエッタの戸惑った声とその中身を聞いた女性達は、悪い事を聞いてしまった、と言う申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんなさい、あなたにそんな事情があったなんて思わなかったわ」
「てっきりハイザメが、海で溺れていた陸の人を、また拾ってきたんだとばかり」
「そうじゃなさそうね」
「お気になさらないでください、私の方もあまり、詳しい話をしないのですから、皆さんが私の事情を知らないのは当然です」
「そうは言っても、嫌な事をたくさん思い出させる様な真似は、しちゃいけないでしょう?」
「当然の配慮よ」
そんな事を彼女達が言っている間に、女性の物とは考えにくい、体重の重い足音が近付いてきて、部屋の入り口の布地が持ち上げられたと思うと、ハイザメがひょいと首を出した。
「おちびちゃんいじめんなよ。飯出来たからどんどん運んでくるぜ」
「いじめてないわよ! こんな痩せ細った魚の骨みたいな女の子をいじめる性悪、ここにはいないわよ!」
「あんたみたいにデリカシーってものが無い男と一緒にしないで!」
「ツカイさんに言いつけるわよ!」
一対複数の言い合いは、どこかじゃれ合いのような響きであり、ヘンリエッタでも彼等が険悪な言い争いをしているわけではないとすぐにわかった。
そして、運んでくるといったハイザメがいったん外に戻ると、その後は食事を運ぶ手伝いをしているのだろうか、簡単な箱に詰められた料理が、次々と運ばれてきたのであった。
「この箱の中身を、取り分けのための大さじとかで自分の分をよそうのよ」
「陸だとバイキング方式って言うわよね」
「かいぞくの人を食事に招いた時に言っていたわね」
「お貴族様は一枚一枚盛り付けられたお皿が出てくるって言ってたわ、洗い物が多くて大変よね」
「食べたい分だって食べられないじゃない」
用意された食事を、女性達は楽しそうに取り分けて食べ始める。やはり手づかみなのだが、どうしても優雅な動きにしか見えないので、これが本物の手で食事をする人達の洗練された動きなのだ、とヘンリエッタは感動した。
手づかみは野蛮だのと国では言われていたのだが、それは手づかみの作法も何も無い、ただむさぼるだけの仕草だからだったのだ。
事実、彼女達の指の動きはとても美しくて、それはハイザメにも通じるものがあったのだった。
ヘンリエッタも彼女達を見よう見まねで真似をして、指で食べ物をつまんでいくのだが、慣れない動きと言う事もあり、うまく一口分もつまめない。
だがそんな陸の少女を、誰も笑わないし、とやかく言わないのだ。
「大丈夫? ハイザメに言って、おさじ持ってきてもらう?」
「あなた、食器で食べていた身分でしょう? 陸のいいところのお嬢さんは食器で食べるって聞いてるわ」
「もしもうまくつまめないっていうなら、ゆっくり地道に食べ進めればいいのよ」
女性達の優しさと気遣いは、そういった物に長い間触れられなかったヘンリエッタにとって、ただ暖かい物だった。
「皆様がこういう形でいただいているのですから、これが正しいいただき方でしょう。私は皆様に習いたいと思うのです」
「そっか、じゃあ基本から教えるとするかね」
ヘンリエッタの返答に、さらりと答えたのはツカイで、ツカイは自分が食事をしていた席から立ち上がると、ヘンリエッタの脇に座り、数秒考えた後にそうだ、と言った。
「ハイザメに教えさせよう。あいつは食事の作法だけは人一倍きれいだからね」
「見た目に反して」
「言動に反して」
女性達もハイザメの食事作法が美しいと言う事を否定しないので、それは魚の民にとっての単なる事実なのだろう。
ヘンリエッタが答えるまもなく、ツカイは指笛を鳴らした。
それは特定の人物に呼びかける音だった様子で、程なくハイザメが、女しかいない食事の場に現れたのだ。
「なんだよ母ちゃん」
「この子に指で食べる作法を教えてやんな。あんたはよちよち歩きのおちびちゃんにだって、一年でまっとうな食べ方を教えられるんだから」
「ここ女の人達の飯の場だろ、おいらいていいのかよ」
「特例だよ、後で皆に自慢でもすりゃいいんだ」
「やーだよ。ま、でもおいらがおちびちゃん連れてきてんだから、そういうの教えるのはおいらが責任は持たないとな! 母ちゃんそこ座る隙間空けてくれ」
「はいはい」
彼等の会話から、ヘンリエッタは男女で食事の場を分ける事が、魚の民の作法なのだという事を知ったのだった。
そして、その特例としてハイザメが、ヘンリエッタの脇に座り、五本指のどこでどう食べ物をつかみ、口に持って行き、どういう形状の物が、どう食べるのが適切かと言う話を、目の前で実例を見せながら教えてくれたのだった。
だが一度で覚えられるわけも無い。何しろ食器をほとんど使用しないと言う経験が無いのだから。
それでも、なんとか一口分は口に入れられるようになると、ハイザメはニコニコと笑った。
「おちびちゃんは物覚えが早いなあ、おいらそこまでたどり着くのに一週間かかった気がするぜ」
「あんたは食事作法を教える時に、途中で走り回ったりして、お尻を叩かれまくってたせいだって聞いてるわよ」
「母ちゃん、そんな赤っ恥皆の前で大声で喋るなよ!」
母の暴露にハイザメが吠え、一斉に笑いがあたりに響き渡った事で、そんなやりとりも日常なのだろう、と言う事はヘンリエッタにもわかった。
だが、ハイザメは不愉快では無いのだろうか。
そう思ったヘンリエッタは、口を開いた。
「皆様、ハイザメに対してあまりにも言い過ぎではありませんか?」
「おちびちゃん、おいらの事気にしてくれるのかよ、いい子すぎねえ? でも大丈夫だ! おいら別に、腹が立つわけでも、泣きたいわけでもねえから。ちょっと恥ずかしいだけで」
「不愉快に思われないのですか?」
「思わない思わない。こんなのおいらと女衆のふざけあいとじゃれ合いだし。おいらこの家で一番からかわれるネタが多いから、こんなの日常日常」
……どうやらハイザメは言われる事に対して、不愉快では無い様子だった。
本人が気にしていないなら、それでいいのかもしれない。ヘンリエッタはそれ以上は言わず、ゆっくりと食事をする事になったのであった。




