9. 異郷
このあたりはあまり、気温が変動しない海域であるのかもしれない。建物の作りは簡素で、風がよく通る仕上がりになっているように思えた。
それはヘンリエッタには心許ない様な気がする簡単さだった。
扉という物が無く、出入り口にわらのようなもので作った布に似たものが一枚かかっているばかりなのだから、その感覚も理解できるだろう。
周囲の中でも一番大きい建物の中に入ったツカイが、中にいた複数の魚の民に声をかける。
「今日からしばらくうちで世話するギンガイちゃんだよ! あたしも色々教えるけど、あんた達も手伝ってね!」
ギンガイ、と言うのは誰だろうと思ったヘンリエッタであるが、状況と消去法として、自分の事であるらしいと気がつけた。
頭髪の銀色に、貝という海にちなんだ物をつなぎ合わせた通り名なのだろうか。
こんなにもあっさりと通り名が決まる事に、ヘンリエッタは驚いたものの、中で何かをより分けていた魚の民の女性と思われる人々は、顔を上げてにっこりと笑って手を振った。
「ようこそ! ここは真珠と海宝石の屋敷よ」
「陸の子なんてめずらしいわぁ。ようこそ。歓迎するわよ」
「陸のはやりの話が聞きたいわ。陸は私達と流行が大違いだから」
彼女達は友好的にそう言い、敵意や悪意といった物がない。
こんなにもあっさりと受け入れられていいのだろうか、とさすがに困惑したヘンリエッタであるものの、ツカイが言う。
「私達魚の民は、海で出会った行く当ての無い子を、広く迎え入れる種族なのさ。海で困ってんだからね」
「そんなにも簡単でよろしいのでしょうか」
「いいのいいの。だいたい、あの馬鹿だけど善悪だけは鼻がきくハイザメが連れてきてんだ、よっぽどギンガイちゃんが隠すのがうまいって訳じゃなければ、あんた善人の方だよ」
「……それほど、ハイザメを信じているのですか」
「ハイザメは間違えない」
「え?」
自信たっぷりと言うよりも、確信に満ちた声でツカイが言う。それは神の言葉を告げる巫女の言葉に等しいほど重たかった。
それに圧倒されたヘンリエッタは、それ以上自分を疑う事をすすめられる訳がなかったのだった。
「今日は慣れないいかだに乗り続けて、疲れているだろう? ハイザメがおいしい物をたんとこしらえてくれるから、こっちで私達の仕事を見学しているといい。明日からはあんたにも多少は手伝ってもらうからね」
ツカイの言葉は決定された物であるらしく、ツカイは一人、床に直に座って書き物をする机に座ると、何かを書き始めた。
自分は誰の仕事を見学していればいいのだろうか、と思ったヘンリエッタだが、一人の自分とさほど年齢の変わらない女性が手招きしてきたので、そちらに近寄って、邪魔にならないように注意して座った。
「あなた方は、一体どのような仕事をしていらっしゃるのですか?」
「私達は、真珠の粒や形をより分けているの。それからあっちで作業している人達は、海宝石を色と形と透明度でよりわけているのよ。女が多いのは、手が小さい分粒をつまみやすいっていう作業的な問題ね。男は海から材料をとってきて、真珠貝を養殖するのもいれば、天然物をとってくるのもいるわね」
「……真珠は見た事がありますが、こんなにもたくさん、色々な大きさがあるとは思いもしませんでした」
喋りながらもふるいやざるや、そのほか様々な物をつかって真珠をより分けている女性達の間で、ヘンリエッタは自分の見ていた世界の狭さを知った気がした。
彼女達はとてもたくさんの真珠を、とにかくより分け続けている。
ヘンリエッタは、大粒の真円に近い物しか見た事がなかった。大粒で真円に近い真珠は王国の女性達にもてはやされていたし、その白くて虹色に輝く様から、乙女の純潔を象徴する宝石として、若い女性達は結婚前の出会いの場でも、公式の場面でも真珠をつけたがる。
そのためヘンリエッタは、真珠という物はそれなりに大きくて、丸いものだとばかり思っていたのだ。
だが、彼女達のより分ける物は、そんなヘンリエッタの思い込みを否定していく。
「いろんな形があるのですね」
「あるわよ。貝が体の中に異物を飲み込んでしまった時に、体が傷つかないようにうすい膜を幾重にも重ねて、真珠っていうものになるんだから」
「真珠は貝の作った物だったのですか」
「そうよ。海でとれる事くらいは知っていた?」
「海の特産物なので、網でとれるものなのだとばかり」
「あらあら。じゃあ一つ賢くなったわね。真珠は真珠貝の中で時間をかけて作られていくのよ。大粒であればあるほど、時間が必要ね。それか養殖で大きな核を入れて作るか」
「……そうだったのですね」
「落ち込まないでよ。知らない人は一生知らないわ」
「陸で真珠に縁の無い子だったら、何も知らないで話しか聞いた事ないんじゃない?」
「あなたはどんな真珠を見てきたの? どこで?」
「私達、陸でどう使われているかあんまり知らないのよ」
「私の暮らしていた国では……大きくて、真円に近い物だけが貴族に出回っていました、若い乙女は真珠をつける事が公式の場面では多かったです」
「……あなたもしかして、いいところのお嬢様だった?」
「まああなたがどうしてここに来る事になったのかは聞かないわ。話したかったら話してね」
「……気にならないのですか?」
「気になっても、あなたが話したくない事を無理矢理聞き出すのは、いやね。私達がされたくない事を、あなたに強いるのはね」
「それに、ハイザメがここまで連れてきてるんでしょう? ハイザメが連れてきた子が、極悪人だったなんてあり得なさそうだもの」
またハイザメの人を見る目が信じられている。あの男性はよほど人を見抜くのだろう、と言うことだけはわかったヘンリエッタだった。
そして彼女は、女性達のおしゃべりを聞きながら、しばらくのあいだ真珠をより分ける作業を見学していたのだった。




