7.異種というもの
「海の民はこんないかだで簡単に海を渡るのですね」
「荷物が多い時だけな。荷物なけりゃ泳いで泳いで目的地に行く。船より速いぜ」
「ならば、ハイザメは荷物を持ち出すほど長期間、この島にいる予定でいたのですか」
「母ちゃんの怒りが落ち着くまでは。でもおちびちゃんはこの島より、まだ誰かがいる村とか町の方がずっといいだろ。話し相手がおいらだけじゃ飽きちまうよ」
ハイザメはたいした事でもないという調子でそう言い、ヘンリエッタは揺れるいかだで海面を見つめていた。
こんな形で島を出て良かったのだろうかと思ったが、この先彼女の事を確認するために、誰かがやってくる事はほとんど無い。
少なくとも五年は。
島流しになった人間を確認するのは五年に一度と規定されており、死亡が確認されたら骨を適当に島に埋めておしまいなのだと、ヘンリエッタは島に渡る際に聞かされていた。
それを言った兵士達は、頭の悪い出しゃばりの女を脅して、絶望させるつもりだったのだろう。
だがそう知らされた事により、ヘンリエッタは島を抜け出す事を決められたのだ。
これが月に一度などだったならばまだ躊躇したが、五年も捨て置かれるならば、逃げても逃げなくても大して違いは無い。
それならば、島を抜け出し、海に落ちて死んだと思わせた方が、やっかいごとに巻き込まれる事もなく、生きられるような気がしたのだ。
何よりハイザメが、遠慮も迷いもなしにヘンリエッタをいかだにひっぱっていき、海に落ちない様にといって、ぐるぐると彼女の胴体を縄でいかだの柱につないでしまったのだ。
これで抵抗できるほど、力が勝ってはいないヘンリエッタは、おとなしくそれに従った。
つなぐというが、胴体が苦しくないように優しく縄を巻かれたので、気遣いは感じ取れたのだった。
「母ちゃんぶったまげるかもしれねえけど、おちびちゃんいい子だから大丈夫だ! なんとかなる! 母ちゃんだめでもおいらが面倒見るからな!」
「あなたが先では無いのでしょうか」
「母ちゃんにこんな大事な事黙ってたら、おいら三枚に下ろされる。母ちゃん産んだ子供皆男で、娘が欲しかったのに三人の馬鹿息子育ててたら、娘仕込む時間なくしたってたまに酒の席でぼやいてるし」
「あなたはそんな扱いでよいのですか」
「だって息子はよその女のところに行くけど、娘は自分の傍でよその男と子供作ってくれるんだぜ? だったら一人くらい家に残って欲しいって思う時に、娘の方が孫も見られるって思っちまうのはおかしかねえだろ」
「女性の方が何かと強いのですね、魚の民は」
「だって女が繁殖期にならなかったら、男は子供作る事は不可能なんだぜ? それ以外であれやこれやしても、子供は生まれねえんだよ。お医者様が言ってた」
いかだを巧みに操りながらハイザメがそう言い、ヘンリエッタは会話が無くなったので、ただハイザメが意のままに操るいかだの上で、水面を見つめていた。
島に流される時は呪いのように濁っていると思われた海水は、同じ物なのにハイザメの乗せてくれたいかだの上では、キラキラと青く美しく見えたのだった。
しばらくいかだはかなりの速度で走って行ったが、やがてハイザメがいかだを留めた。
「どうしたのですか?」
「体が乾いちまった。ちょっくら水分補給するわ」
「体が乾く……?」
意味のわからない言葉に怪訝な顔をすると、ハイザメはばっしゃんと着の身着のままで海に飛び込み、沈んで、数分して海面から顔を上げた。
「あー、生き返る」
「あの、ハイザメ。体が乾くというのはどういう意味なのでしょうか」
「海の民は、海水とかとにかく水に体をつける時間が少しは無いと、体が乾いてひび割れちまったりするんだよ。干からびるとか言う奴もいるし、結構長期間大丈夫な奴もいるけど、皆共通して一日一回は海に潜らねえと不調になるんだ」
「……体は冷えたりしないのですか? 風邪を引く事は」
「逆。風邪引く時は大体海水に入るのさぼってるから。海で冷えるってのはあんまりねえな。あと陸上じゃ信じられないだろうけど、病気になったらきれいな海水に体をつける治療法が結構一般的」
「陸上の人と本当に違う生き物なのですね……それなのに言語は通じるのですね」
「大昔に、地上と水上で共通語を作ったって話しだしな。さて、そろそろ上がって街に向かうか。おちびちゃん、もうじきだからもうちょっと窮屈なの耐えてくれよ」
「はい」
ハイザメはいかだに戻り、また高速で海面を滑っていく。
そうして数十分、明らかに人為的な何かを持つ入り江に到着すると、ハイザメはいかだを降りていかだを後ろから押し始めた。
そして入り江の砂浜までいかだを押すと、ヘンリエッタの胴体の縄をほどいてこう言った。
「ようこそ! 魚の民の街、ラグンに!」
ハイザメがヘンリエッタの方を見てそう言っていたのだが、ヘンリエッタは自動的に逆方向を見る事になり、女性と思わしき体型の魚の民の誰かが、フライパン状の物を持ってハイザメの方に走ってくるのを見る事になった。
そして。
「馬鹿息子! しばらく帰ってくるんじゃ無いって言ったのに何をのこのこと……!? 女の子?! 陸上の子じゃないか!! 馬鹿息子、まさかどっかでさらってきたのか!!?」
「人聞きが悪いぜ! 離島に置いてきぼりにされたおちびちゃんなんだ! さらうとか母ちゃん妄想激しいだろ!」
「お前の馬鹿さっぷりを知っていればそんな発言もするだろうが!! おちびちゃん、大丈夫かい? うちの馬鹿長男に何かされていないかい?」
「いえ、ハイザメ様はとても親切にしてくださいました……あ」
「あ」
「馬鹿息子!! こんな小さい子に何か無体な事をしたんじゃ無いだろうね!!」
女性はそう怒鳴ると、フライパン状のものをもってハイザメを追い回し始めたのだった。




