6.信じてもらえなくとも
機嫌のいい鼻歌が聞こえてきて、ヘンリエッタは柔らかく暖かい場所で目を開けた。
身を起こそうとして、体の動きが制限された事から、ああ、寝袋をあたえてもらっていたのだと思い出し、もごもごとそこから抜け出す。
そして目をこすって周囲を見回し、鼻歌の主を探すと、男が石を積んで簡単なかまどを作り、何かを煮ているのを目にした。
いい香りがする気がする。匂いを嗅ぐと空腹だと体が訴えてきて、ヘンリエッタはそう思える自分に驚いていた。
きちんと体が空腹を訴えてくる事が、珍しかったのだ。
普段は空腹というよりも頭が上手に回らない感じがして、そういった時に下手な事をしてしまうと、むち打ちで折檻を受けていた事を思い出す。
だが、今は頭がそこそこしっかりしており、空腹だと感じ取る事がうまく出来ていた。
「お、起きたか。どうだ、魚ばっかりで胃もたれしてねえか?」
ヘンリエッタの動きに気がついた男が、向けていた背中を動かして振り返り、笑いかける。
この男は笑う顔が基本なのかも知れなかった。いつでも機嫌が良さそうな、お気楽そうな表情の男なのだろう。
「大丈夫です」
「おうおう。良かった良かった。魚もいいけどな、陸のおちびちゃんは脂っ気の強い魚だと、胃がびっくりしちまったかと思ってよ。昨日後から気付いて、失敗したなと」
「大丈夫です」
「そっか、なら良かったぜ。今朝飯できあがるから、おちびちゃんが先に食べるんだ」
「あなたではないのですか」
「飯を子供に先に食わせない魚の民はいない」
「私は、あなたが思っているよりもずっと年上ですよ」
「ぶわっはっはっは!!!! おちびちゃん実は冗談がとってもうまいな? そんな骨と皮で背丈も無くて、ずっと年上とかおかしいだろ!」
ヘンリエッタの真顔で言った言葉に、ハイザメは爆笑した。おこぼれに預かろうと近付いてきていたかもめが集団で一斉に飛び立って逃げる程のうるさい笑い声だった。
「本当です、私は十八です」
「はいはい、自称十八な」
「ハイザメ様!」
あんまりではないだろうか。そんなにも実年齢を信じてもらえないとは思わず、ヘンリエッタは彼の名前を呼んだ。慣れ親しんだ丁寧な呼びかけで。
しかし、そうやって呼ばれたハイザメは目を剥いて驚き、言った。
「おちびちゃん、大真面目にいいところのお嬢ちゃんだったんだな。普通このハイザメを様をつけて呼ぶおべっかつかいはいないんだ」
「おべっかではございません。私は人を呼ぶ際にはこのように、丁寧に呼びかけるようにと言われて育ってきたのです」
「おう、ごめん。でも、これからはハイザメ! でいいぜ。ハイザメ様とかなんかかゆくなっちまいそうだ」
そういった丁寧な呼びかけがかゆくなるというのはわからなかったが、相手がそうして欲しいなら、そうするべきかもしれなかった。
だがヘンリエッタは譲れなかった。
「あなたは私の命の恩人であり、これからあなたのお母様が私の雇い主になるとおっしゃいました。そのようなお方を、ぶしつけに呼ぶ事は出来ません」
「……じゃあおいらの母ちゃんの前では言うなよ?」
「何故ですか?」
「たぶんうちの母ちゃんに鉄器で殴られるくらい怒られちまう、おいらが」
「私の呼びかけで何故」
「こんなちいさな子に何強要してんだって。絶対母ちゃん切れておいらの事ぼこぼこにする」
「……あなたがそうやってひどい目に遭うのは受け入れられません。わかりました、一生懸命あなたをハイザメと呼べるように努力いたします」
「ありがとうな!」
それはお礼を言う事では無かっただろうに、ハイザメはにっこり笑ってそう言ってから、ヘンリエッタに煮込んでいた物を椀に入れて、木を削ったのだろう匙を渡してきた。
「魚の民は大体、朝はぬくぬくの汁物を食うんだよ。匙がちゃんとしてねえのは堪忍な。ちょうどいい貝殻が拾えなくってよ」
「魚の民は貝殻細工が見事だと聞いていますが、日常の持ち物も貝殻が多いのでしょうか」
「鉄だの銅だのなんだのは、よっぽど上手に加工しねえと錆びて朽ちるから、錆びない持ち物が多くなるんだ。これとか魚の民が持ってる一般的小刀」
ハイザメはそう教えてくれて、腰に下げた物を見せてくる。それは、石を打ち合わせて鋭くとがらせた小刀状の物で、ヘンリエッタにはそれが小刀であると言われても、信じられない物だった。
「これは……」
「陸の武器とかもいっぱい見るけど、たしかにこんなのじゃねえもんな。でも見てみろよ?」
とっておきの驚きを見せる顔をして、ハイザメは適当な小石をつかみ宙に放ると、小刀を簡単に一閃させた。
「!!!」
その小石はすっぱりと小刀により真っ二つになり、からんからんと地面に落ちた。
落ちた小石の断面は異様なほどなめらかで、角は手が切れそうなほど鋭い。
「……こんな事を、陸の刃物は可能にしていません」
「だろー? 見た目は陸の方がかっこういいって言う奴も多いけどよ、やっぱり実用性はこっちだわな」
そういったハイザメは、冷めるから早く飯を食え、とヘンリエッタに食事をさせたのだった。




