3 昔話(1)
「泣かないで、エリーゼさん。あなたの大切な、お母様の形見のブローチは、私がお姉様を説得して、返してもらえるようにするから」
「うっ、うっ、そんな事、できるわけがないわ」
「出来ますよ。お姉様だって血も涙もない人じゃないもの。今は少しだけ、神経が高ぶって、普段はやらないような事をしてしまうだけですよ」
「……っでも」
「大事な人の形見を、奪って喜ぶような人じゃないですよ、私のお姉様は」
これは夢だ、とサマンサはひときわ美しく輝く少女が、涙をこぼして悲しんでいるのを、どこか他人事の様に思いながら、見守っていた。
しかし、他人事だと思っている自分とは対照的に、自分の体は少女の手を握って、安心させるように微笑んだ。
これも、過去の記憶なのだろう、とサマンサはここで合点した。
この時の事を、ぼんやりとサマンサは覚えていたのだ。
サマンサの正式な名前は、サマンサ・オズ・ルイン男爵令嬢という。男爵家の二番目の娘で、父譲りのありふれた茶色の髪の毛の、ありふれた薄茶色の瞳の、女の子である。
父は堅物として社交界で有名な男で、母は父が熱心に求婚してきたために、うんと頷いた豪商の娘だった。
政略が絡んでいたのは事実だったが、堅物と名高い父が誠実な男性だと信じた母が、あまりいい顔をしなかった両親を説得した形で、結婚したと言う流れだと聞いている。
母は町で評判の美人で、たくさんの男達が彼女に言い寄っていたが、母はその中でも一番誠実だと評判だった父を選んだのだ。
そんな両親は結婚した後、二人の娘に恵まれて、それなりに不自由する事無く、平和に暮らしていたのだ。
サマンサが十四歳になる前までは。
それはサマンサの誕生日の出来事で、父は家令から手紙を渡されるやいなや、誕生日のお祝いを飛び出していき、そして戻ってきた時、一人の少女を連れていた。
その少女は一体誰なのだ、と屋敷中が混乱する中、父は真面目な顔をして
「私の娘だ。母親であるビアンカが数日前に死んでしまったから、これからは屋敷で引き取って、私の娘として何不自由がないように生活させる」
父はそう言って、可憐な花も恥じらうような少女の肩を抱き、大切そうに扱っていた。
少女はおびえた顔をして、頭を下げた。
「エリーゼと言います、よろしくお願いいたします……十四歳です……」
「!!!!!」
エリーゼの年齢を聞いた母の顔色がさっと青くなる。それは次女よりも先に、このエリーゼが生まれた事を意味したからだった。
つまり、次女を妊娠する前に、それまでの経緯はともかく、夫が自分を裏切ったと言う事にもなったからだ。
母はこの言葉を聞いて倒れて、以来、エリーゼを痛めつけるようになった。
サマンサは、母が泣きながら一人、寝室で遠くを見ている事を知っていた。
それは、姉のエリザベータも同様で、姉は母を苦しめる存在になったエリーゼを、あっという間に憎んだ。大切な母を苦しめるエリーゼという存在に、心底怒りを覚えたのだ。
これで、屋敷の外で生活する愛人の娘だったなら、ここまで母も姉も、怒りを覚えなかっただろう。それどころか、外に作った娘など、気にも留めなかったに違いない。
それは、家に迎え入れなければ、正式に娘と認めない、この国の慣習の事もあったのだ。
だが、父は外に娘を作っただけでなく、娘を正式に自分の庇護に置く存在として、屋敷に連れてきたのだ。
それも、二人の怒りを激しくさせる事だった。挨拶して以来、母も姉も、エリーゼをいたぶり、彼女の大事にしている物をことごとく奪ったり壊したりして、さらに教育がなっていないという理由をつけて、彼女にきつく当たり、時に出しゃばりだと家庭教師を経由して、体罰を与えたりした。
待遇もかなり悪くて、エリーゼに与えられたのは、使用人の部屋よりも劣悪な物置で、まともに使える物なんて何一つ無い、普通の女の子だって暮らせない場所だった。
食事にも日常的に石や虫や、食べられない植物の殻が混ぜられていて、いかに二人が愛人の娘を憎んだかがよくわかる。
そんな母と姉を見ていたサマンサは、母や姉の怒りや憎しみを近くで見ていたけれども、それに追従する事をよしとしなかった。
理由としては単純だが、サマンサを教えていた家庭教師が、複雑な話だけれど、と前置きしながら以前話していたのだ。
「貴族のご令嬢にとって、いきなり父親が、愛人の娘を家に引き取ってくる事は、無い話ではありません。特に、妻の両親の地位が、貴族でないという事になると、遠慮をしなくなる人間は山ほどいるのです」
「物語の中だけではないのですね」
「そうなんです。妻の出身の身分が、愛人よりも低かったら、妻の方がないがしろにされる事もありえます。ですが、サマンサお嬢様、これだけは覚えていてください」
「これだけは、というのは大事なお話ですね?」
「はい。……引き取られた愛人の娘が、悪なのではありません。愛人を持った父が、きちんと家族の関係性を考えずに、妻に相談する事もなく、娘を引き取ってしまうのが悪なのです。愛人とて、生活のために貴族の愛人になる事もありえます。その場合も、たとえ愛人の方に誘われたのだとしても、首を縦に振る断らない方が、悪なのです。生まれてきた娘は、生まれながらに悪でもないのです。ですから、サマンサお嬢様、あなたは、愛人の娘がやってきたと言う状況になっても、その少女の性質を自分で確認して、善し悪しを見極めてください」
「はい、先生」
そういうやりとりをしていたからこそ、サマンサは愛人の娘としてやってきたエリーゼを、諸悪の根源だと決めつけず、性質を確認してから、対応を決めたのだ。
だから、母や姉が苛烈な感情の結果、エリーゼを無意味にいじめる事をよしとしなかった。
そのため、サマンサは何度も、エリーゼを助ける事になっていた。
エリーゼがやめて欲しいと言ったところで、母も姉も耳を貸さない事は確かだったのだから。