26 逆転(1)
その日宝石の国の王族達は、緊張とともにその場を見守る事になっていた。
と言うのも、宝石の国随一の美貌の公爵家の養女エリーゼが、自分を虐げていた元男爵家の女性達と対面する事が予定されていたからである。
男爵家の女性達は、皆鉱山で死んでしまったという話だったのだが、何故か翼の国の王子であるスピカ・ホーエンツォレルンが
「公爵家のエリーゼ殿に、生き別れとなった姉妹を会わせたいのだ」
と言う事が記載された書状を、王家に送ってきたためである。
一体どういう事情が重なり、スピカという他国の王子が、極悪非道な女を救ったのかは、宝石の国では明らかにされていない。
これは、鉱山から感染症により外に放り出された後の人間の、行く末を宝石の国の人間達が基本的に調査しない事からだった。
おそらく、通りすがりのスピカ王子が、倒れている少女を偶然助け、素性を聞いたところ、こういう事になり、さらにエリーゼが、自分を虐げていた人達が修道院に行く前に、最後会いたい、言葉を交わしたいという事を言っていた事を、どこかで伝え聞いた結果以外にあり得なかった。
スピカ王子の連れてきた少女は、顔に薄い、人相が曖昧になるヴェールを被り、落ち着いた様子で、やってきたエリーゼと、彼女の婚約者である剣の国の王子、ジョゼフィンを見つめていた。
そして、全員がそろったと思われたその時、とても優雅な仕草で、ヴェールを被る少女が一礼した。
一国の王女だと言われても、何の遜色もない、それはそれは美しく整った一礼だった。
それに、ジョゼフィンもエリーゼも軽く動揺した様子だった。
身分の低い人間が、身分の高い人間相手に、まず一礼をして挨拶をするのは通常の作法と言っていい。
だが、自分達が恥ずかしくなるほど、優雅で美しい所作を見せつけられれば、誰しも動揺するわけだ。
それが、自分達よりも、あらゆる意味で劣っているはずの人間ならば。余計だろう。
一礼をした少女は黙ったままだ。むやみやたらに口を開かない、貴族令嬢としてのあるべき姿がそこにある。
それを見やったスピカ王子が、口を開く。
「こちらのサマンサ殿を、エリーゼ嬢がどうしても会いたがっているという話を耳にしたものでな。ならば一度、しっかりとお互いに話し合う必要があると言う訳で、こちらに連れてきた次第だ」
スピカ王子は、エリーゼにそう言う。エリーゼは身を震わせて、おびえた仕草をとったのだが、何かを言う気配は感じられない。
その仕草を見て、ジョゼフィンがヴェールの少女を睨み付けてこう言った。
「エリーゼがおびえているだろう! 所作はまあまあ見られたものかもしれないが、性格のおぞましさは隠せないようだな!」
「俺はエリーゼ嬢に話しかけているわけだ。ジョゼフィン殿、黙っていただけないか」
「なっ!! 僕を何者だと心得ている!」
「俺達は二人の付添人だ。二人が話し合うべき場面で、いたずらに口を挟むのはよろしくない。俺が口を開いたのは、何故サマンサ殿を連れてきたのかを、エリーゼ嬢に説明しなければならないからだ」
「うっ……!!」
かなりのもっともな指摘に、ジョゼフィンは屈辱のあまり顔を真っ赤に染めたものの、一応は黙った。
ヴェールの少女はエリーゼを、その薄布一枚ごしに見つめている。エリーゼの方が身分が高くなったために、自身から話しかけられないのだ。
だが、対するエリーゼは、身を震わせて、顔色を悪くして、涙目で黙っている。
何も会話が生まれない。不毛な時間がただ過ぎるかに思われたその時だ。
「発言を、お許しいただけますでしょうか、エリーゼ公爵令嬢様」
静かで落ち着いた、柔らかな声で、ヴェールの少女が口を開き、それに対しても何も言わないエリーゼを、あきれた様子で見つめたスピカが言う。
「俺が許そう。会いたかったはずの相手を見て、こうも臆病に震えて何も言わないままというのは、単なる時間の無駄に過ぎないからな」
「スピカ様、ありがとうございます。……ねえ、エリーゼ様」
落ち着いた声で、穏やかな声で、悪辣な性格とは到底思えない態度で、少女がエリーゼだけを見つめて言った。
「私はあなたのために、あなたのブローチを取り返したわ。お姉様が踏みつけて、砕いて壊したブローチの破片を、一つ一つ拾い尽くして、一番大事なハンカチに包んで、あなたに手渡したわ。あなたはそのハンカチを、自分の刺繍したハンカチだと言って、ジョゼフィン様に見せていらしたわよね」
エリーゼが身を震わせた。何も言わない。
そして、そんな事をいきなり聞いたジョゼフィンが、目を見開いている。
「ねえ、エリーゼ様。私はあなたのために、あなたに用意された虫入りのスープや、鼠の死骸の入ったケーキを、私のものと、いつも交換したわ。不衛生だから、交換した食べ物は、いつも口にしなかったけれど。そういう事を繰り返していたから、あなたではなくて、私のほうが、いつもそう言う食べられない物を出されるようになったわ。覚えていらっしゃいますか?」
エリーゼは蒼白な顔で、ただ立っている。
「話が違うぞ……」
ジョゼフィンが小さく呟いている。
「ねえ、エリーゼ様。私はあなたのために、あなたに与えられた、人間の暮らす空間ではない場所ではなく、人間の暮らせる場所を、あなたに用意して欲しいと、いつもお母様に願い出たわ。だからあなたと、私の部屋は交換されましたよね。あなたは、きれいで清潔で、整っていて、調度品が全て上質の物でそろった部屋で、暮らしていらしたでしょう? 私は、あなたの代わりに、隙間風の吹く、冬になると室内でも水の凍る部屋で、薄い布一枚で、夜を過ごしていたのを、あなたはまさか覚えていらっしゃらない?」
「とんでもない環境だな」
ぼそりと言ったのはスピカの方である。なかなか想定外だった様子だ。
「ねえ、エリーゼ様。私はあなたを憎む、お姉様やお母様を止め続けて、そうしなければあなたが受ける事になっていただろう体罰も、暴力も、代わりに受けさせられたわ。あなたは男爵家で、一度もぶたれた事も、杖で殴られた事も、髪を切り刻まれた事も、ないでしょう? あなたはいつも、お父様に愛されて、お姉様よりも、お母様よりも、良い物、心地よい物に囲まれて、暮らしていらしたでしょう? まさか、それもお忘れになりました?」
エリーゼが震えるばかりである時、耐えられないという態度で、ジョゼフィンが叫んだ。
「愛しいエリーゼ!! 君から聞いた、君が受けていた待遇と、話が違うだろう!! 彼女はまるで、君が受けていたと君から聞いた待遇を、彼女の方が受けていた様な言い方をしているじゃないか!! どうして、君は否定してくれないんだ!!」
「あ……あ……ちがうの……ちがいます……」
ジョゼフィンが叫んだ事で、自分の立場がかなり危うくなったと気付いたのだろう。エリーゼが震えた声でやっと否定をし始める。
「そうだ、エリーゼ嬢。あなたは鉱山に連れて行かれるサマンサ嬢に、こんな物を渡していたな」
空気を読まない調子で、スピカが口を開き、侍従が持っていた紙袋を見せる。
それを見たエリーゼが顔色を変えて叫んだ。
「なんであんたが、それをまだ持っているのよ!! 返して!!」
「……語るに落ちましたね」
ヴェールの少女がそう言い、ヴェールを持ち上げた。
そこにいたのは、サマンサではなく。
「あんた誰よ!!」
エリーゼが令嬢らしい態度も、おびえた様子もかなぐり捨てて怒鳴る。
「私はサミュアといいます、エリーゼさん。私は、サマンサ様の代理で、ここに来たものですよ」
サミュアは、火傷の痕を隠す事もせずに、こう言った。
「そして、あなたの雇ったごろつきが、私をサマンサ様と間違えて行った放火により、このように大やけどを負って、生死の境をさまよった、いわばあなたの被害者です」




