21 ありもしないはずの記憶
一度目の食事以降、食事は見た目や香りは格段にまともな物が出てくるようになった。
しかし、それらを食べるという選択肢は、どれで毒に倒れるかわからないという、とんだ博打のような食事だった。
いい匂いがするというのに、空腹で苦しく、痛みを覚えるほどなのに、食事を口にすれば、毒で苦しむかも知れない。
それは、ただ食事を抜くという事や、水を最低限しかあたえないという事以上に、体も心も痛めつけるやり口だった。
さすがにここで死なれてはならないので、水だけは相変わらず泥の水でも、毒は混じっていない事だけは救いだった。
「……また食べないのか」
「わたしは、姫だといっていない」
「いい加減に認めたらどうだ」
「やってない事に、みとめるもくそもあるか」
「お前もそろそろ限界だろう。……死ぬぞ」
「やってない。それが、わたしのじじつだ」
サマンサは生き延びたいのだ。暗く冷たく、過酷な労働環境で、それでも生き続けようとして、それが出来なかったサミュアの分まで、生きたいのだ。
彼女が見たかった青い空をたくさん見たいし、彼女が行きたかったたくさんのきれいな土地を巡りたいし、彼女が本の中で憧れたという食べ物を、食べたいのだ。
そこに、死ぬという道は一つも走っているわけがない。
口にされる気配のかけらもない、毒が入っているかどうかも判別がつかない食事を、尋問員が片付けて去って行く。
それを見送っていた時に、確かに限界なのか、どうなのか、サマンサはある言葉が頭の中によみがえった。
「私、家から出られなかったの。ずっと。もう長い事。だから、ここから出て、たくさんのいい物を、見るの。××××、あなたの無罪だって、あなたより先に出られたら、絶対に証明する。そのために、人生を賭けたっていいわ、私のこの場所で出来た、親友」
サミュアはどんなに辛くても、強い声でそう言った。体は限界で、命の灯火が燃え尽きそうになるまで、死期を悟るまで、サミュアはずっとそうだった。
強い少女だった。
あんな子が、無実の罪を着せられて、あんな、死んで当然の場所に送り込まれて、そして死んだ。
「……諦めないよ、サミュア。あたしは、ここからじゆうになる」
サマンサの心の中から、とても自然に浮かび上がってきた言葉や、言葉遣いは、貴族の令嬢が口にするにはあまりに、不自然な口調だった。
だがそれに気付く事すら、今のサマンサには出来ない事だった。
「これで何日目だ!! お前ももう限界だろう! いい加減に白状しろ!! その根性に敬意を表して、罪を認めれば数日はまともな生活を送らせてやる!!」
サマンサと尋問員の根比べで、根を上げたのは尋問員の方だった。
彼等も、まともな神経を持っているからこそ、毒を盛った食事を用意したり、そう出ない食事を用意したりする事に、疲弊していたのだ。
彼等からすれば、それは白状させるための最終兵器であり、サマンサほどこれに耐えきった人間がいないのだろう。
サマンサは目も上手く開けられなくなりながらも、肩をつかまれなければ座っていられないほどであっても、言った。
「あたしは、いってない。ひめなんて」
「……ねえ、あなた、本当にどこの手のものなの? これだけの事を耐える訓練をさせるなんて、普通じゃないわ」
一人の女性の尋問員が問いかける。サマンサにそれへの答えは存在しない。
「手のものじゃない。しらねえよ」
「……おい、気付いているか。こいつの口調が、時間が経過するほどに、雑になってる事に」
「……ええ。これが彼女の素?」
「そうだ。つまり、自分を偽っている事は間違いない。……もうすぐ、真実を話す位に、頭が弱る」
サマンサは、尋問員達のそんな言葉をぼんやりと、理解する事もあまり出来ずに聞いていた。口調が違うなんて、そんな事、思い至るわけもなかったのだった。
夢を見た。泥だらけになって、ミミズを友達と探し回って、見つかったそれらで、川に罠を仕掛ける夢だった。
夢の中のサマンサは、何人もの友達と、罠でとれた魚に歓声を上げて、誰がどの魚をお夕飯に持って行くかで大喧嘩をした。
夢を見た。木登りをして、虫取りをして、誰が一番かっこういい甲虫を捕まえるかの競争をした夢だった。
夢の中のサマンサは、友達と一緒に、あまりにも高く木に登りすぎて、友達の親戚の庭師のおじさんに、木からの降り方を、高い木の上で聞いて、降りてからおじさんに皆そろって怒られた。
夢を見た。どこかの道を走り回って追いかけっこをした夢だった。どこかの家の洗濯物にひっかかって、雨上がりの晴天だったから、引っかかった洗濯物が泥まみれになって、そこの家の人に怒られて、追いかけっこをしていた友達に逃げられて、一人洗濯物を洗い直した。
夢を見た。キノコ採りをして、誰が一番おいしいキノコを見つけられるかを競って、あらゆるキノコをむしり取って、判別が出来るおばあさんのところに持っていった夢だった。毒キノコが多くて、おばあさんに逆に感心されて、毒キノコは使用方法を間違えなければ妙薬になる、とおばあさんに毒キノコは買い取ってもらって、食べられるキノコは、皆でたき火で焼いて食べた。
意識がもうろうとし始めた中で、頭に浮かんでくる夢なのか、記憶なのか、妄想なのかわからない物は、あまりにも現実味のある物なのに、それらは男爵令嬢の記憶としてはあり得ない物ばかりだった。
サマンサ・オズ・ルイン男爵家は、確かに質素な生活を送る男爵家だったが、次女にこれだけの男の子のような行動を許しているはずがなかった。
跡をとる事はなさそうな次女だが、泥まみれになったり、洗濯物を洗い直したりするのは、貴族令嬢の行動とは思えない物でしかない。
だが、それらは、とても優しい、楽しかったと、いい思い出だと言えるような思いを抱かせる物達で、サマンサは、それらをもっともっと見続けていたいと、かすれていく意識の中で思っていた。
……扉の外が常ならぬ程騒がしい様に思える。
サマンサは、その音を他人事としか思えない状態で聞いていたが、がちゃがちゃと扉を開けようとする音が響き、怒鳴り声が響いた。
「鍵をよこせ!」
「暗くて鍵穴がわからねえ! 退け! 俺なら蹴り開けられる!!」
「お願いします!!」
怒鳴り声は複数に増え、そして轟音のような響きとともに、扉が吹っ飛び、男達がなだれ込んできた。
そして。
「サミュア!!!!」
聞いた事があるような、ないような、だが何かが信じられると思わせる青年の声を耳にしたと思うと、サマンサの意識は遠のいていった。