17 その笑顔を
「サマンサさん」
サマンサは夢を見ていた。それは過去の夢だったのだろうか。
記憶の中にありそうなその光景が、自分の空想なのか、それとも真実なのか、夢をたゆたっているサマンサには、わからなかった。
ただ、その中で、自分に向かって、サミュアが大事に懐に隠し持っていた、特別な物を渡してくれる。
「内緒にしてね、これを他の人に知られたら、きっとただじゃすまなくなるもの」
サミュアのはずの、目の前の女の子は、茶色の髪の毛に茶色の瞳のきれいな少女はそう言って、懐に隠していた小さな紙袋を取り出してくれる。
その袋から手のひらに転がってきたのは、小さな葉っぱの刻印がされている、小さな小さな飴玉だった。
この暗闇のような世界で、こんな甘くて素敵な物なんて食べられる望みは、その時以外は存在せず、サマンサとサミュアは、相部屋に二人だけしかいない事を利用して、その小さな飴を、二人そろって、大事に口に入れたのだ。
飴は甘くて、ハッカの様な風味がして、そしてかすかに薬草の苦みのある、それは貴族に一時期流行していた、薬草飴……通称を喉飴に似た味だった。
それがあまりにもおいしくて、サマンサは涙ぐんだのだ。
サミュアは涙ぐんで感動するサマンサに、笑った。
「内緒よ。そんなにおいしいなら、いつかきっと、私達が二人とも無罪だって証明された時に、一緒に買いに行きましょうよ。これは××様のくれた飴だから……」
声の途中がかすれている。誰がくれたのか、その時も良く聞き取れなかった。
だが、おしゃれで流行の喉飴をくれる相手なのだから、サミュアの事を憎からず思っている誰かに違いなく、それはきっと、婚約者に近しいような相手に違いなかったのだ。
サマンサはそれまで、細かな模様の、小さな葉っぱの刻印のされた飴など、一度も見た経験が無かったのだから。
だが、町では意中の相手に、飾った飴を贈る流行があるのは知っていたので、サミュアのような素敵な心の女の子にだったら、そういった相手がいるのは何もおかしいと思わなかったのだ。
「……あれ、おいしかったですよ……サミュア」
夢と現実が曖昧になる、微妙なまどろみの中から覚醒したサマンサは、起き上がってから、小さくそういった。
あの飴は、一体どこの菓子店の物だったのだろう。
それに似た味の、心を安らかにしてくれる気さえするあれに似た物を、葉っぱの刻印のされている飴を、サマンサはロイに聞けば、答えてくれるかもしれないと思ったのだった。
「……小さな葉っぱの模様がある、ハッカに似た風味の飴かい? 確かにハッカの飴ならば
この国でもさほど珍しい味の物ではない。翼の国は沿岸地域で、砂糖の原料になるサトウキビが大量に生産されるから、他国よりも甘い物が庶民まで流通しているからな」
やってきたロイが、欲しいものを問いかけてきたので、サマンサは早速、思い出の味であり、サミュアを忍ぶよすがになる、その飴の話をした。
鉱山で、それを隠し持っていた人を助けた時に、もらったのだという、嘘ではない事実を話してだった。
ロイはそれをほしがったサマンサに、怪訝そうな顔をした物の、サマンサの滅多にない個人的な願いだった事も相まって、それに近い物か、同じ物を探してきてくれると約束をしてくれた。
そして、当たり障りのない話題をした後、彼はこう聞いてきた。
「スピカがここにやってきたと聞いているんだ、彼は激情家だから、何か君にひどい事を言っているんじゃないかととても心配なんだ。彼は何せ、考える前に物を喋る悪癖がある」
なるほど、ロイの方が冷静に物事を、理屈的に見るからこそ、スピカの直感に従った言動や行動が気に入らないのだろう。
サマンサは彼の口調の響きから、なんとなく彼等の不仲の理由の一端を見たような気がした。ロイは調べた結果そのほかから、サマンサが姫だと判断している。
スピカは、自分の五感で感じ取った物から、サマンサが姫でも何でも無いと判断している。
どちらも悪い考え方とは言えないだろう。
ただ、サマンサにとって真実であって欲しいのが、スピカの側であるだけだ。
「顔を見た瞬間に、ひどい目に遭ったのだなと、同情していただきました」
「スピカが? あの誰に対しても、優しさなどないと評判の王子が。……とても珍しい話を聞いている気がするよ」
「色々な事をお話しする事になりましたが、スピカ様は、その間一度も怒ったり怒鳴ったりする事無く、私の話が終わったらお帰りになりました」
これにロイは相当驚いた様子だった。それから察するに、スピカはかなり短気なのだろう。
サマンサの向かい合ったスピカは、確かに話が回りくどいと、じれったそうな顔をしたが、怒鳴ったり急かしたりはしなかった。
ロイのような、貴族的な婉曲な表現をしがちな人達とは、単純に相性が悪いだけかも知れない気はしていた。
「それは本物のスピカだったのだろうか。焦げ茶の髪に狼の耳の」
「はい。濃い黒に近い焦げ茶の髪に、狼の耳に、金色の瞳の方でした」
「それはスピカだな……焦げ茶の狼はあまり数がいないんだ」
そういったロイだが、その表情から、何か彼の気分を害しただろうかと不安に駆られたサマンサには、微笑みかけた。
「大丈夫、あまりにも驚いてしまっただけだから。……スピカが……そうか……だがサマンサは……」
ぶつぶつと何か言っていたが、それらのほとんどは断片的にしか聞き取れず、サマンサは口を開いた。
「何か、私はスピカ様に言ってはいけない事を」
「いいや、あのスピカと普通に会話が出来るのは、メリーナ姫くらいだったものだから、天変地異かと思ってしまっただけだ。あまり気にしないでくれ」
「メリーナ姫?」
「宝石の国から翼の国にやってきた、それは可憐な国王譲りの金の髪の姫君だ。翼の国の人間には、金髪は滅多に生まれない物だから、彼女の周りは光り輝くようだ、と褒め称える者も多いくらいで」
「お美しい方なのですね」
「……ああ、とてもとても」
ロイはどこか情熱的にも聞こえる同意をしたので、さすがのサマンサでも、ロイがそのメリーナ姫に憎からぬ思いを抱いている事は、明白なように思えた。
だがそれを口にする無粋はするつもりがなかったので、サマンサはただこう言った。
「翼の国の方は、宝石の国ではありふれている金の髪が、珍しいのですね」
「宝石の国が、宝石と称される一端は、王族が皆、金の髪に宝石のような色鮮やかな瞳を持っているからだと、聞いた事はないだろうか」
「そういう言い方はあまりされません。王族の皆様は、宝石のきらめきを体に宿してお生まれになるとは、言います」
「それだ。翼の国の人間は、銀の色はさほど珍しくないのだが、金色だけは珍しい。それ故に、他国からやってきた金髪の者が、とてつもない人気者になる事も珍しい話ではない。翼の国の人間は、きらきらと輝く物に、他国の人間よりも心を惹かれてしまうんだ。竜の血がそうする、と伝説にも言われてしまっているけれども」
ロイの言葉は、嘘でも何でもなさそうだったので、お国柄というものはそれだけ違うのだな、とサマンサは裏を考える事も無くそう思った。
「……話がかなりそれてしまったけれども、スピカには十分に気をつけて接した方がいい。いつ機嫌を損ねて、切り捨てられるかわからない男なんだ、彼は」
「はい」
気をつけて喋る事は誰にでも言えるだろう。それ故サマンサは、あまり深刻な話とは思えず、出会った時のスピカの言動を、信じたいと思ったのだった。
もちろん、理性的に物事を見るロイの忠告も、信じたいと思っていたが。
ロイはそれから少し、翼の国の日常の事を話した後に、去って行った。
飴を用意してくれると、言って。
「サミュア、あなたのくれたあの飴と同じくらいに、おいしい飴が見つかったら」
火傷の結果、寝たきりの時間が長かった事により、機能回復訓練を受け続ける事にもなったサマンサは、その訓練が終わった後、くたびれはてながらも、寝台で呟いた。
「あなたに、それを。……どこにお供えすれば、あなたに届くかわからないけれど」
ぼろぼろの衣類で、真っ青に青ざめた顔で、小刻みに震える手で、それでも自分の秘蔵の大事な物を、助けてくれたからと分けてくれた彼女の、笑顔を思い出せた。
それだけサミュアをはっきりと思い出せたのは、今までに無く、サマンサは、笑顔を思い出せて良かった、と思って眠りについたのだった。




