15 転機は来る
顔の包帯がとれたとしても、サマンサはしばらく入院生活を送る事を余儀なくされていた。
と言うのも、鉱山での生活や労働は、少女の肉体にあと一歩間違えば取り返しのつかない負担だったそうなのだ。
そういえば月の物も止まって久しい、とサマンサは医者の説明を受けた際になんとなく思い出した。
最初の数ヶ月は、失神しそうな程の痛みとともに訪れていたそれらは、ある時を境に一滴も出てこなくなった気がした。
それを明確にいつから、と思い出せないのは、鉱山内の生活の、私的な部分をほとんど思い出せないからであろう。
「あなたの体はかなりひどい状態になっていらっしゃる。国王陛下とご対面する前に、しっかりと健康体になるまで元に戻らないと、あなたを大変に心配していらっしゃる国王陛下がお嘆きになりますし、あなた自身も、健康な体を取り戻したいでしょう」
そう言われたら否やはない。
ただこの時も
「私は姫ではありませんので、国王陛下とご対面するなど、身分違いも相当ではありませんか」
そうすっかり日常的になった、姫という部分への否定は忘れなかった。
サマンサはずっとそうやって否定し続ける事で、己やサミュアの両親の身を守りたかったのだ。
ずっとそう言い続けていれば、もしもの時に、かわいそうだと思ってくれた誰かが、証言してくれるかも知れないからだ。
あんなに否定していたのに……という言い方一つでも、罪状が決定的に変わる事もあるのだと、サマンサはもう知っていた。
エリーゼいじめの件がそうだ。エリーゼ自身は、いじめた継母や義姉達を、ひどい目に遭わせないで欲しいと言ったのは父の男爵の発言から間違いがないだろうが、そこで、誰と誰、と明確に発言しなかった様子で、その事こそ、彼女を庇い、彼女の代わりに非道な扱いを受けたりしていたサマンサまで、巻き込まれた原因であった。
それを声高にいう事はもうしない。あまりにも面倒で、変な問題を発生させたくなかったのだ。
翼の国の人々が、サマンサを姫だと勘違いし続けている現状で、それを言えば、国と国の問題に発展し、ただでは済まされない亀裂になる事もあり得た。
そうなった場合に、翼の国と国交を回復したいサマンサの母国は、エリーゼに責任を負わせ、それは、翼の国ではない大国、剣の国の王子ジョゼフィンにも回るだろう。
サマンサの母国はあまり大きくも軍事力も無い国なので、大国二つと事を構えてしまったら、間違いなく滅ぼされてしまう。
その時に一体何百人の命が失われるのか。
サマンサはその、あり得る死者の多さを考えてしまったし、その原因の一番大きな部分になりたくなかった。
死者の責任を負いたくなかったし、それらはあまりにもサマンサの肩に乗るには重すぎたのだ。
そういった事をいくつも考えて、サマンサは自分の扱い云々の事を、自分から言わないと決めていた。
「サマンサさん、気分はどう? 何か思い出した事とかはある?」
サマンサが医者を見送った後に、病室で一緒に医者の診断などを聞いていたミシュアが言う。ドナートは、サマンサの母国である、宝石の国の整形その他が、翼の国よりも意外と発展していた事がわかったので、翼の国の医者達に、その知っている事を教えると言う仕事をするようになっていた。
彼等とて、稼がなければ暮らし続けられないので、翼の国で仕事を見つける事は、おかしな事でも何でも無かった。
ただ、ミシュアの方は、サマンサのお見舞いに毎日訪れて、あれやこれやと世話を焼き、医者という人間である事と、女の子の母親だという事とからか、かゆいところに手が届く物を用意してくれたりしていた。
それは非常にありがたかったのだが、サマンサはミシュアが、何故そんなにも自分に協力的なのか、いまいちわからなかった。
自分は……彼女の娘と入れ替わってここにやってくる事になっただけで、ミシュアからすれば赤の他人で、ぎりぎり、娘の手紙を届けてくれた人である。
だと言うのに、ミシュアは我が子にするように献身的で、ドナートもお見舞いに来る時は、まるで娘の世話だというように、優しくしてくれていたのだった。
それらは、両親の愛情が失われていたサマンサには、とても柔らかい物で、優しく、心がほっとしたりもした。
それでも、自分はサマンサであって、彼等の愛した、体の弱い娘ではないのだ……
この事が、サマンサにとっては罪悪感を覚える事実で、お礼を言う時、いつも声がこわばってしまう原因だった。
ミシュアは毎日やってきて、何か思い出した事はある? と聞いてくる。おそらく、鉱山の中での生活の記憶が、ほぼ欠如した状態のサマンサを気遣っているのだろう。
ロイと出会った事などを思い出したならば、サマンサが翼の国の姫であると自分を受け入れられて、幸せに暮らせると思ってくれているのだ。
もしくは……サミュアの事を思い出してくれないだろうか、と言う親としての願望なのかも知れない。
いいや、きっとそちらの方が比重が大きいだろう。両親は、鉱山で暮らす事になってしまった愛する娘の事を、辛い中身でも苦しい中身でも、聞きたいのだろう。それが親心だ。
死んだ娘の事を、最期の時の事まで知りたい、と言う悲痛な思いの方が、きっと大きいに違いなかった。
ミシュアの今日の問いかけに、サマンサは首を横に振った。
「申し訳ありません、今以上の物は、何も」
「そう……何か、少しでももっと思い出せればいいけれど……辛すぎて、心が封印をしてしまったのかもしれないわね……でも、思い出したとしても、私もドナートも、あなたの味方よ。思い出した中身が辛すぎて、苦しい時は、いつでも頼ってちょうだい」
首を振ったサマンサに、ミシュアは悲しそうな、しかし力強い事を言ってくれた。
「……ありがとう、ございます」
サマンサが、固い声ながらもお礼を言った時だった。
「ここか? 我が異母妹が入院しているという部屋は」
と言う声が響き渡り、扉がたたかれる事もなく開くと、一人の年若い男性が現れたのだった。




